私季彩々
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2002年03月29日(金) 定年

 急遽4ヶ月間眠っていた車を走らせて帰省した。国道36号線はすでに路肩にも雪は少なく、夏タイヤでも安心して走ることが出来た。3月最後の金曜日のことだ。

 父は学生服を着た18歳で役場に勤め始めた。当時の写真を見た記憶がある。それから粗末な平屋長屋の職員住宅に住み始めて、私が2歳くらいの時に家を立てた。その頃周囲には3軒しかなく、周囲数百メートルは見晴らしの利く草原だった。野いちごを詰んだり、野球をしたり、子供が遊ぶにはいい環境だった。
 親の世代がどのようなものかわからないが、真面目に勤めて帰ってからは庭仕事を楽しみ、野球を見ながらビールを飲むという典型的なサラリーマンだったように思える。公務員という事もあり、始めは給料も安くて大変な事もあったようだが、後半は大分余裕が出てきたようだった。
 趣味は釣りくらいなもので、家には本やレコードといったわかり易い好みな物もほとんどない。家にいるときは庭に手を入れて、冬場は釣竿の手入れに明け暮れていた。

 仕事のことを家に持ち込むことはほとんどなかった。親戚以外に友人が出入りする事もなかった。旅行にもほとんど出かけなかった。今年になって礼文島に行ってきたとのことだが、一泊二日の強行軍。年休もほとんど使っていないのだからゆっくりしてくればいいものを、それを出来ないのがこの世代なのだろう。

 数年前家に手を入れて、一階の段差を無くしたバリアフリー工事をした。定年後に海外移住とかいう大胆な構想を期待すべくもないが、この静かな町でゆっくりと暮らすらしい。草原だった周囲には家が立ち並び、若い夫婦と子供達の声が時折響く中、だだっ広い光景を覚えている古い人々は静かに老いていく。

 子供から見れば無趣味でライフワーク的なものがないようにみえるのだけれど、家族をしっかり支えて静かでも居心地の良い暮らしを築いてきた事は誇りでもあり十分でもあるだろう。そんな中、いい年をして結婚もせずにいる2人の子供には言いたい事もあるだろうが何も言わない。この静かな暮らしに孫の声が響けば、もう何もいらない親であることは子供達にはよくわかっているのだけれど、ごめんなさいね。

 4月中旬には珍しく九州へ旅行へ行くという。宮崎は新婚旅行で行って以来との事。
 定年という大きな節目。再就職はしないという。たくさんの時間をどう使うのか心配ではあるけれど、まぁ、なんとかなるでしょう。

 本当に長くご苦労様でした。いまだモラトリアムな子供等をもう少し見守ってください。 Home&Photo


2002年03月25日(月) 吾の汚れのみが過飽和する水をじっとみつめる日曜の午後

 今時、二槽式の洗濯機を使っている人など極少数と思うけれど、サイレントマイノリティーを自負する私は相変わらず愛用している。私のところに来た時点ですでに10年以上の齢だったから、すでに20を優に越える御歳だ。

 まわる水の流れに何となく見入ってしまうという人も昔は結構いたように思えるけれど、今ではそれも少ないかもしれない。全自動洗濯機では、蓋を開けて覗くなんて可能なのだろうか。
 ほったらかしにしていた洗濯物を投げ込んで、真っ白い洗剤を入れる。一瞬白く綺麗な色になったかと思うと、薄汚れた濁りが水を支配していく。自分の汚れが溶け出していく瞬間を、私はたまらなく愛しく思う。
 単調なモーター音が停止して、逆周りが始まる。波がほんの一時止まって、再びまわり始める。催眠術にでもかかったような気分なのか、タイマーが止まっても余韻に浸りながら眺めていたりする。

 脱水を終えてすすぎにはいる。始めは濁っていた水が、段々と澄んでいく。流しすすぎはよくないと思いつつ、濁りが消えていくのは気持ちがいいものだ。けれど、天邪鬼な私はそれが許せない時もある。濁らない服を身に付けることが偽善に思えたりする。そんな時は水道を止めて溜めすすぎ。何、ほとんどはこれで十分なのだから、水節約には、多少汚れた人らしい心をもっていたほうが地球にやさしい洗濯ができる。

 ポタポタと規則的にもれる水滴音にいらついたり、川のせせらぎに癒されたり、汐音に感傷的になったり。水音というものはヒトの深層心理に深く忍び込む。目を閉じても波紋が揺れるような、血液の流れを泳ぐような、羊水の中に浮かぶような。
 そんな水の心象の中にある洗濯機の場合、私は目を開いてその流れをのぞいている姿しか浮かばない。これは心象とはいえないのかもしれない。何か不思議な気がするこの感覚はなんなのだろうか。


 洗剤を入れた瞬間離れゆく その潔き汚れぞ清し

 吾の汚れのみが過飽和する水をじっとみつめる日曜の午後

 すすいでも残る濁りは消えきらぬ人の汚れと安心してみる Home&Photo


2002年03月24日(日) 吾の汚れのみが過飽和する水をじっとみつめる日曜の午後

 今時、二層式の洗濯機を使っている人など極少数と思うけれど、サイレントマイノリティーを自負する私は相変わらず愛用している。私のところに来た時点ですでに10年以上の齢だったから、すでに20を優に越える御歳だ。

 まわる水の流れに何となく見入ってしまうという人も昔は結構いたように思えるけれど、今ではそれも少ないかもしれない。全自動洗濯機では、蓋を開けて覗くなんて可能なのだろうか。
 ほったらかしにしていた洗濯物を投げ込んで、真っ白い洗剤を入れる。一瞬白く綺麗な色になったかと思うと、薄汚れた濁りが水を支配していく。自分の汚れが溶け出していく瞬間を、私はたまらなく愛しく思う。
 単調なモーター音が停止して、逆周りが始まる。波がほんの一時止まって、再びまわり始める。催眠術にでもかかったような気分なのか、タイマーが止まっても余韻に浸りながら眺めていたりする。

 脱水を終えてすすぎにはいる。始めは濁っていた水が、段々と澄んでいく。流しすすぎはよくないと思いつつ、濁りが消えていくのは気持ちがいいものだ。けれど、天邪鬼な私はそれが許せない時もある。濁らない服を身に付けることが偽善に思えたりする。そんな時は水道を止めて溜めすすぎ。何、ほとんどはこれで十分なのだから、水節約には、多少汚れた人らしい心をもっていたほうが地球にやさしい洗濯ができる。

 ポタポタと規則的にもれる水滴音にいらついたり、川のせせらぎに癒されたり、汐音に感傷的になったり。水音というものはヒトの深層心理に深く忍び込む。目を閉じても波紋が揺れるような、血液の流れを泳ぐような、羊水の中に浮かぶような。
 そんな水の心象の中にある洗濯機の場合、私は目を開いてその流れをのぞいている姿しか浮かばない。これは心象とはいえないのかもしれない。何か不思議な気がするこの感覚はなんなのだろうか。


 洗剤を入れた瞬間離れゆく その潔き汚れぞ清し

 吾の汚れのみが過飽和する水をじっとみつめる日曜の午後

 すすいでも残る濁りは消えきらぬ人の汚れと安心してみる Home&Photo


2002年03月21日(木) 誰といても淡々と食む人型の吾は暖かな皿を知らない

 一日中強い風がふいていた。雨音も混じってはいたが、春一番と言っていいのかもしれない。ベランダに放ってある発泡スチロールの大きな箱が大きな音を立てて転がっていた。壁を越えて飛んで行かないかと心配だったが、何となく億劫で、音だけを聴きながら確認もせずに眠りこけていた。
 窓をあけると猫が外に出て行ってしまう。そのめんどくささもたたって、春眠に延長を重ねてしまった。

 一切れ58円の鮭の切り身が3枚残っていた。豆腐が半丁。それともやしの残りで味噌汁を作った。いつも目玉焼きでは芸が無いので卵焼きにした。何でも醤油をかけてしまう私だが、今日はケチャップをかけている。新鮮なお味。なかなか減らないキャベツを何とかしようとも思ったが、肉と炒める以外思いつかなかったので、またの機会と思いつつ、結構長くいらっしゃるような。

 一人で暮らして長くなるが、割と自炊はきちんとしている。レパートリーは少ないが、何か作るとなると、そこそこのものが作れるほうだと思う。そんなやもめ暮らしの男が集った折に、料理とか洗濯とかが出来ない人が多いのに驚くという話をしていた。彼いわく、それが平均であって、我々はできるほうだというのだ。果たしてそんなものだろうか。

 作っている時間も短いが、食べる時間はもっと短いのが一人暮らしの寂しいところだろう。けれど実はそんなに嫌いではないように思える。料理を作るのは大好きだし、食べてもらうのも楽しみなのだが、誰かと食事をともにするというのは苦手だったりする。もちろん楽しい事も多いのだけれど、食事という「間」が一旦沈むと、それに耐えられなくなってしまう。

 食事というのは、わいわいやるほど楽しいというのが世の常だが、私はあまりそう感じないことも多い。特に長く付き合った人との場合は顕著だ。家族との食事はどことなく居心地が悪かった。恋人と料理を作るのはとても楽しかったが、食事の時間はそれほどでもないことも多かった。あとで、「私は料理を一緒に作るのあまり好きではないのよね」といわれた時は、食事を楽しむ事の出来ない私の欠陥を指摘されたようで、とても悲しかった

 そんな私だが、憧れるのは喫茶店や軽食屋のような、くつろげるお店を持って食事を出すことだったりする。全く違う路線だが、今まで心の底に沈めていたように思えることだったりする。けれど、私は心底食事を楽しんだ事は無い。そんな私がこんな事を夢見るのは、無いものねだりなのかもしれない。

 暖かな食事というのは、人にとって最も自然な幸せの形だろう。そんな単純なことを今だに求めている私は、きっと何かを置き忘れたに違いない。ずっと先になるかもしれないけれど、そんな食事が出来た時に、私はそれまでの年月分をゆっくりと噛み締めて、少し泣くかもしれません。
 お店を出すのはそれからの事でしょう。もちろんお金もないけれど。


 誰といても淡々と食む人型の吾は暖かな皿を知らない

 18年家族と囲みし食卓に幸を感じぬ吾を責める我 Home&Photo


2002年03月20日(水) 雪残る庭のニ坪起こす婆 土に眠りし春香を待てず

 中国では黄砂が猛威を振るっているという。大陸は砂漠化が進み、乾燥した砂がさらに広がっているという。植林はしているというが、経済発展の続く中国はこれからどうなるのだろうか。
 黄砂はもともと肥沃だというのだから、中国北部やモンゴルは元々豊かな大地でその恩恵は今に至るのだろう。そういえば、司馬遼太郎さんの本で、中国はいたるところ禿山ばかりだったと書かれたものがあった。文明は森とともに絶えると言う。日本はその森の再生力が最も大きい地域だそうだ。

 その黄砂が北海道にも届いているという。景気よく降れば融雪剤も少なくて済むのに、という農家のご意見も聞いた。雪が早く溶けるようにと、石炭の粉を撒いたりするのが春の風物詩だ。その石炭も、現在日本では採掘されていないという。

 今年はベランダに何を植えようかと思案しているところ。考えだけでも十指に余るのだけれど、思いつくのは作物ばかりでベランダ園芸とは程遠いものばかりだ。計画している時が最も楽しいという法則通り。
 そんな最中、友人の親が買った宅地を使わせてくれるかもしれないという話がのぼった。家を建てる予定がないので、畑にでもしようかという話があるそうだ。土も不適当だろうけれど、できるなら是非やってみたいと思う。もしできるなら、それだけで今年がとても楽しみになるのだけれど。


 雪残る庭のニ坪起こす婆 土に眠りし春香を待てず

 夕張の峰に連なる石狩の平を終にと黄砂渡りぬ

 ベランダの百花百実想起する春の夢こそ盛りなるかな Home&Photo


2002年03月18日(月) 目覚めつつある車

 通りの雪も大分消えてきたので、我が車を見に行った。11月30日をもって長い眠りについていた我が車も、そろそろ春の眠りから覚めてもいいものかと思ったのだ。

 私は車を2km離れた友人の家に置かせてもらっている。近所で借りれば月12000円なのだが、そこは唯なのだ。冬タイヤに履き替えるタイミングを失った私は、そのまま雪をガレージにして冬を越させてしまったのだ。
 しかしながら、そこは住宅街の真中。日当たりも悪く除雪車も入らなかったその場所は、道路は数十センチ盛り上がっており、車は片屋根だけをだしてまだまだ冬衣を厚くまとっていた。
 どうせ脱出できるはずもないのだが、不憫に思い除雪を開始。徐々に現れる姿は、昨年走ったときと同じ美しさで、こすった傷もいとおしいい。車が熱伝導体になっていたのか、車周囲はことの他やわらかく、除雪は意外と早く進んだ。

 わずかにしか開かないドア開けて中に入る。ほったらかしにしたテントや寝袋が散らばる室内。まったく駄目な持ち主だ。で、エンジン始動。
 キュルルルルルル・・・・・、キュルキュル・・・・ルルルルル、ブォォン。
 4ヶ月間の眠りから覚めたバッテリーは、多少ご機嫌斜めであったがきちんとかかった。エンジンは明らかにオイルが滞っていたようで、しばらくはノッキングを起こしているように不規則な音を出していたが、数分たつと昔の調子を取り戻してくれた。

 除雪の最中、多くの人が私と車を見ていった。多分、このご近所の方々はこの車に感心があったことだろう。いつ動くのか賭けていた人だっているかもしれない。近所の保険会社のおばちゃんがたまりかねず声をかけて来て、「ようやく動きますか」と笑って言ってくれた。いえ、とてもまだ動かせる状態ではありませぬ。ほほほ。

 この車が動き出せば春かも。月末にできれば乗りたいと思っているのだが、その時までにやらないといけないことがある。
 桜咲く季節に卒業を迎える内地と比べ、雪解け水を気にしながら暖かな春風を感じるのが北海道の卒業シーズンだ。そんな華やいだ季節のなかで、私は暗澹の決断をしなくてはならない。それもまた区切りの春であろう。

 氷の壁を取り払われた車に乗って、私も動き出さなくてはならない。それまでの時間はもうわずかもないのである。 Home&Photo


2002年03月17日(日) えび満月

 世間では味覚異常だとかが大流行だそうで。病的なものは亜鉛欠乏によって起きる事が知られていて、日本ではご飯を食べなかったり、スナック菓子が主食になっているような若い人に多い。ご飯は割合は少ないものの量をとるので重要な供給源だし、加工食品の保存料には亜鉛を無力化するキレート剤というものがあるからだ。

 確かに若い人はお菓子が大好き。会社だって日々うけるお菓子をと多大な尽力をしてるのだから当然といえば当然。なんだかんだいっても魅力的なものは多い。

 私は滅多にそういうものは買わないのだが、最近チョコチョコ買っている。堕落なのかもしれないが、ジュース類はさらに買わないので、水や白湯を飲みながらという渋さである。
 当然買うのも渋いかも。100円以上のものは買わないのだが、柿の種は例外であった。近所で135円。
 しかしながら、私が一番好きなお菓子は・・・・・。ついに買ってしまった。何年ぶりだろう。168円もするこの・・・・・、「えび満月」。

 いつからあるのか知らないが、このネーミングはすばらしい。おまけに一口サイズなのも良い。さらに白い丸の中に埋もれている赤(多分えび)や緑(なんだこれ)の気味の悪さも渋さをそそる。塩加減も丁度良く、私と同様にこのお菓子を愛して止まない方々がたくさんいるであろう事はまちがいなかろう。さんな方は是非メールください。

 あまぁいお菓子はほとんど買わない私。多分味覚はそんなにおかしくないとは思うつつ、こればっかりは自分ではわからないものだ。亜鉛欠乏にならないためには、ご飯をしっかり食べる事と、貝類を積極的にとることらしい。サプリメントなんかもきちんと使えれば悪くない。
 そんな私が望む食品は、ずばり太るお菓子。あぁ、もっと太る方法は無いものかなぁ。 Home&Photo


2002年03月16日(土) 100点を取ること

 自信というものは周囲の寛容に支えられている場合、ある瞬間に脆くも崩れます。それが仕事のこととなれば当然で、うまくやっていたつもりの事が大目にみられていたということで、これまでの鍛錬が惰性のもとにいいかげんになっていたことを思い知らされました。まだ挽回は可能でしょうか。

 家庭教師先の子供は大変できる子なのだが、細かいミスが多くて常に10点程度はポカをしている。だれにでもつき物とは言えるのだけれど、自分を見ているようで愛しくもなる。
 私は単純作業が好きなのだが苦手だ。例えば、数字をそのまま写すという作業を100やれば必ず3つは写し間違える。何度確認しても駄目なのだ。
 経理で経費を間違えれば仕事にならない。報告書に記載ミスがあれば仕事とはいえない。クライアントにだすものに間違えがあれば信用に関わる。
 世の仕事というものは、多くの場合ミスを防ぐために何重もの人が関わっている。クリエイティブな仕事も原本のままでは外には出せないだろう。どっちの仕事も重要なのだ。
 そうはいいつつ、クリエイティブではない私はミスを許されない仕事をしているわけで、スピードを犠牲にしても確実さを要求されている。そんな私は、やはり数字を間違える。文字を見落とす。

 彼はいつも70点くらい。平均が45点とかだから十分なのだが、実力はもっとある。けれど、どんなに優しい試験でも彼が100点を取ることはないだろう。どこかで必ずミスをする。私に本当に似ている。
 かれこれこの欠点を直そうと20年が経過して、全く直らない。周囲の人がミス無くこなすのをみていると、我ながら情けなくなる。振り返ればいいかげんにこなしている事が多々あって、唖然としてしまった。

 合格点を取ることにはなれてきた私だが、100点をとらなければならないとなると厳しい。100点を取れる程度の問題をこなして、徐々にその難易度を上げていく。そういうところから始めなくてはならない。そういう訓練をしてこなかったことが、やはり悔まれますな。 Home&Photo


2002年03月14日(木) 一年で一番太った雫等を しゃがんで仰ぐ 春空を背に

 街の中心部はほとんど雪がなくなった。そうはいっても枝道や日陰にはまだまだ雪が積もっている。12月から眠りについている私の車が動き出したら、私的には春というところでしょうか。はたしてバッテリーがきちんともっているかどうか・・・・。

 道を選べば十分自転車でも走れるようになった。真冬なら意外と自転車は走れるのだが、雪が溶け出して道がカキ氷状になると、車輪を取られて極端に走りにくくなる。
 河川敷の斜面では、溶け出した雪が流れ出す瞬間を見た。うっすらと濡れたアスファルトの上を、小さいながらも波紋を従えて小さくしっかり流れていく。その先端を見送って、雪解けで増した豊平川の源流を思った。この一筋も立派な源流となろう。

 今では少なくなったトタン屋根から、雫が勢いよく落ちている。陽光で気分が明るい中、雫の音がこんなにも大きくリズミカルなのは、雪と春が同居するこの時期とこの地域だけの特権だろう。たっぷりと時間を掛けて水を集めて太った雫等は、春空の風景をレンズのように集めて虹を描いています。少し視点を落として、春空を眺めてみましょう。

 戯れは短く眩し 潤み満ちほどけて流る陽だまりの雪

 一年で一番太った雫等を しゃがんで仰ぐ 春空を背に   Home&Photo


2002年03月09日(土) たびのあいさつ

 NHKスペシャルで、アメリカのキャンピングカー(向こうではRVというらしい)で旅をする人々の事をやっていた。リタイアした後で住居を車に変えて旅歩く人々が居るのは聞いていたが、100万人以上にのぼるそうだ。加えてインターネットの普及で、職場に通う必要のない職能のある人々が、このようなライフスタイルを選ぶという事も多くなっているらしい。

 浮草暮らしという訳でもない。彼らは夫婦であったり家族であったりの絆をより深めるために旅に出る。長年住んだ家での暮らしは友達も少なくて孤独だったという人が、旅に出て多くの友人を短期間で作ったということもあるそうだ。
 家という安定はどういうものなのだろうか。あの家の誰々さん。仕事は何で、家族はどんなで、収入はどれくらいで、着てる服は何で・・・。そういったものをどことなく垣間見ながら生活をしているのかもしれない。旅に出てそういうものを取り払った時に自然とでる笑顔は、人を安心させるに十分だろう。同じ所に住んでいつも孤独だという人は旅に出るといいのかもしれない。

 私が山をすきなのは、そこで出会う人と屈託なく話すことができるからだ。おじさんでもおばさんでも、マナーの悪い人も良い人も、話すとみんなうれしそうに答えてくれる。今では遠近感を麻痺させるような光景よりも、「おはようございます」の一言の方がうれしいかもと思える。

 日常で難しいものは挨拶かなとも思う。小学校からこりもせず挨拶が大事と人はいいつづけて、それでも出来ない大人が多いと嘆く。でもそれは嘆くものではなくて、出来なかった彼らにその隙を見せれなかったのでは、と思いたい。甘いのではなく、それも優しさだと思うのだ。
 山で出会った人で、言葉を交わせなかった人はほとんどいない。旅先でもそんなに多くはない。人は雑事や過去のしがらみが無ければ素直になれるものだ。

 キャンピングカーとは言わなくても、見知らぬ近所の喫茶店に出かけるのもいいかもしれない。どこか引っかかる昔話などしなくてもすむ自分が居たら、結構自分が好きになれるでしょう。 Home&Photo


2002年03月08日(金) 送別会は楽しい?

 3月に入り出る人はいる人が様々に入り乱れる。私の会社でも2人が辞める。そのための送別会が一席あった。2人とも大学受験に挑むという理由だ。頑張れとしか言うべくもなく、エールを送ってお別れとなった。

 卒業となれば、まぁ区切りだからめでたい。まだ学生したりないと思う人、とっとと社会人になりたい人、実は大学は肌に合わなかったからという人、次のステップに胸を弾ませる人、様々でしょう。
 定年となれば、悲喜こもごもあり、凡庸な繰り返しの中にもドラマがあったり、義務感ややりがいや挫折や惰性を含めて、とにかくご苦労様という気もちで送り出せるものだ。送る側は、その後の不安や、定年という遠い先の話が現実にあることを感じつつ、仕事と自分の位置関係を一瞬考えてみたりもするだろう。

 「新しい門出を」といって送られる場合でも、その先が希望どおりとは限らない事もある。希望などなくても期限が来たから送られるということもあるだろう。送別会を待たずに自ら途中下車する人もいる。円満にしろご破算にしろ、別れというものはいろんな場面で現れる。
 送る側でも、心から送れない場合もある。相手がきらいな場合もあるだろうが、むしろ自分が送るに足るほどその組織や環境に満足できていなければ、ねぎらいや感謝の言葉もどこか空々しくねたましい感じがしてしまう。

 そんな気持ちを私は否定しない。人はそんな心の小ささを抱えつつ、何度も送られて、時には逃げ出して新しい機会に飛び込んでいく。

 そんななか、切れないものがあるとすれば、それが友情だったり愛情だったりする「情」というものなのかなと思う。組織ではなく、個々人といして付き合っていけるとしたら、「ちょっと方向変えてみることにしたよ」の手紙一枚で済んでしまう事かもしれない。そのさりげなさがとっても素敵だ。

 別れた後に残るもの。送った後には何となく声を掛けにくかったり、再び顔を出しずらかったりする関係は多くあるだろう。私はむしろそっちの方が多くて、一度離れた場や人とはあまり会いたくはない。礼儀を失して逃げ去った場所もあるから尚更だ。

 送別会は自分自身を見つめる場でもあるように思える。酒が少し苦かったなら、何かが足りない。自分が足りないのか、その場が合わないのかわからないけれど、同僚の全てが苦手なようだったら自分に幼さもあったりするのだろう。

 間違いないことは、そんなことなど思いも寄せず、感謝と健闘を祈って乾杯できればそれが一番良いわけだし、ほとんどの方がそうだろう。
 そんなことを思ってしまうのは、私がまだ幸せを知らないからだと思うのですがね。 Home&Photo


2002年03月03日(日) 古き酒仲間

 春近しといいつつまた舞い戻った冬に、濡れていた路面はあっさり凍りついた。

 大学時代に随分と遊んでいただいた先輩が有給消化のために札幌にやってきた。2泊3日を酒と麻雀のためだけにやってきたと宣言する先輩は全く偉大だとしみじみ。待ち合わせは昼。10分後には発泡酒を買い込み1時間もたたずに1人1リットルを空けているという気合いの入れようで、その後は日本酒を飲みながら麻雀となった。
 麻雀などはもう数年やっていなかったけれどなかなか面白かった。役はそんなに覚えていなかったのだが、ドラがやけに来たので上がれれば大きな手となった。なかなか面白いゲームと感心。

 その後はススキノで飲み。乾杯後には日本酒モードになって、一升瓶を注文するまでにさして時間を要さなかった。北海道の魚はやはり旨いとしきり。そんなものなのでしょうか?
 来た面子はもういい歳なのにかわらずふらふらしてるばかばかり。でも、酒仁義を守る奴なので、楽しい宴会となった。だが途中退席する奴が現れた。なんと部屋に女が待っているという。それはまぁそれでいいのだけれど、基本的には女よりも滅多にない先輩後輩の集いを優先する人脈なはずだけに少々興ざめだった。
 逃げつつ言った話しだと、ネットで知り合った7つ年下の女の子が東京からやってきているとのこと。まぁ、正念場というか頑張りどころということなら仕方ないか、と一同肩を落とした。

 この歳になると女がらみではいろいろとある。先輩も私も付き合っている人を全てにおいて最優先するということをしないタイプなので、どうもその点で失敗してるなぁと少しペースを落としてまた飲み始めた。
 仕事も現場を離れて少し偉くなってきて、何となく先が見えてきたと電力会社に勤める先輩は、羽振りは良いけれど先をどうするのか少し悩んでいるよう。集まった面子の中では、子育てに没頭している男が一番幸せそうだった。その次は恋愛中の男か。失業3年目の彼はかなり舞い上がっているようだけれど。安定というのは2輪は必要で、一輪では楽しくても惑っても不安定かなぁと思う。

 仲間というのは年に何回か顔を合せる程度がほとんどかもしれない。全てが変わらないようで徐々に変化していき、大事なものを抱えて会えない事も多くなる。そんななか、一回一回で再開出来たことを感謝しつつ。おいしいお酒をありがとうです。 Home&Photo


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