私季彩々
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ほとんど徹夜で朝7時から出かけた。札幌の藻岩山の方に用があったからだ。藻岩山周囲の家は驚くほどの急勾配に建てられていて、無理やり作った新興住宅地のようだった。冬に凍結したら車で上るのは無理なような気がするほどの。けれど見返せば、札幌の南側にググッと開けた眺望の中に桜が咲いていて、見晴らしは最高だった。
その後、慌てて北へ戻る。通勤ラッシュに巻き込まれて思いの外時間をとられ遅刻。担当科目の五分遅刻と相成った。二回目の授業になるが、早速うるさい。少し授業の仕方も考えないといけないなぁ。けれどそこまであからさまにおしゃべりすることもないのに。しつけが全然できてないなぁ。
で、すぐに取って返して中島公園近くの2つ目のバイト先。病理組織標本の作製のお仕事。おどろおどろしいホルマリン漬けの肉片と格闘。
で、夜7時ぎりぎりに南へ下って家庭教師。おいしい夕食付きでほっと一息。因数分解にはまる。
それからまたバイト先へもどって、標本の鑑定。まだまだ修行中の私にはまったくわからん。平行して大学受験生の化学と数学のアシストをする。
1時帰宅。
走行距離50kmながら札幌市内を2度往復。3つの仕事を掛け持ちするとそれぞれにうまく力が入ってそこそこの充実感がある。私はいろんなことに手をつけた方が長続きするようだ。 で、今日の収入は27000円。これが毎日なら大金持ちだけれど、週1なのだから。ま、医者でもないのに稼いでる方ではあるかな。
で、寝不足で疲れています。うるさい猫を尻目に寝ます。おやすみぃ。
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私は多額の借金を抱えている身なのだが実は貯金もある。相殺すればマイナスになるのだが。借金の返済期間は20年なので、すぐになくなってしまうものでもない。 ないはずのお金なのだから、別の口座を作って本当にないものにしようと思っていた。20年間一切覗かずに、最後にゼロになっているようにしようかと。それが私らしい貧乏道だ。
ここで私らしくない物思い発生。
小学校のころ貯金した7万円は大学生になって倍になって帰ってきた。中学のときの11万円もほぼ倍になって帰ってきた。数パーセントの利率のパワーを思い知った。今ではその姿を見ることもないけれど。
このままもっていても20年後にはただゼロになってしまうお金。かといって旅行とかに使ってしまえるような金ではない。銀行に預けてもほとんど意味のないご時世だ。 けれど、5%の利子がつけば元金が残る計算になる。無利子の借金だからできる技だ。貯金の利子がこれくらいあれば借金という感覚はなくなるのだが、何分ツキのない私。現在の利率はどうしようもない。 で、外貨預金とか株式とかを考えてみたり。面白そうだがよくわからん。ほぼ日の読者としてQさんの指摘よろしく中国株でも買おうかと余計な思案ばかりに嵌まり込む。
そんななか思い出したのが親の嘆き。「こんなに長く札幌に住むならマンションでも買えばよかったねぇ」。確かに札幌の1人住むくらいのマンションは10年分の賃貸料で十分買えたりする。 家やマンションなんか結婚でもしなけりゃ考えるものでもないと思い込んでいたが、果たして結婚するかどうかもわからない。そもそも定職についてもいないのだ。
で、私の今の望みについて考えてみると・・・・、庭がほしい。なんとも小市民的だけれど、あたしゃの望みなどこんなものだ。最近ようやくそれを認められるようになった。わたしゃ小さな幸せこそがほしいのさ。 で、ちょこっと検索すると一戸建てが数万円の家賃で借りられる。家がでかすぎるのが難点だが、庭はあるなぁ。 さらに欲張って、中古の家を買うとしたら・・・・。お、手が届かなくもない値段で・・・・、森のそばで・・・・、庭も広そう・・・・。 築26年ということだからかなり古い物件だけれど、いったいどんなものなのだろう。私の実家と同じくらいだけれど、個人的にはまったく問題はないのだなぁ。一度大きくてを入れているから実家は状態良いけれどさ。どんななのだろう。
などと、あぶく銭を元手にかなり危険な夢を見ている私。でも、こうして夢を見ていると、現実的な将来像を考える。同年代なら深刻真剣に考えて実践していることだけれど、モラトチアムが長すぎた私にはまだまだ非現実的だ。でも、こんなことでもなければ私はすぐにあきらめて、何もしないでぼんやりしてるだけだろう。
夢を見させてくれてありがとう、幻のお金。少しづつ、現実のお金を貯めますです。まだその生業もないのだけれど。
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Gパンは穴のあいたり擦り切れたところがあってもはき続けられる。多少の汚れも許される。これは素敵だ。 個人的にはいかがなものかと思うものもあるけれど、個々人のファッションの範疇に入っているのだと思う。けれど私はそんな中にも入らないので、ただ偶然開いた穴や汚れに目をつむってはき続ける訳だ。
私の場合、買ったGパンやズボンに小さな穴がよく開いた。なぜだろうかと思っていたら、実験でよく使う過塩素酸という強力な酸が原因だった。どうしても気づかないうちにちょこっとだけ雫となって落ちるらしい。あっという間に穴が開いてしまうわけだ。 次にあるのは白くなったり変色したりすること。これは明らかに漂白剤。愛用のセーターに緑色の斑点が付いた。白くなってほしいと思う物に使うとだめなのに、全然関係ないのは強力に色落ちさせる。まったくもって世の中はうまく行かない。
化学物質というのは目に見えないから、いろんなところに気づかない間にばら撒かれる。さらに人の手は考えもつかないほどいろんなものを運んでしまう。汚い話だけれど、肛門に蛍光物質をつけて一日後に部屋にブラックライトを当てると、部屋中に蛍光反応が出るらしい。きれいも汚いも逃れることなどできないわけだ。
私はずぼらな人間なので、少しくらいのことは気にしない。多くの人が気にすることも気にならない。専門家は周囲の人が過剰に気にすることを、大丈夫だと寛容になりがちだ。実際そういうことも多いのだが、気がつくとしっぺ返しを食らう。
そういえば買って3日目のスラックスを破いたことがあった。柵を颯爽と飛び越えようとしてポケットが出っ張った部分に引っかかたのだ。慣れないことはするべきでない。
セーターの緑色になった部分を見つめながら、油性ペンでも塗ってごまかせないかと往生際の悪い貧乏人は、まぁそんなに目立たないだろうと着つづけることでしょう。けれどほかからは結構目立ったりするのが服。ふにに。 ま、誰も指摘はしないだろうからいいということで。春たけなわで出番はもうそんなにないことでしょう。半年後には出番回ってくるのだけれどさ。
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2002年04月25日(木) |
買い置きの芋が芽吹いて問い掛ける「土に帰せば戻ってくるけど?」 |
しばらく前に買った芋から景気よく芽が吹き出しています。春ですねー、ってとっとと食えってものですが。 台所下は丁度20℃あって、ペットボトルにつめたビールが寝ています。栄養満点のでんぷんを抱えた芋達なら黙っていられないという事でしょうか。こりゃ、種芋決定だなぁ。 ちょと遠いけれど畑にする土地に植えたいと思っていますが、なかなかその土地の下見に行けない。土地の持ち主がなかなか下見に付き合ってくれないのだ。地主はあまり乗り気じゃないからなぁ。まぁまだ庭仕事に興味があるほど年寄りでもないのは当然ですが。やっぱ、小さくとも自分の畑がほしいなぁ。
ホームセンターには、たくさんの花や苗が並んでいる。トマトやら茄子やらいろいろだ。いろいろ育ったらさぞ楽しかろうて。けれど土が高い。一袋買っても100円のプランター1つでおしまいなのではなかろうか。 じゃがいもは根菜だから、プランターで作るのなら深めのほうが必要そうだ。となると1株つくるのにかなりの投資になる。ま、こんなものに値段考えても仕方ないのだけれど、窮屈な土の中で育つ芋に、なんとも申し訳ない。 実際数十センチもいらないのだろうけれど、どこまで掘っても土があるという環境は、都会では貴重だ。
といいつつ芋の芽は大きくなってくる。身はすでにしわが入っているから食用にはならなさそう。萌えた命をぜひとも土に返したいところ。それこそ、街路樹の土のところにでも植えてみようかな?
買い置きの芋が芽吹いて問い掛ける「土に帰せば戻ってくるけど?」
買い置きの芋の芽伸びて畑初め
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今年初の専門学校での講義。3年目になるけれど結構楽しみ。まぁ、だんだん生徒さんらは態度が悪くなるけれど、初めは可愛げあるからねー。
二十歳前の若い子達というのは、やっぱり元気いいです。淡い感じがして、やっぱ年齢って厳然とあるのだねぇと。さすがに緊張する事もなかったのは3年目の余裕でしょうか。 朝用意した方針を書いたプリントを配布。堅い言葉が並んでいたけれど、80%の出席(学校がそういっている)は、2割休めるということで、極的に休む事(やりたいことがあったらそっちに使う事)と言っておいた。 テストに関しては、他人とのコミュニケーション禁止ということで、パソコンや携帯含めて何でも持ち込み可という方針なのですが、これは去年の先輩から伝わっているらしくそこそこインパクトがあるようだ。あらゆる方法を使って調べる能力というのは大事。もちろん、多少の引っかかりはないと調べる事も出来ないのだけれど、その事に気がついてくれますかどうか。
わりと質問にも答えてくれるし、感じが良かったので、ついついしゃべりすぎてしまった。導入のつもりだったのだけれど、余計な事までしゃべってしまった。ちょと難しすぎたねー。
ま、去年はコミュニケーション不足だったから、問題を配ったり適度に質問したりして、話のできる雰囲気を維持しよう。一旦壊れると修復できないからなぁ。
そういいつつ、すでに寝てるの多数。ま、いきなり「さかな天国」歌いだす奴もいるし、ま、いいでしょう。 ふとしたきっかけで始めたこの仕事、結構気に入ってます。この数年で多分1000万円以上の金銭的な損をしているのだけれど、いい仕事を見つけてその分のやりがいにしたいなと思います。この仕事も非常勤だけど、定職みつけた後も続けたいなぁ。
すでに道をはずしてしまってるので、私なりの価値観で生きていく他はない。生徒さんたち、変な奴ですがよろしくね。
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ズボラな私は床屋に行くのが何となくめんどくさい。どう切ってくれというのが今だによくわからないので、ついつい間が伸びてしまう。けれど、さすがにそうも言ってられなくなってきた。で、通勤途中にある1000円の床屋さんへ初めていってみた。 中は古い民家を改装したような感じ。待っている人のために一室あって、お茶やコーヒーをセルフで飲めたりして悪くない感じ。 で、散髪の方は一応上下に動くものだけれど、鏡は縦長の一般的な鏡。床屋でスキカルを使うのははじめての経験だった。30分弱で終了。確かに早い安い。 別に文句をいうつもりもない。満足です。
中には2人の兄ちゃんがいて、若いながらも独立してやっていこうという気概を感じだ。昼間はこれまた若いお姉ちゃんがやっているとのことで、いい仲間なのだろう。ちょっとしたベンチャーっぽい。 1人に20分かけても1000円だから、時間3000円の収入になある。経費を考えると、切れ目なく客が来たとしても2000円の純益が出るだろうか。10時間営業して週6日で600万円。4人で割れば150万円。そんな単純には行かないとは思うけれど、あれだけ頑張ってもそんなものだろう。
以前にも書いたけれど、床屋というのはきめ細かい仕事だし、いかにも日本的。そんな仕事がこれだけの収入にしかならないとしたら、なんか間違ってるなと思う。 ま、価格設定に無理があるのだろうけれど。
デフレの世にあって、客一人と向き合ったサービスの場合は原価を下げても客数を増やすわけにもいかない。こういう仕事は値下げがそのまま収入源に直結するのではないだろうか。 もし社会のパイが減ってくるのであれば、それは間違いなくそうなるだろうから、考える余地は多々あると思う。自らの技術を安く買い叩かれるというのは悲しいことだ。
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2002年04月20日(土) |
オスバンにオキシドールにエタノール いつまでたっても私は消えない |
最近どうも仕事がうまくこなせません。細かいミスがどうしても減らない。多少自信を持っていただけに、結構ショックが尾を引いてしまいます。
ビールを作っていたポリタンクを洗いました。中はちょと酸っぱい感じの匂いが充満してて、仄かにフルーティー。香的にはなかなか良いものです。沈殿した酵母の澱を少し保存しました。ビール酵母は最近健康食品として静かなブームらしく、ビタミン豊富で人気が有るらしい。健康を考えた食事などした事もない私だけれど、実はいろいろやってみたいことあるんだよねーー。専業主夫だったら結構いい線いくと思うのだけれど。でも掃除は駄目。
水を一杯に入れて漂白剤をいれる。塩素系の匂いが鼻につく。手にも少しかかったらしく匂いが取れない。ついつい嗅いでしまう。私はこの匂い嫌いじゃない。
一応外科実習というものをした事がある。腕を洗い、手の爪までを念入りにブラシで洗う。汚れた水が手に落ちてこないように、洗浄中は常に肘よりも手を上にする。オスバンとオキシドールに手を通す。 アルコール綿で手を拭いて乾燥する。 蒸気滅菌した手術着を着せてもらう。滅菌した帽子をかぶる。滅菌したゴム手袋を手にする。 これで一応完全防備となる。清潔というのは対象に菌を移さないことであって、汚れきった自分の体を遮蔽するということ。ブラシで手を洗いつつ、自分が汚れている事を認識する。そんな感じだった。
アルコールや漂白剤はそれ自体が強力な殺菌効果がある。一部の菌体などを除いて完全無欠な無生命状態だ。宇宙空間に匹敵する清浄な状態といえなくもない。その香が、汚れて生きている私から立ち昇る、この矛盾。 色褪せた光が満ちる手術室、薬品庫。純度99.9%以上の物質が、絶対に混ざる事を拒否しながら、ずらりと並んでいる。一度取り出されたものは決して戻る事はない。純粋とは穢れを許さない。頑ななまでに非情。
まだうっすらと塩素臭が残っている。でも結局は消えていって、私の皮膚には再び細菌が戻ってくる。私の皮膚を守ってくれているのはこの菌たちだ。その菌を私は平気で殺している。知っていながらその匂いを好きだといってしまう。
人間臭さを除いてしまうことに憧れを抱いている。でもそんなのは全然魅力的でないことも知っているというのに。ああ矛盾だらけ。そんな恋愛、続くわけもない。
オスバンにオキシドールにエタノール いつまでたっても私は消えない
「消毒液と白衣が似合う」そんなのは誉め言葉じゃない わかっているの?
純度99.9% 孤高の色はサラサラの白
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2002年04月18日(木) |
縁有りし人逝きし川 釣り初めはエゾヤマザクラ散りたる後に |
牧場のバラ線をかいくぐって、竿片手に小川に釣りに行った記憶がある。川幅数十センチという小さな川だったが、岩魚が結構釣れた。表面が乾いた牛糞を踏みつけると、中はまだまだしっかりしていて、臭い靴を牧草に拭きつけては小川を攻めた。 私は小さかったし下手だったのだが、父は川の中の餌に魚が飛びつくのが見えるらしく、次々と釣り上げた。尊敬がだんだんと嫉妬になり、いらいらしてきた私はあまり渓流釣りには行かなくなった。
いつしか豪快で簡単なアカハラ釣りになった。小骨が多くて食べにくいアカハラは庭の堆肥になるのがせいぜいだったが、釣り好きの大人をたぶらかしてよく出かけたものだ。 海釣りを覚えるようになってからは、自転車で浜まで行って投げ釣りに興じた。そんなに釣れなかったけれど、仲間と行く釣りはおもしろかった。流木を熾して、持ってきた鍋で肉を焼いて食った。鍋は真っ黒焦げになって使い物にならなくなった。空はやけに青く、海は広くて、濁っていた。
地元で初めにこの海で死んだ知人となったのは、小学校のクラスメートだった。次に中学生のクラスメートが番屋で自殺した。ニュースステーションのトップニュースで、久米宏が「北海道の過疎の町で・・・」というような事を言っていた気がする。自分の通っていた学校を背景に、口から下だけを映して声を変えて先生達を非難する匿名の生徒が誰か、知ってる人ならすぐにわかる事だとその時知った。 それからも数年に一度、誰か彼か死んでいった。北海道南岸の太平洋はすぐに深くなっていて潮流も速く、海に入ってしまうとまず助からない。それでも川遊びで海に流される人が出てしまう。
昨年私の「はとこ」にあたる子が、同じように流されて死んだ。小さい頃しか知らないが、とにかくはちゃめちゃに元気な暴れん坊だった。
子供の頃戯れた風景は縁遠いものになって久しいが、一人でもう十分過ぎる大人という歳に差し掛かって、いまさら山や川がだんだんと大きなものになってくるのが不思議に思える。岩魚の住む上流から始まって友人知人親戚の眠る海に至る水の流れ。かつて私はそれを感じていた。そして私は知りたかった、そう思う。
光る水面に釣り糸を垂れて一人を知ることはとても寂しい。私はそれが怖くて竿を放してしまった気がする。でも、それを承知で竿をだすのもいい。過去の淀みも未来のせせらぎも、その流れの中で感じる事なのでしょう。少しだけ祈りを込めて川沿いに咲く花を捧げます。 感性が鈍ってきた事は否めない。それを知ること教わることで、孤独と関係の間を行き来できる何かをつかめるように思えます。
あの子が死んだという話を聞いた時、私はただ「聴いた」だけだった。何故かこの朝にその事が思い出されました。ごめんね。ごめんなさい。
縁有りし人逝きし川 釣り初めはエゾヤマザクラ散りたる後に
入れ食いの岩魚をビクに納めつつ届けたき人なきを忘るる
三匹の山女で竿を納めたり この春からは一人の夕餉
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最近ちょっとした弾みで膝がずれてしまいます。膝を固定する前十字靭帯を切ってしまった私は無理が出来ません。今は全力疾走や急な動きさえしなければほぼ問題ないのですが、歳をとったら大好きな山登りは出来なくなるでしょう。
関節に内視鏡を入れて検査する手術をやった事がある。ごく簡単な手術で数ミリの切開を3箇所あけただけだったが、下半身麻酔だった。膝を抱えた状態で脊髄注射を打たれたのだけれど、それから数時間は意識はありながらも動けない。下半身は注射を打たれたときの感覚のままなので、実際の手術では伸ばされているのに、意識は曲げたまま。先生に「だるいから伸ばして良いですか?」と聞いてしまう間抜けさだった。
手術となると簡単とはいえなかなかすっきり出来ないものだ。私も二の足を踏んだ。検査結果で靭帯が切れている事がわかったのだが、切れてしまった靭帯を戻すのは不可能で移植となるらしいのだけれど、移植した筋膜を靭帯にまで鍛えるのは相当のリハビリが必要で、それでも十分な強度が得られないことも多いらしい。私の場合はもともとの筋の細さもあって、日常生活には差し支えないと様子見となった。 手術といってもその程度。命がどうこうというものでもない。
母が一度癌検診に引っかかって精密検査で札幌に来た時付き合わされた。その不安たるや経験したものでなくてはなかなかわかるものではないだろう。結果は問題無しだったけれど。
動物の手術を何度かやったものだけれど、麻酔さえきちんと管理すれば、よっぽどの事がなければ手術自体はまず問題ない。生き物の体とは強いもので、意外と出血はしないし縫えば元に戻る。外科手術の基本はとにかく悪いところは取ってしまう、これにつきる。脳以外なら、一旦心臓をはずすといわれても、大丈夫かなと思ってしまえる。ヒトの手術の制度の高さは究極のレベルに達しているように思える。
問題は手術自体よりもその性質だ。その後にどんな事になるのか、どのような暮らし方を考えなければならないのか。人とは不憫なものとは思うけれど、結果を待つ気持ちは本人が耐えるしかない。大丈夫といわれても不安はのこりる。 それを支えられたらうれしいのだけれど。そう思っています。そうする事しか出来ないのです。
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2002年04月15日(月) |
潤み染む土にうつむくカタクリに惹かれて萌えは駆け足となる |
昨年同時期の日記を読み返すと、暖かいを連発していた。今年はそれよりも暖かいはずなのに、そんな気にならないのは理由がある。去年はひたすら歩いていたのだが、今年は主に自転車に乗っているからだ。
歩くというのは立派な全身運動で体が良く暖まる。自転車も同じく暖まるのだけれど、風を受けるためにラジエーターを乗っけてるようなもので、どうしても冷えてしまいがちだ。それでも今日は暖かかったから、そろそろ自転車に乗るのが丁度いい季節という事かもしれない。本格的春到来といったところでしょうか。
以前自転車旅行を頻繁にしていた頃は、雪残る峠をTシャツ一枚で走り抜けても寒くもなかった。止まれば冷えるけれど。マラソンでも自転車でも長距離を走るとなればこれくらいの気温が丁度いいのだろうな。
理想を言えば河川敷のような信号のない道を、30分くらいかけて走るか自転車で通勤できたらと思う。それか、裏山を散策できるようなところに住めたら言う事はない。
カタクリの花がそろそろ見頃だとか。まだ群落を見たことないから見てみたいな。少しうつむき加減の花弁は早春の潤んだ土の上に良く似合います。嫌な事や失敗の数だけ花を見て和むということで、この春を乗り切ろうかと。多分そんな小さな苦しみよりは花のほうが多いでしょうから、わりと幸せになれるのではと思ったりします。 ま、そんなことでは繕えない事もあるのですがね。ま、いいでしょう。
潤み染む土にうつむくカタクリに惹かれて萌えは駆け足となる
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2002年04月14日(日) |
行定勲監督作品「Go」 |
ビール作り、ちょと先走って失敗の予感。
夕方寝てしまったので深夜目が冴えてしまった。で、土曜日借りた「GO」を観る。最近一押しの監督、 スピード感とキャスティングは一品ですね。交錯する人々の滲み出るような素っ気無さが素敵でした。しきりに恋愛物語だと連呼するのもおもしろい。 私の知り合いに落語が好きな人がいて、けっこうかっこいい感じの女性なのだけれど、ウォークマンで落語を聞きながら実験をする様がとってもかっこよかった。好きなものを好きと言えるのはかっこいい。 けれど、なかなかそれを言えなかったり、一瞬わからなかったりする。頭ではわかっていても体が拒否する事がある。どっちが正しいというわけではなくて、判断できない事が問題だったりする。恋愛でも、親子関係でも、この映画に出てくる「在日」という問題にしても。そういった曖昧さは必ず気がつくもので、それをやり過ごすか乗り越えるかで若い頃というのは決まるのだろうな。 それにしても大竹しのぶと山崎努は最高です。個人的には、合わないなぁとぼやいていた若い警らの兄ちゃんが好きです。あと公園のボクシング最高。
日本映画が面白いといわれて久しい。「贅沢な骨」もみましたし。光る監督というのはやっぱメジャーになっていくんだなぁ。「Go」は日本アカデミー賞総なめしてたし。
で、行定勲監督作品「ひまわり」は私の中ではまだまだ一押しです。是非ご覧になってね。
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2002年04月11日(木) |
会釈して過ぎしあなたの髪に落つ花を見送るさくら横ちょう |
「さくら横ちょう」
春の宵 さくらが咲くと 花ばかり さくら横ちょう 想出す 恋の昨日 君はもうこゝにゐないと あゝ いつも 花の女王 ほゝえんだ夢のふるさと 春の宵 さくらが咲くと 花ばかり さくら横ちょう 会い見るのときはなかろう 「その後どう」「しばらくねえ」と 言ったってはぢまらないと 心得て花でも見よう 春の宵 さくらが咲くと 花ばかり さくら横ちょう
久々に会ったまだ見ぬ友達は、広島で歌っているとのこと。まだ完全復帰とはいかないようだけれど、生きているのがわかってうれしい。彼女が卒業試験で敢えて選んだという「さくら横ちょう」。曲はわかりませんが、素敵な唄を教えてもらっただけでも出会った価値があるというものです。ありがとう。 北海道はまだ桜には早いけれど、前線は北上中とのこと。ほがらかな恋人達も、純粋な花愛で人も、花より団子な人々をも、春の世の夢のように通り過ぎてしまうのでしょう。そんな中、何の言葉も残さずに桜の下で恋を見送る人や、過去のすれ違いに思いを馳せる人もいる事でしょう。大正浪漫とひとくくりにするのは野暮ですが、そんな時代もまた素敵と思わせる唄かなと思ったりします。
会釈して過ぎしあなたの髪に落つ花を見送るさくら横ちょう
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ビールの醗酵はほとんど終わってしまったらしい。ちょと早すぎるのではないだろか。 で、すでにミスが3つほど。 エタノールは100%よりも80%くらいの方が殺菌力があるらしい。確かに国家試験で勉強したっけ。 醗酵初期には酸素が必要だから、煮沸してはいけないらしい。塩素を飛ばそうと思いっきり煮沸しました。 モルトの煮沸は臭みを消すために強火でフタをあけて行うらしい。フタをして弱火でことこと煮込みました。 ・・・・・、だめじゃん。
説明などはほとんどないも同然だから、ネット上でいろんな人のやり方を調べつつ行っているのだけれど、ネットって本当に便利ですねー。調べれば調べるほどいろんな試行錯誤があって、どれが正しい道なのかがわかります。調べるほど。もちろんほとんどが正解というより好みなのですが、それも含めて面白い。マイナー路線ほど情報が重要ですし、引っかかってくるものの精度が質がどれも高いのがいいです。
私のサイトにもたまにキーワードを検索してくる方がいるのですが、こちらが恐縮してしまうような縁のない内容。知りたい事を探す時にページがありすぎて困るのはよくあることですが、そのなかに自分が荷担しているというのも考え物ですな。
そんなこんなでビール作りで混乱の種を増やしてしまった事を反省しつつ、そのうち少しは役立つネタを作ろうと思ってます。ただし、失敗談になる可能性大。
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2002年04月09日(火) |
脱走ネコとビール酵母と拾い物 |
起きると猫がいない。狭い部屋だから見つからないはずはないのだけれど、どこにもいない。 窓が少し開いている。これは良くある話。二重窓だから。鍵付きの真ん中は堅いので、ネコには開けられない・・・・、って開いてる! 泥棒猫は勝手に外に出ている。ベランダは続いているのでご近所様ならどこでもいける・・・・、やばし。 ちっちと呼んでみたが音沙汰なし。一応ペット可なのだが、報告してないので見つかると罰金がかかる。やばやばだ。 と、どこかからネコの鳴き声が・・・・。でも、どこにもいない。廊下からするような・・・・。でも、廊下とベランダは繋がってないし・・・・、でも聴こえる・・・・。 と、廊下にネコ。しかも餌付き。誰かが、我が家の前に置いてってくれたらしい。ということは、誰かがベランダから確保して廊下へ・・・・。もうばればれなわけですね。やばいかしらん? しかしこの重い窓を開けるとは、とんでもないネコだ。これからは鍵をかけないといけない・・・・。ほんに困ったチャンだ。ははは。
作成中のビールは二酸化炭素を勢いよく出しています。殺菌に不安が残っておりますが、何かが醗酵してるのってなかなか良いものです。ネコとネオンテトラとビール酵母。孤独といいつつもいろんな生き物と同居したりしています。
夜ふと捨てられていた粗大ゴミの中に折りたたみの木製椅子が。ベランダに出しておいても大丈夫そう。こんなの欲しかったのよねーー。先日も手頃な棚を拾ってきたし。これは雨に当たると駄目そうだけれど、駄目になったら、分断してなんか作ろう。 昔は粗大ゴミの日があったので結構いろいろ拾えたが、今はそうもいかない。当時なら朝方荷車を引いたおじちゃんが、めぼしいものを回収していたものだ。 今では有料になったので、正確には勝手に持ってって良いものではないらしいけれど、まぁいいでしょう。 不要なものは使える人が使えば丸く収まる。木材ならいろいろ使い道だってあるのだから、そう簡単に捨てる必要はない。
3月の引越しの頃いろいろ捨てられる物は、4月に実は欲しい人たちがいるのだが、その間保管できないために捨てられてしまうものが多いそうだ。その中継ぎがうまく出来たらいいのにな。
そういう私は食品の包装品以外にほとんどごみが出ません。
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2002年04月08日(月) |
日は静かに醗酵し・・・ |
いつも朝はテレビのタイマーを目覚まし代わりにしてるのだが、今日は時計にしてみた。案の定スイッチを切っていたらしく、起きたら9時15分。遅刻だ。焦って電話で詫びをいれて、飛び出した。こんな時に限ってタクシーは捕まらない。捕まっても信号がやけにうざったい。結局40分遅刻となった。最近たるんでるなぁ。 昨夜は4時まで起きていたわけだから、寝過ごせば昼を越えててもおかしくなかったはずだ。ついていたといえないこともない。
帰って作り置きのシチューを温めて食べたら見事にすっぱかった。こんなのは初めてだ。今回は食べる分だけ電子レンジで暖めていたけれど、いつもは鍋ごと再加熱している。加熱のたびに菌は死んでたのですな。電子レンジに頼るなら、初めから小分けにして冷凍すべきか。失敗から学んだものの、食べ物を捨てるという行為が許せません。こんな私が食品栄養学を教えていたりするのだから、生徒さんにとやかくものを言えるわけもないなぁ。
で、昨夜から作り始めたビールの恒温槽は16度。最低18℃に足りない。焦ってサーモスタットの微調整。現在22℃前後を推移中。醗酵してくれば温度は上昇するのだろうからもう少し下げた方が良さそうだが、温度を下げるのって結構大変だ。 で、24時間経過。醗酵が始まって、排気用の穴からガスがポコポコ出てきています。わくわく。
ビール作りには殺菌が重要。そのビールの元を煮込んだすぐ脇に置いていたシチュー鍋は、乳酸醗酵が進んでいたわけで・・・・。さて、一体どうなる事でしょう? 今更何も出来ないのですが。出切る事といえば、小分け用に炭酸ペットボトルを確保する事。普段ジュースなど全く飲まない私が頻繁に100円の炭酸飲料を買っています。素直に瓶と王冠を買えばいいのにねぇ。あはは。
でも痛いのはタクシー代1000円。次に自腹でタクシーに乗るのは、丸一年はないでしょう。目覚ましは二重にかけないと!
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土曜深夜にやっていた実況麻雀中継をみてしまって体内時計がすっかり狂ってしまった。二時起床。
やりのこした仕事をしに会社に行って、本格的な準備に取り掛かった。西武ではモルトとホップ。ホームセンターで熱帯魚用の細いチューブと26cmの鍋。鍋などこの10年一度も買わなかったのに。 作るのは「ビール」だ。手作りビールの話を某ページで拝読して興味を持っていたのだが、手持ちの飲料水タンクでできることと、西武デパートに材料一式が置いてある事が判明して、早速着手する事にした。
日本では酒税法により1%以上のアルコールを無許可で製造する事は駄目らしい。輸入物の原料だから説明はごくわずかなのだが、製法に関しては”これはイギリスやアメリカの製法ですのでこの通り作ってはいけません”と書いてある。この手順(アルコール発酵のため砂糖を入れる手順)を省けとある。苦肉の策だがなんともいじらしい。
で、ホームページを検索すると、あるわあるわ。その中でビール作製には砂糖を使わずにモルトを使えとあったので、貧乏な私は奮発した。キット本体を1000円安い1500円にしてるのだから、こだわっているかは疑問だが、私的にはかなり頑張ってみた。これでどこかの名水を汲みに行けば完璧なのだが、殺菌に不安が残る事もあって、とりあえず水道水を煮沸して塩素を飛ばすことにした。札幌の水は悪くないし。
といいつつ、カセットコンロしかない私は20Lの水を沸かすのでも大変。一度沸かした湯を冷ますのにも時間がかかり、しかも覚ましすぎたために暖める手間までかかってすでに朝4時。どないしましょ。
20℃をキープする方法が思いつかず、タンクを水に浮かべてその水に余っていた熱帯魚用のサーモスタットを取り付けた。厳密でなくても良いようだが、北海道はまだまだ寒い。けどこの方法、雑菌が繁殖しやすいような気もする。エタノールを用意して殺菌には気をつけたつもりだが、所々気になる点もある。
最初なんだから小さく始めればよいものを標準的にやってしまうところが私の悪いところ。さてさて、どうなることやら。第一次審査は10日後くらいでしょう。乞うご期待。
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日没まで少し時間があったので、水源地の森に行ってみた。街中の雪はもうすっかり消えたけれど、水源地の駐車場にはまだ随分と残っていて、ここだけ数度温度が低いように感じられた。
遊歩道も雪がまだ大分残っていて、道はほとんどぬかるんだ様子。まだ人もほとんど入っていないようだ。 日も落ちて夕暮れが勢いを失っていく。水面がどんどん沈んでいく中、半分以上がまだ氷に覆われた池は、雪が仄かに明るい。水面は暗く、その中でひっそりと佇む鴨がさらに闇へと同化していた。
福寿草の姿を探してみたがどこにもいない。雪の重みで倒れた枯れた草が折り重なり、水をたっぷり含んだ土がスポンジのようにプシュプシュと音を立てた。脆い雪の塊は早すぎたスニーカーをたやすく飲み込んで、ザラメ雪を靴中へと放り込んでいく。
木道へでると途端に歩きやすくなったが、水かさを増した池の水面すれすれになっていて、とても不安にさせる。いよいよ沈み込んだ夕焼けはすでに夜に近く、影も落ちない道を足跡だけが響いた。不安になってまだ明るさのある空に目をやると、数羽の鳥が北へ向かって羽ばたいていった。
池を越えて林に入ると雪がまだかなり残っていた。両側をそびえる木々に挟まれた道はトンネルのように開けていて、鎌倉の切通しというのはこういうものかもと思ってしまう。サクサクと雪を踏む音がどことなく目前の道から誰かがやってくるように感じられて、身ををちぢこませてしまった。
暗闇に浮かぶ道が数キロも続くようなところを歩くというのは、とても不安な事だろうと思う。昔はそんなことが日常茶飯事だったわけだから、ヒトの行動範囲というものはたかが知れていたのだろう。そんな中にふと現れた街灯に心を休ませるのは、人としての本能のようなものなのだろうか。
一周して水面をみると鴨はもう一羽もいない。暮れた森は闇に包まれ私はここにほっておかれた置物のようだった鴨たちの姿を求めつつベンチに腰を落とした。ただひたすら暗く、枯れた山湖が広がっていた。 そんななか土は水気を含んで草花の芽吹きを下支えする準備を整えている。あと2週間も時間は要らないだろう。軽く沈み込む靴がその証拠となる。歩きにくいこの時期が森の最も静かな時期かもしれない。
少しだけ鴨の出迎えを期待した私に、遠くから石焼芋の呼び声がする。さて、帰るとしよう。どちらも、愛すべき帰る場所ではあるのです。
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