私季彩々
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2002年02月28日(木) 春間近

 トタン屋根から落ちる雫の勢いが日増しに大きくなっている。雫は歩道に堅く重なった氷に竪穴を開けて、それらが連なって数珠状の直線を描いている。細い雫道がちょろちょろと集まって、堅い氷に深い溝を掘って流れていく。
 車道は彼らにとっての大海。車によって起こされる波がざっぱーんと寄せては返す。排水溝は氷をかぶっていてまだまだ機能不全。泥色に染まってどんどん広がっていく。

 北の春は雪と水が同居する瞬間から始まっている。 氷の浮かぶ水溜りに足をとられ、冬よりも濡れる機会が多くなる。

 手袋をはずす。マフラーを勢い良くほどいて青空に翻す。コートの前をはだけさせ、汗ばんだ体に心地よい冷風を送り込む。

 2月最後の小春日和。天気予報では四月上旬の気温とのこと。
 もうすぐ春ですねぇ。 Home&Photo


2002年02月26日(火) 君を見あげて

 ドラマを見ることはほとんどなくなったが、単発ドラマや1クールないドラマなんかはわりと見る。番組表でチェックする方ではないので、偶然当たればなのだけれど。
 ドラマで雰囲気を感じるのは、やっぱり山田太一氏の作品かなと思う。最近でも年に何回か見るから、随分長く仕事をされてるなと思う。
 NHKの火曜日11時からのドラマ帯は、若者向けのドラマをやっている。まともに見たことはなかったのだけれど、今回は見ている。背のものすごい高い女の子と低い男の恋愛かとおもう。「君を見上げて」という題名だ。

 コンプレックスというのは誰にでもあることだろうけれど、一般的な価値観というのは厳然とある。世の平均値から大きく離れた様子を、人は感嘆や嘲笑で迎えがちだ。大多数の価値観をよりどころにしているという安心感で、人は無関心に感情を表す。それに傷ついて、慣れて、慣れた振りをして、乗り越えたり挫折する。

 背の高いことをコンプレックスに生きてきた女性が、気にもとめてないような振りをして生きている。しっかりしてるといわれつつ、一人になると心の闇が現れる。
 街を歩いていて交わされる会話。人は思うほど自分の事を気にしてない、そう思いつつも厳然と振り返って笑う人々。
 そんな緊張の中で出会った恋愛の中で徐々に弱さや闇を相手にさらけ出していく過程。相手が理解者であるときと、一般の人である時とが錯綜する。それを乗り越えて理解していく過程。
 弱さを抱えた人が生きていく上でどうしても必要な過程。

 私は小さい頃から痩せていて、今だにそのコンプレックスを引いている。世は太っている人に焦点を当てがちだけれど、やせすぎで悩んでいる人はかなり多いと思う。
 体の特長というものは指摘されがちだけど、うまくかわせれば和みにもなる。私はそれをさせないところがあって、はなしのねたにもさせない雰囲気を作っているようだ。だからいまだに克服できる過程を踏んでいない。

 魅力は平均値の中からは決して生まれない。プラスもマイナスも山も谷も、ひっくり返せばどっちもどっち。谷にいるときにそれをひっくり返す事ができるかどうかは、やはり「出会い」と「素直さ」かな、と思ったりします。いくつになっても。


 背景のようにみんなが同じ顔 街は私を蝕んでいて

 キミダケハソンナコトイウハズハナイ 耳を塞いで恋に踏み出す Home&Photo


2002年02月24日(日) 御用聞き

 背広を着ない生活を長年しているので、ワイシャツもあまり使わない。あれは一回着たらすぐ洗うものなのだろうか。すぐに襟が黒くなってしまうのは私が単に不潔なだけなのだろうか。

 そういえば毎週やって来るクリーニング屋さんがいた。田舎ではまだ御用聞きのようなものがあるかもしれないが、クリーニング屋は頻繁にまわっていると思う。都会のように近所にあるものではないし、通勤途中で出していくという習慣も田舎向きではない。

 玄関口で「こんにちは〜、クリーニング屋ですがぁ、今日は〜」という調子でお呼びがかかる。母はネタをちょっと考えて、ない時は「すみませーん、なかったですぅ」といいつつ玄関に向かう。「またよろしくおねがいしますぅ」と、クリーニング氏は帰っていく。そんなやり取りが思い出される。声の調子まではっきりと。
 そういった日常のやり取りがありつつ平和に過ぎていく日々。変わらずに過ぎていきつつ、そのおじさんはいつのまにか来なくなり、若い兄ちゃんに代わっていた。洗濯機も二層式から全自動に変わっている。

 ワイシャツはビニル袋に入って押入れの隅にあった。襟はかなり黒ずんでいた。夏の盛りに着て以来記憶にない。取りあえず洗濯機に入れてみたがたいして落ちなかった。これだけ時間がたってしまうとクリーニング屋でも落ちるかどうか。
 あのおっちゃんにお願いしたらなんでも落ちてくれそうな気もするけれど、それは遠い昔になった。なじみの床屋、なじみの文具店、なじみの駄菓子屋、なじみの本屋、なじみの玩具屋。全てにどことなく感じのあるおじちゃんやおばちゃんがいたことを思い出す。その声の調子も。

 安心感というのは、そんな名調子のなかにこそあるのかもしれない。段々失われて、段々懐かしくなっていく。そんな感情に浸るのは、今が不安だからなのでしょうか。 Home&Photo


2002年02月22日(金) 春の気配

 小雨振る季節となって雪が一気に減ったように思える。先日郊外に行った時は人の背丈ほどもあったから、街の春と林の春はまた違うのだろう。

 北海道の春は残雪の勢いがなくなって、路面を流れる雪解け水が比一日と勢いを増していく季節だ。雪は春と共有した時を持っている。福寿草、水芭蕉、かたくり、全ては雪の白と潤んだ土の焦げ茶と花のコントラストが美しいのが春。

 そういえば、冬タイヤを履かずに眠った車は12月からだから、3月まで乗れないと思うと4ヶ月は冬モードだ。北海道の冬って長いのだなぁ。

 気がつけば3月近し。雪溶けて、みんなが卒業を前に新しい出発に頬を染める季節。
 ま、そのまえにもう一荒れくらいあるだろうけれどね。私もそろそろ決着をつけないといけない季節になってまいりました。 Home&Photo


2002年02月21日(木) 嘘と空虚だけではないさ

 部屋でくつろいでいる時はたいていテレビをつけている。テレビのそばにはパソコンがあるのでそれもつけている。ネットは定額ADSLにしたのでつけっぱなし。ニュースもネット、テレビ番組もネット。情報誌の類はネットのおかげでほとんど必要ない。新聞はあれば楽しいけれど、貧乏だからネットで十分。テレビで気になることがあれば、すぐに検索をかけてみる。
 メールも届けば知らせてくれる。ネットワークというものがここまで身近になるというのは本当に驚く事だ。
 チャットなるものでは、見ず知らずの人と文字で会話ができる。文字という再現性と遅さが結構気に入っていて、ホスト部屋を作ることも多い。といっても、ほとんど人がこない部屋。自分からどこかへ顔を出す事はまずない。けれど、書類を作っていたり日記を書いていたりするときに、誰かが話し掛けてくるというのは結構気分転換にもなって、個人的にはとてもうれしい。

 そんななかに一人仲良くなった人がいた。結構際どい話もする若い女の子。なかなか積極的で困ったのだけれど、それはそれでうれしいもの。実際ではうだつの上がらない私も、ネット上くらいは乗ってみればいいのだけれどやはりそんな真似は出来なかった。けど、お話するのは楽しいものだった。
 そんな彼女がしばらく姿を見なかった。心配はしたけれど、そういうのも良くある事なので、気にとめる程度にはしておいた。で、今日久々に連絡があった。

 彼女は既婚で嘘をついていた、とのことだった。そして、さよなら、と。
 
 文字のやり取りや声のやり取りだけならば、それだけが真実。会う会わない以前の問題なのだから、私自身は歳も性別もどうだっていいのだけれど。
 そういってしまうと、空虚なのはむしろ自分のような気がする。相手を翻弄して、時には怒らせ、だまし、喜ばせる。人を介するメディアなのだからその方がずっと人間的で発展的だ。
 怒ろうともしない私に、彼女は「優しいね」といってくれた。でもそれは違うと思う。虚ろなだけだ。

 ネットでの出会いが空虚だとは全く思わなかった。今も素敵な方々とやり取りがある。けれどあるとき突然切れてしまうこともある。切れやすいのは確かだけれど、素敵さには変わりはない。

 彼女は全て嘘だったと最後に言った。そして 「さよなら」と言葉に。私は「おやすみ」と答えた。

 このまま空虚に還ってしまうのも仕方がないけれど、私はそれを超えてみたいとも思う。この世界は見知らぬ人々に向けて開かれているものなのだから、誰にも「さよなら」は言いたくないのです。 Home&Photo


2002年02月20日(水) お米切らしちゃった

 私信。ceresさん元気にしてる?

 お米がなくなった。
 お米というのはいつでもあるように思いがちだけれど、なくなるとどことなく不安になる。明日食べる米がない、というのはかなり危機的な状況。まぁ、私も経済状況はマイナスを抱えている状態なので実際はそうなのだけれど、とりあえずの現金でお米は買える。けれど、お金は食えない。米がないというのはやはり危険な状態だ。

 買ってくればいい。確かに。だけど、夜気がついたら朝の飯がないではないか。やっぱご飯じゃなきゃ。なければ尚更食べたい。
 じゃぁ、コンビニに。いや、高い。お米はなじみのお店じゃなきゃ。
 とりあえず2kgで。いや、もったいない。すぐなくなるのはわかっている。
 じゃ、5kgで。重い。抱えて歩くのは辛い。

 などと愚痴を並べつつ、夜は更けていく。残りの米を集めて0.7合。一食分は確保。でもそれでおわり。空っぽのおひつを眺めて感心しつつも、どことなく不安。

 これで吹雪になったら外にでられない。そんな猛吹雪がありえる地域はないわけではない。面積だけなら北海道の7割はそうかも。灯油がなくなっても買いにいけない。電気が止まるかもしれない。その上米がない。道は吹き溜まりで動けない。

 そんなことだってないとは言えない。有珠山が噴火した時、道路は火山灰に埋もれたし。何があるかはわからない。
 でもそんなことも気にせずにいられる時代がなんと豊かな事か。

 と、たかだか米を切らしたくらいで。そそくさとコンビニで買ってきちゃいました。近所のコンビニ、スーパーよりも安いのです。そんなコンビニな私は田舎志向だなんて笑っちゃいます。のほほほほ。 Home&Photo


2002年02月18日(月) 雪解けの路に落とせしマフラーは冷たく重く君と別れて

 お金を引き落とそうと思ったら暗証番号が違うといわれた。次もまた違うといわれた。3回間違えるとカードがお釈迦になると聞いた事がある。思い切って他の番号を入れると当たりだった。どきどき。それにしても世の中、覚えてなきゃいけないことが多すぎる。

 自分は記憶がいいほうなのかわからないけれど、よくまぁそんなことまで覚えてるねぇといわれる事が多々ある。受験勉強のことなどは聞かれれば大抵引き出せる。ま、これはほとんど生業だからいいとしても、旅行途中でどういうことがあっただの、誰と誰がどういう言い合いをしただのと結構覚えていたりする。まぁくだらないことがほとんどだ。

 でも、記憶が共有できるというのはうれしい事で、友人とか恋人とか夫婦とかは、そういうものが増えていくことも一つの醍醐味みたいなところだろう。余計な事まで覚えていて気が重くなる事もあるだろうが、片方が忘れている場合などは喧嘩の種にもなるでしょう。思い込みが強ければ強いほど、愛が醒めたのね、などと自分まで醒めてしまうかもしれない。

 昔付き合っていた子に、「そんなことあったっけ?」といわれた事が何度かあった。特に気にもしていなかったのだけれど、「?」が「そんなこと覚えていない」とか「そんなことよく覚えてるねぇ」に変わっていったように思える。
 お互いの距離が離れ始める頃というのは、思い出の重さも変わってくるのでしょうか。「楽しかったねぇ!」と話したことが「そう?」と返されてはカチンとくるものだ。未練がましくもなりがち。共有するという事の難しさと、それだけにうれしさとが相交錯して歳をとってしまったかも。

 人によっては別れたときはもらったものや思い出の品を全て処分する人もいるだろう。私はその彼女からもらったものはほとんどないのだけれど、マフラーをもらったことがある。手編みではないし落ち着いたものなので今だに愛用している。
 昨日交差点をわたりきったところで、確かに持っていたマフラーがないことに気がついた。日中はマフラーをするほど寒くもないからはずしていたのだ。
 慌てて探した。戻りながら。初めはただ落としたことを悔んでいたけれど、それがもらい物であること、数年愛用していたこと、彼女の顔、包んでいた包装紙まで徐々に思い出しながら。立ち寄った店に顔を出してやっぱりなかった時は、やっぱりまだ未練があったのかなぁと自分の情けなさまで自覚するに至った。
 で、その店の近くの水たまりにマフラーは落ちていた。うれしかった。

 そんなものさっさと処分してしまえというのもあるけれど、今ある自分も過去があってこそ。想い出は過去に遠ざかれば全て美しいと信じて、濡れたマフラーを拾い上げました。

 私は記憶がいいという訳ではない。忘れる方がよっぽど難しい。多分無理なのだろうと思う。忘れた方がいいとも思わないし、そんな記憶があるとも思えない。暗証番号などとは同じ次元のものではないのですし。


 雪解けの路に落とせしマフラーは冷たく重く 君と別れて Home&Photo


2002年02月16日(土) ハローワーク検索

 仕事をやめる24歳の男がハローワークの検索システムで仕事を調べていた。技術的な仕事をという事で、窯業とか木工とか鋳形とかを調べていた。まぁ、製造業というわけだ。
 どんな仕事があるのだろうと横で眺めると、北海道内で数十件あるにはあった。どれも経験者を要求するものばかりだ。比較的多かったのは木工関係。旭川の家具業界がばたばた倒れている最中名だけに、優秀な人材が溢れていてのことだろうか。どれも待遇としては大黒柱足りえるものではない。200万円程度で家族を支える人というのは、かなりの数に上るのだろうなぁ。
 水産加工関連の求人も結構あった。なかなかなり手がいないのかもしれない。
 転職するかもしれないけれど、仕事の大筋は決めたいという彼だがもつべきキャリアがない。となれば未経験でも何とかアタックできるところを。せっかく京都から出てきたのだから、是非好きな北海道でいい仕事を見つけてほしい。うまくいったら牡蠣鍋でも食べよう。

 そういえば、富良野塾で塾生が牡蠣に当たって食中毒だとか。牡蠣の食中毒の多くはSRSVといわれるウイルスです。ウイルスは宿主が生きている間しか増えられません。生育環境と流通状態で決る代物です。単純にいえば、一般的な衛生管理で防げる代物ではありません。
 当たるのが嫌な人は火を通しましょう。生牡蠣を食べたい人は正直覚悟するしかないですね。店を攻めてもかわいそうな場合がほとんどです。あはは。
 もしかしたら、北の国からの最終話には牡蠣に当たる人が出るかも♪ Home&Photo


2002年02月15日(金) アルバイト

 バイト先で2人辞める事になった。

 一人はバイトから正社員になったばかり。浪人中だったのだがやはり諦めきれないので来年はきっちり勉強に専念するとの事。二浪の女子ということになると、いろいろと大変なのだけれど。

 もう一人は、社長と私以外唯一の男の子。気軽に話せる子だっただけに残念。全部が女というのにはちょっと辟易してしまう。
 彼は獣医になりたいと頑張っていたわけだが中途半端は否めなかった。学費の面などを心配して勉強に集中できなかった事、何より今の獣医学部のレベルが高すぎる事がネックだった。私立も総じて高い。並行して来年の職探しも念頭に入れていて、それを見越しての退職だ。

 はじめて就いた仕事に慣れてくる頃、その仕事を一生の仕事にすることを考えると本当にこれでいいのかと誰もが悩むだろう。彼は今の仕事は好きだけれど、ずっと続けるとなるとキャリアアップできないことに焦燥感を持ったわけだ。確かに職人技的ではあるけれど、半年もすればほぼマスターできるわけでそこから先がない。一緒にはたらいている30代の女性の姿をみて、ずっとそのままでいることに不安があるということだ。人と接する機会などがあればまた違うのだろうけれど。

 組織というものをみると、日常作業的なものを安定して続けてくれるというのはかなり重要な事だ。ここがふらつくと何も進まない。けれど、最終的な仕事は獣医師の肩書きでするので、彼らはなかなか仕事でのキャリアアップが出来ない。業務内容は一つなので、ほかに仕事を広げる段階にはない。

 誰もが十分なキャリアをつめる、そんな仕事を提供するというのは大変な事だろう。まして、家族を養えるほどの給料を払える仕事バカ理で成り立っているわけではない。企業は安い労働力を求めているわけだし、払えない状況にもある。全てを正社員並にすれば、公務員のような高コスト体質になってしまう。そのような仕事であっても納得できるプライベートというものをもてるかどうかが大事になってくる。

 といいつつも、彼も生計を立てられる仕事が必要だ。ただそれが見えないだけに、次もそう長くは続かないのではないかといっている。
 世はフリーターをさげすむ事もまだまだ多いけれど、彼らも年を取るごとに不安を増していく。仕事を自ら切り取っていく人々には笑われそうだけれど、彼らに安定以外にもっと進展のある仕事を提供できないのかと、私は常々考えてしまうのです。 Home&Photo


2002年02月14日(木) 冬ごもり

 こんな私ですがチョコレート2つもらった。120%義理ですが、うれしいうれしい♪

 札幌はまた冬でキンキンに冷え切ってます。といってもー10℃とか切る事は今まであったかなぁ。昔は結構あったような気もするけれど、北海道も暖かくなったって事かなぁ。
 耳掛けをしていないとちぎれるように痛かった子供の頃。そんなのはスキーにでも行かないと体験できなくなったかなぁ。
 冷え切ったとしても、ちゃんと着込んでいれば大丈夫なものなんよね。なにより動いていれば何の問題もなし。

 ということは、よっぽど動かなくなってしまったということでしょうか。寒い寒いと猫にも負けずに丸くなっているのでしょうか?

 そんなことはないと慰めつつも、近所のコンビニでお酒買っちゃった。いかんねぇ、こんなんじゃ。今年の冬は冬ごもり状態です。 Home&Photo


2002年02月13日(水) 雪畑眠るキャベツを掘り起こし今年最初の恵みいただく

 3日連続でツボダイを食べています。
 日中家にいると、射す日の光は春めいているのですが、外は真冬日です。二重窓の威力を感じるとともに、空気感と陽光は一体ではない事がわかります。シベリアからやってくる寒気団も次第に引き下がって、その上をなぁんも考えずに毎日歩いているお日様を寄り身近に感じられる日も近い事でしょう。

 近所のホームセンターに行くと高山植物のポットが打っていた。土に埋める際はその後雪をかけてくださいとのこと。カタクリやリンドウの生態そのもの。まぁ確かにそういうものだ。この雪の下、植物はじっと萌える季節を待ちわびている。
 何処の家でも昔は台所に室があった。我が家にも子供の背が立つくらいの室があって、ジャガイモや玉葱を保管していた。あの土の香りは結構好きだったことを覚えている。
 雪というのもたっぷりと空気を含んだ防寒着で、大地は芯まで凍らないですむ。そんな中にキャベツを埋めて冬の間貯蔵しているところを何かで見たことがあった。あの薄緑は他のどんな時に見るよりも素敵に見えた。
 
 内地では福寿草も萌える頃だとか。そんななか雪の下でしっかり準備してるものもいる。冬の暮らしを支えるものもある。そんなこともなんとなく流してしまう私でも、こうして記述する事で思いに留めて置ける事、それが私のような文才無き一般人にとっても大きな事だと、ようやくようやく気付いてきました。


 雪畑眠るキャベツを掘り起こし今年最初の恵みいただく

 かっきりと澄む空気感 冬木立 影の短針まだまだ長く 

 陽の温み封じたカプセル飲むように 猫は窓辺で大きくあくび Home&Photo


2002年02月11日(月) 魚の見方

 ツボダイを焼いて食べています。幸せ。鮭とサバ以外の魚を買ったのは初めてではなかろうか。とっても幸せ。この程度の幸せで私は満足です。値下げしてたから一枚140円くらい。私にしては奮発♪

 マグロのカマ焼きはうまかったなぁ。マグロって刺身よりも焼いた方が旨いのではなかろうか。目の裏とかアラの部分っておいしんよねぇ。焼けたところを全部ほじって、まとめてご飯にかけて食ったらさぞ幸せだろうな。

 市場で働いていた時は、毎日マグロを見ていた。数十キロある黒マグロやキハダマグロ。肉質を見るために尾の部分を切り離してあるのだが、その部分だけで2人前は優にありそうな代物。冬の時期はだるまストーブが点在していて、その尾やカマを焼きながら暖を取りつつ仲買さんたちが頬ばっていたのを、うらやましく眺めたものだった。

 多分今見ても、魚の名前くらいはそこそこ覚えているだろう。
 私はつまらないといってこの職場を辞めてしまったが、階下の事務部門に働いていた人は、勤めつつ魚河岸を取材して本を何冊か出していた。仕事はともかく環境はつまらないわけがなかったのだ。私も漁港や下町が好きで良く歩く。それは全て市場に繋がっている。季節がわかる。自然がわかる。世界からやってくる魚もわかる。面白いじゃないか。

 仕事というものはある意味単調の繰り返しだけれども、それを利用する人は一生に一度だったりするかもしれない。単調と一会の対応というのはなかなか難しいものだ。その単調さに嫌気がさす時は、自分が凝り固まってしまって、仕事よりも何よりも自分が単調な時なのだろう。

 ツボダイはおいしい。銀色に光る平たい魚体を思い出す。マナガツオもおいしそうだったな。アマダイにセイヨウキンメ。高級魚部門の魚はみてるだけで食べた事ない奴ばっか。
 同じものを見て本を出した人と逃げ出した人。その頃私は本当に単調でした。今もそうなのですが、少し恥かしげに夢を語ってみたりします。

 見知らぬ人と一緒にこの魚をつつけたら、とっても楽しい話が出来そうな気がするのです。 Home&Photo


2002年02月10日(日) 責任を取れない仕事

 雪印食品の不祥事以来、近所のスーパーで雪印牛乳が売っていない。食品とは別会社なのだけれど、消費者には一緒ということだろう。手厳しい。

 食品の表示というものは、確かに法律はいろいろあるけれど、いくらでも改ざん可能である。特に期限や産地に関してはほとんどノーチェック。記載事項の確認しかしていないのは元保健所職員である私が知っています。細菌検査や化学物質の検査はしますけれども、たかが知れています。工場や現場の立ち入り検査などはそうそうするものではありません。それほどの職員もいないですし、大規模・高度化している現状では、ちょっと寄ってみたくらいでは何もわかりはしないのです。街の総菜屋さんから最新鋭の工場までをサポートするなどというのは、仕事の質が違いすぎます。
 むしろ精力的なのは、生協などの消費者団体で、現場から見れば事情もわからぬうるさい存在なのですが、やはりそれくらいの執拗さが必要かなと思います。役所というのは、製造者と接する機会が多く、現場レベルでは猶予する事が多くなりがちです。

 そう考えると、NPOなどが今後活躍するのはこういう分野でしょう。主婦などの方で関心の高い人が、専門知識を習得して適時立ち入るのが良いでしょう。このような検査は、専業の人がやるとどうしても”だれて”くるのです。ある意味単純ですし、安全域が大きいので多めにみてしまう事も多いのです。消費期限が一日伸びたからといってさして問題はないのです。

 製造現場であるバイトなどをした人は、期限切れを加工品に回したりすることがあったといっておりました。添加物を加えたため売れなくなったイカを加工品にするからということで流通に流した事もあります。雪印のことは許される事ではありませんが、他の多くの企業でも、大きいところから小さなところまで行われているという事を関係者なら多少は小耳に挟んでいるはずです。
 組織が大きくなったり長く続けば中だるみが生じます。専従の人間が必ずしも確実な仕事をするわけではないのです。こういう部分はむしろマニュアル人間の方が余計な気を回さない分、確実な仕事をします。

 公務的な分野にはその”中だるみ”が多分に蔓延しています。緊張を維持するのは難しいのです。業界団体の自主監視機関も不備が多いし、第三者ではないという時点で信用はありません。

 長野県知事の宣言で最も同意できた事は、”行政は何でも抱え込まない”の点。新規の保育所を作って既存の民間保育所を潰しては何にもなりません。
 保健所の職員を一時的に総動員してもほんの一瞬です。長年事務しかしていない管理職まで動員してもたかが知れています。
 私は日常的な監視業務はNPOに委託して、行政は食品衛生のプロフェッショナルを要請すべきと思うのです。行政の出先や現場の人間はすでに大幅に削減されており、対応に限界があります。何より日常の業務でその士気を維持するのはどれだけ困難な事か。

 職の形態には多々あります。職人が必要な事もあればアルバイトが適当な事もあります。給与がどうこうというわけではなくて、姿勢の違いという意味です。それは仕事が要求する姿勢に対応できるという事で、そのことが働く人の士気にも関わります。そこがマッチしなければ、正社員は漫然と既得権におぼれ、公務員は日常の業務に追われ危機を避け、アルバイトは不公平感でよそばかり見て、パートは単調な業務に緊張を失います。

 全ては適材適所の考えを忘れているから崩れるのです。そして、組織の犯した過ちは、誰も責任を取れないこともはっきりしています。末端の被害者や労働者に降りかかるのみです。
 狂牛病の酪農家はいくら泣こうが行政は責任をとりません。国が犯した戦争行為や植民地主義もどうしようもありません。責任など取れないのです。大臣の首が飛ぼうが、世間の物忘れが加速するだけに過ぎません。

 責任のとれない仕事があること。それがどれほど重要な仕事であるか。一人の人間ができることなどたかが知れているのですから。組織というのはその責任を少しづつ上に預けていることを忘れがちですし、上はその預かった責任を忘れがちです。当然社長一人で手におえるものではありません。首相が手におえるわけもないのです

 そのことは、組織に頼らずに仕事をしている人々を見ていて痛感してしまうのです。 Home&Photo


2002年02月09日(土) ある盗難

 寒波が戻ってきて、一旦溶けて水が溢れた道路はまた氷に戻った。やはりまだ春は遠い。朝8時頃に大通り公園を横切ると、関西弁やらハングルやらを話す人々がまばらにいた。雪祭りはいよいよ本番だ。

 朝飯代わりに入った吉野屋には物珍しげに韓国の方々が入ってくる。異国の方々には見るもの全てが新鮮なんだろうなぁ、顔が輝いてるもの。

 で、夜の帰宅路。
 そういえば灯油がないと、ポリタンクを持ってスタンドへ行くと、もう閉まっていた。で、手ぶらで帰るのもなんだし、とコンビニに寄ろうと思ったのだがポリタンクが邪魔。こういうことはよくあるから、ちょと目立たないところにおいて、しばらく立ち読みをした。
 で、外に出てタンクを取りに行くと・・・・、にゃい。

 え? なんで?
 盗まれた・・・・。え?
 いままでも何度か置いておいた事はあった。けれど、もってくかぁ?
何日か放置してあったならともかく。えぇ、しんじらんない・・・・。

 冬真っ只中の札幌。ポリタンクは必要な分はもうみんな用意しているはずで、店にも目立つところには置いていない。確かに、余計にも一つあるなら楽だと思うかもしれないが・・・・、もってくかぁ? しかもこの交通費を浮かすために40分も歩いているわたしから・・・・。

 なぁんか、すごいブルー。自転車を盗まれた時もそうだけれど、何でそう簡単に物を持っていってしまうのだろう。自転車を盗んだと自慢している奴をたくさん知っているから、落ちてるものを置いてあると思わずに、思ってもたいしたことないともってく奴ってけっこういるのだろうなぁ。

 でも・・・・。タンクがないと灯油が買えない。冬は寒い。
 また買わないといけないのかぁ。こういう出費って、とっても堪えるなぁ。ああ、こういうのも治安のひとつなんだろな。

 やっぱ森のそばに引っ越したいなぁ。誰もタンクなんか持っていかないところへ行きたい。よよよ。 Home&Photo


2002年02月08日(金) 首相は短歌好き

 所信表明演説の中で、小泉首相が引用した昭和天皇の歌が、前天皇の政治利用だと批判を受けている。私には全くわからない。首相も繰り返し引用して渡り合っている。自らの思いを優れた歌に託して何が悪いのだろう。

 議院運営委員長だとかかから、政治利用には当たらないが慎重を帰すべきとのご意見があったそうな。ナイーブな問題とはいえ、志井の大多数は気にもとめないだろう。

 そもそも首相は趣味人で、俵万智さんを含めて多くの歌人と交流の深いお方。気に入れば彼女の歌だって引用するだろう。

 国は今が大変な時。議論を重ねるのも結構だが、現状維持がいいのか何かするのかを考えてほしい。国会議員なんていうのはしがらみに囚われて結局意見を曲げられぬもの。ならば、やるしかないじゃないの。自民党というのは、党の中でグニャグニャまげてしまうから、出すときには筋を通しているように思い込めるのがすごいところなんよねぇ。あれは、政党じゃないっす。だから野党に存在価値はないのです。

 自由党には少し期待してたのだけれど、こんな事を持ち出すようではだめだねぇ。


 ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松そをゝしき人もかくあれ
                 昭和天皇(1946年(敗戦翌年)歌会始) Home&Photo


2002年02月07日(木) 刺青のある銭湯

 地下鉄に乗っていると、隣りに座った高校生くらいの女の子が本を読んでいた。ちらと盗み見ると、登場人物の名前に見覚えが・・・。氷点でした。お友達になりたいわぁ。

 帰り道、地下鉄駅近くにあるという銭湯によってみた。なかなか広くて快適。場所は澄川です。
 アロエの香り湯(全然匂いわからん)、赤外線湯(ランプ付)など悪くない。またこよう。
 風呂の中では眼鏡を外しているから、極度に目の悪い私は、まぁ五体の区別が何とかつく程度なのだが、今日は何となく背中の黒っぽい人が多いように思えてならなかった。何故でしょ、と思っていると、その中に一際赤青の目立つ絵柄らしきものは・・・・。
 わぁぉ、刺青!
 背中一杯に広がる赤青黒はまぎれもなくそれ。眼鏡を取ってきてしげしげと眺めたい衝動に駆られつつ、輪郭だけしかわからない。急に目を背けるのもなんだからと、徐々に視線をずらしていると、そこにもどこにもそんなのばかり。計5人はいたでしょうか。ひぃ。

 まぁだからといって、怖いとかそういう雰囲気でもないわけで、銭湯というのは開けっぴろげなものだから、それはそれでなかなか良いものです。
 そんななか、明らかにただ今消去中というような刺青な方もいらっしゃいました。中途半端に消えているので、威勢もなくてどこか儚げ。頭にも白いものが目立ったその背中は、若くて激しい季節の終りを示すかのように、少し丸まって湯気に消えていきました。

 札幌は夜だというのに雨になっています。路面も氷ではなく春を予感させますが、空気はまだ十分潤っていません。
 まだ2月。冬最中。けれど、火照った体で歩くには丁度良い冬空でした。


 サウナ出の紅竜は水風呂で青が似合いの水神となる
 
 刺青の並ぶ洗い場 目を伏せば素背中人と変わらぬ会話

 消えきらぬTATOOを背負い白きもの混じる頭は薄く泡立つ Home&Photo


2002年02月04日(月) ある受験生

 去年少し勉強を見てあげた子が受験日を迎えた。頑張ってくれたかなと少々気にかけたりしています。

 彼女は高校卒業後、数年の間沖縄に行ったり札幌でバイトをしたりしていろいろとやっていたようです。話を聞くと、年下なのによっぽど人生経験が豊富で私が狭い世界でうろうろしていた事を思い知らされます。

 そんな彼女は、この2年ほど医学部受験を繰り返していました。もともともっていた希望だったのだけど、親が反対だった事、浪人をしながらも次々といとこが医学部入学を果たしていく事などがあって、やっぱり諦めきれなくなったようです。私立の医学部の授業料を見ると1000万円を優に越えるとんでもない額だから、母子家庭の彼女には酷な事極まりないのだけれど、それをいろんな手で乗り越えて何とか進学しようとしています。

 だったら国立をと考えそうなものだけれど、なかなかそれは難しい。正直彼女にはそれほどの学力はないのです。そこで私は化学を中心に一緒にやってみました。
 高校化学なんてすっかり忘れていたけれど、基本は結構覚えているわけで、まだまだ通用するのには驚いきました。暗記が必要な事を除けばごくごく簡単で決まりきった内容ばかりで、高校に限定した化学は窮屈にしてるなぁと思ったりしました。
 彼女は化学を全くやっていないようで、なかなか進まないのです。
 ”わぁ、すごぉく面白いですね、勉強って”と、目を輝かせます。そうなると、私もうれしくなるのです。けれど一向に学力はつきません。理解に結びついてこないのです。新しい事に出会うととても興奮するのですが、それが積み重ならないのです。勉強が楽しくてしょうがないとのことですが、推理小説を読むかのようで、終わったあとには興奮は残るけれど詳細は忘れてしまうかのように。

 勉強が面白いというのは素敵なことで、受験勉強が楽しいというのもまた新鮮な事でした。教えてる私まで幸せになれました。
 けれど、受験でパスするにはまだまだ時間が必要でしょう。愉しいだけのところから苦しみも少し混じるラインを超えないと。

 そう思いつつ、私は受験勉強がやはり性にあっていたのだなと思います。けれど、研究能力や柔軟な思考力は全然ない事があとでわかって呆然としました。必ずしもあの試験は本来大学で必要とする能力を測るものではないことを身をもって知っています。
 だから彼女がもっている好奇心の強さと未知の可能性がペーパー試験の前で立ち往生しながらも笑っている様子が少し痛々しくもあるのです。

 彼女は今日から受験3連荘。難しいのはわかっているけれど、頑張ってみるより仕方ないよね。思ってしまった事はやってみないと何も出来ないしさ。

 でも、私立医学部受験料10万円ってひどすぎない?
 受験の時点でそこまですることないじゃないのぉ。 Home&Photo


2002年02月01日(金)

 本をほとんど読まなかった私も、ここ2〜3年でわりと読むようになった。
 大学の頃無理してでも読もうと勝ったり借りた本は結局読まないでお蔵入りとなった。最近はエッセイや小説を読んだり歌を詠んだりするのだから、理系人間な私も随分かわったのかもしれない。
 そういえば、高校の頃頃の友人は次々と文系に鞍替えしていった。文系から理系に変わるというのはあまりない気もするから、文系の魅力というのはじわじわと浸透してくるものなのかもしれない。

 家庭教師先の中二の子は、”亀有”とか”コナン”とか、ジャンプやサンデーの漫画ばかりを集めていたのだが、突然辻仁成とかを読み出したと思ったら、三島由紀夫や島崎藤村を読んでいる。”破戒”は私が中学の頃先生に読めといわれて読まなかった本だ。彼はもう漫画は買わないという始末。子供の成長は無茶苦茶早いものだ。でも漫画もいいものだから読んでね。

 勉強というものは、これまでの膨大な知識の上に、ほんの小さな石を積み重ねるための下積みのようなもの。本というのはその凝集であるから何であれ貴重。一方通行の講義を聴くよりも一冊の本を熟読した方がはるかに効率がいい。

 で、私が読んでるのは何故か古いものばかり。何を読んでいいのか全然わからんという体たらく。で、実家に残っていた本を読んでみたりする。

 ”昨日、悲別で”。倉本聡氏のシナリオ本。
 ドラマを見てるような感覚で久々に新鮮で感動。倉本氏や山田太一のドラマって大好きなのよねぇ。
 そんな感じで、とりあえず北海道物を読んでたりします。先日ごみ捨て場に落ちていた渡辺淳一もキープ。ああ、なんて貧乏なのでしょう。 Home&Photo


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