私季彩々
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2002年01月31日(木) 柿の種賛歌

 スナック菓子など滅多に買わない私だが、とっても好き。でもどちらかというと、海老満月とか醤油せんべいだとか、ちょと懐かしめの物に心惹かれる。けれど、この手のものにおける予算は100円未満なのでとても手が出ない。

 そんななか唯一の例外が”亀田の柿の種”。これだけは、ちょこちょこ買ってしまう。他のメーカーのものは駄目。
 これを食べ始めるともう止まらない。2袋食べて腹を壊してしまうなんてことはよくあること。で、これを食べている間は、柿の種ばかり食っている。ピーナツはほとんど食べないので、袋にごっそり残ってしまうのだ。

 ”柿の種にピーナツは必要なのか?”が私の疑問であったのだが、私が問うと多くの人が、ピーナツの方がおいしいと言ってのける。だったら、ッピーナツ買えばいいじゃん、と思うのだが、あのバランスがいいとのことだ。うむ、けれど無心に食べている時にピーナツをつかんでしまうと腹が立つのが私。どこかに私の賛同者はいないかと思いつつ、貧乏生活がたたって柿の種すら買わない生活が何年か続いた。

 そんななか、コンビニに寄ってみると・・・・。な、なんと、”柿の種100%!!”が売っているではないか。ゼンコクノサイレントマイノリティーである柿の種至上主義者の声無き声を汲み取ったこの商品、かわずにいられるはずもない。勇んでレジへと突入する吾の高ぶりを誰も理解できなかったであろうが、どこかにその気持ちを理解してくれる人はいるはずだ。手の純度100%の柿の種がそれを証明している。

 で、久々の柿の種・・・・。うまい・・・。辛さも絶妙。何度手を入れても全て柿の種である。この感動、辛さゆえの涙目では決して無い。
 とはいえ・・・、やっぱ辛い。ピーナツの甘じょっぱさが、なんとなく懐かしくなってくるという腑抜けた我がどこかに潜んでいる事に段々気付いてくる。

 そうか・・・。やはりあのピーナツ、只者ではなかった。イブシ銀こそ我が憧憬と考えてきた私が主役に目を奪われていたとは。。。。不覚。

 ともあれ、柿の種とは奥が深い。100%柿の種は企画として絶賛を贈りたい。若き頃よりは軟弱になったとはいえ、まだまだ我は反ピーナツ連合だ。
 けれど、ほんの一盛りのピーナツの存在に愛おしさを向けられるようになった事も書き添えておこう。私も大人になったものよ。のほほ。 Home&Photo


2002年01月29日(火) 沈黙は我を見据えし吾なれば破り騒いで逃げれど寂夜

 逃げつづける事など出来ないとわかってても、結局逃げてたりしてます。そういう時に差し伸べられる救いはありがたくも涙が出てきますが、それ故に受け入れられない事もあります。

 私が尊敬する事の一つに、”助けて!”と叫ぶ事ができるという能力があります。能力というのは大げさですが、それくらい私には羨望するべきことなのです。
 一人で出来る事はたかが知れているし、切羽詰った時はその限界をすでに超えているわけで、そういう時は素直に力を借りるのが手っ取り早い。大抵は時間が経ってしまうと修復は困難になるものです。借りた力は負債として残るわけではなく、かえって信頼感や互いの満足感で相乗効果が生まれたりします。

 全てはその”素直”さ。
 そこが典型的に欠けている私は、小学校の時、書道で”素直”と一旦書いて、その半紙を破り捨てました。

 人は誰かの力になりたいもの。愛するもののためとあれば何を置いても全力を尽くします。その表現方法は多々あるにせよ、その感情は陳腐なまでに普遍なものでしょう。
 けれど、それを受けるものは。素直さも意気地も無く、見栄と無感情に陥った者は、何よりその慈しみから逃げます。それが大きいものであればあるほど、愚かなる者は逃げ惑います。

 私は愚か者。タロットカードに描かれた愚者の姿が浮かびます。そのカードをめくった私にとって、何より怖いのが、私を愛してくれる人達。
 そのことを愚者は知っています。知ってて逃げつづけます。一人の時はテレビをつけて。夜を恐れて夜更かしをして。
 逃れられないのを知りつつも。破局か、転機に出会うまで。 Home&Photo


2002年01月28日(月) ある講師の本音 

 今日提出のはずのテストを明日にしてもらってようやく作り終えた。

 私は某専門学校で”食品化学”なるものを教えている。教えているといってもそんな立派なものではない。何せそんなものを教える予備知識はほんの少ししかない。全然専門でもないし実地経験もない。面白くないといって辞めた食品衛生の経験を一応買われたからだが、単に人がいなかったからだ。
 言うなれば家庭科の延長で、たいして興味もない。医薬の生徒にとっても食品はあまり面白味もないようで、お互いこれでうまく行くはずもない。
 けれど実際に教える側に立ってみると、なかなか興味深い事が多いのに驚く。テレビをみても、食品や健康に関わる事は花盛りで、かなり突っ込んだ事もいっていたりする。大抵は中高齢者向けなのだが、この年齢層の方々の知識というのは半端ではないと思ってしまう。
 知識欲というものは人それぞれだろうけれど、大局的に見るといまの学生世代はかなり低いように思われる。学校という環境しか知らないで過ごすと飽き飽きしてしまうだろう。何より彼らには自分で選んで勉強しにきたという気概が少ない。
 興味や感心というものを大事にするのはもちろん大切で、それを喚起するのが先生の役目なのだが、自分で関心を持ちえた人というのはその意欲が段違いだ。それは授業の中から探すというよりも、やはり実生活の中から探すべきなのではないだろうかと切に思える。
 こんな私でも教壇に立つ立場になって、ようやく面白さがわかった。いっそのこと彼らに好きな事を壇上で語らせてみたいと思いつつ、2時間で問題作製終了。

 アルバイトとはいえ教師役というのは面白い。これほど教えられる事が多い仕事というのは他に無いかも。毎日となればそうもいかないのだろうけれど、週一くらいなら緊張感も持続する。
 大人になったら、先生役の一つもやってみるべきだ。みんな昔は生徒だったんだから両方やってみないとね。誰にでも教えられる事はあるし、教えれば教わるし勉強もする。大人こそ勉強すべきなのだ。
 そういう機会を広く作ることも大事かと。中高だって一日一時間くらい外部講師に授業を頼めばいいのだ。お金だってずっと安くすむし、何よりやりがいが有る。何をしたいかはその片鱗に触れなければわからない。教師だけが大人じゃつまらんのだよ。 Home&Photo


2002年01月27日(日) 前野君 

 小学校1年生の頃、記憶はあやふやなのだが仲の良かった友達に前野君というのがいた。彼の家の前でよく遊んだ記憶がある。平屋の長屋で典型的な公営住宅。今では炭鉱跡にでも行かないと、お目にかかれないようなものがたくさんあった。

 小学校低学年の頃の記憶なんてほとんど無いけれど、なぜか彼の顔は覚えている。前歯が何本か無くて、白のT−シャツは何処と無く色褪せていた。席は一番後ろだったような気がする。当時はやったビックリマンチョコのシールを彼にあげていた。私はそういうものに全く興味が無く、中のチョコばかりバクバク食べていた。

 一学期が終わって2学期が始まると彼はいなかった。何日か経っても彼はこなかった。
 それで担任の先生と何人かの生徒とで彼の家を訪ねた。夏のある日、小学生にしては遠い道のりを先生達と歩くのはピクニック気分でなかなか楽しかった。
 彼の家の少し錆びた緑色の扉。人気はなかった。近所の人の話では引っ越したようだとのこと。”夜逃げ”という言葉がその中にあったような気がする。
 そんな最中の古びて黄色みがかった壁と砂利が記憶に残っている。その話を聞いた時、私は地面をみていたようだ。土に書いた落書き、アスファルトに軽石で描いた○。ケンケンパー。

 それからしばらくして、誰も彼の事は話さなくなった。小学校の一学期だけの事ということで、すっかり忘れてしまわれたように。あまりに綺麗になかったので、私にも本当にそんなことがあったのか今思うと不確かだ。先生と彼の家を訪ねるなんてことをするものかと不思議に思えるし、脚色が入っているのかもしれないが、そもそもそんなことは無かったのかもしれない。

 ただその一瞬だけを知っていて、その後の事を全く知らない前野君。多分もう一生会うことはない前野君。もしかしたら存在しないかもしれない、私の空想だけかもしれない前野君。彼の事は私にとって特別な存在である事は確か。彼より仲のよくなった友人は多々いるけれど、再び会うことがないということが、何故か思い出を安心なものにしているよう。

 そう、前野君。君の思い出は私にとって特別。だから私は君とはあいたくない。まだまだ私は臆病なようです。 Home&Photo


2002年01月24日(木) 廃校

 日頃、一時間以上の徒歩と月々の山歩きをしているので、まぁ見かけよりは運動しているつもりだったのだけれど、昨日やったバトミントンは結構きつかった。後背筋から大胸筋にかけて筋肉痛です。中指の付け根も皮が向けている。いたぁい。

 靴擦れも痛いけど、手のは可愛い方。かばえる分乾くのも早い。赤くなってきて、乾いてきて、つっぱってきて、自分の体が再生していくのが良くわかる。
 薄皮が少しづつ盛り上がってきて、やがてわからなくなっていく。指紋のような模様まで復活するのだから、生き物の体というのは良く出来ている。

 かさびたになると、直るまでもう少し。そこまで来たら、もう心との葛藤が勝負だ。「むしりたぁい」という欲求は子供の頃から衰えることなく残存。こんなところにも懐かしみを感じるなんて、もう随分歳をとってしまったなということででしょう。

 バトミントンなんて数年くらいやっていなかった。むかし、廃校の小学校を借りて、そこでやった事がある。北海道の過疎の小学校は、この10年で続々と統廃合が進み、その跡を学生の合宿地として借りたのだ。何件か下見ができるほど、毎年新しい廃校が増えた。ネットを一つ張れば一杯の体育館には、必ず校歌、卒業生の絵やタイル張りの絵、バスケットのゴールがあった。
 水銀灯の灯りを灯してバスケットボールをバウンドさせる。もう生徒達の集う事のない体育館の中で響くボールの音。外はすでに民家もない。

 人口は現在も増えてはいるが、やがて減少に転ずる。そんなことは小学校のクラスを見ればわかる事で、ベビーブーム最後の我々の半分にまで落ち込んでいる。廃校も増えるのは当然だ。子供が減るというのはインパクトの大きい事で、地方ではコミニティの核を失う事になる。子供がらみなら、嫌でも人は集うからだ。
 そんななか、市町村の人口動態予測では、ほぼ全てで人口増を前提にしている。減少を想定すると予算が減るからだ。

 いくつかの廃校は、廃校の2年位前に建て直したりして、ピカピカの鉄筋つくりだったりした。利用する我々は快適だったが、校庭は雑草の原に帰り始めて久しく、大理石の碑も埋もれかけていた。
 そんななか、廃校となる学校は段々と減ってきている。統廃合できるところは、ほぼ終結に向かっているらしい。そんななか、札幌中央部の小学校が、統廃合でいくつかなくなる。
 子供が減れば次は老人。人口減退期に突入して、多くの集落が消えていく事だろう。
 確実に社会構造が変化している事。ノスタルジーだけでは今を維持できない事。変わっていくことに怯えていることもまた確か。ただ、これから必ずおきる変化が、貧しくなる事や退化することとは限らないのも確か。ただの”変化”という未来。

 廃校となった小学校に残る校歌。明治、大正、昭和初期作。地域地域の風景を唄い、その様子がまだ色濃く残っている地域ばかりだ。そしてこの校歌が出来た頃、学校は掘っ立て小屋で、開墾の音がようやく響き始めた活気に満ちた土地だったはずだ。
 それ以前は、未開の原野。北海道ではそうだが、本州ではかつて誰かが捨てた村だったりもするだろう。

 やがて枯れやがて萌える。それが本来の姿なのかもしれない。そういう地域に夢を追う人も確かに増えているし、潜在的に意識している人も多い。いつか、そういう中から新しい校歌を作る世代が出てきても全然不思議ではない。それが100年後だったとしても、さして先のことでもないのではなかろうか。

 そんなことを、とある札幌の小学校で一汗を流しつつ考えてみたりしたのです。


 途絶えたる校歌の唄う山湖に還りつつ在る雪の学び舎

 廃校の体育館のバスケットボールの響き 昔から来る Home&Photo


2002年01月23日(水) ある冬眠 

 一雨来た札幌で屋根が潰れた家があった。雨を吸い込んで雪が重くなったのが原因だったらしい。
 雨で雪が溶けたなぁ、としか考えなかったがこういうハプニングがあるわけだ。そういえば放置してある我が車の屋根は大丈夫かと心配されていた。ということで様子を見に行った。
 車は12月に入ってから放置してある。理由はスタッドレスを用意しなかった事と、自宅から2km以上離れているので利用頻度が極端に下がるため。
 で、車はこんもりとした雪山にすっぽり覆われていた。どうやら潰れてはいないようだ。少し掘ってみると窓が出てきた。屋根も大丈夫。で、その高さは私の膝と同じくらいの高さ・・・・。およ?
 枝道に沿って止めてある私の車は当然地面の上に乗っているが、長の降雪で行きは圧雪になって積もっていて、すでにここでは数十センチになっている。そのために、車は堅い氷に覆われてしまって、その上に雪の山をかぶっているという事だ。
 スタッドレスかってつけようと思ったのは手遅れはなはだしい。すでにこの車、動かすのは不可能です。

 冬眠に入ってしまった我が車。細い道に小山と仮した姿はみなの反感を買っている事でしょう。許せ、全ては近くに駐車場を借りれない我が甲斐性無しのせい。だって、ただなんだもん♪ Home&Photo


2002年01月22日(火) ごめんね、ミーちゃん 

 我が家の猫はフタが好きで良く追いまわしては遊んでいるのだが、これが小さいので5分も引っ掻き回すとほぼ100%冷蔵庫の下に入れてしょげてしまっている。

 いかに貧乏とはいえもう少しあそばせてやりたいなと、一月たってぼちぼち思う次第。で、ホームセンターで遊び道具を眺めてみた。いろいろあるのぉ。
 理論的にはボール系かとおもう。動きは不規則な方がいい。あまりうるさいのは嫌だから鈴付きはなし。となると、800円のものということになるが・・・。
 何よりの制限要素は予算なり。目は100円台のものをいったりきたり・・・。

 で、1時間悩んだ末に買ったのは、128円の起き上がりこぶし系のねずみ。最愛の猫にこの出費。貧乏さもわかっていただけるでしょう?

 で、猫ちゃんはそこそこ気に入ってくれたみたい。本当は遊び相手がもう一匹いればいいのだけれど。ごめんね、ミーちゃん。 Home&Photo


2002年01月21日(月) 山の郵便配達

 本当かなと思ったが、昼から雨になった。傘を持ってきてらっき。

 昼休みにネットを覗いていたら、映画評のところに「山の郵便配達」というのがあった。何となく惹かれる私。
 帰りがけに寄ったコンビニで雑誌を読んでいたら映画館の表があった。すると、あるではないか、この映画。しかも「蠍座」という札幌でも新しい名画座での上映なので、800円と安目。少し待ち時間があったけれど、これも何かの縁と行って見た。
 早すぎる大雨で札幌の街は洪水状態。そんななか映画館は意外と混んでいた。映画館なんて2年ぶりかなぁ。高校時代は映画青年だったのに。

 で、映画のほうは・・・。★★★★★。
 すばらしかったですなぁ。
 中国のまだ奥深い山岳地帯で今だに山道を歩いて配達する郵便配達員親子の話なのだが、辞める父と継ぐ子が歩む山の道を、子が父の生涯を歩みである山道を歩き、父と母と自分のこれまでの歩みを再発見するといった内容でしょうか。
 とにかく自然で、美しい。滅多に帰らなかった父への少し屈折した感情が次第に溶けて行く様子が、山村の美しい光景と人々の暖かさに包まれてやんわりと伝わってきます。
 何度も鼻をすすりながら、やがてこの配達という仕事もバスや車に取って代わるであろうことも予感させながら、温情がいかに交錯して見失いがちなものかを思い起こさせてくれたロードムービーです。

 途中、配達中の郵便が風に飛ばされるハプニングが起きた時に、思わず声を上げた人が私のほかに数人いた。見終わった後、その人たちと集まって子の映画のことを語ってみたかったな、なんて。映画を観ていて声をあげてしまったのは初めてかも。

 俵万智さんが一人で演劇を見に行った後、誰かとその事を話したくて仕方なかった時に、自分に気付いて話し掛けてきた青年二人と居酒屋で話し込んだ、という話がエッセイにあった。
 そんな出会いも素敵ねと、少し哀しくもあったのですが、同じ感動を味わったであろう人々と階段をゆっくり上っていることに満足しながら雨の街に漕ぎ出したのでした。 Home&Photo


2002年01月18日(金) こたつ猫 拉致し寝床で 猫たんぽ

ちょと嘘あり。

使用方法

1 ストーブの前で猫の両手両足をもってかぁるく炙ります。

2 少々嫌がってきたところで布団に連れ込みます。

3 ほかほかの”猫たんぽ”でぬくぬく。

 使用上の注意
  逃げられないように前足は2つとも確保しましょう。
  髭がやけてしまうと本当に嫌われます。 Home&Photo


2002年01月15日(火) 天秤

 星座や血液型占いを全く信用しない私はてんびん座です。

 てんびん座というと、イメージ的には公正、中立のイメージで、裁判官なんかが向いていそうな感じ。半面冷徹で冷たい感じもある。

  「冷たそうな」というのが私の印象であるようで、何回かいわれたことがある。電話で話しただけでそういわれたことも2、3回あるから、実際そういう雰囲気をもっているのだろうし、付き合いにおいてもその辺の先入観を払拭できないまま推移してしまう事が多い。
 まぁ、それが事実ではあるだろうけれども、公務員の研修の時に、信頼性が高いという性格分析”エニアグラム”では、40人中3人しかいない”愛の人”なのだから笑ってしまう。
 次点で”芸術家タイプ”だった。このタイプは公務員には向かないらしく実際一人も居なかったのだけれど、さっさと辞めてしまった私は”愛の人”よりはそっちの方だったのかもしれない。1点差だったし。公務員不適格だったのは間違いなかったようで。

 適正と理想というのは反発することもある。私はその典型で、動物アレルギーで獣医、愛の人志向で冷たい奴。精神分析を信じるならば、私は表面とは対照的な人間となる。

 占いは信じないけれど、その考え方に共鳴できる点が一つある。それは自己分析だ。まず自分の事が一番わからない。自分を占うことはタブーだが自分の状況がどういうものかを知ることが何より重要かということを問うている点だ。

 何よりわからないのが自分の事で、自分の事は自分が良くわかっているなどというのは迷信だと思う。そんななかを自分を信じて走らなければならないなんて神様はなんと無慈悲なと思ったりもする。
 悪い意味でのプライドの高さというのは、自分の事をより深く他人が知ることへの恐怖感かなと思う。そこを飛び越えなければ恋愛や友情は生まれないわけで、そこで惑い悩む人が多いのではと思うし、私はその典型だ。

 人が天秤の秤の上に載るものだとすれば、それが釣り合うのは揺れながらバランスをとっている状態だ。自分も変われば相手も変わる。振り子のように揺れる感覚こそ人の本質かと思う。
 揺れなければ停滞だと不満に思う。揺れていれば不安に思う。感情を表に出せば振り子は揺れる。そこに安定があったりもする。止まった独楽はバランスを取れない。

 皿の上の自分はコロコロとその重さを変える。バランスを保っていたと思っていた相手が入れ替わってしまう事もある。時にはその相手も消えてしまって、地に落ちるような感覚に襲われる時もあるが、必ず向こう側には代わりの何かが乗っかるのも確かなようで、また揺ら揺らと上がりだすのもまた不思議。

 「揺れる」ということは人の本質なのかもしれませんね。


 遠すぎて見えない天秤竿の先 揺れつつ闇をじっと見据える

 すっぴんの魂を投げ合う二人なら大揺れ小揺れで釣り合う天秤

 3つ目の皿に命を乗せ揺れる 幸の一軸増えて天秤

 天秤に繋がる皿は無数なる事に気がつく長旅の後

 天秤は回り始めて乗る皿が天馬に変わるメリーゴーランド

 半身を欠いて崩れぬ天秤は人乗せ回る地球と気付く

                        ※魂:たま Home&Photo


2002年01月14日(月) グラデーション

 手を天上の方へ伸ばすととても温かい。暖かい空気が上るのはよく知っているけれど、これほど違うのかと驚いてしまう。で、猫が引っかいてぼろぼろのカーペットの上に寝そべると、これまた寒い。まぁ当然の事だけれど、実際に感じることは別次元である。

 グラデーションというと日本語でどういうのだろうか。
 温度のグラデーションを色で表現すると、一般的には赤から青になる。この部屋のグラデーションも立派についているわけで、一個しかない温度計が語るのはまさに点でしかない。18℃のオレンジ色で一面染まっているわけではなく窓に面した深い青からストーブから天上に立ち上る紅まで多彩な事だろう。

 人が作り出す環境などは、どうがんばってもそれくらいのムラは生じてしまうわけで、それを均一に馴染ませるそよ風の存在というのは大きなものだ。春夏秋の暖かなそよ風は、特別な心地よさを自身に与えてくれるかのような錯覚を覚えるもの。
 ムラがあれば、心地よさも違うわけで、寒いと感じる人もいれば熱いと感じる人も出てくる。上司はストーブの前でぽかぽかして私はひざ掛けをしても全然寒いなどという環境は、普段なら笑って話せることも皮肉っぽい口をしたりしてしまう元にもなる。

 そういうときこそ、無理して花をいけてみたりすると、空気が変わるかもしれない。ちょっとした素敵な行為というものは、狭い空間の中にそよ風を吹かせるように、場の空気を和ませる事なのだろう。

 大人が暑がっても赤ちゃんは寒がってみたり、猫は尚更寒かったり。私のいない間、椅子の上に上がってしまうのは、飼い主の匂いが恋しいのではなくて高いところが温かいからか?

 そういうわけで、冬の北国では扇風機が地味に活躍するそうで。小さな扇風機を天井にスポットライトのように設置すると◎。さしずめ素敵な女性社員が何気なく置いた花のように、ほんわか温かい風を感じる事でしょう。


 ”暖めたい”想いは上昇気流なり 並ぶ君にこそ届けたいのに

 優しさは上昇気流に乗る手紙 宛先もなく何処かに降る   Home&Photo


2002年01月13日(日) 豚汁を作る 

 長年自炊をしているが、ヴァリエーションは極端に少ないと思う。大学に入った当初はあれこれと手を出していたが、あとはお決まりのパターン。友人は、親から一週間分のレシピをもらって素直に実行していたが、それが尽きるとおしまいだったし。外食に走る事は今だに少ないが、もう少し調理にこっても良いかな、と思ったりする。

 親が来ると私がたくさんの調味料を使っている事に驚く。といっても、トウバンジャンやオイスターソースがあるくらいだが、親の世代は使う調味料などは味の素くらいなものかもしれない。
 だいたい一人暮らしの自炊となると、さっと終わらせるのも器量のうちだから、炒め物が多くなると思う。となれば、塩コショウ、オイスターなどいろんな種類を使ってサッと味付けを増やしていけて楽、などというのもあるかもしれない。
 煮物や汁物というのは何となく面倒で、揚げ物なんかも億劫になっている。やっぱ、時間がかかっちゃうし。

 これではいけないと思い立って、この10年ではじめて買ったのが、ごぼうと大根。我ながら驚いたが多分買った事がない。大根一本150円が高いか安いかわからない。
 ごぼうを洗って削ぐように切る。ごぼうって芯は本当に固いのねぇ。大根を切る感触ってなかなかいい。などと思いつつ、カレーと同じ手順で作ったのは単なる豚汁。

 お、珍しく和な食卓。ふきの煮付け(出来合い)もあるし。新鮮新鮮♪
 陰ながら、森のそばで、喫茶店というか食事屋というか、そういうものをやりたいなぁと思っている私は、料理は手を抜けないのだった・・・。あはは。
 目玉はカレーの予定。具沢山でボリュームたっぷりのカレーを400円くらいでだしたいのさ。 Home&Photo


2002年01月11日(金) 通勤時間雑考 

 10時に寝て6時に起きてしまう健康的な一日を送ってしまった。毎日こうなら折り紙月の優良生活なのに。

 6時を過ぎると東の空は随分と明るくなってきます。札幌もようやく春モードに入ったわけですね、空だけは。けれど、日中はかなり暖かいような気もします。

 久々にいつもの通勤路を歩いてみました。やっぱ冬は40分はかかるなぁ。陰ながら札幌郊外に引っ越そうかと考えている私にとって、通勤時間というのは気になるもの。夏なら自転車で15分。これくらいは丁度いいけれど、越したいところはJRで20分。その前後を考えると結局1時間になってしまう。やはり街中に住むのは便利だなと痛感。札幌駅に自転車置くわけにもいかないしなぁ。交通手当てを浮かしているから、使っちゃうのももったいないし・・・。
 そこで、考えちゃうのは”ジンジャー”だ。世紀の大発明と前評判の高かった、起立式電動スクーターみたいなものだが、あれ、乗ったままJR乗れないかしらん?
 だったら、郊外でバスを待たずにJR乗って、そのまま街を走るなんて事も・・・。まぁ、そうはうまくいかないか。しくしく。
 通勤というのは毎日毎日あるわけで、人によっては一日に2時間とか3時間とかつかっちゃいますよね。その時間はどう使ってる勝手結構大きい。本を読んだりしてると、どことなくつぎはぎで集中できなくって。そんななか、私は最近結構充実。歌を作るというのは、例え自己満足であってもいろんなものを観て、いろんなことを考えて、いろんな言葉を捜すものです。おかげで雪道40分も苦になりません。地下鉄代も浮くしねぇ♪
 

 お財布を忘れて歩く冬街のラーメン屋 なぜそんなにうまそう? Home&Photo


2002年01月10日(木) 一日乗り放題 

 今日は地下鉄とバスを乗り継ぐ用があったので、少し奮発して一日券を買ってみた。

 で、前から行ってみたかったラーメン屋”純蓮”を探しに澄川へ。地下鉄が地上に飛び出る瞬間が好き。純連は5分ほど歩いた地味なところにあった。かなり有名なラーメン屋だがそんなに混んでなかった。味噌ラーメン大盛りを食す。こってりしてて油の熱さとスープの旨みが私の好み。でも、そんなに大騒ぎするほどでもないかなぁ、と。
 その後、すすきのまで戻って市電に乗る。もしかしたら初めてかもしれない。警笛を鳴らしまくるのには驚きました。車に乗ってたら、市電ってどうしていいか一瞬わかんなくなりそうだものねぇ。
 で、市立図書館に。一回いったのだけれど閉館だったので。中はかなり近代的で、人も多くてびっくり。久々に本に囲まれて何を読んでいいかわからずに、そそくさと出ててきてしまった。
 再び市電に乗ってすすきのに戻るつもりだったが、目の前にお年寄りが立った。どうぞといえない情けない奴なので、何となく立って降りる振りをして、そのまま降りてしまった。山鼻9条だったかな?
 確かこの辺に天然温泉があったような、というのも引っかかったので。西に向かってこの辺の住所だったかなぁ、と思ったら地味にあった。わーい、風呂♪
 住宅街のお風呂のわりに、新しくて清潔感は◎。哀愁漂うケロリン桶も☆。お湯も強塩泉であったまるし個性的。かなり気に入っちゃった。おっさんいわく「最近若い人増えたねぇ」とのこと。うんうん、いい湯ッす。思わずレモンスカッシュ一気に飲んじゃった。日頃は絶対そんな無駄遣いしないのに。その後、おっさんが女湯へ向かって「あがってるぞぉ」と一言だけ声を掛けた。いいねぇ、なんか神田川の世界。もしかして若い頃からずっとこんな調子なのかもねぇ。
 外へ出ると、神田川の余韻もあってか、街並に何となく情緒が。このあたりは古い街並が残っていて、怪しげな修理屋とか、古くからある八百屋や駄菓子屋なんかがあって○。思わず乗り放題券があるのに歩き回って再び図書館まで歩いてしまった。
 そこで借りたのは、短歌の雑誌とバビロニアとアルメニアの古代史の本。

 十二分に元を取って、たまたま降りた街並もあたりで、結構なものでした。一日乗り放題、近場タンホウには結構お買い得。お薦めです。もう使わないので、札幌駅でおじさんにあげちゃった。どうせならかわいこちゃんにあげたかったわ、といいつつ本当はいけません。地下鉄赤字なのに。

 本当は車で動くはずなのだけれど、なんせ雪の中。屋根潰れて・・・ないよね?


 湯上りの妻より早き10分の訳は無口と暖気運転

 ケロリンの桶の音越しに 爺達の湯話咲きたる 古街銭湯 Home&Photo


2002年01月09日(水) 志愚考

 せっかっく寝床を作ったのに、猫は見向きもしてくれません。るるる。

 動物を室内で飼うと困るのは糞の始末。まぁ、一日おきにまとめておくわけだけれど、生活リズムが崩れがちだと、どうしても溜まってしまう。そこで我が家のベランダはごみ置き場となっている。なんせもう雪がこんもり溜まっているわけで、天然の冷凍庫。ほかに利用の当てもないので春までこんな状態でしょう。春が怖い・・・。

 豪雪となった今日だけれど、何故か灯油も切れて米もない。幸いにして歩いていける距離にスタンドもコンビにもあるので助かるが、なんでこんな日に限って豪雪なのでしょう。ぶつくさいいながらもポリタンクを抱えて買いに行く。そんなな負け心の私をスタンドの方は温かく迎えてくれる。こんな寒空の中、本当にご苦労様です。
 私は農業でも漁業でもガソリンスタンドでも、外で働く人たちを無条件に尊敬する。医者や弁護士などよりはるかに上だと思い込んでいる。職業に貴賎はないが、この世の中にあって大切な事は、室内よりも外に溢れているように思えてならないからだ。暑い寒いを感じてこそ人間ではないかと思う。

 「志」ということばがある。「志が違う」といわれると、私はあなたの志よりも低いのかと怒りを覚えた。志に高いも低いもなくて、有るか無いかが大事だと思う。

 思えば私はいろんな仕事に一時的とはいえ接してきた。デスクワークで室内にずっといると周囲が見えなくなって、楽そうな条件の良さそうなところを見つけてはひがんでいる自分がいたことも知っている。それを放り投げた事もある。
 学生実習用の遺体をブラシで洗う人。豚の悲鳴のなか黙々と屠殺場へ追いやる人。魚河岸の食堂で4時からウエイトレスをしていた女の子はいつも眠そうだった。
 朝早く私をタクシーで送ってくれた運転手さんは、その後洗車して数時間家で休むといっていた。通常勤務を終えてそれから明け方までの超過勤務で交通誘導を続けるおじさんは、どことなく笑顔は寂しげだったが、家族の事を話すと誇りをもった一面を頬のあたりに示してくれた。

 何がいいたいのだろう。この辺の事はいまだにわからないのだけれど、やりたい事とか仕事の誇りだとか言うものは結構いいかげんなもので、だからこそ人の個性や人生が滲み出るような気がする。一途を貫くも良し、見聞を広めるも良し。固執するも仕方なし。ヒラリと舞ってみるも良し。

 所詮は誰がなんと言おうと自分が決めた事。決められたと思っていては、どうあがいたって誇りはもてない。何が必要で何が必要でないかがわかったらもう死んでもいい頃だろう。

 何でこんな事を考えたのかというと、「志が違う」といわれたから。今思うと、それは目標が違うというか、純粋に目指している事柄が違うということで、高い低いじゃないということだったので、そんなこともわからずに喧嘩腰になってしまった自分が情けない。
 でも思うのは、「志」というものは職業だとか、何を目指すかという事だけじゃなく、もっと個人の生き様を示すようなもの。アプローチは違っても俺達同類じゃん、みたいな。

 過去の経歴や現況を越えて今後を見据えて歩く一歩こそ大切。学校の先生達はずっとそういっていたはずなのに、社会に出るとみんなその事を忘れがち。人の魅力というのはその辺から立ち上るはずだ。

 ま、そんなことばかりいってると悩んだりする姿をみせられなくってつらくなることもあるかな。私はどうも比較ばかりをして正当化しようとしているのかも。うぬぬ。まとまらなくってすみません。あはは。 Home&Photo


2002年01月08日(火) 年を経るもの 

 「まだこんなものがあるのねぇ」
 先日来た母が嘆息していた。部屋にある食器や棚などはすべて10年前に実家から持ってきたものである。こたつも麻雀ができる裏が緑の懐かしいもの。実用一点張りのスチールラックなんかはウルトラマンのシールが切れ切れに残っている。
 洗濯機は私ですでに3代目で20年に届くかも。テレビだって10年になる。電子レンジも貰い物で10年以上昔の記録は不明。

 こんな部屋は実家以上に年季が入っていて、若若しさの欠片もないのは至極当然。物持ちのよすぎる息子に嘆息もひとしおでしょう。

 でも、だって使えるじゃん。使えるものを捨てて新しいものって考えられないのよねぇ。おかげで金が溜まる・・・・、訳もなくかえって収入が減っていくというデフレスパイラルに勝手に陥っているのが現況。

 古いものが味を出してくるというのも確かにあることで、古具屋などに行くと、ちゃぶ台や和家具がかなりいい値段で売っていたりする。では、我が家にある年代もので、その手になる可能性のあるものは・・・、うーーーーん。

 「これ、結婚した頃のやつよ」
 そういって母が手にしたのは木のまな板。そういえば普通売っているまな板は白木でかなり肉厚なものが多いが、うちのはもう20mmもないぺらぺらである。話によると、汚れが目立ってきたり中央がへこむとカンナで削って使ってきたという。

 ものというのはただ放って置けば味が出るというものではなく、磨いたり削ったり補修したりして手をかけていかなければ、ただ古びていくだけだろう。
 100年を越える日本家屋は入れ替えるところを入れ替えて、日々の暮らしがそのまま除湿や防虫効果を発揮して永らえたわけだ。欧米の家が100年を越えて持つ財産なのに対して、日本は20年も経てば建物の価値はほぼなくなってしまうという。それは材質の為でもあるが、細かいところに手を入れる事が出来なくなったためではないかと思う。
 何より味がないではないか。伝統家屋と今の家に連続性は思い当たらない。

 まな板から飛躍のしすぎだけれど、一枚の木の板くらいしか味のある褪せ方をしそうなものがない。安物買いの我が生活ゆえとはいえ、そこそこの時を生きたのだから何か一つくらい自分で磨きをかけているものがあってもいいと、ちょこっと思ったりしたわけです。


 削りつつ四十を過ぎしまな板の薄きに母は今日も湯を掛く Home&Photo


2002年01月07日(月) 安物買いの記

 溜め込んでいた家賃を払ってきた。振り込み手数料がもったいなかったので、エイヤと2月分まとめ払い。こういう時は得てして散財傾向に陥りやすい。

 帰りがけに札幌ではメジャーなフードセンターでお買い物。安いものがあまりなかったのでカップめんを中心に買う。
 昼食をマックで済まそうとチーズバーガーを2つ。
 途中あった市場風の怪しげなお店に立ち寄るととても賑やか。生鮮食料品が安くて豚ロースg100円とか鮭5切れ300円とかで、普段買わないほど購入。
 その勢いでホーマックという日用品のお店で猫用トイレを買ってしまう。フード付の豪華版だ。で、荷物が一杯になったので、このトイレの中に食料品を入れてキャリーケースにするとぴったり♪。トイレに食品なんて風流♪
 で、これで帰れば良いのに、ダイエーによる。9円のもやしが目当て。なんてみみっちい。でもそれだけでは寂しいので、お椀(猫用)や歯ブラシ、ブラシなどを購入。ダイエーは88円均一有りですもの。
 こうして安物ばかりを猫用トイレに入れてレジを通過。レジのお姉さんも怪しげに私を見る。他店で買ったものを袋に詰めて別の店を回るのは何となく気が引けたが、堂々としていればなんでもないものね。安いものを探して歩く主婦の領域に十分一歩踏み入れてるわ。

 けれど、安物ばかり買ったとはいえ一回の食事にすると数百円にはなってしまう。私って料理するとついつい大量に作っちゃうし、肉とかは300gとか平気で使っちゃうからなぁ。でもなんで太らないのだろう?
 それは食べる時と食べない時の差がありすぎるからってこと、わかっています。お腹すいても少したてば忘れちゃうからなぁ。
 私を太らせてくれる人いないかしら。同棲も結婚もしたことないから、食事とかの日常生活を誰かともにするのって考えられないのよねぇ。ちょっと同じ部屋にいるのも手持ち無沙汰に成ってしまうズボラな私。

 やっぱり一人はお気楽。でも買い物途中の若夫婦や子連れの人たちをみると、いいなぁとおもってしまう。自分のためだったら安物しか買わないけれど、猫のためだったら一番高いものを買ってしまう私。やっぱり寂しがり屋なのでしょう。のほほ。 Home&Photo


2002年01月06日(日) 北の熱帯魚

 熱帯魚のヒーターランプがオレンジ色に明滅している。

 夏に衝動買いした一式は3000円也。ネオンテトラを買ってきたのは秋風吹く頃だったような。それ以来、一日2回だった餌は2日に一回になり、点灯していた蛍光灯もつけずに過ごす事が多くなり、わずかにあった水草も全て枯れ果ててしまったが、彼等10匹は健気に生きている。初めは沈むまで餌を食べなかったのだが、今では浮いた状態でも必死についばんでいる。ズボラな飼い主に当たると優雅さも消え去ってしまうようだ。

 北海道などというところで熱帯の魚が生きているのも変な話。それはこのヒータが作っている環境に依存しているわけだ。冬場に入って水の減り方も急になってきて、冬場の乾燥と温度差を実感してみたりする。

 氷点下の環境が続く北海道で生き物が普通に暮らすというのは本当に酷なわけで、寒い地方に行けば行くほど動物は大型化してくる。熊なんかはその典型で、冬眠までしたりする。植生もある意味単調で、スケールこそ大きいが脆さもまたひとしおだ。
 中国地方の山林は過去の製鉄用の燃料として幾度も伐採されているが、肥沃な土壌と湿潤な気候で強力な再生力を持っているそうだ。広葉樹の豊かさには驚くものがある。
 その反面北海道の針葉樹はほとんどが人工林に置き換わっている。親指ほどの太さになるまで5年はかかるのだから、草の生長に比べてはるかに遅い彼等は幹になるまで過酷な競争と運を勝ち得ないといけない。

 雪の原が美しいと流す涙が熱を奪っていく。乾燥した雪原では凍るよりも蒸発の方が早い。そんな極寒の地で人は自然を恨むのではなく尊んできた。その両者にはさほどの差はないが、尊ぶ方を選んだ先人がいた事が人の誇りであるし、そうでなければ生きていけなかったと思う。美しいという感覚もまず尊敬や素直さから生じるもので、それもまた人の優勢な感情だと思う。

 北の熱帯魚。悲しくも美しい。どちらかといえば、私はこのヒーターの効いた水槽の中から、水のレンズ越しに雪景色を尊んでいるに過ぎないように思える。今よりも雪の白さと、それを握った手が赤くなっていく様を私は知っていた。
 そこに近づきたいと思う私は、今確かに存在している。

 貧しくも厳しい雪渓に住む岩魚として生まれ、冬を越えた渋みのある大魚イトウとなりたいなと思いつつ、今はぬくぬく熱帯魚です。
 

 いつからか恒温槽の熱帯魚 夢は冬河のイトウなりしも Home&Photo


2002年01月05日(土) お互いに 

 第一印象というものは対人関係においてどれほどの重さがあるものなのでしょう。
 出会いはとんでもない最悪だったのが大恋愛に発展、なんてのもあれば、印象なんてからっきしないわ、なんてのもあるでしょう。得てして大抵の場合は本人の感じ方一つで、相手にしてみればたいして思う事もなくて、一瞬の物思いとして通り過ぎるもの。

 いつからか対人関係に自信を失いがちになった私は、小さい頃は率先してその辺を請け負った人間だった。ただそれは、周りが全くやらないので仕方なく引き受けるという全く持って受動的な理由で、だんだんとみんなそれぞれの方向で積極性を発揮していくにつれて私の出番はなくなった。
 そうなってくると、今までは何かのためという事で出来たことが自分のためにやらないといけなくなる。私にはこれが結構辛かったりする。

 私の友人で、これがたたって何も出来ない奴がいる。何をしていいかわからなくたって、とりあえず働いて、とりあえずテレビ見て、とりあえず遊びに行って、とりあえず・・・を繰り返しながらもそこそこのところで納得行くものを見つけたりするのだろう。自分のやりたい事をはっきり見据えて一直線なんて人が世の中そういるものではないし、そんなことを言ったら、それを支える伴侶なんて者は存在し得なくなる。けれど、彼はその”とりあえず・・・”が全く出来ない。月数万円の稼ぎを学生時代からのアルバイトで得て、それでのらりくらりと過ごしてしまう。
 働くとなれば面接があるし、その時には例え嘘であってもそれなりの積極性が問われる。彼はその嘘がつけない。彼にとって自信のなさは他人の目を通して自分を激しく責め立てる、その事がわかりきっていると一歩も前にでられない。

 彼と似たような奴と話をして驚いた。てっきりカメラマンとかライターをしたいな、と思っているのかと聞いてみると、やれ給料だとか将来性だとか安定性だとかそんなことしか口にしなかった。夢ゆえの不安定なら耐えれもしようが、そんなことを口にしてしまうのはやっぱり悲しい。

 私は彼等を責めた。正論を振りかざして。彼は一切言葉を紡がなかった。けれど彼等の痛みも良くわかった。私も彼等と大差がない。
 そんな彼が年末に、1年がいかに辛いものだったかを告白した。きっと彼は変わるだろう。人の目にさらされるという最も辛く普通の試練を彼は一度も通過していないけれど、何とか頑張ってもらいたい。何のためかわからなくても、そこから何かが始まるのもまた確かだと思う。

 私も何をして良いかわからないでいる。かっこつけていろいろ言っているけれど、ほとんどの人にはばればれだろう。それもわかっているから会う人みんな怖い。けれどたまらなく惹かれるのも確か。

 ネットでも、電話でも、実生活でも。とりあえず冷たい人達も確かにいるけれど、確かに多いけれど、それは一時のこと。せめてその痛みがわかるなら鏡を引っ張り出して相手に向けて逃げる事はしないようにしたい。

 がんばれ。がんばろう。お互いに。 Home&Photo


2002年01月04日(金) 遠ざかる星空

 片付けた部屋はすでに崩壊の兆しを見せています。

 外の雪は表面が凍って堅くなっています。足を乗せると一瞬堅い感触があって、その後サラサラの雪が靴の中に忍び込んできます。降る雪が昼の日差しにちょこっとだけ解けて、夜の氷点下に氷の欠片を身にまといます。身近なところでも層になった時間の積み重なりがあるものです。

 記憶というのも勝手なもので、雪を眺めればいくつかの光景が引き出されたりします。お尻がいつもすぐぬれてしまう上下一体の防寒具。親指以外は全部一緒の手袋。ついでに落とさないように紐がついていて、袖を通して繋がっていたりしました。雪だるまはどんなに頑張っても漫画のようなまぁるいかわいらしいのが出来ず、表面に草や土がついてしまったのは、北海道とはいえ雪の少ない地方に育ったからでしょう。小さい頃の記憶は圧倒的に昼間が多い。
 なんとなく感傷に浸りたい時などは、夕闇の雪景などを思い浮かべます。けれど出不精になった青年時代、どれだけの肉眼の記憶が私の中にあるのかわかりません。テレビや映画の記憶もすでにごっちゃになっている事も否定できません。

 短歌や詩を書いたのは小学校の頃ですが、思えば何かを書いているときや思っているときというのは、当時から視点や志向が全く変わっていないのに驚きます。ませていたともいえますが、小学校高学年までは明るく模範的な優等生だった私は、中学校に入ったあたりから、ただの頭のいい少年に成り下がってしまいました。それは当時から何となくわかっていた事で、みんな成長していって、私が何も変わらなかったということです。ああ、みんなそっちにいってしまうのね、と傍観していた事もはっきり覚えています。ついていけたのも確かですが、全くその気にならなかった事も。

 何か思うときに、私は小学生にも老人にもなれるような気がします。それが小学生的とかそういう意味ではなく、私の中では大差がないのです。けれどそれは夜も更けてきた孤独な一時に認められることで、常は年相応だとか一般的な興味関心だとかに振り回されて、合わせきれなくてもそうは見られないように努力していたりします。世の人がみんな同じに見えて。
 ただそれは大きな間違いである事はもちろん承知しています。で、その辺の脱却点というものも自分なりに少し見えてきてるわけで。

 さっきまで遊んでいた猫がうつらうつらとしております。猫は猫。私は私。
 見送ってばかりいたつもりなのに、球状に広がっていった友人達を見るかのように、私は星空を眺めているのかもしれません。


 星星を繋ぎ星座を描けども 今だ地球を繋ぐ星なく Home&Photo


2002年01月02日(水) 閑話なる新年会

 新年会で久々の徹夜。というか、帰りに話したりないねぇ、と別に飲みに行ったわけだ。台人数での飲み会というのはあまり面白くないので、私は語りたい奴なのだろう。
 というか、ゲームの話とか、麻雀の話とか、漫画の話とか、酔っ払った奴にマニキュアデ落書きをするだとか、そういうことにはとんと興味がないのだけれど、何時間もそんな話を続けてる皆が信じられなかったりするのだ。裏では同じゲームを数時間やっているし。
 みんな趣味とかそういうものにどっぷり漬かって純粋に楽しんでるんだなぁと思う。じゃなかったらあんなに長く笑って話せないでしょう。
 とおもうと、私は何かを想いきっり楽しんだという経験が、実はないのではないかとも思う。だから、これからのこととかの不確定な話をしたがるのかもしれない。
 といっても、私が話したところでそんな身のある話をしているわけでもないのだが。でも、まぁせっかっくたまにあったのだから、昔話ばかりじゃつまらないじゃない?
 けれど、そんな先の話ばかりしてても疲れてくるわ、というのもあるわけで。こうしたいねぇ、とかいう事になると反発も出てきたりするし、酔えば言葉がきつくなったりもする。私が同世代よりも上の方々と話をするのがすきなのは、その辺をスマートに話す人が多いからかもしれない。総じて、人生うまくいっている方々ばかりだけれど。

 そういえば、飲んだお酒を吐かないと気持ち悪くて眠れないことがある。ま、朝方まで飲んだ場合だけれど。もうあんな飲み方は出来ないんだな。うまい酒をしみじみ飲むくらいが丁度いい。


賑やかな酒宴に染まぬ我の身を溶かせと手酌 消えてと手酌

「閑話さ」と笑った我よ その言葉放った先に鏡はないか?

悪酔いを重ねた彼が涙酒 5年の月日何をみせたか Home&Photo


2002年01月01日(火) 冬の心象

 年末年始ということですが、私のカレンダー上では全然区切りになっていないので、敢えて特別な事はなし。

 蛍雪というと受験雑誌などの表題になっていたりするけれど、意味としては中国の故事に倣ったものだって初めて知った。雪明りを頼りに窓際で勉強するということらしい。
 雪というのは確かに光を封じているかのように仄かに光っているようにみえる。あの白は、あらゆるわずかな光も反射するからそう見えるのだろう。白い雪はたっぷりと空気を含んでいる。だから、雪1cmは雨1mmに換算されるわけだ。含まれた空気は断熱材となって大地が深く凍てつくのを防ぐ。豪雪地帯は雪解けとともに耕せるのはこのためで、道東などでは凍土が溶けるまでにかなりの時間を要する。
 けれど、白は光を反射するからなかなか溶けないわけだ。で、石炭の粉とか土とかを撒いて早く溶けろと頑張るのが、早春の北海道の風景だ。

 まだ、厳冬の北海道は大地的にはあったかぁい衣をまとっているわけで、冬ごもりに徹するのが冬の正しい過ごし方ともいえなくもない。その衣も鏡のようにたわみ一つない事もあれば、波紋が美しい事もある。その光景を写真に収めたいと思いつつ、貧乏にまかせて何もしないでいる。だから、目蓋に思い描くだけ。

 蛍雪を湛えた雪の原は仄かに光っていて影もない。柵はどこまでもつづいているが、何故か地平線を見るかのように丸く弧を描いている。一本の幹がスクッと天を指しているが、大地に近づくほどおぼろげで、むしろ天のほうがかっきりとしている。星は瞬きを止めて一次元の”点”となる。時空が増えるほどおぼろげになるかのように、宙は漆黒のグラデーションを描いて大地の白に溶ける。この光景を越えるものを人はもてないのではと、慄然とさえするものがある。
 一方で、晴れ上がった雪原はかっきりとしていて、開けっぴろげでもある。影は雪の白に映えてむしろどんな柵よりも存在感があったりする。

 まぼろしか、はたまた思い込みか。それは全て私の中にあって、大切なものでもある。囚われているものといった方がいいのかもしれない。


 宵月を封じ仄照る雪の原 佇む弧木 朧の如く

 雪原の柵は埋もれど影伸びて天馬を囲む牧柵となる Home&Photo


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