私季彩々
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2001年12月30日(日) 殻包む雪肌こそが愛しけれ 孵す温みを今も欲せず 

 札幌は突如大荒れで湿った雪が吹き付けています。風速30mとかもあったようで。そんな中灯油が切れてしまったのでポリタンク抱えて近所のスタンドに行ったらしまっていました。その次もしまっていて30分ほど歩き回る羽目に。街を歩いている人もほとんどなく、年末の街はひっそりとしていましたが、風がうねって悲壮感が私を取り巻いておりました。

 照る日もあれば曇る非晴れた日、雪嵐。札幌という街はなかなか季節感がはっきりしている。最近夏がらしくない気もするけれど、暑いときはグンと上がるしね。春はまだ寒いのに無理して川辺で寝転んでいた。同じ気温くらいの秋は室内でお茶を飲んでいたけれど。冬はストーブのない部屋で凍えていたけれど、火の暖かさに気付かされました。

 紆余曲折を続くつつ、ようやく決りかけた事はといえば、私はこの街で暮らしていきましょう、ということくらい。数年前にそう決めて、放り投げて、やっぱりそこに舞い戻った。
 その間に、手詰まり多数。勝手にはじめて勝手にやめて。ただ今回は止めるのにも手続きが要るのでなかなかやめられない。本当に皆さんごめんなさい。我ながらもったいなくも勝手だと思っております。
 そんななか、始めた仕事を何とか生活の糧に出来ないかと考えつつ、確証もなく年を越えてしまいます。どうなるでしょう。専門学校講師の仕事はうまくいけば続けられそうです。お金も大きいが内容も好きだから。

 思えば、みんなプロとして独立しているのだなぁと感心しつつ。自分の確証というか、自信のなさを露見してしまった時の諸さを痛感している次第。いままで順風でやってきただけに、この2年はつらかったし、まだつらい。温かい言葉も痛くて耳を塞いでいる。哀れみと区別がつかないからだ。空にひきこもっているといわれても仕方がない。

 のばしのばしにして、期限もどんどん延ばしてついに年を越してしまいました。私の年越しは今年度末という事にします。
 そういえば、今年で父が定年だ。本当にごめんなさい。親不孝勘弁です。 Home&Photo


2001年12月29日(土) ワークシェアリングの前に・・・ 

 今日でメインバイト終了。昼真っからビールを飲みつつ仕事をするというのは結構なものです。公務員時代じゃ考えもつかなかった。

 しきりと今、ワークシェアリングの話が出る。雇用を創出する事が以下に困難かということに政府もようやく前向きに取り組むようになったということだろうか。私は以前から、雇用関係の慣行を見直さなければならないと考えてきた。それを言うはずの労働組合はすでに既得権の塊に過ぎない事は、自治労汚職を見ても明らかだ。

 まず、パートと正社員の賃金格差をなくするべきだ。パートだから安いというのはおかしい。仕事の責任で格差をつけるのはわかるが、ただ一日いるからというのはおかしい。正社員=フルタイムなんてのは時代錯誤だ。明らかに既得権を手放すのは正社員側である。

 ハローワークへいけばわかるが、今中高年が再就職しようと思っても年収400万は絶対無理だろう。一般求職者の現状だ。賃金上昇のカーブが全くこれまでと異なっている。お金が必要な世代に対しては、税制の免除は当然だ。そこには保険料も含まれる。非自発的失業者に住民税を払えというのは酷だ。だったら主婦から取ればいい。何故、学生から国民年金を取って、主婦は免除なのか私には全くわからない。
 自分が生きていく分には普通に税を払うべきだが、扶養すべき人たちは社会で扶助するという考え方をすべきであって、子供や障害者を優遇すべきであって子供のいない主婦まで面倒を見る必要はない。母子家庭のお母さんの方がずっと負担しているのは変だ。

 ワークシェアリングはそこからの話で、パートタイマー冷遇の日本では絶対に定着しない。正社員との格差が広がるだけで、既得権が寄り明確になる。今のまま勧めようとしても、一人当たりの単価は上昇する。労働時間を半分にして雇用を倍にしても給料が半分になるわけではないし、それは受け入れられない。まずもって、一人でしていた仕事を二人でやるというのは非効率なのだから。勤労意欲も著しく減退する事間違いない。

 構造改革の痛みはまず、労働環境が激変している事を認めなくては始まらない。それはまず、正社員という保護された既得権者が権利を引き下げなければ何も始まらない。分け合える富が分断されている。すでに一家の大黒柱の雇用が正社員の枠では入りきらなくなっている。

 もうひとつは、貯蓄に対して税金をかけることだと思う。今でも20%かかっているが、ここに累進課税を適用すべきだ。バブルがはじけたという事はだれかがその旨みを存分に吸ったということで、そのお金はしっかりと眠っている。そこから税収を得るのに何のはばかりがあるだろう?

 ろ、少々暴論を。とにかく、パートタイム労働を適正に評価すべきというのが私の持論。労働組合はそこを抑えないと、存在理由すらなくなりますぜ。 Home&Photo


2001年12月28日(金) 殻包む・・・ 

殻包む雪肌こそが愛しけれ 孵す温みを今も欲せず Home&Photo


2001年12月27日(木) 身勝手に整理がつかない 

 家の事を考えるとあれこれと思い悩んでしまう。買い急ぐ理由もないし、何よりお金もなければ仕事もない、家族がいるわけでもない私が家など何の必要もないのだ。
 けれど、もし一人で生きていくとすれば、どんななんかいなと、年末の押し迫った昨今ちょと想いふけってみる。今年はいろいろ思うように行かず、嘘と先延ばしを限界を超えて先送りをしているだけに、ただの逃避ではあるのだが。
 逃避となると、全てを免罪して自分の都合の良いように考える。あれもやってみたいかな、これもいいかも。

 温泉宿や民宿。いいねぇ、何度温泉に通った事か。
 牧場。面接もいったやないか。
 ダチョウ牧場。田舎暮らしも素敵。
 工場の製品管理。 お声はいろいろかけてもらったが。。。
 田舎へ帰る。 親孝行もいいかなと。
 大阪へ超高給の就職。 もう一歩だったけれど、やっぱり蹴っちゃった。

 こう考えると、私はかなり保守的で田舎志向であることがわかる。でありながら、札幌は好き。北海道の郊外環境に憧れを持っていることも解る。でありながら、仕事は一旦は公務員につきながら辞めてしまった。職種としてもなにをしたいのかわからないでいるのだが、ようやく落としどころが見つかりそう。これも少々難があるのだけれど。

 こう考えると、始めるより辞めるほうが物事というのは難しいなと思う。一度やりたいといって始めた事を自分の勝手だけで止めてしまうのは本当に情けないわけで。でも、どうなのだろう。世の皆様はそんなしがらみに包まれているわけではないのだろうか。あたしの勝手な想い過ごしかも。

 といいつつ、今年は先送りの年。みなさまごめんなさい。勝手に皆様を振り回してしまったこと、悲しく思っています。何より忘年会になってませんよね。解決しなかったもの。

 うん、家のことなんて考えてる場合じゃない。けれど・・・、人は弱い時ほど勝手なもので。 Home&Photo


2001年12月25日(火) 夢の一軒家 

 師匠であり友人で同僚である人が札幌郊外に住んでいらっしゃる。
 一方的に森の師匠とよばさせてもらっているのだが、その知識の深さは素晴らしい。私も博識な方らしいのだけれど、専門が偏っているのと実地がないのが身にしみて判っているのでこういう風になれたらと思ってしまう。
 この先生はすでに定年を迎えているのだが、毎日数キロ歩いているだけあって元気。そしてかなり若い頃に家を購入している。札幌郊外の保養林の近くで森をベースに生きる指針を立てていらっしゃったというわけだ。

 私も世間的にはいい年で、同期ではすでに子供もいれば家を持っている人も結構になる。いまだに学生で借金抱えているのは私くらいだ。そんななか森の近くにおいでとしきりに誘ってくれる。身近にあれば関わりも深くなれるし、たぬきや野鳥をボランティアで扱う獣医はやりがいがあると言ってくれるのだ。
 確かにそんなのは良いなと思う。人脈がなくてどうすればいいかわかんなかったのだけれど、いいきっかけだよなぁ。師匠もいい年だから早い方が・・・。

 と、思ったら、森の入り口付近に感じのいい家が売りに出てたなぁ。値段は・・・・、3000万円・・・。
 公務員時代の1年で200万貯めた私の緊縮財政をもってしても15年かかるなぁ。奨学金の借金を500万抱えて、今度働くつもりの会社の給料は安いし・・・。世の中こんなに持ち家皆持ってるけれど、やっぱ裕福な人たちなんだよなぁ。だって、職安いったら、月30万なんて会社どこにもないんですよぉ。

 でも、なんかいいな。森のそばの一軒家。がんばってみよっかな。とりあえず、大きな目標ないし。40くらいまでなら・・・・。うう、遠い・・・。 Home&Photo


2001年12月24日(月) 無防備な重さ湛える膝上の君に知られたくない吾の震え

 コートのポケットには見知らぬ女性の字でカードが入っていた。先日行ったキャバクラの女の子のもの。さすがは商売熱心。うれしいけれど、顔も覚えていません。自腹でこういう店行く事は絶対無いだろなぁ。

 膝上の猫が、のどのあたりを腕の丸みに載せている。このジャストフィット感と重みは素敵です。無防備の重さというか、信頼の重さというか、堅さのひとかけらの無い重みというか。こういう事ができるのは猫くらいかなとも思ったりします。
 例えば恋人の肩に頭を預けてみたりするときもそういうものでしょうか。膝枕なんかもそうですよね。重さと温かさがこんなにも嬉しいものなんだな、と手のひらをそっと置いてみたくなります。

 腕枕とかもいいけれど、実はそんなに居心地は良いらしくない。あたしゃ痩せているから尚更ですが。ま、枕の方がいいわいね。
 そうなると、肩を貸すのも結構疲れてくる。膝の上に30分もいられたら、いくら素敵な彼女だってそろそろどいてくれん? と思ってしまう。
 ”朝までこうやって抱いていたいな”てのは確かにそう思うのだけれど、しまいにゃ疲れてくるし、かといって疲れたともいえないし(言ってもいいけれど)。
 私はこの時が一番苦手でして。果たして女の子は、本気でずっと本当に抱いていてほしいのでしょうかね? 眠ってくれればいいのだけど、体勢が変だと眠れないしょう?

 じっと肩寄せあったまま朝を迎えるなんて素敵。けれどそこで疲れちゃうのが私の情けないところ。そんなときに無理して抱きしめても、傷つけるだけだったりするから難しいなぁ。無防備な重さが緊張の張りに変わるとき、自分の包容力の足りなさに情けない思いにさらされてしまいます。
 ちょと昔話。人との間の取り方がわからない、某男の嘆きです。

 今日の映画”パリ・テキサス”★★★★☆
 ヴェンダーズでありながらまだ観てなかったの。素敵なロードムービーです。
 初めは気が触れた男の話かと思ったけれど、傷ついただけの事ですな。愛しすぎることと傷つけあう事に耐えられなかった男女の悲劇でしょうか。なんか、今の私にはしんみり来ました。
 失踪した父のいう”4年ってながいの?”という言葉。何かを克服する時に流れる時間が長いのか短いのか。それに振り回される周囲にとっては長くても、本人にとってはそうでもなかったりする。それを判ってほしいというのは、無理な事なのでしょうか。ただの甘えなのでしょうか。このことも、今の私には大きい事だったりします。 Home&Photo


2001年12月23日(日) キャバクラ? 

 メインのバイト先の忘年会があった。ま、至極普通に。3次会はまぁ、キャバクラとでも言うのか若い女の子が何人かつくお店。20くらいの子ばかり。
 まぁなんというか、こういうところは女性と飲むのが楽しいわけだろうけれど、特に知り合いでもない女性と話すのは得意でない。
 仕事でやっているのだから、彼女等もなんらかの技術というようなものがあってしかるべきだと思うのだが、私が期待するのは”話術”かな、とも思う。
 お店で見ず知らずの人と意気投合するのは結構好きだ。マスターやママさんとおしゃべりするのも好きだから、それで数時間なんてことも良くある。けれど、ここの女の子、身の上話や職場の事ばかりで接客に全然鳴っていない気がしたのさ。どうして客が女の子に気を使わなくてはならないのだろう?

 などといいつつ、かわいいこと飲めるのはうれしくはあるのだけれどさ。けれど、なじみのお店でおかみさんと話しているほうが楽しいなと思っちゃった。
 こんなことだからいつまでたってもぱっとしないのでしょうか。

 今日みたビデオは”がんばっていきまっしょい”。ちょと長い感じもしたけれど、心理描写もストレートで淡々としてて、とってもいい。田中れなも等身大を地でいってて芯の強さがでてましたねぇ。
 ”ひまわり”といい、日本映画の良さが滲み出ていて。巷で流れる感情剥き出しの恋歌とは違う淡い想いが私の心を打ちます。いやぁ、映画って本当に素敵。 Home&Photo


2001年12月16日(日) ひまわり

 ADSLの不調によりしばらくネットに繋げませんでした。

 で、相変わらずビデオをチョコチョコ見ているわけですが、おまけで借りた”ひまわり”、傑作でした。
 小学校の頃出会った女性が10年たって突然事故で死ぬ。その葬式で出会った人々の現在と過去が”あの日”を軸に交錯するのですが、とにかく切なくて温かい。本人も気がつかない初恋の記憶と後悔が、穏やかな海辺でしとやかに晴れていくシーンは映像日も言う事無しです。
 是非多くの人に観ていただきたい青春映画。素晴らしいです。
http://www.movie.co.jp/himawari/button.html Home&Photo


2001年12月15日(土) 四月物語

 懲りずに今日もビデオ屋に行ってみた。昨日はちゃんと見てなかったのだけれど、観たいと思っていた”初恋の来た道”と”ダンサー・イン・ザ・ダーク”は借りられていた。でも、1本50円ということで、いろいろ悩んだ挙句、邦画を3本とアニメ一本。”パリ・テキサス”とかニューシネマパラダイスとか、長年みたいと思っていたものも多かったのだけれど、最近字幕を見続けられる気がしなくて。

 で、本日は”四月物語”を。
 いやぁ、いかったぁ。なんてとない話だけれどあったかくってさぁ。何か一つ、大切なものがあるって素敵です。それだけで優しくなれるって言うか。私も入学当初は誰も知り合いいなくって、友達作るのもなかなかうまくいかなくって、本屋をプラプラしたり人気のない研究室前の廊下をさまよったことあった。好きな人でもいたら素敵だったのに。
 とにかく映像が淡くて。小津さんの映画から続いて、やっぱり邦画は映像美を。
 今度カレーを作ったらお隣りの人を招待してみたいわ。いや、されてみたいわね。

 独り暮らしのなんにもない部屋に入ったとき、お尻からへたり込んでパタッと横に倒れこむ。私もやりました。そんな18の桜舞う春がどんな人にもあったのに、何をしてるのでしょう私は。
 KEYWARDは”素敵”。そういえば私のくちぐせだったのよね。ほんと、爽やかな映画で。どんな小さな出会いでも、それが望む形であったなら、卯月が言ったように”愛の奇跡”ですね。


 ちょっと骨の曲がった傘を貸しちゃった私に君の微笑みが降る   Home&Photo


2001年12月14日(金) レンタルビデオ

 18Lの灯油がなくなった。2週間で無くなった。消費が早いか遅いかわかんないけれど。
 近所のYESという北海道大手の電器店が潰れて、その跡地に大きなレンタルビデオ屋ができた。今日は開店日らしく、一週間47円という破格の値段で貸し出していた。

 私が大学に入った時に、映画をしっかり観ようと高いビデオを買ったが、それがあっという間に壊れてそれっきりになった。それ以来意地になってビデオを買わなかったので、レンタルという習慣が無くなった。
 今時分の恋人達というのは、互いの家でビデオやゲームをするというのも定番らしいけれど、わたしはどっちも無かった。今思うと、いったい何をしていたのかとも思うけれど、長続きしなかったのはもしかしてビデオが無かったかもしれない。

 で、ダイエー優勝の折に買ったビデオもあるし、ということで久々にレンタルビデオ。借りたのは”踊る大走査線”と”四月物語”。いやぁ、踊る大捜査線はいっすねぇ。最高っす。四月物語はみたかったんよね。岩井俊二はラブレターも良かったし、何より私は松たかこのファン。
 中高大と生粋の映画好きで邦画など見向きもしなかったのだけれど、やっぱ言葉がわかるって素敵。それに面白いよ、邦画。大学の頃から見に行ったのは、アジア映画やイラン映画ばっかりだ。アメリカなんて一本も見てないと違うかな?
 うーーん、昔の映画の虫が騒ぎ出してきた。”青いパパイヤの香り”いかったなぁ。小津安二郎も改めてみたいし。ウッディアレンもみたい。”みつばちのささやき”なんて今なら理解できるかも。

 そう考えると、入学当初買ったビデオは本当にはずれだった。あれがあれば、もっと映画を観れたのに。

 それにしても、大走査線、いかったぁ。エンターテーメント万歳。 Home&Photo


2001年12月13日(木) 原野の馬

 大好きな渡辺貞夫のCDを聴きながら今夜もちょこっと飲んでみたりしています。
 お供の猫は今は人なつっこすぎて、静かな夜を過ごすには良いパートナーではありません。この猫、私の眼鏡をかじるのが大好きで、寝ている間に耳に当たるゴムの部分をがじがじと噛んでしまいます。おかげでボロボロ。床屋に行った時に眼鏡を預けるのがとても恥かしいと、今から心配してしまいます。

 お酒はわりと好きなほうだけれど味は全然わかりません。何でも飲むし高いも安いもごっちゃです。それでも通ぶりたいので、純米酒じゃなきゃいかんとか、辛口でないといかんとか薄っぺらいうんちくはたくさん持っています。
 そういうことで、日本酒が好きです。酒は辛口と思っていたら、旭川で飲んだ-50度の超甘口がフルーティーでとってもおいしくて、甘いのもうまい事が判明。そういえば、友人に勧められた甘いお酒”サングリア”もおいしいものはうまかった。
 日本酒は醸造酒ということで、仲間としてはワインに近い。ワインの原料はブドウで日本酒はお米。ワインであればもともとのブドウにオリゴ糖が多い分醗酵は容易なのだが米は長い炭水化物の塊なのでそう簡単には行かない。世界的にみても日本酒は複雑な工程を経てできる奇跡のお酒なのだそうだ。

 雪見酒に月見酒。熱燗にしたコップ酒を片手にキンと冷えた闇の中を歩いてみたい気分。
 去年、富良野の旅人宿に一泊した事があった。背丈以上に積もった雪と揺らぎのない星空が印象的で涙が出そうになった。それから有名な塔の在る小学校や、美馬牛の丘の上をテクテクと歩いた。夜だというのに晴れ上がった星空はうっすらと地表を映し出して点在する家の明かりがかえって静けさを引き立てた。

 詳しい事は忘れてしまったが、一度出会いたい光景がある。雪原に佇む馬の姿だ。彼の睫毛には数珠のように雫達が連なっていりそうだ。吸い込まれそうな馬の瞳は重たげで、雪原の中動じない。開墾の頃を血を流して共に生きた時代。そんな先祖達を今に弔うように、馬達の瞳はあまりに深い。
 きっと、今を何となく過ごす私には痛すぎることでしょう。


 開墾の頃を生きたる古老あり 今日も伴馬を雪原に引く

 老駒の睫毛に雫凍りたり 瞳は映す 斧打つ祖父を Home&Photo


2001年12月12日(水) 優しさと対峙する

 大好きな渡辺貞夫のCDを聴きながらほろ酔いです。
 そういえば最近ナベサダが頻繁にTVにでていた。音楽生活50年だかだそうで。一度コンサートをと思いつつまだ行った事がない。札幌にも来るのだけれど。一人で行くのもなんだし、貧乏も重なって。しくしく。
 かっこいい大人というのは若さにもまして若々しいもので。

 最近出会った人にこんな人がいた。主婦なんだけれど病で歩くことが困難で余命も数年とのことだ。そんな中、同じ病侵された人を愛してしまったとのこと。家族とはどことなく疎遠なまま過ごしてきてしまった事。キリスト教の信者でありながら神の道に背いているとのこと。
 家族と、愛する人と、信仰をもっている、それだけで十分幸せだと思える人が、そのベクトルが少々入れ替わっただけで全てが覆い被さる重圧に変わるわけで、幸せの形というのはまさに多面体だなと思ってしまう。

 優しさというのは力強い半面容易な自己満足にもなる。受け入れられなかったり気付かれなかった優しさは、急に押し付けがましくなって憎しみに転化する。愛憎というよりも優憎と言った方が、私には直感的だ。
 優しさを盾に相手の気持ちに合わせて嘘をつく。一時の誓いに縛られて今の自分に嘘をつく。決心のもろさにたじろいて失う自信に寛容さも失っていく。全ての後ろ盾であった信仰さえも自分を押し潰す。

 傷つくのは優しい故。私には良くわからないけれど、傷つけることも傷つく事も愛ならば多くの人にその愛を分け合う事も出来ないでしょう。だから世にはこれだけ多くの人がいて、人類愛を誓う人々にも我が半身といって特定の伴侶がいて家族愛を殊更に強調するのでしょう。
 だとすれば優しさの反射に関しては鈍感な方がいい。鏡に映った自分の姿や発した優しさの反応を期待するのはやめましょう。八方美人、結構じゃないですか。孤独であるという事を自覚できるならば。

 究極の解決法は”我全て独りなり”かと。神の前に対峙するにしろ、雪山に佇むにしろ。例え愛する人に寄り添っていたとしても。


 まぶた閉じ仰ぐ唇 降る雪を涙にかえて”さよなら”告げた Home&Photo


2001年12月11日(火) 遅刻の理由

 札幌にあるメジャーなパン屋”HOKUO”が最近半額セールをやっている。というか、いつもやっている。以前に比べて元値も上がっているような気もする。
 似たような話で、焼肉屋で年中いつでも50%OFFという店もあった。どこからかクレームがついたようで、しばらくはその看板も下ろしていたがまた始めたようだ。これだけ販売価格というものが希薄となるのも現代的なのでしょうか。
 同じような話が”大草原の小さな家”でもあったなと。オルソンの店で半額セールをやりつつ元値を二倍に上げてしまうというもの。なつかしや。

 そういいつつ、こういう安売りには目のない私はついつい立ち寄ってしまう。コンビニパンよりは数段うまいのは確かだから悪い話ではないし。あげパンが好みなのだけれど、最近は生地の堅いフランスパン系。チョコレートドーナツなんかを買ってしまう私も随分ナンパになってしまったものだ。ちなみに吉野家250円には2回行っている。

 今日は2日続きの大雪で、そこらじゅうでトラックが雪にはまってスタックしていた。こうなると後ろの車は身動きが取れずに大渋滞。みんな降りてトラックを押している。こんな日は遅刻も大目に見てくれるわけで、いらいらした感じというよりは、まぁ仕方ないさね、くらいの感じがでてて私は結構好き。許される理由があれば遅刻も爽快にできるというものです。
 一日で6割の雪が降ってしまうという記録的な雪だったのです。こんな日は役所に除雪の苦情が殺到するもので、担当の受付嬢は泣きを見ることも多いのでして、そんなに役所をいじめるものではありません。ちゃんとやってます。
 天気のすることまで無理やり責任をとらせる輩を探しても仕方ないのです。追求しても仕方のないことは雪と一緒に放ってしまいましょう。

 で、やっと着いた講義は大雪にもかかわらず出席率が高かった。でも、最後の講義は帰宅者多数。自分の授業だけ帰られてしまうというのはやはり悲しいものです。私だったらはなから来ないだろうから何にもいえないのですがね。


 雪罠に落ちたトラック押す背広次々増えて笑顔で遅刻 Home&Photo


2001年12月10日(月) 大雪の街で

 札幌は記録的な大雪となったようだ。朝カーテンを開けるとベランダは雪まみれ。広いのだけが自慢なベランダは雪を捨てる場などどこにもないだけに、どうしたものかと途方にくれる。開花に落とすわけにもいかないし。引っ越してきた当初はビニールハウスでも作ろうかと夢見たものの、世界でも屈指の豪雪都市である札幌では叶わぬ夢となり、生ごみの冷凍保管所となることはほぼ決定事項となった。

 そういいつつも、こんもりと積もる真っ白な雪は清純さを湛えて自分まで清廉されたかのような気分になる。北の町はロマンティックねぇ、などといってしまう異邦人の旅情は私の中にもあるわけでそれはそれで大切だと思うけど、一歩外に出れば吹っ飛ぶ白婆の手妻に脚から洗礼を受けることになる。
 すでに30cmは有に積もった道には健気にも一筋の踏み跡が残っている。それを私を含めた勤労者諸君が踏み固め踏み固め、道は広がりを見せていくわけだ。1mに達するかもという大雪に遭ってもこの営みは人に軍配が上がる。

 窓からみる景色は雪にかすむ。そういえば私のみる景色というのは、ほとんどが窓越しのものばかりのような気がする。室内から覗く雨や雪。屋根を叩く雨音。車窓も含めれば、その多くが窓というフレーム越しに眺めたものが多い。物思いにふけるとき、ぼんやりと外の光景に思いを馳せてみる時、私は必ずしもその対象と一緒にはいない。安全地帯でぼんやりとしている、といいつつぼんやりなどという状態は実は知らないようにも思える。
 山や海で音っ転がった時、風や草いきれに身を任せた時に感じることはまた別にも思える。一体感と孤独感が交錯しつつそこに壁はない。どちらがいいとはいわないけれど、窓越しの生活に慣れすぎた感はないだろうか。

 雪は降り積もる。くたびれたコートについていたフードをかぶってみた。始めて実用的に使ってみたが、耳がやや隠れて音がこもる。時々視野に入るフードが新しいフレームとなって雪景色を客観視させる。寒さは歩いていればほとんど感じない。汚れのない白一色の世界は違和感すらなく、ただ青信号だけを眺めて足を進めるだけだ。
 それは私が窓越しに眺めているだけだという事だろう。お腹が減ったとも、道を譲ってくれたとも、雪かきが大変ねとも、一瞬頭を文字が通過しただけで空中浮遊のように通り過ぎただけ。まるで私がこの雪を降らせているかのように淡淡と。氷の張った創生川には、嘴を納めて丸まった鴨が緑の頭を光らせて動きもしない。
 そんな中、唯一貫いた感覚は足が濡れている事。去年はいていたぼろ靴は、防水力をほとんど失ってクリーム色が濡れて沈んでいる。足が冷たい。
 その瞬間、世界が動いたよう。トラックが交差点で立ち往生している。いらいらしたように大きく迂回する車たち。スコップを片手に手助けする人。コンビニから様子を眺める人。

 雪は降り続く。この雪は私が降ったように思えた。ただそこに在る。窓越し彼等を眺めても曇った窓越しで、しかも夜だからよくわからないけれど確かにそこにある。それが今の私でもあるのだが。


 清すぎる雪に還りし吾に残る温かさあり 靴下濡れて

 「雪原を駆け回りたい」 窓越しに思う 決して開けないけれど

 嘴を納めて緑 川石になりて動かぬ 結氷の鴨  Home&Photo


2001年12月06日(木) 氷雪の足跡

 夏のスニーカーであるくには滑るのも当然だけれど、何よりかっこ悪い。そろそろ買わなきゃと思いつつ貧乏な私は先延ばしにしていたのだが、下駄箱の中から去年の一品を発見。かなりくたびれてはいるけれど底はまだまだいける。ことしもこれでもたせてしまおう。
 そういえば良く行くスーパーに靴の修理屋がある。革靴やブーツなんかは底を変えたりして長く付き合えたりするのだろう。私もイギリス紳士のようにいいものを手をいれて長く使いたいと思いつつ、初めのハードルすら越えられないでいる。安物買いでそれすらも使い潰している。ま、いいか。

 今日当たりからは真冬日ということで、路面はしっかりツルツルだ。溶ける様子もないから予期せず滑る事もない。しっかり凍ってくれた方が大丈夫なのだ。

 車道はタイヤがツルツルに磨き上げてテカテカ。歓声を上げているのは明らかに観光客。すすきのは酔っ払ってすっ転んでいるおじさんが多数。
 歩道はいくぶんでこぼこが残ったまま凍っている。ロードヒーティングはまばら。でこぼこは、まだざく氷だった頃の靴跡だろう。ヒールの後も少々残っている。靴跡に溜まった雪がまた踏み固められて色合いの違った氷になる。幾層にも重なった足跡が繁華街から魚河岸前、学校の通学路と延々と連なっている。
 様々な生活を織り成す人の足跡は交錯して連続している。冬はその足取りも閉じ込めて、ゆっくりとその層を載せてしまう。
 毎日通る道には私の足跡も消えずに残っているのだろう。頬を真っ赤に染めた女の子も、この寒空の下ギターを掻き鳴らしていた男の子も足をこの氷の上にのせていたはずだ。厳寒の中、道を磨いて、雪降る中、足型をとられて。

 春になっても道の氷は踏み固められた真中を残して端から溶けていく。積み重なった足跡はそう簡単にはとけない。氷のコントラストは道を歩いた重さの証ということになるのでしょうか。


幾重にも足跡封ず凍り路は裸足で生きる人在るを知る

教会へ辿る雪道跡絶えず 罪あるを知る人在るを知る

雪跡に靴重ね行く吾の横を駆ける少女のマフラーの赤 Home&Photo


2001年12月03日(月) ストーブ賛歌

 真冬日すれすれになることも多くなってきた。室温も10℃くらいとなると、さすがに寒い。
 北海道の部屋は断熱がしっかりしていて、ストーブをガンガン焚くので、むしろ暑いのが一般的だ。下着姿でビールを一杯なんてのがごく普通だから、コタツで丸くなる本州に比べたらずっと過ごしやすいくらいだ。トイレに行くとその温度差に驚いてしまうが、今ではウォシュレットのヒーターまでついていたりするから、贅沢も進みすぎかと思ったりもする。
 で、今の私は部屋にストーブすらない。ガスは契約していないため、備え付けのガスストーブは動かない。コタツはつけたところでたいして役に立たない。
 賃貸住宅にはガスストーブが主だ。最近では灯油ストーブも増えてきたが、まだガスが主力。これは、機構が簡単なのと、部屋が汚れないのが理由らしいのだが、燃料費が灯油の数倍はかかるという代物。貸主の都合だけを考えたもので借主にはとてもつかえたものではない。
 で、室外と同じコートを羽織って猫を暖房に暮らしてきたのだが、さすがに寒い。小さい頃から部屋で靴下なぞ履く習慣がないから、足が冷たくて仕方がない。キーボードを打つのも厳しくなり、さっさと布団に入ってしまう老いた生活をおくってしまった。
 さすがにこれではいかんとコタツを出した。暖かい。けれど背中の寒さがより現実的になった。
 じゃあ、ストーブを買えばいいという事になるのだが、それには少しこだわりがあった。ポータブルとなると一般にはファンストーブ。確かに部屋は早く暖かくなるし、タイマーとかついてて北国には便利で実用的なのだ。
 けれど私は古典的な石油ストーブが欲しかった。やかんをのっけられるものが欲しかった。するめやたらこを焼けるものが欲しかった。ネットオークションでアラジンやらちょと雰囲気のよいものを探しながら、寒い夜を越えてきたのだった。
 が、コタツを出したのがいけなかった。我慢の一端が解けた途端に寒さが身にしみる。ストーブが欲しい!!
 で、閉店間際のホームセンターに飛び込んで一番安い石油ストーブを購入。6980円なり。本当に貧乏。しかも、その場で買った電池380円は隣りのダイエーで88円で売ってたのがさらにショック。
 買ったストーブはこの部屋全体を暖めるには少々非力なのだが、されでもとっても快適だ。ストーブをかけていれば常にお湯が沸いている。それだけでも幸せになれる。ほのかな明かりも悪くない。

 揃えたものは全て最低価格帯のものばかりだけれど、結構みんな頑張っていて新たにそろえなくてはならないものはない。おかげで部屋にはセンスというものが全くなくて寂しい限り。いまだに学生時代と同じ貧乏生活を続けていて、それしか出来なくなってしまっている。
 それではいけないなと思いつつ、さてどうしたものか。

 ストーブの鱈子プチリと爆ず音を聴く吾と猫の耳もピクリと

 ストーブで爆ぜし鱈子を椀に添え 白湯を注ぎて寂夜を食す

 ストーブに醤油焦がせば 残り飯むすぶ母ある故郷に至る Home&Photo


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