私季彩々
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2001年06月27日(水) 白いもう一つの部屋で 

 夕立が急に蒸し暑い空気を連れてきた。夏の夕立というと積乱雲もくもくを想像するけれど、曇り空から一瞬だけの雨だった。

 明日お引越しなのだけど、たまにその部屋にいっていた。別荘みたいでなかなか素敵。電話もないし誰も知らない部屋だからくつろげる空間だ。
 贅沢かもしれないけれどこういう空間はなかなかいい。家庭を持っていると誰もいない時間や空間が欲しいなどと思うのはごく自然なのではと思ってしまう。

 むかぁしNHKで”男たちの運動会”というドラマがあった。役所浩司、イッセ−緒方やかとうかずこがでていた。仲のいい男亭主が4人集まって女房に内緒でマンションの一室を借りるという話だ。本を読んだり伸び伸びしていく中で、なんとなく知り合った女性といい感じになってしまったり。2つの顔というものは1つの部屋にいては生じないのかもしれない。例えば部屋にばかりいる主婦だとその顔以外はもてないだろう。

 誰も知らない空間に一人いる。それは寂しいことではあるけれど愛しいものでもある。
 これで素敵な愛人でもまっていようものならば、などと俗な事を考えつつ。でもそれは結婚している人間の言うことか。ま、それを差し引いてもなかなか魅力的ではあった。

 そんなのも今日でおわり。明日手伝ってくれる友人用にと半額になった寿司を買ったのだが(明日用意すると高いから)、その中に一つだけ半額になってないものがあった(鉄火巻き)。
 なんてみみっちいのかとおもいつつこの部屋とも今日でお別れ。のほほ。 Home&Photo


2001年06月24日(日) 大きな頭の山椒魚

 とある川の淵に岩穴があってそこに入り込んだ山椒魚。住まううちに体も大きくなって気がつくとでられなくなった。なんとも間抜けなお話だがそんなことはよくあることなのかもしれない。

 専門にしがみつくのは愚かだという。専門馬鹿の例えもあるし小さな事にこだわって大海を見失う。それだけならまだいいが、できる事がそれだけだという事を悟られないようにどんどんと閉じて意固地になってしまう。極めるという事が針の先に登る事と勘違いしてしまうと頭ばかりが大きくなって出るに出られなくなる。

 舞う花粉にも嫌気がさす。ほがらかに舞う子海老たちを羨望のまなざしで見つめてしまう。他の連中にも同じ苦しみを味合わせてやりたいとさらに自分を貶める。

 山椒魚は迷い込んだ蛙を閉じ込める。大きな体で出口を塞いで。冬は鉱物となり夏は生物となり2人は互いを牽制しつつ息を潜める。
 そんななか小さくもらした蛙の嘆息が緊張を解く。山椒魚は出口を開けるが蛙はもう動けない。

 山椒魚が問うと蛙は答える。
 ”今でもべつにお前のことをおこってはいないんだ”

 誰もが怒りを持続させて生きる事はできない。一瞬はそうできたとしてもそれは一時のことだ。

 その岩穴は袋小路。厚い岩壁は自分の作った恐れ。岩穴は安全だが閉じている。そこから出るにはどうすればいいのかわからないが、蛙の言葉に耳を貸す事も必要だろう。
 自分を守るために作った壁の向うにはすでに敵はなく、平和な日常だけが広がっているのでしょうから。

 ※井伏鱒二「山椒魚」より Home&Photo


2001年06月23日(土) ヒメシャクナゲのうた 

 柔らかな五角形から覗くのはやわらかな白い絨毯
 中に入れば薄桃色の柔らかな光が包み込んで
 風の揺らぎは光の波長とゆったりと共鳴するでしょう

 世界が狭いと感じたならば
 自分が小さくなればいい

 アヒルの背中に乗って旅に出れるかも
 思わぬ温もりに気がつくかも

 足早に通り過ぎる靴音は
 柔らかな花びらにくるまってなごやかに楽しみましょう

 なだらかに近づく靴音はだんだんと小さくなって
 この小さな部屋を覗き込んでいくかもしれません

 そんな時はほんのりと香るお水をおだししましょう

 急なお客には準備が必要ですから
 早起きして朝露を少し分けてもらいましょう

 この部屋では薄桃色の香り水をお届けできますよ
 ゆっくりあるいていらしてね  Home&Photo


2001年06月22日(金) 風船の行方

 締め切りに追われつつ書けない放送作家がいる。ドラマの回を進むが脚本はいよいよ差し迫る。ついに作家は主役を殺してしまうがあと2回がつなげない。急場しのぎで幽霊をつくりだして残りをつなぐ。作品は全然納得行くものではないが視聴率はとてもいい。その矛盾に悩む。
 そんな中、ある詐欺師がその作家の名前を語って無銭宿泊を繰り返していると警察から連絡が入る。宿で一日中脚本を書いているという。そしてその放送を見て嘆いているという。
 倉本聡氏の”玩具の時代”。NHKで最近再放送されたから見た人も多いでしょう。特に1回目が秀作だ。あとは少々説教めいたところもある。

 どこかで誰かが自分と同じ事をしている。付け焼刃の仕事をして日々をのらりくらりと過ごす。”こんなのじゃ駄目だ!”と叫びたくても子供ではいられない。そんな中どこかで誰かが自分と同じことをしている。そしてひっそりと私にため息をつく。自分と共有する不可思議な光景がどこかで静かに繰る広げられている。
 自分の歩幅で歩きたいのに歩けない。そんな中どこかで同じ様につまづいている人がいると聞けば親しみを覚えてしまう。それは詐欺師や浮浪者や娼婦。どこか世間と斜めに向かう人々を想定して歯車となっている自分を遠くから蔑んでみたり慰めてみたりする。それは本当に勝手。でもいつか会ったときにだらしない自分のことを何の気負いもなく聞ける存在のような気がしてくる。

 どこかにそんな人がいるかもしれないと当てもなく空へ風船を上げてみたくなる。

 さて、あなたは?
 素敵な詐欺師? 華麗な娼婦? 徹夜開けの漫画家? 桃源郷の仙人?

 どなたにしろ風船を受け取ってしまったならご愁傷様。
 いつか会ったときには私と一緒にベンチに座ってお話しましょうね。 Home&Photo


2001年06月21日(木) 桃色を愛でる 

 札幌から3時間くらいのところにある雨龍沼湿原に行った。久々の山行きとなったが小雨交じりのあいにくの天気だった。

 林道と舗装路が交互に続く道を越えると南暑寒荘の立派な山小屋があった。途中あったきつねは5匹。一匹は恐れ気なく車に近づき咥えた獲物を得意げに見せびらかして去っていった。

 ヒトリシズカが道端に咲き季節は札幌よりも1月以上も遅い。少し登ると残雪が残りニリンソウがまだ咲いている。2月半前と1月前が同居している。雪解け水が残雪を割って流れ滝の音が近づいてくる。花をみて季節がわかるようになってきた。高いところに行くほど季節は狭い時間に同居して勢いを増していく。

 登りが徐々にゆるくなり笹の原が道を空けると湿原が始まる。雪で寝そべってしまった葦が殺風景だがその中に小さな緑が色を添えていた。湿地には木道が伸びていてクレーターのような池が点々とある。晴れていれば空の青を映しこんでもう一つの空を映す事だろう。蓮の花が浮かべば桃源郷の入り口ともなろうが今日は漂う霧の舞がその姿を時の奥へ隠している。水芭蕉は美しい姿を終えて朽ちゆく輪廻を描き、赤いお堂に佇むザゼンソウがそれを見守っている。
 そんななか一輪のシャクナゲに出会った。わずかに口を開けた花は薄桃色の香りをのせて私を包み込んだ。
 写真を撮ろうと木道に寝そべると、冷え冷えとした空気とは異り温もりを蓄えた木の道があった。目の高さには桃源郷への入り口がほっこりとあいていた。

 一瞬の青空。静寂と温もり。

 花の季節にはまだ早かった。そして小さな桃色に遭った。
 私のためだけにその窓を開いてくれた一輪だった。 Home&Photo


2001年06月19日(火) オークションはむつかしい

 YAHOOのオークションに参加した。ガスコンロがほしかった。7000円くらい出せば買えるのだけどなんとなく。
 いざ買うとなると欲張ってしまう。遠赤外線がいいとか水無しグリルがいいとか。で、良さそうなのが合ったので申し込んでみた。ついでに同じ人が掃除機やアイロン、テーブルセットなどを格安で出しているのでそれも申し込んだ。
 で、今日現在本命のコンロはまだ最高値をつけているがテーブルは負けている。頑張ろうかと思いつつ盲点に気がついた。
 送料が17000円もかかるのだ。1000円の買い物で。こりゃあかん。大きすぎて引越し扱いだもの。これで手をひく事にした。高値をつけてくれた方、感謝!
 でも3100円のコンロと300円のアイロンが残っている。コンロはまぁ欲しいけれどこれが駄目になるとアイロンだけが残る。送料は2000円だから・・・。
 まとめ買いのメリットはほとんどなくなってしまった。やっぱりホームセンターで買うのが正解だったかなぁ。
 そう思うと安いものやかさばるものはあまりメリットがない。高級品や小さいものが狙い目ということか。
 ちょと高い買い物になりそう。振り込み手数料と送料はかなり高い。
 あと数時間で終り。だれか高値つけてくれないかなぁ。なんて後悔している深夜2時。にゃは。 Home&Photo


2001年06月17日(日) カーテンのない夕暮れ 

 今月末に引っ越すので鍵を受け取った。で、車に詰める分だけ荷物を積んで新居にいってみた。下見の時はもっと広い気がしたのだけどとても狭く感じた。期待が膨らみすぎていたのかな?

 もっていったのは本、CD、ミニコンポ、掛け布団2枚。とりあえずだからこんなもの。何にもないのでコンポに電源をいれCDをかけた。ずっとつかってなかったから何がかかるかな、と思ったら篠原美也子の”満たされた月”というアルバムがかかった。
 20くらいの頃のCDだ。昔友人が熱く語っていたアルバム。随分久々に聴いた。20くらいの若者をうたったメッセージ性の強い曲が多い。恋あり悩みあり。当時は中嶋みゆきの後を継ぐといわれたものだ。
 畳の部屋にタオルケットをひいて寝転がる。部屋にはカーテンもない。差し込むセピア色の時がだんだんと弱くなるのを音楽を聴きながら感じていた。

 何にもない部屋に響く。
”誰のようでもなく 誰のためでもなく
 誰にも似ていない I'm nobady   ”

 このCDがでた頃から大分時が過ぎた。当時FMの公開放送でみた美也子さんはパワフルだったがその後スランプが続いたらしくなかなか話を聞かなくなった。熱狂的なファンの多かった”誰のようでもなく”はもう唄えないといっていた。そんな中、先日近くのCD店へ行くと視聴に彼女のミニアルバムがあった。もがきつつも必死に自分を探している音と詞だった。

 他の誰かではない自分。
 布団とCDが一枚。セピア色の空気とがらんとした部屋は孤独に立ち向かい疲れた頃を思い起こさせた。

”若すぎる激しさの行き場所がない”
 それは気だるくも愛すべき時代だった。

 夏至近い夕方のグラデーションは8時くらいまでおさまらなかった。
 その部屋を出てから思った事。

" I'm nobady, so I can be for someone... I think so. " Home&Photo


2001年06月16日(土) 偽善と本心

 学生時代の後輩からメールが届いた。最後に彼氏と別れたと付け加えてあった。

 彼女には付き合って数年の男がいた。卒業後彼女は札幌、男は名古屋となったが、男は札幌に帰ってきた。そのままゴールインかと思ったがそううまくはいかなかった。公務員試験に落ちつづけたからだ。
 試験だから落ちるのはしかたない。だったら何か他に仕事を見つけたら、とのアドバイスもむなしく麻雀と効率の上がらない勉強を続けていた。

 仕事がなくたって一緒になればいいものを。といってもそれに代わるものがなかった。そんな状態でよく3年も付き合えたものだ。私だったら情けなくって逃げ出している。

 何を言っても何もしなかった。試験は受けれても面接は受けられない。そんな状態でよく頑張ったけれど2人でいるのも辛そうだった。型を身に付けてから向き合おうとして結局全てを先送りにしていた。

 4月にあった時、彼女に”別れてもいいんでない?”といった。誰もが思いつつ誰も言えなかった一言だった。そういう選択肢もあると。それでも2人は辛そうに寄り添っていた。今度あったら”一緒に暮らしたら”と言おうと思っていた。とにかく変化が必要だと思った。それから2月しかたっていない。

 その事を伝えてくれたのはうれしいことではある。
 けれどその時私が考えた事は自分が昔付き合っていた女性の事だった。

 上に書いたのは今徒然に綴ったもの。そこに私に潜む偽善と本心があるということ。そのことは彼女には話せない。 Home&Photo


2001年06月15日(金) 日本的生業と比べて・・・ 

 久々に床屋さんにいった。さっぱりした。
 床屋さんは気持ちいい。うざったかった前髪も後ろ髪も短くなって手櫛のとおりがよくなった。顔も剃ってもらうのはめちゃ気持ちいい。女性が顔を剃りに理髪店に来るというのもわかりますな。美容室でこんな気持ちいいことをできないなんてなんか変じゃ。でもおじさんの鼻息が荒くて目をつむっているのが嫌だったのだけど。
 もうフランスに帰られたはずだけど、ポール・ボネさんというフランスの方が日本に暮らしながら外国人から見た日本を長く書いていた。当初は随分と好意的だったが最終的には少々厭世的になってしまったようだ。バブルの頃からだろう。その中で日本人のまめさを説明するにはまず床屋に連れて行くことだ、と書いてあった。外国ではあそこまで細かく、数ミリ単位ではさみを入れるなどという習慣はないらしい。
 いわれてみれば随分と凝ったサービスだ。髪を切って顔を剃って頭洗って肩をもんで耳掃除までしたりする。それも座ったままで全てこなす。気の聞いた話の一つも入れてみたり。最期にまたはさみで整える。そう考えると本当に日本的といえるのかもしれない。
 もみ上げをもう少し短くしてほしいと思いつつ、結構ですと首を縦に振って時計を見ると丁度1時間弱。料金は1800円。ということは理容師さんの時給は収入だけで1800円だ。ずっと立ちっぱなしで手を抜かない仕事が1800円。
 私が公務員の頃の時給は1300円だった。ボーナスを考えれば1800円くらいにはなったと思う。それで年収は400万円いかないくらいだった。
 自分の仕事はいったいいくらなのか。
 床屋さんの仕事を思って考えてみるべきだ。なんてったって日本を象徴する仕事なのだから。
 高い? それとも安い? Home&Photo


2001年06月14日(木) 銭湯と定食と貧乏


 実は部屋にあるユニットバスはほとんど使っていない。というと風呂嫌いに思われそうだけどお風呂は好き。といっても温泉が好き。大きな銭湯が好き。だから車が自由に使えるようになってからはドライブがてら風呂めぐりをしている。一人ではつまらないから風呂のない友人を連れて。
 当初はせっかくだからと札幌近郊の温泉がメインだった。石狩番屋の湯か新篠津温泉がメイン。雪の季節だったから雪見風呂が最高だ。頭はパリパリと凍ってしまい、猛吹雪の中風呂の中はまさに天国だったりした。さらに足を伸ばして浜益村までいくと吹雪はさらに強くなりようやくついた風呂の露天は冬季閉鎖となっていた。
 北海道の温泉は数年前からのビームで乱立気味でどこも老舗というよりは銭湯+露天といった面持ちだけどそれはそれで気に入っている。何より足が伸ばせるし空間が広い。風呂とは体を洗うというよりもゆったりするためにある。家の風呂に満足できなくなったのは、体が大きくなって足がつかえるようになってからかもしれないな。
 最近のお気に入りは”湯めらんど”という銭湯。銭湯の値段って最低ラインが決ってるけれどその360円で入れる。客も多く風呂に入ることがちょっとしたおでかけとして定着しているという事だろう。風呂上りにはジュースの一本もといいたいところだけどがまん。アイスクリームの青りんごに惹かれつつこらえていると隣で友人がごくごくと飲み干す様を見て縁をきろうと何度も思う。
 銭湯の目の前には”めしのはんだや”という定食屋があるのだけど、カレーが180円で食べれたりする。こういう店こそ学生街にほしいけど車がないと来られない。
 ゆったりとできるコースを望んでいると、ついついこういうコースを辿ってしまう。安上がりなのはいいけれどたまには素敵なディナーもいいかな、と。
 と思ったのだけど、そう思った相手にはまたふられてしまいました。まだまだ格安コースが続きそう。ま、今の財力じゃこれでも十分すぎるのだけどさ。 Home&Photo


2001年06月13日(水) パーキングエリア


朝6時。
 尾張小牧のナンバー。”産地直送うにいくら 北海道の浜の味”
 ”苫小牧発 北海道のホタテ” 威勢のいい浜のヤン衆の絵がオレンジのランプに浮かぶ。
 中古車を4台積んだトラック。こっちと向かい合った姿が見つめられてるようで落ち着かない。

昼12時
 白いバン。赤いコーンが多数山積みしてある。中には2人の男。オレンジの作業着に黄色の蛍光シールがV字型に貼ってある。ヘルメットを手にぶら下げながら代わる代わるに休憩をとっているよう。
 黒い高級車。レースの帳が見える。運転席は寝かせてある。室内が広いからゆっくり寝ていられそうだ。中はうかがえないけれど主人待ちでくつろいでいるよう。
午後3時。
 公衆電話に立ち寄る車多数。携帯電話全盛の世なのに結構人気。降りてくるのはおじさんばかりだけど。電話のそばにずっと止めてある営業車。すっかり寝入ったおっさん。なんか邪魔そうにみんな見ている。
午後7時。
 散水車。黄色いランプの回転がうざい。若者っぽい連中が2台。賑やかに話している。周囲の車への関心は鈍いらしい。公衆電話そばの街灯に蛾が舞っている。長距離トラックがまた止まり始める。
午後11時。
 フェリーは1時発。トラックが動き始める。運ちゃんは外に出てなにやら話している。コンビニ弁当をごみ箱へ捨てている。
午前2時。
 1日中あった黒のセダンが出て行った。人は乗っていたのだろうか。知らない間に戻ってきたのだろうか。
午前6時
 雨の音が車内に響く。そして朝。昨日と同じくトラック。
 ・・・・・・
 そして今日も・・・・。 Home&Photo


2001年06月12日(火) テレビの似合う語り部は?


 兼高かおるさんがNHKの番宣にでていた。兼高かおるといえば世界の旅。日曜朝は皇室アルバム、時事放談、そして”兼高かおるの世界の旅”だった。確か男の人と2人で彼女の旅した場所の放送をみながら話を添えていくという形だった。
 その頃は小学生だったけれどなんとなく覚えている。フィレンツェの運河をゴンドラにのって下っていく様子なんかがあったような。それよりもその場にいるかのように楽しげに話す女史とその話にうまくあわせる男の方の声のやりとりが印象的だった。字幕や現地の人が話したりすることも少なかったように思えるし、あくまで女史の旅日誌だった。世界の国々を歩く事はそんなに難しい時代ではなくなったけれどあの時代に150カ国以上を回った彼女は多くの人々にとって親しみ深い”世界の旅”のあの人だ。彼女の番組だった。

 そんな番組は少なくなった。紀行は男女2人や女2人旅になって毎回変わっているけど画は毎回変わらない。私日記的にものは受けない時代なのだろうか。その流れで思いつくのは”なるほど・ザ・ワールド”のひょうきん由美ちゃんかなぁ。あと”野生の王国”の見城美枝子さん。なんていってる時点で私もかなりかたよっているような。あ、ナレーションが印象的ってことかな。どうだろ?
 そういえば去年だと思ったけれど深夜にやっていた”今日の出来事”が終わってしまったのも驚いた。もっともっと前だけど”連想ゲーム”も絶対終わらないと思っていた。終わらない番組ってあるのだろうか。
 ある。”ドラえもん”だ。未来になっても違和感はすくなさそう。と考えると”サザエさん”の50年後はきついか。”トゥナイト”は山本監督がなくなってもいくのではなかろうか。

 そんななかやっぱり偉大なのは”徹子の部屋”。こればっかりは誰がなんと言おうと素晴らしい。高橋尚子にあげるくらいならこっちに10回国民栄誉賞をあげてほしい。一回では面白味がなさ過ぎるから総理大臣顕彰と褒章のトリプル受賞、ついでに菊池寛賞もおつけしたい。
 といいつつあまり最近はテンポが落ちているような気もして勇退していただきたいかもと思うこともあったが頑張っていただきたい。けど同時間帯にやっている”スタジオパークから今日は”の上田早苗さんは最近稀に見るかなり素敵な聞き手だと思う。

 そう。懐かしいのはテレビによく合う語り部だ。女史アナとかいうタレント(というよりもっとべつのなにか)ではなくて、言葉にと優しさと深さを感じられるような。
 あ、でも八木亜紀子さん素敵です。映画きたいしてましゅ。のほ。 Home&Photo


2001年06月10日(日) 古女房の反乱

 森を歩いていて靴紐がほどけた。

 ずいぶんと歩きにくいものだ。立ちどまって結びなおす。しばらくたってまたほどける。初めはおおらかに結びなおしていたものの段々と腹が立ってくる。ほっておいてもぶらぶらするのが気になって、ふんづけたらこけるなぁ、かっこ悪いなぁ、とまた結びなおす。そんなことを何度も繰り返して帰ってきたのだがその後数日たってもまだ続いている。

 この靴は道凍る季節に買ったもの。もう初夏の風が吹いているからスニーカーに替えたいのだが気に入ったのがないのと貧乏がたたってまだ足は冬だ。けれどその間結びなおした記憶がない。半年近くの間絶妙な加減だったということだ。履くときも脱ぐときも意識しなかった。そんな関係はなかなか望めるものではない。

 紐には靴穴のあとが黒く残っていた。そこに合わせて結び直すのだがまたほどけてしまう。一度失った関係はなかなか戻らない。といいつつその間隔もだんだんと長くなって戻りつつあるような。腐れ縁ってそういうものかもしれない。
 けれどさすがにそろそろ買い換えなくちゃいけない。ファッションは足元からなどというのはごもっともだけどそんなセンスのない連中は履き潰してしまっている。一度慣れた靴は違和感を残さぬままその役目を終えている。

 私の靴は季節を越えて酷使されつづけた。ちょっとした反乱なのか、もう夏なのだからと痺れを切らしているのか。

 少し真剣に靴屋を覗いてみよう。この靴は随分くたびれているけれど私的にはまだOK。冬まで寝ていてもらいましょう。

 ま、靴や服を買うのが苦手な私だからもう少し付き合ってもらわないといけないだろうけれど、ちゃんと保存しますから反乱は自粛願いますです。 Home&Photo


2001年06月09日(土) 備えと優しき人があれば憂いなし感謝あり

 ポプラの綿毛舞う札幌の街は葉の緑にライラックの白がとけて青い空がとっても優しい季節。朝の豊平川河川敷は土曜日の休日でいつもの倍の車が止まっていた。

 昼休みに中島公園を歩くと多くの人がお昼を楽しんでいた。池には2艘のボートにカップルが乗っていたけどなんとなくさらしもの。そういえば昔一緒にのろうと約束しながら果たせないまま終わってしまった恋もあったのぉ。
 公園を南に越えると護国神社というものがあった。閑散とした境内の両側に掃除道具が積んであって、手は入っているけど参拝する人はすくなさそう。そんななか一人の年配の方が高々と拍手を打って頭をたれていた。
 そこから河原へむかうと石狩川治水事務所之碑とやらがあった。よく考えればこのあたりは北海道開拓の基点。見知らぬ歴史がうずまっている事を再発見。楽しみが増えたと喜んでいる横でバーベキューを楽しむ若者達がいたりする。とてもお得な場所といえますなぁ。

 で7時ごろ帰ろうと車に乗り込み鍵を回すと・・・。かからん・・・・。
 まさかと思ってライトのノブを触るとしっかり回っておった。
 この1年で4回目のバッテリーアップ。こんないい天気なのになんでライトをつけていたのか全くもってわからないが、朝ライトが徐々に弱くなるのを多くの人が見ながらどんな感想を持ったのかを是非聞いてみたいと思いつつ途方にくれていた。
 今までの内の2回はしばらく待って鍵をまわすと何とかかかるようになったのだが今回はそんな様子はない。となれば救援をたのむしかない。
 心優しき人・・・、は続々と帰って一台だけ残っていた。おずおずと近づくと、中には金髪の女性とごつそうな男・・・。意気地のない自分はそのまま素通りして車に舞い戻った。トランクには布団とセーター。冷え込んできた車内、ラジオもつかない。7時半には出入り口がロックされるからもうどっちにしろ出られない。あきらめて帰ろうか・・・、でも夜の公園は治安が悪そうだから車を置いておくのはまずいか・・・、などと愚考をしつつ布団に包まっていた。
 と、懐中電灯(まただ)とおじさん。と、出入り口を閉めるから出てくださいとのこと。恥かしくも事情を説明すると”ケーブルがあれば助けてあげられろのにねぇ”とのこと。救援されなれている私はしっかり常備していたので助けてもらう事ができた。感謝!
 今夜は車で寝て車を守ろうと思っていたけれど寝てたからといって守るどころか自分ごとやられてしまうかもしれなかったのだからこんなありがたいことはない。

 備えあれば憂いなし。あとはこころ優しき人。バッテリーを上げてしまった方がいたら私にご相談あれ。北海道内ならどんなところでもかけつけましょうぞ。 Home&Photo


2001年06月08日(金) 天上のレシピ(トムラウシ山紀行/回想録) 

 人間観察などというといかにもうがった見方だが結構楽しいもの。山の中はそういう俗な事柄から離れに来てるようなものだけど、シーズンとなれば賑やかでそうも言っておられない。山好きを自認するようになると、周囲が”あまりに思慮がない!”と下界よりもいらいらすることになる。ここはおおらかに愛すべき仲間を眺めるのが精神衛生上よろしい。
 そう思うといろいろ楽しいことがある。なによりみんな素直で優しくなっている。お互いいたわって登ろうという思いやりが感じられる。荷物を代わりに持っている男の子。体調を崩して泣いている子を支えている仲間たちなど結構いろんな人がいる。子供たちの元気さにひぃこらいっているおとうさんも微笑ましい。
 と、ひげを生やしたいかにも仙人らしげなおじさんが、背中によくみる金色のどでかいホーロー鍋を背負ってやってくる。次のお兄ちゃんはザックより大きな袋に白菜やら玉葱やらが覗いている。次のおっさんはこの炎天下、新巻鮭を2本抱えている。ヒサゴのコルで座っていた私は青い大雪の風景に通り過ぎるこの面々を桃源郷へ向かう貴人のように見送ったのであった。
 その後、南沼はかぐわしい味噌の香りにつつまれた。それも2団体。もう1団体からはなにやら怪しげな声が聞こえる。話によると団体登山のポーターとして雇われた外国人とのこと。お客は頂上を目指しており彼らはその日本人の為に石狩鍋を作っているそうだ。大雪の山の中、異国の方々が作る石狩鍋。まさに天上で食す至高の料理ではなかろうか? Home&Photo


2001年06月07日(木) 一番美しい瞬間を

 蘭の花を探して森を歩いた。師匠は10は見つけたと聞いたので単独勇んでやってきた。
 森につくと耳鳴りのような鳥の声。真夏の蝉かと思ったがまるで鳥達のカクテルのようだ。あまりに派手なので頭痛かと思ったほど。木漏れ日が鳴き声に揺れて万華鏡のトンネルを歩いているような感じ。笹を揺らして飛び立つ鳥、すぐ近くで見つめる連中。見張られているような。そんな感じも100メートルも歩くと慣れてきたのか揺れも少なくねってきて鳴き声も耳になじんできた。これが真夏の盛りだとしたらいったいどうなってしまうのだろう。
 小道に入ると急に声が低くなり、やがてふくろうの声のみになった。光は少なく、その代わり虫が多くなった。持ってきた虫除けスプレーはガスが残るのみで全く役に立たなかった。
 先月咲き誇っていたニリンソウはほとんど姿を消しクルマバソウも盛りを越えていた。蘭の季節と聞いてきたけれどあまりよくわからなかった。わからないなりに3つくらいそれらしいものを写真に収めた。
 風景は眼で捕らえたいものだがカメラというのも面白い。彼らは光に冷静だ。足りなければフラッシュを要求する。フラッシュは被写体のみを浮き上がらせるから哀しくも孤高な画となる。やはり自然の光がいかにあまねくおおらかさをもっているかがわかる。それぞれの良さがあるけれど日の光に映える花々からはあたたかな応援団の姿が垣間見られるから。
 深い森は木漏れ日が十分強いと思ってもやっぱりフラッシュがついてしまう。
 そんななか一輪のクルマバソウが森の中に浮かんでいた。その花にだけ光の帯があたっていた。花々には1日に一度そういう時間があるのかもしれない。強すぎる光を嫌うしとやかな彼らにもスポットライトのよく似合う光景があった。

 黄色い蘭を一輪だけ見つけた。深い森は6月の長すぎる日の終りを迎え、長くたそがれた光が遠くに見えるだけだった。そんな彼女にも一瞬だけ日のさす瞬間があるのだろう。そんな瞬間を求めてこの森に一日たたずんでみるのも悪くない。
 誰にでもある一番美しい瞬間を、深い森の中でじっくりと待ってみたいそんななか一輪のクルマバソウが森の中に浮かんでいた。その花にだけ光の帯があたっていた。花々には1日に一度そういう時間があるのかもしれない。強すぎる光を嫌うしとやかな彼らにもスポットライトのよく似合う光景があった。

 黄色い蘭を一輪だけ見つけた。深い森は6月の長すぎる日の終りを迎え、長くたそがれタ光が遠くに見えるだけだった。そんな彼女にも一瞬だけ日のさす瞬間があるのだろう。そんな瞬間を求めてこの森に一日たたずんでみるのも悪くない。
 誰にでもある一番美しい瞬間を、深い森の中でじっくりと待ってみたい。 Home&Photo


2001年06月06日(水) 緑の花にいだかれて


めにうつるはみどり
 淡き季節は小川を埋めて
 色濃き時は空を覆う
 
 めにうつるはつちのいろ
 柔らかな土は空気を抱いて
 潤んだ土はいのちを贈る

 めにうつるはむらさき
 高き葉陰に小首をもたげ
 開演の幕間からこちらを覗いている

 めにうつるいろはしろ
 可憐さは路肩を染めて
 むせかえる緑をなごませる

 めにうつるはみどり
 いのちをはぐくむ力の色
 
 世にみどり色の花はないという
 
 いのちを伝える花々は
 みどりのなかでさいている

 おおきなみどりのはなのなかで Home&Photo


2001年06月05日(火) 脚線美の誘惑

 ”どんないい男でも見せてはいけないところがある。それは”すね”だ”というようなことを敬愛する塩野七生女史がとある本で述べていた。短パンでもソックスは長くなくてはならない。イギリスの衛兵もチェックのスカートに長いソックスをはいている。どんな色男でもすね毛は絵にならないとのこと。なるほど、脚線美はやはり女の独壇場でありましょう、もろ手を上げて賛成です。

 私はいっちゃなんだが色白だ。人にはメラニン色素がないとかいわれたこともある。山やトレッキングが好きなのに全くそうは見えない性質だ。だいたいこの寒い北海道で夏に泳ぐわけでもなく短パンなど滅多にはかずに育ってきた私の脚は色白だ、が、すね毛は結構生えている。
 高校の時サッカーで無理して膝を悪くした。大学で再発したので病院に行ったら膝の靭帯がおかしいという事で検査入院した。関節にファイバースコープを入れるというもので小さな穴を3つあける簡単なものだという。
 盲腸の手術だと陰部の毛をそるというちょと情けない事をするようだが私は脚全体だけですんだ。看護婦さんにそっていただくというのはなんともばつの悪い感じで申し訳がない。いっちゃなんだが女史の言うように見てくれのいいものではない。色白なので尚更毛の黒が目立つ。書いててとても恥かしいけどさ。

 で、一通り終わって・・・・、驚いた。すべすべと仕上がった脚は透けるように白くしみ一つない。けっこう長く見える。自分で自分の足に惚れるという愚挙に苦笑しつつもこんな美しい脚は本当に見たことないと思ったのだ。是非塩野女史にお見せしたいなどと不遜にも思った次第。といいつつ看護婦さんは何にも言わなかったからそんなこともなかったのだろうか?

 手術が終わった次の日、そのお見事な脚にはすでに過去の面影がよみがえってきていた。白い肌の下にはまだ表面にでていない毛方達がもう活動を始めたらしく青い線が幾筋も現れて見られたものではなかった。
 我が脚線美はあっという間に見納めとなった。きっとこれをみたら女史も考えを見直すだろうと自負するけれど一日だけじゃ話にならん。やはり、女史の眼は確かなのですな。

 で、もう一度再現してみたいと思いつつ、そうそうできるものでもない。やはり脚線美は女性のものがいい。といいつつあの時の脚をひっぱりだしてついつい複雑な笑みを浮かべてしまうのでした。
 なんて不健康なのでしょうねぇ。 Home&Photo


2001年06月03日(日) 差別の構図

 深夜テレビでアイヌのノンフィクションをしている。彼らは自分達の事を”ウタリ”と呼ぶからそちらの方がいいのだろうけれど。
 二風谷というところにダムが完成したのは10年くらい前だろうか。テレビで随分やっていたけれどあまり意識にはなかった。この地は彼らの聖地。それが工業用水確保の目的でダムに沈む事になった。その元締めの苫東開発は頓挫したが、目的は何故か洪水防止に変わった。公共事業は作る事が目的であって大義はどうとでもなることがよくわかる事例だ。

 私の小学校と中学校には一人のアイヌ女性がいた。彫りが深く色黒で体毛が濃かった。子供の世界は残酷なものでひどいあだ名をつけては差別をしていた。
 彼女は運動神経がとてもよかった。マラソン大会で運動靴を忘れて長靴で走って優勝するという伝説もあった。それもまたネタになってしまう。差別の構図というのは意識にある限りなかなかぬけられないものだ。

 ある日私の家の前で彼女が遊んでいた。野いちごの実が赤く熟れて風が冷たく感じられる季節だった。私は彼女に話し掛けたが悪態をついてさっさとどこかへいってしまった。特別いじめに加わっていないつもりだった私は悲しかった。少し怒りもあった。
 勝手なもので具体的には何もしていないというだけで味方のような気になっていた。何もしない事自体が立派ないじめだ。それなのに傍観者が正義の味方ぶっていた。

 さまざまな差別がある。それは人と人が接するところでなければとわからない。子供だろうと大人だろうとその重さはかわらない。ましてダムのそこに沈むものではない。

 彼らはほとんど文化を失っている。言葉を理解する人もほとんどいなくなった。差別の意味がわかったときにその相手は消えてしまう。マスの海が押しつぶしてしまう、その怖さに気付く。

 私も確かに人を傷つけてきました。
 そのことから始めないといけないのですね。

 ひとつだけ、彼らの堀の深く目の大きな特徴はとても美人だなぁと思っていました。今あったらそのことは言いたいと思うのですけれどね。 Home&Photo


2001年06月01日(金) うまのこと

 わたしはムツゴロウこと畑正憲氏の随筆集が好きだ。1冊を除き古本屋に足を運んでは100円のところをあさって買ってくるわけだけだが、馬の話を今読んでいる。あの4本足でヒヒーーンとなくあの動物だ。

 あの滑らかにたゆたう肌の曲線は脚線美を通り越して神の御技である。敷藁のにおいもかぐわしい。そんな彼らにブラシをかけてその肌にふれればついつい頬をその肩にうずめてにやりとしてしまう。
 馬に乗ると視点がとっても高くなる。目の前にあるがっしりとした首が前後に動き、地面がゆらゆらとゆらめくと雲の上にいるような気分になれる。石狩湾を望みながら20分も春風のそよぐ丘の上を歩いた。下りた時には内股が熱をもってすれてしまった。スパッツって大事なのねん。
 馬に乗れば鳥が逃げないらしい。いつか森に分け入って寝入ったふくろうの横できつつきのドラミングを聴いてみたい。
 そんな馬の想い出は随分遠くなった。いい思い出だからまたいつか馬に乗ろう。
 でも、初期の馬との出会いには悲しいものもあった。

 私がはじめて解剖したのは、フナでもラットでもなく”馬”だった。馬房から引き出した故障した競走馬を”健体”解剖室へと連れて行った。荒縄をかけて引き倒し男十数人が上に乗って押さえつけた。頚動脈を露出させ、切断。どくどくと流れる鮮血とともに呼吸が荒くなる。痙攣し全身を激しくゆさぶる。みんなしっかりと押さえつける。馬の体は熱くなってくる。顔をうずめるもの、血走った馬の目を睨み付けるもの。血はだんだんと勢いを失い、排水溝は赤くなる。先に流れた血は固まって、鮮血はその上にまた新しい層をつくっていく。心臓の鼓動はいよいよ早く、小刻みになっていく。震えるように早くなり小さくなって収束していく。
 そのあと解剖の授業が始まるのだが、何より覚えているのはその暖かさと熱さ、抵抗と震え、訴えかける目だ。始めの一日で学ぶべきことのほとんどが凝縮していたように思える。

 馬が首を下げて草をはむ。それは本当に美しく力強い。人ともっとも長くともに暮らしてきた生き物なんだなと爽やかな気分になって”ありがとう”とつぶやいてしまう。
 そして、あの日私が命というものを手に取ったこと、そのことを一瞬だけ思い出して青空にとばしてみる。

 そうすることで、尚のこと彼らが愛しく思えるのです。 Home&Photo


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