私季彩々
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2001年05月31日(木) |
安いの”安”は大安の安 |
カレーライス 180円 豚汁 80円 ソーセージ 40円 消費税 15円
今日の昼食 315円 とっても満足。
満腹なのも幸せ。 バランスも幸せ。
なにより安いって幸せ。
こんなに安いのに 走り回って注文を取ってくれる
感謝感謝 安いものほど努力が見えて 私の頭は上がらない
安かろう悪かろう そんな時代じゃないのですな。
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地図を見ているのが好きだ。むしろ旅本番よりももすきかもしれない。というと計画を立てるのが好きだ、ということになるのだろうか。
人生設計はどうかというとこれまた全然だ。あれがいいか? と思いつつ、気がつけば何をやっているのかわからない。結局こだわっているのはなんとか北海道で暮らしたい、という事だけかもしれない。目の前の事をこなすので精一杯で、それで満足していたような。さてどうするか、というところで戸惑っている感じだ。
で、今年はいろいろ歩き回った。豚飼いの話をきいたり、エミュー飼育の現場に行ったり、牧場の面接に行ってあっさり落とされたり。田舎志向と動物関係をといろいろ回りつつ、いろいろと考えた。結局わかった事は考えてるだけでは何も始まらないという事だ。
結局、札幌のど真ん中に職を見つけて多分そのままそれで食べていく事になりそうだ。それでいい。仕事はとても自分に合っていそうだし向上心も満足できそうだ。
ただ田舎志向の方はどうなったかというと、少々未練は残る。ま、実家はド田舎なんだからと納得してみる。自分の場合、週末に足を伸ばす程度が一番合っているのかもと思ってみたり。とりあえずバルコニーのあるところに越すので何か花を育てようと思う。そこからで十分楽しみだ。中島公園や野幌森林公園、西岡水源地も歩いて楽しむ余裕が出てきたし。 師匠は由仁に都市住民向けの農場を借りようかといっているから混ぜてもらおうかな、とも思う。何かを育てる事が経済的に難しくなってくる時代。これからは経済の枠を越えた生甲斐や喜びが大事になる時代だ。こういう形だって悪くない。
けれど小さな家を建てて原野に住んでみたいとも思う。それは素敵だけど、そんな生活を楽しめるにはまだまだいろんな感性が足りないとも思う。年をとってしまった私にはそれを磨く時間が必要だ。いまの感性だけでは飽きてしまうだろう。
その為にはまだまだ多くの人に会わないといけないってことかな。ま、そうして影響を受けるから、人生思うようには行かないってことですし、それだからおもしろいってことなのでしょうかね。
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たまぁに手紙をもらったりする。メールや電話ももらう。けれど私は正直言ってどぎまぎする。手紙はすぐには封を切らないし、電話だったらとらないで済ましたいなと思う。メールも受信してもタスクバーに隠しておいて後でそろそろと見る。 なんでこんな回りくどい事をしているのだろうかと情けなくもなるのだけど、どうしたことなのだろう。
彼らは突然やってくる。過去から突然私の前に現れる。その間の時間を飛び越えて。昔の私の面影とその流れを何も疑わずに今に投げかける。その投げられた姿と今の私とは当然ずれる。それが怖いというのが本当のところだろう。
何せいろいろとあった。端から見たら順風以外の何者でもない私だったが今はいろいろと大変。でも受け取る手紙はみぃんな昔吹いていた風に乗っているはずの私の姿。それはやっぱり悲しい。
といって、そんなに今がひどいかというと・・・、ま、けっこうきつい。ただ、こんな状態の中でいくつか貴重なものが見つかった。捨ててきたもの、失ったものと比べてそれらはやっぱり大きいと思う。けれど、捨てる必要があったのか、失う事はなかったのではないか、そういう悔みが降り積もる。それでもなんとか先に進んでいく。
友達からの便りはうれしい。懐かしい手紙なら尚更だ。ただやっぱり彼らは過去からやってくる。私は今はただ喜々として封を切ることができないけれど、本当にうれしいんだってことを伝えたい。
もう少したったら私から手紙を書きますので。 もうしばらく、まっててくださいな。
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とある夏の日に自転車旅行で宗谷岬に向かっていた。サロベツ原野の丈の短い草原は、もう花々の季節を追えて少し単調だったけど、遠くに浮かぶ利尻の山が竜宮城のように幻想的だった。
夏の盛り、日差しはなかなか手強かった。 単調な道のりに一軒田舎にありがちな古いお店があった。私はその店の中にあるガラスケースの冷蔵庫からジュースを買って、アスファルトに座って一気に飲んだ。そのうまかった事といったらなかった。 そのジュースは”。ネクターの爽やかとはいいがたいあののどごしといい、青りんご風味の爽やかな酸味は広々とした雰囲気とあいまって日陰の優しさと共に私の疲れを吹っ飛ばした。
以来、ジュースやアイスで青りんごがあるとうれしくなって買ってしまう。果汁が入っていないなどという細かい事はどうでもいい。あの夏の一日が思い出されるだけで十分だ。
しかしながら、あれ以来”青りんごネクター”に会った事がない。何より本当にそんなジュースを飲んだのかがはっきりしない。確かにあの時あのルートを走った。けれど、あのうまさは何か現実とは違っているように鮮やか過ぎる。私にはそんなはっきりしない記憶がいくつかあるのでこれもその一つなのかもしれない。
たかがジュース、されどジュース。強烈な印象が私の中で昇華している。夢だろうが現実だろうが今となってはどちらでもいい。ただ、やっぱりもう二度と会えない味だからこんな感覚になっているんだろう。もしかして思い出と未来が交じり合った不思議なカクテルが今の私と同居しているのかもしれない。
”青りんごネクター”は私にとって夏のかげろうとともにある逃げ水のような記憶なのです。
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朝の森歩きをしようと思って夜から森の駐車場に言って仮眠を取っていた。 私は車で寝るのが結構好きで布団や寝袋をいつも積んでいる。テントで寝るのと似ていて周囲の音が柔らかく入ってくるのが好きだ。 けれどそれは風の音や雨の音の話、まぁ許せても遠くを走る車の音。突然の人の話し声なんかどきっとしてしまう。今回はドアを叩かれたのだから随分と驚いてしまった。 と、懐中電灯で中を照らされる。すると照らされるほうからは外が見えない。鼻のみが浮かび上がった顔は表情のない人形に覗き込まれたような現実味のないものだった。 窓をおろすと警察官。わ。やっぱこんなところで車中泊はいけないのだろうか? 住民から通報でもあったか? ”お宅の後ろのナンバーとれかけてるんですが・・・” どうやら後ろのナンバーについている封印がないとのことだ。とすると、盗難車とかの嫌疑がかかるらしい。おまわりさんは私を刺激しないように鳥の話を取り混ぜながら柔らかく免許証の提示を求めた。彼のもっていたメモにはすでに私の名前が調べられていた。 朝にはまだ遠く、森は静かなままだ。車はふたたび私だけとなった。こんなところでも、社会は私を管理してくれているということかな。 札幌の街明かりで空はほのかに明るく、厚く垂れ込める雲はうっすらと染まっていた。 私はやはりその空の下にいた。うざったくもあるけれど少しだけ安心したような。 ほのかに、、ほのかに悔しかった。
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森を歩くと野の花が目に付く。私のわかる花の種類はたかが知れているのだが、師匠が歩くと十数種にもなる。私も早くそうなりたいものだ。
花々は道端に生えている。人が踏み固めた道の脇に。路肩はやわらかく、水か溜まっているからいい環境なのだろうか。木々の生える奥に行くと花々は少なくなる。笹が生い茂るところはほとんどいなくなる。 彼らは見るからに健気だが生きる場所を探して必死に生きている。それは大きな木々のない日の当たる環境だ。それは以外にも人が作り出した環境だったりもする。 人が作った道が花満つる道となる。何かと何かが接する所に生き物が育まれる。
動物の体もそうだ。表面ばかりでなく、腸も血管も管腔だ。栄養を求めて腸には無数の襞があって、人一人でその表面積は畳100畳にもなる。骨の中も骨髄腔。実質である細胞は毛細血管から離れて生きられない。進化する脳はねずみのツルンとした姿から皺をきざみ表面積を増す。神経は表面でしか存在できないからだ。 同じ細胞が塊を作って増えつづけるものを癌と呼ぶ。
生きるということは何かと接点を持てる環境でなければならない。均質な部分は栄養が循環しないで死んでしまう。人が歩いた道に光が差し込んで野の花が育つ。巨木の倒れた後に若木が育つ。単一の人工林は日の光もささず、地面は枯れ落ちた葉が積もるのみで静かな死の雰囲気となってしまう。 入り組んだ皺の表面で何かと何かがせめぎあって、助け合って生きている。単調な塊はその内部が崩壊して日の光差し込む。生態系も、生体も、人間社会や人の心もそのことにはかわりない。
でも忘れがちな事もある。森の奥には人には見えない襞があったりする。熊や鹿達が絶妙な血管をつくっていたりすること。 だから、あんまりでしゃばらないくらいが丁度いい。
そう、道端に野草が香るくらいにね。
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写真を趣味にしようと思っていた。一番安い一眼レフを買った。それは学業復帰のおりに売ってしまった。 留守番電話はふるーいICタイプ。16秒しか録音できない優れもの。もちろん携帯は持っていない。 ベッドは先輩からもらったもの。ぼろぼろで棚がずれてあかない。ランプは切れている。 洗濯機は16年前のニ層式。排水が詰まっていたけど直してしまった。 テレビは10年を越えた。右隅が紫がかってきてたのだけど、最近はなんともない。
で、デジタルカメラを借りてきた。 留守番電話は携帯専用にした友人から長期借用している。 ベッドはネットで”ただでくれ”といったらくれそうな方がいた。 古本屋で買った本は結局100円。
物はなんとでもやりくるできる。買う前にどこかで間に合わせられないか考えてしまう。それは時代にあっていると思う。なんせ金はない。でも物は総じて安い。もっと高くてもいいと思う。だってこんなに長く使えるのだから。だから、これらを作る会社や働く人々に感謝したい。
でも私のような人間ばかりだと、そんな会社は潰れてしまう。
成長とは何なのだろう?
借金は利子をつけないと返せない。 誰も貧乏にはなりたくない。 だから成長しろという。安くなっているのは買ってくれという悲鳴にも聴こえる。
だから私も人並みに贅沢して新本や携帯がほしいの。 だけれどもお金は消える。 それは俗に言うサービス業。 家賃や学業、税金でほとんど。
物作りは大事だというけれど、他は悲鳴をあげているわけではない。みんな胡散臭げに助け合っている(もちろん少数だけど目立つ)。
サービスをまわすだけでは結局何も生まれない。それでも成り立ってきたのは富の源泉があらゆるところに行き渡るだけの力強さがあったからだ。その泉が弱まっているのに同じ方向で生きようとしている。
私もその波に巻き込まれてしまった。 自由に生きたいのなら借金はしないことです、ねぇ。 ふぅ。
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2001年05月20日(日) |
MASTER OF LIFE |
久々にゆっくりでかけた。森林散策という地味ながらも行ってみたいと思っていたネタ。私は元来田舎者だけど、森のことはよく知らない。こういうのは1人ででかけるのも何だし、かといってこういう趣味を持つ人ともなかなか出会えなかったし。
バイト先は何故か定年になった方々が多い。そこでとてもいい顔をしている先生がいて、いろいろと話が合った。山の事や森の事が多かった。と、その方は森の案内人のようなものをやっているとのことで、ご一緒させていただく事になった。後輩の1人に声をかけると10人以上も集まった。誰もいいと思っていたらいきなり機会と10人の同好者が集まった。 ま、軽く、というつもりだった。が、この先生はますます元気になって熱意熱弁を振るいだす。自ら美しいと思ったものを満面の笑みをたたえて。蛙はアカガエル。桜の葉には香りの顆粒がある。熊ゲラのドラミング音。ヒトリシズカにエンゴサク。私なら30秒で過ぎるところを10分もかける。突然足元を指差したかと思うと樹の先に双眼鏡を向ける。40も年下の私たち(私は30だけど)に未来を語る。この森がいかに危機にさらされているか。ブルトーザーが走った跡を指差して。その中に小指の長さくらいの楓の若芽をみつけて喜々とする。私たちはその苗木と重ねてくださっているのかもしれない。 私には見えないもの達を伝えてくれる。名前を教えてくれる。鳴き声を教えてくれる。それは全て忘れていいという。そのことがわかる。感動している人の言葉と表情はそのまま伝わってくる。それだけで十分な力がみんなの間で循環する。名前なんてのは後からついてくるのだから、そのときの楽しみにしときましょってことかな? 音だけでも感じる事もたぁくさんある。だからこそわかる事もある。風の音、香り、圧、味だってあると思えるし、目にだって見える。葉が舞う、雲がゆらぐ。五感を動員して感じられる事はそれぞれの感覚でより鋭敏になる。 そのきっかけはいろいろとあるのだろう。けれど盲の私にはどうしても見えなかった。そのきっかけをくれた先生は私の師匠となった。私が勝手に呼んでるだけだけど。 師匠は言う。”一次情報が大切だ”。本当にそのとおり。どんな偉い先生の本を読んだって野の花はわからない。伐採される木々がいかに森にとって必要か感じる事は無理。キツツキがドラミングする木を知ることはない。何より働いているのは頭だけなのだから。
帰りに連れて行っていただいたのは住宅街裏のガレージ奥にあった。裏口のような扉を開けると木のテーブルと椅子にぬいぐるみと手作りのケーキ。森を愛する人たちが集うお茶付の待合席。愛想のない三毛猫のおまけつき。
とりあえず猫を飼いたいな。そして花をしりたい。それだけのことだって、私はできなかった。一人では始められないこともある。だから感謝の気持ち。私にも何かを伝える事ができたらいいな。そのためには感動する心を育てる事なんでしょうね。
”今までで一番楽しかったのはいつ?” 師匠はこうこたえてくれるだろう。 ”そうだねぇ、今ですね”
それが私の夢。 本で読んだセリフの姿をようやく感じる事ができた、そんな空青い一日でした。
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ラジオドラマを聴いた。久々のこと。懐かしかった。
ラジオをよく聞いたのは中学の頃だった。 何故か菊地桃子を聴いていた。”あなたと星の上で”だったような。 他にはラジオドラマを聴いていた。林隆三氏がよく出ていた。確かその頃は”ハートカクテル”がはやっていた頃だった。雰囲気もそんな感じだった。あれはラジオに合う波長だったように思える。絵で見るとけっこう気恥ずかしかったし。 その後は定番のジェットストリーム。城達也氏の声でフライトした1人だ。あの頃録音した映画音楽や大草原の小さな家のオープニングテーマのオーケストラバージョンはまだメタルテープに残っている。 電波の入りにくかった文化放送を必死に合わせて聞いた。途切れ途切れでしかもゆがむ音を拾うのが楽しかった。
音は波。空間を多彩に舞う彼らは全て合わせれば砂嵐のノイズ。そんな中から一つの波長を拾い上げて自分の耳に”共鳴”させた瞬間、砂嵐は止んで月明かりがさしこむ、そんな想いでダイヤルを回していた。気分のよい波はまだ見ぬ砂漠でらくだの背に揺られている気分。 波は音。目をつむっても感じる事のできるもの。
”最初に好きになったのは声”なんて詞もあった。 心地よい素敵な想い出、好きな人の言葉達は音だったり声だったりもする。私の場合、思い出の画は静止しているけれど声は動いている。打ち返す波のようにリフレインで残る波。 そのことが訳もなく不思議なのです。
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うざったい
いつからある言葉だろう 昔はそんなに聞いた事はないような
とてもとげとげしくて とてもかなしい
みぃんな自分に帰ってくる
言葉達は私の胸からとびだして 私の肩に降り積もる
つぶやきは語り部 かの言葉は私を縛る
一人でいられない事 今 その事がうざったいのです
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今月あたりからなんとなく考えてたのだけど、ふらっっと不動産屋に入ってしまった。環境を変えるのもいいかなと。 本当なら学校に区切りをつけてからにすべきなのだが、ま、みるだけでもと。で、すむはずはない。向うは商売。気持ちのいい接客とてきぱきとした仕事振りから逃れるなんて私には無理。ずるずるとひきずられるまま、とんでもなく高い部屋に住む事になってしまった。いやぁ、プロって素晴らしい。 話術、気勢、笑顔、どれをとっても文句がなかった。 正直、不動産屋はいい商売だと思っていた。ちょっと紹介するだけで数万円のお仕事。誰でもできるやん、そんなの。でも、違うね、プロってのは。 人を不快にさせないで仕事をするというのは実はとても難しい。客であっても、同僚であっても。その事を重々思い知らされている私にとっては新鮮な出来事だった。 医師であっても、運転手でも、営業でも、私たちの周りは誰にでもできる地味な事を確実にこなすプロたちから成り立っている。 そんな彼らによって私のこれからの財政は大きく傾く事になった。昨日の出来事といい、とってもやばい。ただ今借金200万円。よよよ。
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私は奨学金という名の借金をしている。後に返さないといけないのだが小心者ゆえその分はキープしているつもりだった。そして昨年度1年分は借りていないつもりだった。で、通帳を見て何とか均衡はとれている、と安心していたのです。 しかし、1年ぶりに記帳してみると・・・、借りていることになっている。がーーん。 今の残金は○○○万円、で、借金は△△△万円と思っていたのに実は△△△+130万円。○○○万円はかわらないから、借金は見積もりより130万円も多い事になる。やばーーー。冷や汗かきまくりっす。どないしょ。
ある日突然、借金が130万も増えている。把握していなかった私が悪いとはいえ、とっても寒い今日この頃。でも札幌はけっこう暑いのでした。よよよ。
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私は某専門学校で講義をしている。札幌は急に暑い日となったので、まず目立つのは薄手の服を着た女学生が目立つ事だ。顔を見ると化粧をすればするほどあどけなさが目立つ。二十歳の若さというものはやっぱり素敵だなと思ってしまう。 なんとなく、自分のその頃を思い浮かべると、こんなにはつらつとしてたかはちょと疑問。周囲の人たちや好きになった子が、こんなお年頃の若々しくも少し青臭い感じだったとは思えない。けれどまさにそういう中にいたのだろう。 けんかもすれば恋もする。一番激しくも豊な時代をすごせる連中の姿とはかけがいのないもの。こんなに幼げな子達が精一杯生きている。生きなければならない世代を生きている。これは別の意味では酷なことなのかもしれない。 教師生活35年の先生が2人いるのだけど、その先生達は彼らが18の時の写真を見ながら言った。”何故この頃の子達は1年たつとこうも顔が変わるのだろう?”。そしてこう続けた。”どちらかに変わるといえば、悪い方に変わってしまう事の方がちょこっと多いね”。 変わるという事は大事。でも、それがどこか影を落とした顔になる人が多いという。 講義のまずさを置くとしても、聴いてるようなないような、という連中はやはり不完全燃焼してるなぁ、と思う。騒ごうが突っ伏そうが興味の向いたときに目の色の変わる子はいい顔をしている。一日中寝ている子はたぶん家に帰っても眠れないまま時間を持て余しているのだろう。 勉強は一生。今の時代、必要になっってから、教養を深めたいと思ってから学ぶスタイルが合っているようにも思える。高等教育は夜学化していくべきかな、と思う。中高年の学ぶ意欲がいかに高いか、驚いてしまうのです。 18から20の最高に輝く時代。いい顔になってほしい。素敵な顔になっていく子が目立つだけに、沈みがちな子達が心配になる。卓上で学ぶ事に疲れたのなら、思い切って外に出てみたらどうだろう? 卒業する事だけが目的というのは少し寂しいかな。
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苫小牧から支笏湖に行く道は基本的に直線道路。緩やかなカーブとのぼりが続く。ドライブコースにはうってつけだ。 深夜となれば明かりはない。まだ葉の少ない木々たちが道路わきの森を浮かびあげる。この道が盛りの真っ只中を切り裂いていることを知らせてくる。ガードレールの反射光はその境界をはかなげに主張している。対向車がやってくると、はっとする。気がつけばスピードは上がり気味。そんななかハイビームが飛び込んでくる。そして下げてくれる。私はその瞬間が好きだ。快適なドライブを楽しんでいて、相手に気づきライトを下げる。ひとりで楽しんでいたところを見られて少し恥かしげに頭を下げて通り過ぎていく。そんな感じがするのだけど、それはよくとりすぎかなぁ。ま、いいや。 で、私もハイビームにしてみる。すると、遠くの反射光まで一直線にオレンジがかえってくる。絵画のように中央に向かってまっすぐ伸びる。道路の上にある道路幅表示の赤い矢印も、遠くで反射光に限りなく近づいていく。はかなげな彼らが突如生き生きと自己主張をはじめる。自分の投げかけた光が闇に吸い込まれずに戻ってくる。2つの絵が交互にかわる瞬間が私はたまらなく好きだ。 で、こんな事を思い出した。高校生の頃の話だけど、この道を走ると何故かおばあさんが隣を併走するそうだ。で、抜かされるとその人は死んでしまうとの事。うげ、なんて事を思い出してしまったのだろう、とサイドミラーを覗き込んだ。 幸いな事になぁんにもいない。けれど、漆黒の闇が広がっている。前に向かったライトはただ前のみで、他は全て闇。私は前しか見ていない。たまらない孤独感と無力感にさいなまれていた頃、湖面が見えてきた。漆黒の中でも、揺らぐ波に小さな光たちがたゆたっている。すっかり明かりは消えているけれど家や旅館が立ち並ぶ。 森の中で一人でいることはまだ私には無理らしい。憧れはするけれど、苦手だけれども、やっぱり人恋しいのは認めないとね
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1日だけ田舎に帰った。年に何度か帰っているけどちょっと気ついた事があった。 風景がなんとなくこじんまりした感じ。ま、自分が大きくなったからかなぁ、と思ったけどこれまでで初めの感覚。何が変わったかはよくわからなかった。
帰り道、車で街を出るときに気がついた。なんというのだろうか、でこぼこがないのだ。各家に、庭いじりの後なのかもしれないが何故か盛土があったり、道路沿いに小さくも小山があったり。貯木場の丸太の山。道路は上下に波打つ部分も多かった。道も住宅街では入り組んだ部分が多かった。 今ではどうだろう。なんとなくすっきりしていて道はどこもまっすぐだ。入り組んでいたはずの道は家を動かしたのかきれいに伸びている。小高い丘の上を走っていた道路はすっかりならされている。貯木場はなくなっている。どこの家にも何故かあった土の山はなくなって、そのあとにあまり個性的ではない花々が植えられている。でこぼこの空き地はゲートボール場になっている。砂利道は舗装されている。昔登った木のあったところはしゃれた街頭が立っている。 どろくささがない、あっさりした感じになっている。歩きやすいし車も走りやすい。公園も増えた。そのかわり空き地は減った。 すっきりしているけど、やっぱりこじんまりしてしまったなぁ、というのが正直なところ。見通しがよくなってどこで遊ぶにも誰かがお膳立てしたところで、と言う感じかな? 親に隠れて作った秘密基地などどこにも作る場所はなさそうだ。
美しい街並みといえばまあそうだけど、それはそれでつまらない。こんなド田舎でもやっぱり街になっていく。どこにでもありそうな、そんな街になっていく。
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2001年05月12日(土) |
朝はやっぱり素敵よね。 |
今日からここで日記をつけます。 まだ見ぬあなた、よろしくです。よろしかったらお仲間になりましょう。 まだ見ぬ私、今年は辛そうだけどなんとかやっていきましょう。 もう見た私、なんか気がついたら今の私に知らせてくれ。
早起きついでにおまけ。って今日は実家に帰るからかけないの。 なぁんとなく落ち込んだ日記を書いてしまいました。今日もあるから、仲の悪い人と二人だから尚更きついのだけど、がんばろ。 と、外はとっても爽やかな天気。ポプラも若芽の緑が心地よいし遠くの山々に残る残雪もいつもより光を吸い込んできらきらしている。 雲は一面のうろこ雲でのぞく青空とのコントラストがとってもきれい。
すかっぱれの朝もいいけど、こんな朝も素敵。 空気は冷たい。 朝はとっても好き。
今だけは素敵な気分をあじあおっと。 神様ありがとう。ありがとう。
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テスト中は何度見直しても1+1=3になってしまう。書類は何度見返してもどこかに誤字脱字がある。一欄をとばしてしまう。ここに書いているものだって何度も見直しているのに必ずどこかに間違いがある。 ひとりでやっている分にはたいした問題にはないのだけど、仕事となるとそうもいかない。独創よりも堅実。それが要求されるしそれがチームプレイ。日常的には。 テストを受ける時を終え仕事をする時代となって、私はとても苦労している。つまらない事ができなくて愕然とする。ただ書類を写すこと、数字を記入する事、そういう地道な作業のどこかにミスが起きる。ジャブのようなミスは周囲の雰囲気をどうしても崩してしまう。どうせやるならそれなりに大きい方がやる方も受ける方も復帰しやすい。 私をカバーするために気を使ってくれる同僚がいる。いい顔をして見守ってくれる人。露骨に手元を見つづける人。様々だけどとてもプレッシャーに感じる。尚更ミスが増えるのか、私の手を離れてすぐに指摘がとぶ。自分の性だとわかっていても、腹が立つ。そのあとチェックするはずだったのに、と。 正直一人でやった方がはるかに効率がいい、というかミスも少ない。けれど、そんなことよりもちょっとしたプレッシャーや人の視線にいかに自分が弱いのか、逃げ場のない空間で思い知らされて哀しくなる。”自信”の二文字を育てる余裕がないことを痛感してしまう。 教えるのはうまいが教わるのが下手との評判な私は、今、あまり余裕がない。全速力が出る前に靴ひもがほどけててしまうようなばつの悪さに悪循環の輪をみてしまう。かける言葉がない。交わす言葉がない。 そういう時もある。それでも明日は来る。じっと我慢してよい頃合を捕まえよう。みんなが優しいタイミングを捕まえよう。 今日は素敵な桜をみた。小雨の上がった空からやわらかな光が池におりて枝垂桜の姿を揺らめかせていた。それだけでも今日はよしとしよう。早く暖かくならないかな。
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素敵な時間はほんの一瞬かも いい夢はどこかでおわるかも ほんわかする時間は数分かも 微笑んでいるのはちょっとの間かも
そんな時は現実の前ではただむなしいだけ そんなのはちょっと悲しすぎるかな
日常はいろいろな欠片 連なる道と 育つ木々
足元ばかり見ていると 素敵なものを見失う
長いものばかり求めていると 小さなものが見えなくなる
大きな想いは森の姿 遠景は森 近景は木々
一瞬は永遠
忘れていたなら思い出したい
忘れて笑っていたのなら それは素敵な毎日ということかな
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”夢は夢の時だけで現実に帰らないといけない。じゃあ、夢が途切れずに続くとしたらそれは現実と何が違うというの?”
起きるのが億劫な朝、さわやかな日の光は他人事のように色褪せていることがある。ま、そんな時は今日にちょっとした難題や、嫌な雰囲気がまとわりつくことがわかっている日。素敵な夢の時間に舞い戻りたくなってしまう。 でも、まてよ。夢ってそんなに楽しいものばかり見てたっけ? 爽やかな森の中を恋人と歩く私、ニルスのように雁に乗って空をかける私、南国の白砂の海岸に海に揺らぐ月光の柱をグラスに映す私・・・etc..って、そんな夢なんざ見た事ない。どうやら私には、夜見る夢から生きる力を取り戻すなんて芸当よりも、こうやって心落ち着く情景を思い浮かべる夢の形の方があっているのかもしれない。
街を歩けば木漏れ日の明るさに気づき、川面に揺らめく光も同じだってことを思い起こす。爽やかな小鳥達の声に安らぐ自分に満足すれば、カラスのだみ声まで微笑ましくなってしまう。河川敷を通るおばさんの挨拶がとてもうれしかったり。ちょっとした時のかけらが幸せに満ちたものならば、人は簡単に優しくなれるように思う。 そんなやわらかいかけらは人の日常の上に優しく降り積もり、日々の暮らしに柔らかな木陰をつくる。照りつける夏や吹雪く冬に逃げ込んだり休んでみたり。交差する人に安らげる雰囲気を味わってもらったり、優しくなってもらったり。そんな人から新しい苗木をわけてもらうこともあるだろうし。 素敵な顔を持つ人は、やわらかな森を歩いているのだろうな。様々な涙を豊な枝葉に変えて旅人を和ませてあげられるのでしょう。
夢は途切れるもの。夢は素敵な欠片たち。まぼろしの時間はそのままの幸福な光たち。そういう木々たちを育んで緩やかな丘を登っていく。 最期に振り返って自分の森を眺める時に照れくさそうに顔をほころばせたら素敵。 心配は要らないね。そのとき振り返る事を忘れなければ、必ず鳥達を枝に休ませた大樹がみえるはず。どんな人生であったとしても。
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オランダの国での話。ワークシェアリングの話。フルタイムとパートタイムの格差を無くすこと。私はこのことを漠然と考えてきたがそれを実践している国があったとは。
職安に通うといろんな求人がある。だけど、どれを見ても公務員や大きな企業とはあまりに大きな隔たりのある給料。まぁ、それはいいとして・・・。 問題は実際に働いている現場での正社員とパートの差だ。責任は変わらないならば、どう考えても格差がありすぎる。今は、若い人がパートタイムで働いていてその隙間を埋めているけれど、その働きは十分に素晴らしい。短い時間で効率よく働いていて密度が高い。それに比べてどう考えても”おいおい”という正社員もいる。いったい何の差なのか。
昔働いていたところで労働組合の勧誘が来たことがあった。真っ先に話した事は給料と休みの拡大だ。それはよくわかる。けれど、一般的に見て私のいた職場は休みも十分だし給料も満足だったし、自分が休んでもそれを補える余裕のある人員がいた。自分の身分に関しては十分だったが、組合組織はそれでは消え去るのみ。他の会社の事は知らないから、その中で不満を拡大解釈して、どんどん条件をよくしようとする。それはありがたいけれど、働くという事はお金と休みだけではない。 それよりも、非常勤で働く人を救おうとしないのか。それがわからなかった。不安定で待遇のよくない彼らを何故助けないのか。そんな矛盾を感じていた。
今思うと、それならば自分達の権利を分け合うべきだったのだ。私はどっぷりと既得権益に浸っていた。あたたかな笑みを浮かべて自分の権利だけを守っていた。 働きに見合った給与を得るべきだ。だけど、それが過大だとすればどこかでだれかが犠牲になっている。どんな仕事も職場も切り離されたものではない。 時代がパートを求めるならばそこに権利を分け合うべきだ。パートだから、主婦だからなどという言葉は何の意味もない。
他にもたくさんの事例がある。守りに入っているときに、守られている時がついた時に、それがただの既得権益ではないのかどうか、一人一人が自問しなくてはいけない時代だ。それを変わりに背負っている人間は、生まれたばかりの赤ん坊や自分の愛する子供達なのかもしれないのだから。
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眠れない夜を抱えた人にあった。本当に可愛がっていた猫をなくしたそうだ。帰ってこない猫を待って、届いたのは訃報だったそうだ。 その猫はたいした外傷もなくなくなっていた。鼻血が少し。獣医さんでも死因はわからなかったそうだ。3日前からその場にいたが、硬直はなく今死んだまかりに思えたそうだ。
ペットッロスというのが今話題に上る。死という別れは大きいものだけどそれがペットであっても同じほど大きな衝撃の余波が続く。そういう例が多くなった事と、社会がその事を驚きつつもようやく認識してきたということだろう。 突然の死を防げなかった自分、立ち直れない自分、もの言わぬ彼らに十分な責任と幸せをあたえれたのだろうか、死の原因は他者にあるのではないか、この悲しみをでうして社会はわかってくれないのか、何故自分はその死を受け入れて前向きになれないのだろうか。 当然わかっていることができなくなる。正論は冷徹。人の優しさがうっとおしくなる。それを受け入れられない自分に苦しむ。構造は他の悩みとさして変わらない。
動物は後先を考えて生きているわけではない。後悔は人間の業。彼らは日々を悩みなく生きる事を知っているし実践している。それはいつ死んでもその死を受け入れられるという事だと思う。特に家畜となった動物達は人と暮らす事によって幸せを得ているのは間違いない。彼らは人なしでは生きられないのだから。
ペットロスは生きている人間のみの問題といっていい。ただ間違ってはいけないことは、動物達は間違いなくあなたと一緒に暮らして幸せだったという事。たとえ狭い部屋飼いだったとしても、そのことは自信を持っていえるのです。ひとりの獣医として。
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2001年05月06日(日) |
ばあちゃんの一周忌 (回想録) |
次の日曜日は祖母の1周忌。喪服の用意まだしていなかった。
祖母は92まで生きた。10人以上の子供を産んだ。 米寿のお祝いには100人近くの親族が集まった。 いやはや、そんだけでもすごいものだ。
稲作農家で牛や鶏、にじますまで飼っていた。 裏山に、くわがたとりによくいった。 雪の田んぼ。 稲わらをもまとめたのを3つ組んだものがたくさん立っていた。 そいつらを盾に雪合戦をよくやった。
晩年は孫の顔も見分けがつかなくなっていた。 ま、あんだけいれば私にもわからんが。 水戸黄門や大岡越前の再放送はかかさずみていたそうな。
1年前、朝ばあちゃんは部屋にいなかったそうな。 何故か外にでて、窓のそばにうずくまって冷たくなっていた。 少しぼけていた所もあったようだった。 鍵をかけなかったことに実家の方々は心底悔やんだ。 田舎にそんな習慣は必要ないというのに。
葬式は大勢だった。 ばあちゃんの子供達、私にとっては父母叔父叔母達が 子供に戻って笑いそして泣いていた。 大人の入り口にさしかかった私だが、 その大人達がどんな人生を歩んだのか、 少しわかった気がした。 寡黙な人々の背中があのときほど大きく見えた事はない。
札幌は大雪。田舎もそうだろう。 そんな雪の中、私の血の1部をもつ人が亡くなっている。
それから1年がたとうとしています。
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ゴールデンウィークといっても北海道はまだまだ寒い。そんななか自転車で旅をした事がある。札幌を出て羊蹄山をまわって蘭越町までいった。距離にして120kmくらいあったろうか。 札幌の街並みをすぎて定山渓を抜けたあたりから信号の束縛を離れた旅となる。コンビニもなくなるのがこのあたりだ。峠にさしかかり登りがきつくなると後悔が始まる。なんでこんなことしてるんだ? バスの方が楽やん。 などなど。 街中の黄緑色と木々の肌が春らしい光景、それがだんだんと冬景色へと戻っていく。雪を割る小川。ふきのとう。それが雪高い道路をこぐ頃には中山峠のいもだんごが恋しくなる。 自転車は自分がエンジン。ラジエーターは全開で上着はすでに長袖一枚。光景は白い冬、風は春、そして私は夏。その時は精一杯でそんな余裕もないのだけど、旅景色を遠くから思い返せばよく思い返せるもの。大声で唄いながら立ち漕ぎで進む私は赤いジャンパーを着て、たぶんいい顔をしていたことだろう。景色は思い出せても自分の顔までは見ていないからたぶんに脚色していることになるけれど。 疲れて立ち止まればたちまち体が冷える。だから結局走る。トンネルを越えて、通り過ぎるトラックにおびえ、季節を逆戻りに、体を燃やして走る。 峠を登りきった。遠景のスキー場にはまだゲレンデを滑降する派手な原色が流れている。羊蹄はよく見えなかったけれど尻別の山容は見事だった。その頃はまだ羊蹄との区別もつかなかったし、まだ先に伸びる行程にため息をついていたように思えるけれど。 旅の想い出はその時だけではない。思い返せば新しい風景と想いが新しいカメラワークと演出でよみがえる。たとえその時はなんの意味も見出せなかったとしても。 いえ、この旅はその時でも十分有意義だったのだけど、最近はついつい意味を求めてしまいがちだなぁと、反省したのでございますよ。ほほ。
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2001年05月04日(金) |
海になりたかった涙 (回想録) |
闇に親しみを感じる 波の音はけだるい優しさで私を包む
瞬く星を見に来たつもりだった でもこの闇に心が惹かれている
すきとおった闇は紫檀のとばりを含み 心の不安をそのままに映す
砂はかわき 水は近くて遠い 満ちる月は大地の向こう
海におとした時計の音が聴こえる そして・・・・・
滴は光も形もなく 私の温度を伝えた
海になりたかった涙
疲れた脚は砂に抱かれ 心は頑なな形を溶かし彼を見送った
時は刻み続ける 暖かな記憶は海にとけて 星はその輝きをましたよう
そして朝は来る まだ少し遠くにいてね
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TVで若者が農業法人に就職している例を特集していた。私達の世代は環境問題がクローズアップされていたし、成長社会のひずみも感じているわけで、どこかで地に足をつけたいと願う人は多い。
私の部屋には10年前からあるものばかり。欲しいものは多少はあるけど今あるものを捨てて買い換え様とは思わない。二層式洗濯機はもう15年にはなるけどまだいけるし。ビデオは半分壊れてるけど再生はできるし。 友人の車は中古なのに200万もする。夏タイヤを買い換えたそうだがその代金で私の車が買えてしまう。少々うらやましくもあるがそんなに欲しいわけではない。 それよりも何かを育ててみたいとか、見落としていたものを見つめなおしたいとか、そんな感覚は若い人にはとても多いと思う。気だるそうに見える若い人は何をしていいかわからない人たちだ。そういっていられるほどこの国は豊になった。それでも悩んでしまう日本人ってなんて真面目なんでしょう。
物はあくまで物であって、息長く何を感じられるかがを大切にしたいわけで。それが農業かといわれるとどうかと思うけれど、そういう流れは普通にある1つだと思う。たぶん親の世代が考えるほど農業や職人に対する偏見は若い世代は持っていない。 農学を勉強しても会社勤め、農業を守れといって農協勤務、跡取がいないといって息子を公務員にするなんてのはよくある話。新しい人が必要だし軋轢だって必要なのかもしれない。
”職業に貴賎はないが順番はある。一番は農業だ”と、誰かが言っていた。
世がみんな銀行員、医者や公務員ばかりだったらいったいこの世はどうなってしまうのか? そんな不安を抱えながら暮らしている人は案外多いのではないのかなぁ。
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太陽が暖めるのはまず地面からと昔習った。炭の暖かさは風が吹いても暖かいのも知っている。実感するにはまず地面に寝転がる事と見た。
昼休みに寝不足の私はまた河原に休みに行った。時計を忘れたので戻る時間がわからなかったけれど、何とかなる気がしたのでさっさと寝転んだ。川は雪解け水をたたえてけっこういい音を出している。風はまだ冷たく寝転がっているのは私だけだった。 転がってみるとよくわかる。地面の暖かさは太陽の香りがする。風は思いのほか底では弱い。まだ弱い日差しは底から受け止めた方がずっと感じられる。川の音と土の香り。ゆっくり休むにはこんな素敵な環境はない。
と、食べた弁当を狙ったカラスが2匹、驚くほど近づいていた。お、カラスの頭はわりとふさふさだ。目は愛嬌たっぷり。口はものすごい強力そうだ。これだけ身近なのに、全く気を許していないのもよくわかる。つかずはなれずというのは、大人の関係というより人とカラスやすずめとの関係なのかもしれない。 弁当の袋をあきらめた彼らは木の根の方へと仲むつまじく飛んでいった。そばを自転車が通り過ぎた。寝ているそばを通られるとまるですっごく早く回る観覧車みたいに思えた。
さてと、そろそろ起きてみる。風はやっぱり冷たい。でも、時間の流れには根拠のない自信があった。川の音を聴いていたからかもしれない。
で、時間は間に合ったかって? しっかり2分前。だから川辺はやめられないの
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2001年05月01日(火) |
かたつむり (回想録) |
雨上がりの窓に残るぬめぬめとした光沢。なんとも気持ち悪い気もするけど、その主がまだいたりするとそれなりに許せてしまう。 我が家にあらわれるのは立派な殻を持つ輩ではなく、すぐにもつぶれてしまうあめ色のかたつむり。へばりついている部分はその真ん中を浮かせたようにして、巧みな吸盤と化している。なんともスムースに見えるけど、退屈な雨の中であんぐりと窓を見上げている私にはなんともじれったく思える。母も洗濯物を家の中に干しながら、なんともうっとおしそうだ。
わざわざ外に出て、つんとのびた目の先をつつくのは定番。彼らの体の中で唯一の色素であろう目は、幾たびの攻撃にもめげずうにょにょと首を振りながら伸びてくる。手の届く範囲にいるようにツンツンとつつきながら、ぬめぬめに”の”の字を描かせるのはちょこっとだけ楽しい。
翌朝、朝露に濡れた窓に彼がまだいらっしゃる。日の出ていない間の方がなんとなく元気そうにみえる。クリーム色の脚だか吸盤だかわからないお肉は、うにょうにょと見えそで見えない動きをしているのが光の加減でなんとなくわかった。なんとも幻想的で浮世離れしたその様子にみとれていると、その後ろの方から肉をとおして黒っぽいものがゆっくりゆっくりお姿をみせてきた。いかにも現実的で、意外と長い。どっからでてきたのかなどは全くわからない。なんとも生き物しててよろしい。
”もー うっとおしいわねぇ”
洗濯物をとりこんでいる母がいう。それらには彼らが這っていたものがあるのだ。もちろん乾いた中にはいないのだけど、その痕跡は私が見た現実的なものがひからびていることでわかるのだった。
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