私季彩々
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2001年04月30日(月) 恋は桃色

”ここはどこなのかどうでもいいことさ
 どうやってきたのか忘れられるかな ”

  私の一番好きな曲の最初のフレーズ
  今ある風景をそのまま感じられるなら
  それはきっと幸せの姿なのでしょう

”ここは前に来た道 川沿いの道
 雲の切れ目からのぞいた見覚えのある街”

  それでもどこかに過去を重ねてしまう
  それも含めて今の自分なんだなろな

 細野春臣(はっぴぃえんど)

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2001年04月29日(日) 日記とはみられるもの?

 中学生の頃ちょこっと日記をつけた。ほんの数行だけど。あの頃はいろいろあったから書いている内容はけっこう暗かったように思える。家を出てからも持っては来ているけど一度も開いたことがない。多分一生見ることはないと思うけど捨てられないのが日記の不思議なところ。死んだ後に見られるのも嫌なのに生きてる間なんてもっての外、だというのに捨てられない。
 お気楽なことや無茶苦茶沈んだことを書いてみたり、めろめろな事をのたまってみたり。寝る前のわずかな時間に蛍光灯の明かりだけをつけて鉛筆を走らせている姿はなかなか絵になる感じ。

 見られない、見せたくないものを残すというのは変な話だ。私の場合は読み返した事もないから全く意味がない。あくまでも書いているその時が大事だった。
 けれど、見られる事を意識していないかというと嘘になる。机に置き忘れた事を思い出した学校ではらはらしたり、何故かかばんに入っていたり。
 じゃあ、書いてるときはというと、どこかで見られる事を考えているように思える。心のどこかでかっこつけてみたり。自分の知らない誰かにだったらどこかの陰から読んでるところを覗き見てみたいような。そんなだったから結局長続きしなかったのかもしれない。

 書くというのは記録に残す事。残るものを自分のものだけに留めるのは難しい。何かでもれるかもしれないし、見せたいという欲求が出る事もある。インターネットに溢れる日記はそんな人には本当に画期的なものなのだろう。
 もちろんそんなものばかりではない。そんな縛りから抜け出した言葉達には必然的に力が備わっている。書くというよりも描くというイメージ。そんな言葉達を描きたいと思っているけど、そう思っている時点ですでに縛られている。
 ま、それはそれで普通でいいとは思ってるのだけどね。そんなところにも素敵な言葉達はやっぱりいるし。

 今は久々に言葉を紡ぐのが楽しいってことで。”のほほん”の境地の入り口だといいな、と思ったりしてます。

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2001年04月28日(土) お金に未練・・・

 大金というと人それぞれ。私は貧乏だから1万円でも大変だ。そんな私も今日は24万円を振り込むという、人生でも2番目に大きい支出をする日だった。銀行で引き落として振り込むまでの数分間。お金はすぐに封筒に入れてしまったからか、そんなに実感はなかった。
 番号を呼ばれて封筒を渡した。人の手に渡ったお金。目の前で数えられる1万円札。機械的に数えられる。2度確かめられる。その1枚1枚が私にその現実を思い知らせていく。確かにこれは、私が苦労しつつも貯めたお金だ。通帳に眠っていたとはいえ、この前にあるお金はあらゆる可能性の一部だった。それが今、無感動に数えられて消えていく。いいようのない無力感に私は小さく震えていたような気がする。
 
 結構必死に貯めたお金だけど無駄金になるかもしれないお金だった。けっこう頑張ったお金だった。そのお金も窓口を過ぎれば背景もわからない”札束”に変わっていく。私の想いもただの群れの中にまぎれてしまう。
 そういうものなのだろうか?
 いつまでもこだわってはいけないということか?
 そんなつもりはないけど、こだわっているのはお金だったのだろうか?

 不安定に生きているとお金や他人の目なんかにゆらゆらすることになる。いやいや、銀行というのは未練を捨てる場所なのかもしれない。

 と、そこに4年振りに札幌にいるはずのない彼に再会したのだった。大金はすぐに利子を運んでくれたってことねん。今日ここに来なかったら一生会わなかったと思うから、お金というのは縁を運ぶもの、ということなのかねぇ。

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2001年04月27日(金) にわか評論家

 総理大臣が決った。まぁいいのではと思うけれど、大臣決めるのに数時間前に電話かけて受ける受けないを決めてしまうというのはどうなのだろう? 今仕事やってる人なら少しは時間が必要だろうし・・・。鳩山氏がそのことを言っていたが、置いてけぼり食らったかわいそうな党首の凡な発言としては◎。
 しかしおかしいと思うのはあの大臣会見でのあの言葉。”靖国神社公式参拝について?”と、真っ先におんなじことを繰り返す朝日新聞の記者だ。なぁんも考えていないんと違うのか? そんなこと聞く前に他に聞くことあるだろう? あれだけ続けるとあんたどこの国の記者やねんとききたくなる。
 ついでにだけど、田中眞紀子氏にぶら下がって”なにか一言”としか聞かない記者。それじゃあ、ワイドショー以下だってば。
 森さんはマスコミと仲悪かった。けれどマスコミの対応もあれじゃあ・・・、とおもうことも多かった。森さんは好きでもないけど明らかにパッシングを用意してそこに誘導してるのが多すぎ。たまにまともなコメンテーターが、報道の行き過ぎを指摘しても謝ることはないで、聞かなかった振りをして流してしまう。あれは批判ではなく”いじめ”だった。
 ブームは結構な話だし、今の政治に必要なのは正論よりも勢いだ。だからこそ報道はしっかり手綱を引き締めて欲しい。って、あたしゃもにわか評論家になっちった。
 でも、政治ってやっぱ大事よん。

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2001年04月26日(木) 初講義はガツーンと!

 人前でしゃべるのは実は嫌いではない。会話のキャッチボールは苦手だから独演会になってしまいがちという嫌われ系だけど、というと何があってるのかというと講義が楽しい。そう、私は週に1度4時間の講義を受け持っている。学生さんはどう思うかはさておき、時間はあっという間にたつし何の下準備もしないで結構しゃべれるものだ。
 20歳前の若者30人の前でしゃべるのはなかなかあがりそうだが、学生さんの顔をいちいち見るほどの余裕はない。話すことは次々と浮かんでくるから。いやぁ、学生の興味を引き出して講義をするのは本当に難しいことだ。たまに顔を生徒に向けると、聞いていてくれている人は1/3というところか。まぁいいところだろう。窓際の学生はなかなかうるさいが、ちょっと質問すると結構答えてくれる。こういう学生さんが一番早く就職が決る。人間、知識よりも明るさが大事というのが私の印象だ。
 少し余裕が出てくると、なんとなく周りを見渡せるようになる。さて、美人はおるかとか、化粧の濃いのは多いかとか。が、なんかみんな同じ顔に見えてしまう。なんと、みんなスーツ姿なのだ。接遇の授業で正装をしてきたとのこと。この姿で人が集まると本当に没個性的になってしまう。こんなに若いのにもったいない。私がジーパンで行ってるのだから変な話だ。
 今日日の学生さんは机に携帯電話を置いている。口蹄疫という家畜の病気は人には移らないと書いたのだが、その端でi-modeのニュースで人に移ったらしいとのニュースを見ている子がいたりする。いやいや、時代は私なんかをどんどんおいていく。
 さて、初回の今回。一度はうるさいがきども相手に机をひっぱたいて怒鳴ってみたいものだろう。やっちゃったーーん。
 嫌われちゃったかな? いえいえ、そんなことくらいでだまるほど今日日の若人はこりやしない。でも、私この仕事本当に好きなのよ。あーあ、常勤になりたいなぁ。

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2001年04月25日(水) 信 号 (回想録)

 最近は帰るのが朝の4時頃という日が続く。土日も関係ない生活。
 半年かけた仕事が失敗におわり再出発したところだが少し疲れもある。

 まだたぶんハワイあたりに顔を出しているであろうお日様は、東の空だけに薄紫のグラデーションをかけて、夜と朝が同居している。白を溶かしたような濁りは全く感じられない。光の演出だからかな。

 帰りはその東の空へ向かう。札幌の中心部とはいえ、この時間帯は車もまばら。碁盤の目の路は一直線で遮るものもない。その道の左上に輝く緑の光は一直線にならび、絵の中の道のように中央へ流れていく。

 手前の光が黄色に変わり、次々と黄色が伸びていく。途中手前が赤になって、黄色を追いかけていく。黄色は短くなりながらも逃げる。そして赤の波に消えていく。そのころ青の波が動きだし、車はその波にのって動き出した。 

 たとえまっすぐで見通しがよくても、止まれといわれることもある。なんでこんなところでとまらなきゃいかんのだ? なんてね。頭上にまたたく光の気ままさに一喜一憂したりして。

 青の波が車を導いていく。赤の波がそのあとをついていく。
 道はまっすぐつづいていく。信号は車を妨げない。 移りかわる3色の光が、まだあけぬ東の空へ流れていく。

 さて、私はどこで止まっているのだろう?頭上の光は赤らしいけれど。
 ま、そのうちかわるでしょ。そのうちにね。

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2001年04月24日(火) も少し暖かくなりたかった・・・

 今夜はとてっも寒い夜
 お払い箱したストーブに
 もちっと働け もう少し

 冷めたパスタにチーズをかけて
 深夜テレビとレンジの調べ

 似合わないキャンドルライト
 2人でかざした日もあった
 
 気がつくと真っ暗闇
 着火の瞬間落ちたのは
 レンジと一緒のブレーカー

 みぃんな暖め不足中、ということねん。 

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2001年04月23日(月) 人を傷つけるのは簡単だ

 ため息はどんな時につくでしょう。たいていは自分のふがいなさに心の中でつくものかと思う。ああ、またやってしまった、が数回続けば情けなさに沈んでしまう。1人でやっているならいいけれど、それが周りに迷惑をかけてしまうとなれば尚更だ。
 大抵人というのは寛容だと思う。人の世話をすること、失敗のフォローをすることは結構うれしいもの。もちろん人それぞれだけど、一対一なら何とかなることが多い。わざと間違う人はいない。要領の悪さや意思伝達の不手際などはひとつひとつ潰していけるものだ。
 けれど自分はともかく第三者に被害が及ぶとあっさり怒りが表面に出ることが多いように思える。当事者でないだけにこれはやっかいだ。ましてこのタイプは振り上げてはいないつもりで振り上げている拳を下ろす場所がないのだから、ひたすら雰囲気を壊してしまう。
 人間関係というのは多分に見当違いから生じるもの。失敗を回復する余裕をどうやって作り出せるかが悩みどころだ。それまではなんとか微笑みの仮面をかぶって欲しい。仮面の下の顔が普通に戻るまで。

 人を傷つけるのは簡単だ。
 ただ目を伏せてため息をつけばいい。

 記憶にある限り1度だけそうされたことがある。ため息をついた人はそれに気がついたらしく、しばらくたって優しい言葉をかけてくれた。それでも本当に辛かった。逆に怒りに変わるきっかけになることもわかる気がした。

 せめてため息は心の中だけにしたい。それでも十分重みになる。まだ私はその呪縛から逃れる術を実は知らないのですが。

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2001年04月22日(日) 思わせぶりな春

 最近は何時に寝ても6時前には起きてしまう。朝は大通りを抜けてすすきのを通って中島公園への散歩コースが決定している。
 すすきのの南は地味に神社やお寺が多い。北海道のお寺は境内も狭く建物も重厚さにかけてなんとなくぱっとしないが歓楽街を一歩離れるとこんなところもあるのかと少しおかしくなる。どちらかというとさわやかな朝の中で引き立つ光景だ。夜の街に沈んだお寺はご加護あるというよりちと危なげだ。
 まだ時間があったので弁当を買って中島公園へ行った。今日は冷え込んでいるが心地いい。蓋を開くとどこからともかく3羽のカラスがやってきた。
 カラスというのはおもしろい。こんなにそばにいながら実はよく知らない。野山の野鳥を愛でてもカラスは憎らしいで済ませがちだ。これほど愛嬌のある鳥をほっとくのは実はとてももったいないのではなかろうか。といっても彼らは上手。そんな私に見切りをつけてさっさとどこかへいってしまった。
 もう少し歩くと小さな花壇があった。けれど、みんなしなっと倒れている。多分昨日今日の寒気にやられたのではなかろうか。春はなかなか思わせぶりだ。
 朝はほんとうにおもしろい。これで犬でも連れていたらいうことはないだろうな。でも、そんなさわやかなスタートだったけど仕事はさっぱりうまくいかなかったのだ。うーぬ。

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2001年04月21日(土) あの猫は今・・・

 今日は急に冷え込んだ。外に出て気がついたのだけど、戻るのもめんどくさい。1枚脱いだセーターは置いてけぼりの恨みを残し、我が身は寒さに震えた。そういえば、あの日も半袖の白衣がまだ早い頃だった。

 もう6年も前の話だが、4月の第三木曜日に初めて猫の避妊手術をした。その時別のグループの猫が問題だった。その猫は某教授の飼い猫だったが、いいかげんなことにお腹を開けると子宮がやけに大きい。おいおい、そんなことは聞いてないぞ。と、中にはもう生まれんばかりの子猫が4匹入っていた。
 こういう場合はそのまま安楽死となるのが普通だ。なにしろ引き取り手などいない猫だ。考え方もあろうが獣医の立場で考えるとそうなるだろう。が、それはまだ卵の女学生。帝王切開と相成った。これには結構批判も多かった。

 母猫から完全に離して子猫を育てるのは大変だ。初乳を手に入れるのも一苦労。授乳も数時間おき、排便も刺激しないといけない。1月弱は付きっ切りとなる。保温器代わりの白熱球の明かりの中、彼女彼らはすくすくと育った。が、一番大きいのが下痢をして死んでしまった。
 それからが大変だった。飼い主探しとなるとそう簡単には行かない。生ませた以上は責任を持って育てないといけない。結局2匹は学生の間で何とかすることになった。その1匹は私の友人が引き取った。

 その猫を飼っていた彼女は大家さんにばれて追い出されそうになったが、何とか説得して礼金を払って飼いつづけてくれた。今では彼女にとって何にも替え難いパートナーとなっている。たまたま生きた命が素敵な力を持った。本当にうれしいことだ。
 その猫宛にこの時期に写真集を贈っている。気がつけば、送り先は札幌から広島へと変わった。猫をとても可愛がっていたという彼女のお父さんの訃報が届いた。

 去年はいろいろあって送れなかったけど、生まれてすぐの写真が2枚手に入った。去年の分をあわせて6冊目の写真集となる。私にも6年の時が流れたということだ。

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2001年04月20日(金) 北海道の自然は豊かか?

 道東の白糠町で熊に襲われてなくなった方がいた。山菜取りの最中だそうだ。同行の方が助けに入ろうとしたがすでに遅かったそうだ。けっこうベテランの方だったらしい。ご冥福をお祈りします。
 そして襲った熊は結局殺されてしまう。誰も幸せになれない。悲しいことだ。

 大雪にも支笏湖にも知床にも熊はいる。遠目の熊ならなんども見たことがある。つかず離れずが一番だろうから熊さんには気づいてもらう努力をしなきゃならない。熊のいる地方で山に入るということは、熊に身を預けるという事だろう。
 私は基本的に熊のいる山に入って襲われたのならしかたないと思っている。生活の中に自然があった時代には熊との付き合いも、”まぁ、あのおやじだらぁ”、とうまくやっていけた。それなりの対応もできた。
 しかし今はそうではない。里山の魅力は薄れ、初心者がいきなり奥に入っていたりする。檜山地方などでは畑と熊の領域が近すぎて大問題になっている。

 北海道は世界でもまれに見る急激に開発の進んだ地域だ。過去100年でこれほど人手が入った地域は珍しい。何より人の歴史が短い。ウタリの方々の伝統はあまりにも急激に失われつつある。切り取られた自然が荒々しくその断面をあらわにしていることを忘れがちだ。本州に見られるような里山や鎮守の森は少ないのに安易に踏み込んでしまう。

 知床岬に誘われたことがある。立ち入り禁止かと思ったけれど誰でも行けるそうだ。でも私は行かなかった。聖域が有ってもいいと思う。それに熊はやっぱり怖い。臆病者だ。それでいいと思う。
 誰でもどこでもすぐいけるというのは誤りだ。空間的にいけても経験的にいけるとは限らない。身近な自然や歴史を楽しめずに荒々しい自然を楽しめる訳は無い。

 大雪の高原温泉まで道路が伸びている。お鉢平を抜け天人峡に通ずる道路の計画はまだ凍結のままらしい。あの地に道路ができるなどと誰が想像できるだろう? 本当にぞっとしてしまうことだ。
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2001年04月19日(木) 例えば営業

 今日は休みだったので1日部屋にいた。20度にもなる日だったので体感的には室内の方が寒かったかもしれない。部屋をかたつけようと思ったが結局大差は無いのが悲しい。

 平日だというのに意外と訪問客が多いのが不思議だった。が、NHK受信料徴収員が怖くて予告の無い訪問はあけられない。都市は物騒なのだ。だけど室内の音は筒抜けだから結構しつこく訪問者は聞き耳を立てて食い下がる。こちらはTVの音量を下げてじっとしている。うーーん、まるで引きこもりだ。

 営業というのは本当に大変な仕事だと思う。街頭のティッシュ配りも大変そうだと必ずもらっているのだが、時に気分が乗らないときは無視してしまう。そんなことにもなれてしまわねばならないのが仕事とはいえやっぱり大変だ。
 ものが売れない時代だという。確かに部屋にあるものはほとんど数年前からあるものばかり。何を売るのも大変だろう。もし、それが自分でも”どうか?”と思うようならとてもきつい仕事になる。今まで関わってきたものが突然お払い箱になる時代。

 何を信じればいいのだろうか?

 情報だけが肥大化する今、気がつけばみんな裸の大様になりかねない。それでも豊かに生きられる何かを持っているのか。”のほほん”の境地はまだまだこれからですな。 Home&Photo


2001年04月18日(水) 卒業するのはさみしいけれど

 ネット上では寡黙な人で通っているようだけど、普段はおとなしい人で通っているけれど、実は結構おしゃべりだ。わりと説教くさい。自分のことは棚に上げる。いやいやこれはよろしくないのぉ。

 とある後輩と飲んだ。彼は大学を退学しながらもほとんどをサークルで過ごしている。実家が裕福でいずれ継がないといけないから、と就職もしない。他に人間関係が無い。となれば説教の一つもしたくなる。大学のサークルというのはいつまでも先輩が幅を利かせるのはまずい。暇な先輩というのはいくら優しくても問題だ。

 社会に出ると人間関係に幅をもたせるのが難しい。居心地のいいところは本当に貴重だ。でもいつまでもいてはどうしても煩い舅になってしまう。しかし彼は今の状態が幸せだという。と聞くとそれでもいいのかな、と思ってもしまうのだけど。

 時間はやはり未来のために使いたい。卒業しなくてはならない場所もあるはずだ。それは本当に悲しいけれど、OBとしてならまた新しい素敵な付き合い方があるのだから。

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2001年04月17日(火) 運命の人

 札幌を離れる友人と飲んだ。人が集まるのかと思ったが意外とたくさんだった。運命の人とやらを見たが本当に素敵。何より付き合い始めてからの写真がガラッと変わってて輝いていた。これでは、どんな大きな夢を持つ男でもその形の中にこの人を入れたいと思うだろうな。

 だんだんと結婚する人が多くなってきた。付き合っている人ももちろん多い。だんだんそれが前提になってくる。それを抜きにしても素晴らしい人生もあるでしょうが幸せの近道はやはり至極普通な形にあるのでしょうね。

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2001年04月16日(月) 変わり続ける街の中で。

 久々にすすきので飲んだ。どうも多数の飲み会というのは得意ではないのだが(きらいじゃないけれど)。社員全員(といっても正4人パート5人の中小企業だが)の顔合わせということで。夜の街は歓迎会ラッシュだったのか、店の出口でまだ会ったばかりのような初々しい若者が談笑をしている。最近は朝のすすきのばかり見ていたからなんか変な感じ。

 味覚には全くこだわりの無い私は店の個性を重んじたい。札幌には長くいることになさそうだから一軒くらい行きつけのお店が欲しいかな。ま、結局は貧乏人だからそんな飲みに行くことなんて無いだろうけれど。

 札幌に始めてきてから約10年の間、一時は毎週のみに行っていた店が閉店するそうだ。明日はその店で北海道を去る友人の送別会がある。

 気がつけばあの頃通った定食屋や居酒屋が消えている。知り合いはほとんどすべて北海道を去っていった。人が動くからには街も動く。世間とのつながりはたえずかわりつづけるということですね。そんな中かわらないものを見つけてうれしくなってしまうのは、やっぱり不安だからでしょうか。

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2001年04月15日(日) 等身大の春

 朝歩くには遅いし地下鉄で行くには余裕があった。で、200円の最低料金で行ける”すすきの”までいってそこから歩くことにした。地下鉄から外に出るときは、吹き上げる風に押され青空に向かって飛び出すような感じ。今日は抜けるような青だった。ま、最初にすれ違った人はいかにもすすきの風にビシッと決めた派手派手金髪の2人組だったけど。
 そこから歩いて豊平川に行った。河原に雪はなく芝がうっすらと緑がかって川のきらきらと光る水面が似合っていた。遠めにジョギングする人や散歩する人のシルエットが美しい。
 段差のところで水が落ち込んでいる。しぶきを勢いよく上げて水が巻き込まれていた。そこには多数のペットボトルが浮かんでは消えていた。巻き込みのために流れていかない。悲しい光景ではあるがごみを回収すると思えばなかなか面白いものでもあった。激流を飛び越えようとする鮭の群にもみえなくもない。
 その中に1つサッカーボールがあって巻き込まれながらだんだんと岸に近づいてきた。飛沫を浴びながら拾い上げた。久々に川の水に触れて新鮮な気持ち。拾い上げたボールを岸において私は出社の途についた。堤で振り返るとジョギング中の人が私の拾ったボールをちょこんと蹴りながら川を眺めていた。
 街と川。肥大した都市の光景に春の香りが満ちている。自然は街中にも豊かにある。人の暮らしの中に溶け込んだ風景は等身大でやはり美しいですね

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2001年04月14日(土) あとわずかですが・・・

 車の燃料が残りわずかとなるとランプがつく。マニュアル的には残り8リットルであるらしい。しかし、坂に来たり加速したりするとランプが消えたりついたりするのでどこまで信用していいかわからない。燃料がゆさゆさ揺れてセンサーが迷っているんだろう。
 突然ゼロになったらどうしよう、と悩みながらも格安スタンドが通りに無い間は我慢してしまうのが貧乏人。いつか後悔する時が来るだろうけれど、ま、それまではこのまま行ってしまうのだろう。これまでバッテリーを上げてしまったこと数知れず、事故2回。痛い目はあってみないとわからない。わかっているけどやめられない。

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2001年04月13日(金) 雨の情景

 雨らしい雨は久々のような気がする。洗いもしないフロントガラスは初めのワイパーの一振りで見事に茶色く濁った。雪ではできない春のひとこまと言うには私がぐぅたらすぎるという事ですな。
 雨音はとても好き。室内ではほとんどわからないけれど、車やテントだとよくわかる。絶え間なくもしとしとと、時が一緒に流れてることがわかる気がしてくるから不思議。
 もったいないから河川敷に車を止めてみた。雪解けで増水した河の音がわずかに聴こえる。タンタンと。オレンジのライトがすりぬける街中でも目をつぶればかわらぬ音が響く。ラジオからは昔聴いた曲が流れていた。終わるのを待って、エンジンを止める。雨音はさらに低くなり、記憶は浮き上がった気ままさでゆったりとさまよいだした。

 流れゆく光は闇に消えるとも想いは映る雨のラジオに

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2001年04月12日(木) おもしろいこと

 E=mc^2というのは有名な特殊相対性理論。エネルギーは質量に比例するという奴である。これはどういうことか? つまり1円玉の重さを消し去ることができればものすごいエネルギーが生じるということだ。日本海くらい平気で蒸発するんと違う?

 数式というのはいかにも定型的で面白みが無いように思えるがちょと待っていただきたい。”=”の両端の単位が違う場合新たな発見が生まれるのだ。既存の答えを探すのではなく、異なるものの見えない関係が見つかる。これが理数の真の醍醐味である。だから”風が吹けば=桶屋が儲かる”も立派な科学なのだ。

 そこのところをきちんと伝える教育が今なされているのだろうか?何も階段を一歩一歩上がるのに手をひくだけが先生じゃない。高みのおもしろさを示すのも大事な教育だ。コンピューターや宇宙、自然環境に目を輝かせている子供たちに勝手な思い込みで”年相応に”とお茶を濁してはいないか? 勉強の先にあるものに常に関心を払っているだろうか? 知らないことを一緒に調べて上げられるだろうか? 何故勉強が面白いのかを自分なりに答えられる大人がどれだけいるだろうか?

 視点を上げれば段を飛ばして駆け上がっていく子供たちもでてくるだろう、などとおもってみたりして。

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2001年04月11日(水) めでたい

 友達が”運命の人”とやらにであったとかで田舎に帰ることになった。大学院を中退し、北海道で牧場主になるために何箇所かを転々としてノウハウを身につけ、共同経営者となって実現まで後一歩というところだったのだが本人には躊躇は無いようだ。帰ったら牛を1頭飼いつつ嫁さんの洋菓子屋を盛り立てるそうだ。夢の形が少し変わっただけのこと。人生どうなるかわかんないけれど、やっぱりパートナーというのは本当に大事なのね。ほんと、すてきなかたちだとおもうのさ。お幸せにーー。 Home&Photo


2001年04月10日(火) 今朝の街で

 例によって今朝も歩く。あったかい。道の低木にかけられている雪よけの覆いもそろそろお役ごめんだろう。
 交差点の歩道で小さな小鳥が落ちていた。数歩歩いて引き返した。拾い上げると暖かい。鼓動は感じられず目も動かないから死んで間もないのだろう。ガラス窓にぶつかったのだろうか。
 通り過ぎるときほっておこうか悩んだ。戻ったのはなんとなく打算があった気もする。子供の頃拾い上げた感覚とはデジャブにはならないのがなんか寂しかったな。埋めようと思ったけれど街中には土が無い。街路樹のそばに安置するにとどめた。
 街は急速に雪を消し大通り公園も緑がかってきた。すすき野の街は多くの人が清掃に精をだしている。そんななか泣き崩れる女性を介抱している男がいたりする。金髪の姉ちゃんがけだるそうに交通整理をしている。中島公園は散歩にいい陽気。池はまだまだ氷だけど。
 そんななか途中の吉野家で250円の並を食す。これだけでもちょっとした一日の始まりかな、と思う。

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2001年04月09日(月) 歩いてみませんか?

 札幌は地方都市といっても大きな街である。地下鉄も走れば車も信号も多い。中心部を車で横切るには20分はみないといけない。だからテクテク歩いてみる。考えてみると地下鉄に乗るまで数分、待って数分、降りて数分計40分。歩くと1時間である。ま、これが同じ時間なら私は歩く。以前勤めていたところは大学構内を歩き競馬場横を歩く素敵なコースであった。40分間ほぼ退屈はしないし犬と友達になれる。満員電車も乗り換えもない。しかも、自転車でちょっとずるすると20分で行っちゃった。
 都市の縮尺というのは思いのほか大きく見てしまいがち。皆さん、ちょこっと歩いてみませんか?

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2001年04月08日(日) 初めましてにかえて。

※日記という事で日記の事についた文をのっけてみます。

 中学生の頃、ちょこっと日記をつけた。ほんの数行だけど。あの頃はいろいろあったから、書いている内容はけっこう暗かったように思える。家を出てからも持っては来ているけど、一度も開いたことがない。多分一生見ることはないと思うけど、捨てられないのが日記の不思議なところ。死んだ後に見られるのも嫌なのに、生きてる間なんてもっての外、だというのに捨てられない。
 お気楽なことや無茶苦茶沈んだことを書いてみたり、めろめろな事をのたまってみたり。寝る前のわずかな時間に、蛍光灯の明かりだけをつけて鉛筆を走らせている姿はなかなか絵になる感じ。

 見られない、見せたくないものを残すというのは変な話だ。私の場合は読み返した事もないから全く意味がない。あくまでも、書いているその時が大事だった。
 けれど、見られる事を意識していないかというと嘘になる。机に置き忘れた事を思い出した学校ではらはらしたり、何故かかばんに入っていたり。
 じゃあ、書いてるときはというと、どこかで見られる事を考えているように思える。心のどこかでかっこつけてみたり。自分の知らない誰かにだったら、どこかの陰から読んでるところを覗き見てみたいような。そんなだったから、結局長続きしなかったのかもしれない。

 書くというのは記録に残す事。残るものを自分のものだけに留めるのは難しい。何かでもれるかもしれないし、見せたいという欲求が出る事もある。インターネットに溢れる日記は、そんな人には本当に画期的なものなのだろう。
 もちろんそんなものばかりではない。そんな縛りから抜け出した言葉達には、必然的に力が備わっている。書くというよりも描くというイメージ。そんな言葉達を描きたいと思っているけど、そう思っている時点ですでに縛られている。
 ま、それはそれで普通でいいとは思ってるのだけどね。そんなところにも素敵な言葉達はやっぱりいるし。

 今は久々に言葉を紡ぐのが楽しいってことで。”のほほん”の境地の入り口だといいな、と思ったりしてます。

※というのが大体のスタンスかな?よろしかったらお付き合いください。
※HPにはちょこちょこ写真や花言葉などを添えてます。ご来訪歓迎。
※日記、山、トレッキング、街歩き、北海道好きなど何でも歓迎
※ここでの日記は2001年5月12日からつけはじめました。
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