Epitaph


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2004年05月23日(日)タフ

朝イチで叔母を迎えに行き、婆さんに会いに行った。長野市の母の実家にほど近い、山の中腹にある老人ホームだ。

婆さんは92だが既にかなりボケていて、調子の悪い時は叔母の名前もわからなくなるらしい。耳は聞こえるがかなり遠い。目もほとんど見えない。だがメシはちゃんと食っていて、病気とかはないらしい。それでいいだろう。
フリーターの頃にでも来ておけばよかった。その時期でもわからんが…。この日は調子が良いらしく、娘2人の話にある程度応えていた。


地元で人気のおやき屋で昼飯をしこたま買い込んで、叔母の家に移動。
いとこに会う。高校生の方はいかにも小生意気なクソガキになっていた。超ラブリーだった幼稚園児の頃の記憶しかないので驚きだ。それにしても挨拶くらいちゃんとしろや。

中学生の方は裏のグラウンドで野球部の練習試合に出ていると言うのでちょっと見に行った。中軸らしい。残念ながらヒットは出なかったが、豪快なフルスイングは見ていて気持ちのいいものだった。


母は1男5女の6人姉弟?の四女で、長女や昨日泊まった家の伯母(三女)が続々やって来ておやきを食いながら談笑。長女夫妻は割とすぐ帰り、三女、四女、五女によるお喋りマラソンがスタート。
次の日の事を考えれば早めに出発した方がそりゃ良いが、久々だしまあ好きなだけ喋りなさいな、という事で横で寝ていた。

1時間後起きてみるとまだ3人で喋っていた。さすがだ。
そして帰りも。

2004年05月22日(土)更埴

鳥取の爺さんの葬式で何か考える所があったのか、母が婆ちゃんの様子を見に長野に行きたいと。お前10年以上顔見せてないから行かんかという事で長野に一泊ドライブ旅行。

最近、主に酒によって「ファイトクラブ」のエドワード・ノートンのような自己破壊というか、まあ単にグダグダで退廃的な生活を送っていたわけだが、これを修正する良い機会を得た。仕事に支障きたしつつあったし。


叩き起こされてからもそもそと準備を始めて10時前に出発。道路は順調で13時過ぎには更埴。母は3時間半ぶっ通しで喋り続けていた。
そういや最近流行りの合併で、「更埴市」は消滅して「千曲市」になったらしい。面白い地名なので残して欲しかったが、、偉い人には(略
迎えに来た伯父は相変わらず飄々としていた。


伯父宅。ちょっと喋ってちょっと寝てから散歩に出る。住宅街だが少し歩くと山々と田畑。二毛作やってんのね。麦が美しくてちょといい気分。伯父も共同名義で畑を一つ持っているそうだ。いい趣味だなあ。


戻ると、車で10分ほどの距離に住んでいる叔母が来ていた。そのうち叔父も来て宴会。「こないだ白馬来たんですよー。来年はもっと滑りますよー」なんて言ってたら「じゃあウチに泊まりに来なさい」と言われる。こりゃ有難い。

叔父、相当酔ってタクシー帰り。俺は自動操縦で外をしばらく散歩。する事は変わらんな。

2004年05月20日(木)3

朝まで飲み

2004年05月17日(月)2

朝まで飲み

2004年05月15日(土)1

朝まで飲み

2004年05月08日(土)明日は雨

家に戻ると「香典から金抜いて数えてくれ」と言われる。全部の香典袋に糸通すなんて初めて知った。集計したらちょっとビビる額だった。

数名が早めに帰るのでその前に皆でもう一度墓に行った。1日で色々並べておいた飾りが風で飛んでたりなぎ倒されてたり。四十九日までもつのだろうか…。
おそらく爺さんにとっちゃ一番大事な酒瓶は無事だった。しかし浴びる程飲んで(1日1升以上飲んでいたらしい)83まで生きたんだから本望だろうな。


爺さん婆さんがかなり世話になった人(元々は伯母の踊りの先生)の喫茶店に挨拶に行く。「東京の息子がこの花送ってくれたのよー」なんて言われても母の日って事にしばらく気付かず。
このオバちゃんと話すと田舎の人間関係の良い面と悪い面を同時に知る事が出来る。


出発前に温泉に入っておく。婆さんはしばらくしたら東京に出てくるっぽいし、この町に来る回数は減っていくだろう。墓とか上のオバちゃんとかで全く来ない事はないと思うけど。


帰り用に本をあらかじめ買っておいた。月刊メジャーリーグではあのクロマティが今季の予想をしていたが、デーブ大久保並に適当で説得力の無いものだった。
あと熟語集。これはまあ寝るためというか。

弟はまだシグ2でレポート書いてる。原稿用紙で出すとか言ってるが…作文かよ。公務員も某弱小偽装派遣会社もやってる事は変わらんなあ。いや某〜は原稿用紙は使ってないけどなんつーか、アホさ加減が。

2004年05月07日(金)送別

9:30頃 倉吉着。いとこが迎えに来た。葬式は11時開始なのであまり時間がない。ドコに行くのかと思ったら葬式も家でやるそうだ。ふーん。
速攻着替えて挨拶など。親族の雰囲気は割と明るい。皆同じ様に考えているのだろう。

しかし長い長い…1時間はお経読んでたろうか。殆どの人が耐えられなくなり足を崩している中、後継ぎの自覚なのかどうかは知らんがなんとなく「ここで頑張らんでいつ頑張る」とずっと正座を保っていた。しかし人間無茶するもんではない。足割れたかと思った。

棺を閉める時、爺さんに触ってみた。やはり冷たかった。


この辺りでは、棺を運び出す時に、ワラジを履いて家の前をぐるぐる回ってから霊柩車に入れるという風習がある。棺の後には葬式に使った何かの飾りとか、親族と友人がそれぞれ何か持って続く。一人がシンバルみたいのをジャンジャン鳴らすのだが、鳴らし方が中途半端なのも風習なんだろうか。

数分は回っていただろうか、後ろを持っていた弟といとこが疲れて棺の向きが変わってきている。超ヤバイ。まあ棺桶落とすわけにはいかんのでさすがに必死で耐えていたが。前担当の俺と最年長いとこより若くて一回り大きいくせに、、、

マイクロバスで火葬場に移動。みんな口数が少なくなっていた。
火葬炉に入れる時、うちの妹が一番激しく泣いていた。


最近は四十九日の法要もある程度済ませられるらしい。一旦戻ってまたお経。火葬場に戻って骨を拾って寺に移動。んでまたお経。納骨を済ませた頃には日が暮れかけていた。
親父は初めての事に困惑しながらも、丸二日寝ずに見事に全てをこなした。


公民館で親戚や近所の人とメシ食って、俺を含め数人は裏山の国民宿舎へ移動。全員泊まれない事はないけど布団足りないし。

温泉は普通の風呂っちゃ風呂だが微妙な暗さがなかなかいい。
酒飲んでたはずなのに、戻ってきたらみんな寝ていた。窓際で、月明かりでしばらくボーっと一人で飲む。
昔よく早朝に、爺さんの運転する軽トラの荷台に乗って、街灯に集まるカブト虫を取りに行った事なんかを思い出していた。

2004年05月06日(木)行路

親父はGWの間ずっと鳥取にいた。妹と母は昨日の夜行で向かった。俺と弟は今日仕事に出てから出発。

新人の弟がこの時期、この事態でも出なきゃならないような仕事をしているとは思えない。てか実際してない。でも、、まあいいや。実際今日行ったら「すぐ帰っていいよ」言われたらしい。当たり前だろが。

「向こうで動きやすいし車で行こうぜ。10時間で着くし」と言っても「俺、車の中だと寝れないから」 ああああ融通利かねえ。
全くいいクソ役人に育つ事でしょうな。


20:35だかの横浜発「出雲」に乗って11時間。車より時間かかるのかよ。
崎陽軒シュウマイ弁当、ビール、つまみ等は2時間程で食い尽くす。食堂車があるさ…って営業してねえし。
駅に停まるとホームに突っ立ってる奴と目が合う。何見てんだゴルァ。


横浜で暇潰し用に慌てて選んだ「英語の名言」とかいう本が超つまんねえ。シェイクスピアとかばっか。カーネギー(鉄鋼王)とかのがよっぽどいい事言ってるだろが。速攻放り投げてゴルゴ13を読み耽る。

弟はというと、俺のシグ2で何やらレポートを書いている。研修レポートだそうだが、今打ち込んでいるのは下書きで、最終的には手書きで出さなきゃならんそうだ。
…サイバー行政なんて遠い未来の話ですね。


通夜はバタバタしたがなんとか無事終了したらしい。

悲しい、というか「今年2度会えてよかったなあ」とか考えていた。
弟と母も今年1度会っているが、10年以上会っていなかった妹はさぞかし後悔している事だろう。

2004年05月05日(水)訃報

爺さんが死んだ。7ヶ月よく頑張ったと思う。

2004年05月04日(火)不覚

うわぁぁ見られたあぁぁあぁ


Rがこれから日本人の友達と会うけど来ないかと言われ、一旦帰ってひとっ風呂浴びてから「FRIDAY'S」で再合流。お友達Cちゃんは1コ下で明るくいい感じだ。
その昔、バリでおイタをした事を速攻バラされる。

同じビルの和風なとこに移動。ミソスープのド真ん中にカニが鎮座ましましているのを見て外人2名が「なんじゃごりゃあ」という顔をしている。でも「うまいうまい」と言って食っていた。カニ味噌は食えないらしい。って超どうでもいい。

Cちゃんが帰るとKのテンションがあからさまに下がっているのが笑えた。

2004年05月03日(月)Onsen

朝7時JR町田駅。例の講師達と3人で日帰り山梨ツアーだが雨降ってやがるクソったれが。

2時間ちょいで勝沼「ぶどうの丘」到着。こっちは降ってない。ワイン祭りとやらは10時開始らしいので、待ちに待っていざ行ってみるとずいぶんショボいなオイ。まあいいや。祭りはスルーして過去2度来ていながら入る事のなかった地下ワインカーヴに侵入。

…樽から飲ましてくれるようなのを勝手にイメージしていたのだが、売り物のボトルがやたら積んであるだけだった。通路の真ん中に点々と、テーブル代わりの樽に試飲用ボトルが置いてあり、ここにある全てのワインが試飲できるようになっている。まあいいか飲めれば。

タートヴァンとかいう試飲用の容器はとても小さいものだが、それに何度も目一杯注いでガバガバ飲んでいるおっさんを発見。おい、そりゃ tasting じゃなくて drinking だろと。Kが「1100円でノミホーダイは安いよね」と言った。
確かに地元のアル中とかが入り浸ったりも可能だよな。出入禁止になった奴とかいるんだろうか。

外の祭り会場で「ぶどうの葉っぱの天ぷら」を食う。まあ食えない事もない、という感じ。やたら塩が利いた大盛りを完食してしまい、かなり気分が悪くなる。


温泉があるのでついでに入っていく。Rは日本の温泉は初めてだと言うので、作法っつーか最低限の事を教えておく。全裸になるのにはやはり抵抗があるようだ。
熱い風呂が好きな俺的には内風呂は丁度良い温度だったが、Kは「アツイヨー」と言って早々に出ていった。露天風呂は彼に合ったようだ。
結構早めに上がったのだが、Rが既に待っていた。Kと同じように熱くて耐えられなかったらしい。だらしねえな外人。


渋滞を抜けて河口湖に着いた頃にはまた腹が減ってきた。名前忘れたが老舗のほうとう屋に入る。Kがうまいうまいと言って汁まで全て飲み完食。さすがだ。

湖畔をブラブラした後、「車の中で寝てる」と言うRを放っといて1200円だかのバカ高い日帰り風呂へ。元々こっちで入るつもりだったんすよ。しかしせいぜい1000円だろおい。打たせ湯をKに教えた。


帰る時も渋滞。下ネタで盛り上がってくると当然彼らは早口になり、しかもスラングがようけ出てくるのでサッパリ聞き取れん事が度々ある。まあそれは仕方がない。

とある高速沿いのラブホテルのネオンを見た2人がゲラゲラ笑いだした。
「『WHITE BOX』だってよーアヒャヒャヒャヒーーーウヒウヒ え?意味? だから white の box だよ。白人のXXXXだ。アーーッヒャッヒャヒャヒャ」
なるほどすげー名前だ。


21時半頃町田に着き、どうすんのかと思ったらやっぱりこれから飲みですかそうですか。はいはい行きますよ…

2004年05月01日(土)糸冬

滑りに行くとかうだうだ言ってたが結局ポシャって飲みに行く。
恐らくこれで2003-2004シーズン終了。まあ充分でしょう。来シーズンもっと行くし。

前出の英国紳士Kは既に別口でどっか飲みに行ってるらしく以下略