「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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初めてのナース一人夜勤(ナースとケアさん一人のペアです)。緊張もありましたが、どちらかというと「どんなだろう?!」のワクワクを多く持って出勤しました。日勤の同僚達は私を見て「ついにその日が来たね」という感じに笑いました。私はふとすると緊張しそうになる気持ちを同僚達に「パワーをもらっておく」と言ったり、彼女達の手に触れさせてもらったりして遊びの中で切り替えました。皆さんは時間が来ると帰って行きましたが、私は不思議にも帰っていく皆さんに見守られているという気持ちがしていました。 残りが最後の一人、責任者だけになった時、二人の患者さんの様態が一度に悪くなりました。私は少し心細くなって、「もう帰っちゃいますよね。そうだ。帰る前にパワーを分けて下さい」と言って責任者の腕に軽く触らせてもらいました。すると責任者は「いいよいいよ。私はもう帰って寝るだけだから、うんと触っておいていいよ」と言って腕を広げました。その腕の柔らかいこと。私は再び自分を伝えていいのだなぁと安心しました。その後、責任者が他の人に「あの子(私)が心細い顔してるからもう少し残っとく」と話しているのが視界に入りました。その様子も私にとっては安心の材料になり、私は丁寧に仕事をしました。 ケアさんと私との二人だけの一晩は、相変わらずすること満載。わずかな食事時間にもコールが鳴って満足に座っていられませんでした。眠くて思考が鈍った時はケアさんと二人で「あ〜眠い眠い」と声に出して目を覚ませました。 夜が明ける頃、前夜のうちに少し持ち直していた急変患者さんの様態が再び悪化しました。でも、こんな場合も急いですることはあるけれど慌てる必要はないのです。最善の判断ができるように、これまでの経験を呼び起こすように自分に耳を澄ませ、その時間を共有しているケアさんに相談したり、またはお願いをしたりしながら出来ることをし、そうしているうちに患者さんは一応落ち着きました。 まもなく、日勤の人たちがやってきました。「朝が来たんだなぁ」と一安心。喜ぶ気持ちにまだ仕事時間だよと言い聞かせ、皆さんに申し送りをして終了しました。すると、出来たことに対する満足感と何かしらのやさしさの中に居ました。それはきっと新しいことに対する好奇心と持って生まれた素直さの中で仕事をしたからだと思います。 帰る前、私は責任者に昨日安心した自分の気持ちを伝えました。責任者は「一晩出来てよかったね。あの患者さんも守ることが出来たよね」と言いました。私は「あれ?」と思いました。自然な死という観点から見てそうしたことがどうかは別にして、私は痰が詰まって呼吸が出来ない方の痰を取り除いて一時的であれ、楽になるよう手伝った。どういえばいいのでしょう。命を手伝ったというような、今までとは違う感覚でそのことを実感しました。 昨日ストロークに利用した責任者は、その前日に申し送りの中で意見を交わした女性と同じでしたが、私は前日の出来事に対してこだわりを持っていませんでした。それは感じた時にその場所でで自分を伝えられたことで終了したからだと思います。少し話が逸れるかもしれませんが、私は社会では常にいろいろな場面に出会います。それは私の価値観とずれていたり一緒であったり、その時々で私の感じることも違っています。一昨日は私の希望と一致したのでしょう。 家に帰ると眠さとは別に、したいことが浮かんできました。心が楽だと切り替えもすぐに出来るのでしょう。 昼寝の後、新聞を読みました。私自身は楽に生きられるようになっているけれど社会には問題が多く、中にはそのことをどうしたらいいか、世の中がもっとよい形に変わることを願っている人が居ることを、新聞の中から知ります。そんな時いつも、「なにかしたい」という思いが広がります。そして、大袈裟だけれど、自分の考えを社会に伝えていくことが私の仕事のような気がしています。そして、何が出来るか、まだ分からないのです。このわからなさが面白いです。
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