「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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昨晩23時前、名古屋へ向かうバスに乗りました。一晩過ごした夜行バスの旅は乗車前に梅酒を飲んでおいたせいか初回よりも楽に過ごせました。前回の経験を生かして寝る体制にもコツをつかめたことも大きかったのでしょう。小さい体を座席の足元辺りまで下げてひじ掛けを枕にして入眠。休憩でサービスエリアに着くと明かりが付くのでトイレに行き、今度は反対の方に曲がって入眠。腰を痛めずに済む体勢です。子どもの頃から小さい体にコンプレックスを持たされていましたが最近は便利で嬉しいと度々思います。 早朝5時に名古屋へ到着。少し荷物が増えて重くなったスーツケースをゴロゴロ引いて夜明け前の名古屋の道を歩きました。初回に帰ってきた時とは違う感覚。「帰って来たんだなぁ。2回目の景色なんだなぁ。2回も子どもに会いに行けたんだなぁ」と思いました。そのとき、東京で目覚まし時刻にセットしていた音楽が鳴りました。私は毎朝子ども達の朝起きを、前の晩に頼まれた分だけ手伝いましたが、その寝顔にそっと声をかける時、過去とは違う・やさしい気持でそこにいる私を確認しました。(ただし子どもには「お母さんの起こし方は、もっと眠くなっちゃう・まだ寝てていいよという起こし方だよ」と言われて笑い話になりました…。) 出来たことを挙げてみると、頼んでもらえたことをすぐにするとそのことさえも私の自信になると学びました。その理由は『インナーチャイルド』(P301)に「子どもは直感的に、ある人が時間をかけて構うものは、その人が愛しているものであることを知っています」と書いてあるのですが、私は「子どもは親が何を大切にしているかを感じている」と思うからです。反対に「行ってらっしゃい」や「おはよう」の声かけは相手に返事を要求する言葉なのだと改めて気付かされました。その気付きをきっかけに次への階段を上る私を確認する事も出来ました。 それからこんな事もありました。私が荷物整理をしていた時、トランクから短くて縮れた毛が一本出てきたのです。私はそれを拾って「これは誰のかなぁ?」と傍に居た娘に尋ねました。娘は最初、(えっ?)という表情をしました。その私達の傍に別の娘が「何?」と寄ってきました。私は「これなんだけど、私のかなぁ?」と冗談を交えて言い、最初の娘は「それは私のじゃない。お母さんのだよ。だって…」と言い、後から来た娘は少し恥ずかしそうに笑い、その私達から少し離れた場所ではもう一人の娘がクスッと笑っていました。 私はかねてから子ども達と、大人になることや性について語り合いたいと思っていたので、自然な形でそのように出来たことを嬉しく思いました。楽に生きていると傍に落ちている小さなものもそのことを語るきっかけに利用出来るようです。 私自身は子どもの頃に、このような機会はありませんでしたが、「性」は家族や親子で語り合ってもいいこと・語りあう必要があることだと思っています。そして、母の私が女性の体を語ることは娘達が女性の自分を知る原点のような気持ちもしています。 ということで2週間の旅は出来たことが重なって終了しました。又、新しい未来が待っています。
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