「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2009年02月24日(火) あっという間の一年間

 最近は友人に会うと「一年は早いねぇ」と話します。私は一年間何をしたかなぁ。
 最初の3ヶ月は言葉を勉強しました。日本に居るときは、通学は3ヶ月を目安にしてていたけれど成長する自分がうれしくて時期が過ぎても通いました。「優先順位は?!まだ行ってるの?!」の導きがあっても通いました。ある日、学校に行くということが精神史を変える作業になっていると気付きました。楽しみの延長が自然に心の作業につながっていたことを知ってうれしくなりました。
 テコンドウも習いました。再び「優先順位は?!」の導きがあったけれど、どうしても通いたかったので内緒で通いました。試験も受けました。その後すぐに引越しをしたので帯はもらえませんでしたが、覚えた技がその後に意外なところで効果を発揮しました。練習していてよかったなぁと思いました。4ヶ月目頃、来た当初よりも楽に動いている自分を感じました。その頃、長期滞在し帰国間近の日本の友人が「慣れた頃に帰るなんて寂しい」と言いました。私は自分の動きを振り返りました。自分は3ヶ月情報収集をして、今はその先を知りたいと思っていると実感。友人と私は「新しいことをするには、そのことを知るのに3ヶ月くらい掛かるんだね。それから、あそこに行ってみよう・あれをしてみようと行動範囲が広がってくるんだね」という意見で一致しました。
 しばらくのち、本格的にまとめに入りました。ある時の2日間、没頭しすぎて頭が痛くなりました。それから、自分に耳を澄ませるように意識しました。してみると「なんまること」ができるようになりました。「出来た分が出来た分だよね」ということで、散歩と称して遠出もしました。
 10カ月目頃、帰国が目に見えたとき焦って「真面目にしておけばよかった」と反省しました。けれども、目の前に広がるクチの自然とニャチャンの海と周囲の人々との触れ合いも楽しかったので、遊びに行くために早起きしてまとめをしました。

 そして明後日帰国。今日は夕方から日本女性の友人と会いました。意気投合したのは「一人で生きるって気楽で楽しいよね」。友人の生き方はタンポポの綿毛のように自由に生きている私と似ているのです。意見が分かれたのは「体罰は少しくらいあったほうがいい」と言う友人と「体罰反対。自分にやさしくすることを知っていたら、他者にも自然にやさしくなれる」と言う私。私は「意見が分かれたね」と言って終了しました。友人が「今の若い人は自分の意見がない」と言いました。私は「私も同じだったよ。過去は、病院の中で先生の指示することが出来ればそれでいいと思っていたんだよ。それが出来ていれば大丈夫だと思ってたんだよ」と言いました。「本が出来たら、その本を持って、自分が生きた町の駅に立って売るの」と公表しました。私は、自分の本がどのような形になっても、行商はして歩こうと思っています。自分の作ったものを自分で売るというのが面白そうだからです。


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