「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2008年08月19日(火)

 朝、少し遠い市場まで行こうと外に出たら、3分の2くらい歩いたところで空模様が怪しくなった。2日前に天然シャワーを浴びたから、雨はしばらく遠慮したい。引き返して近くの市場に向かった。市場に行くのはドクダミを買うためだ。日本では視界に入らなかった食べ物は、今では毎食並ぶ野菜になった。
 市場を出ると、晴れている。今日もまた面白い天気だ。行こうとしていた市場が浮かんだが、早く机に座りたい。「まあいいか」と家路に向かった。
 日中は、一日まとめだ。お昼は外に出ようかと思ったが、また空模様が怪しい。夜まで書くことにして、再び机に向かった。
 今日の作業は、精神科の門をくぐった私のことだ。病気はある日突然なるものではない。子どもの頃、心に乗せられた負の爆弾は、大人として社会に出た時に、否が応でもそれを使って生きなければならない苦しみに負われる。すべては、子どもの頃から蓄積させられたものが弾けてあふれ出たものだ。しかし、その後の人生を考えれば、体が信号を発してくれたことは幸いだ。
 こんなことを書いて残せたらと過去の文章から言葉を捜すが、今沸いてくる気持ちが一番新鮮だと感じたりもする。しかしそれでは過去に書いたものがもったいないと、もう一度過去のページを開いてもみる。
 ちょっと休んでいる間に浮かんだことを、後で書こうしても思い出せず、書き留めなかった自分を反省する。プチライターにとっては、頭に浮かぶ小さな一言も新鮮だったのだ。
 あっという間に夕方になった。パソコンを閉じたら、体がマッタリしているのに気が付いた。頭も疲れている。初めてあの引き出しを開いたからかな。
 生活にはリズムが必要だ。今日の作業は終了!散歩に出た。

 夜は子ども達への返事を書こうかと、息子の手紙を改めて読み直す。別れる時に保育園だった彼は、今、小学生の高学年になっている。やはり、時は流れたのだ。紙の上で、「○○君」と言うより「あなた・君」と呼ぶほうが、「息子」と言うより「彼」と呼ぶほうが相応しい気さえする。
 そして私の中には時の流れに混乱する自分が居る。私は私に、自分が生きてきた道を実感させてあげることが先だ。「自分に一番丁寧にしていこうね」と声をかけて、手紙を閉じた。


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