「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2008年08月21日(木) 展望台

 午後、帰国した研修生さんに会いに空港へ。
市バスを使おうと思ったが、今日は暑くて歩く気がしない。バイクタクシーに乗り20分。早めに着いた時間を利用して空港内を散策だ。
 空港を訪れる回数も数え切れないくらいになったが、空港内に市バスが入っているのを見たことがない。国際線の雰囲気に市バスは似合わない感もあるが、ベトナムの方も使うはずだから市バスが来ないのも妙だ。
 目を凝らして道の向こうを眺めていたら、緑色のバスが見えてきたではないか。バスは敷地内の道をぐるりと回って、国内線駐車場の一番奥に停まった。初めて空港行き市バスを使った時のことが思い出された。あのとき降りた場所は、「降ろされた場所」だったのだ。
 帰りは市バスを使い、途中で降りて30分歩いた。時間的にバイクのお兄さんの呼び込みが多いが、最近は歩くことも楽しめる私だ。
 途中でパソコンやさんに入ってみた。お店の中は平日にも関わらず、買い物客でいっぱいだ。通りの靴屋も洋服やも人ごみになっている。
そういえば、空港ではきれいなワンピースを着た少女が父の帰りを待っていた。この国の人も、高級な生活にステイタスを求めている。家を買い庭を整え、きれいな服を着て歩く。人々は商業ベースに乗せられている。
 

 夜、こんな思考が浮かんだ。子ども達は母の私を待っている。私はまだ成長途中だ。子どもの名前を知らない自分が残っていると感じるうちは会ってはいけないのではないか。同じ間違いを繰り返すのは避けたいからだ。
 しかし、どうだろう。私は何もしなかったのだろうか。いや、してきたはずだ。虐待した自分も居たけれど、初めての赤ちゃんをこわごわ抱きお乳をあげる喜びを感じ、何年か後には子ども達の心を知ろうとした自分が居た。当時は別の私だったとしても、それでも、してきた私は私だ。何とかしようとしてきた自分だったのだ。あの頃の私にも先を見る自分がいたのだ。そうだ、きっとそうなんだ。
 そう思えたら、勇気がわいてきた。6年前までの自分が何をしてきたのか、もっとページをまとめてみたい。展望台に乗って人生を眺める。明日の自分が楽しみだ。


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