「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2008年08月18日(月) 感性の発掘

 自殺未遂を繰り返していたときの自分をまとめた。今までで一番冷静な私。すべては過去のことだ。出来てしまえば、多くの引き出しの中のひとつに過ぎなかったことを実感する。やっと切り替え上手になれたのかもしれない。
引き出しの中で順番を待っている自分もこれから、引き出しの中の小引き出しに収まっていくだろう。
 一つ出来て、そのまま次に移ろうとしたが、何かしらの直感が働いた。「ちょっと待て」だ。パソコンを閉じて立ち上がったら子ども達からの手紙が視界に入り、手にとって開いた。しかし、これも今は違う。手紙を戻してまとめた自分を思い返した。
 「そうだ。出来たんだ」。今日自分がしたことは、今まで一番したかったことなのかもしれない。そう思うと、満足感が広がった。

 そういえば昨晩、「私に何を求めてる?」という言葉を元に、「自分は人に何を求めているのだろう」を探した。すると、ある一定の場所において、「どんな自分も肯定されようとして苦労している自分」がいるのに気がついた。「なぁーんだ、そうだったのか」と心底納得した。過去に作った神話を求めた自分だ。自分以外に 「どんな私も肯定される場所」は、「自然」という場所以外にあるだろうか。
 大人には子どもの頃に掴まされた要素がいっぱい詰まってる。大人は子どもの頃からの歴史を持って一人の大人になる。
 そして、大人には大人としての役割がある。大人だから出来ることがあり、大人だからこそ求められるものもある。大人は、子どもとは違うのだ。
 私が今いるのは、大人の集団だ。(子どもさんも居るが関わりは少ない。)どんな自分も受け入れられようとするのは傷ついた私のすることだ。それも一時のことなら許されよう。たとえ三億人の中の一人にそのことを求めることだって大変だ。自分の為に止めたほうが懸命だ。
 私は私を信じている。私を肯定されても否定されても、私は私だ。
 私の信じているものは、私の感性だ。私は自分の感性を信じている。
過去は感性はつぶされたまま頭ばかりが働いた。今は頭を使うと疲れる自分に育っている。私は感性のある自分を知ったんだ。
 私は私の感性に添って書きたい。もう、ペンの先に自分を閉じ込めた時代は終わった。
 この夜、心の中でこんな言葉を聞いた。
「Mamoちゃん、自由に書いていいよ」。
あー、ついにこの時がやってきた。私の感性に添って、感じるままに書くことが出来る。


Mamo |MAILHomePage

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