日英双語育児日記
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2006年09月09日(土) 音読するということ

Tに英語を読ませていると、しゃきしゃきはきはき読まないなあ、発音明晰でないなあというのが気になる。発音が悪い、というのとも違って、明瞭でない、というかんじ。

このあいだ夫母に、「日ごろの成果」を披露したときも、照れくさいのかふにゃふにゃしながらもごもご読んだもので、I know you can read better.と言われる始末。

ところが、今日、TとSと三人で「のりものカルタ」をしていて、Tが全部よんでくれたのだけれど、その日本語の読みも、けっこうもごもごしていて、まだまだ不明瞭な部分も多く、はきはき読んでいる、とはいえないのであった。

普段は、英語は読めるかどうか音読させるけれど、日本語のほうは、まとめて音読させたことはないので気がつかなかった。日本語のほうは、日常的に、身の回りの印刷物をTが声に出して読んでいるのを聞くことが多い。そしてそういうときは、かなりはっきりと読んでいるのであった。

長いもの、まとまったものを人に聞かせるために音読するのって、難しいのだ、とあらためて気がついたことであった。

・・・19世紀イギリスの視学官が、労働者階級の子供たちの「音読のひどさ」に向ける目の、厳しさ、根底にある無理解と偏見が気になっていたけど。実は、自分も、子供の音読に厳しい目を向けている。


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