自分の過去・2 - 2001年11月12日(月) 朝ちゃんと起きた。6時半(これほんと) 予備校へ向かうとき、太陽は地平線近くにあってサラリーマンは博多駅の方に向かっていた。 小学生は手を挙げて横断歩道を渡り、近所のスーパーは買い物客で溢れていた。 僕の生活ってちょっと周りと時間差があるかも? 原チャで信号待っているときに見た携帯の時計でそう思った今日この頃。 自分で過去は苦痛にしか過ぎないと言っておきながら、またこうやって書いてしまう愚か者がここにいる。 朝起きて牛乳を飲んだときも、予備校でルシャトリエの法則の講義を受けながらも、 僕の頭は「過去」のことを思い、今、僕自身が置かれている立場なんてすっかり忘れてしまっている。 高校の授業時間、窓の外を横切った鳥を見ながら 「彼らは本当に自由なのか」 ということについて一人で熱く議論を初めたり、 ある時、雨降りに乗った電車の窓についた水滴を見ていたら、 気が付いたときにはノート一杯に言葉を書き殴っていたこともあった。 ↑詞を書くようになった原因かもしれない。 結構、発作性のある人のようだ。 さて、また小学校時代の話になるわけだが・・・。 小学校3年のころ、一個上の先輩3人がクラスの中を覗いていた。 その中に話にはよく聞く割と名の知れた先輩がいた。 「ちょっと来い」 僕はいきなり名指しで呼び出されてしまった。 向かった先は運動場。 「1周勝負」 意味が分からなかった。 直接面識があったわけでもないのに、いきなり勝負だなんて・・・。 僕はスタートで少しつまずき、彼の後を追うように走った。 運動場で遊んでいた生徒は全員その「レース」の模様を見ているようだった。 少なくとも、僕はそう感じた。 ゴールのあと、彼らは勝ち誇ったような雰囲気で自分の教室に戻っていった。 一人になった僕はふと運動場を振り返ると、誰もが「レース」のことなんて忘れたように遊んでいた。 あの先輩はあのときのことを覚えているだろうか? 小学4年までは走りに関しては誰にも負けなかった。 もし、小学2年限定世界陸上50m走なんてものに出場していたら僕は優勝していたかもしれない。 小学2年の運動会。 地区対抗リレー(予選)で2番手(1年から順番)だった僕はバトンを最後でもらった。 3年生には一番で渡した。 小学校のトラック1周でごぼう抜きしたのだ。 今でも鮮明に覚えている。 ちなみに覚えてないが決勝でも最後でもらって走ったが一位は抜くことができなかったらしい(母談) 実はこの時、僕には周りは止まっているように見えた。不思議な感触だった。 5年の時に学年である生徒に抜かれるようになって僕はかけっこは嫌いになった。 実はその不思議な感触は2度経験している。 2度目は、高校でサッカー部の練習中に起こった。 全員一斉ダッシュで周りが止まって見えたのだ。 気がついたら僕は先頭にいた。 「あれ?」 そのとき、小学2年の時の記憶は鮮明に蘇った。 そのときまでごぼう抜きのことはすっかり忘れてしまっていた。 ただ、その次のダッシュの時は群衆に埋もれてしまって、 もう先頭に立つことはなかったわけだけれども・・・。 生まれて2回感じた感触。 別にこの話は自慢話ではない(そう見えるかもしれない。そう思ってもらっても構わない) 僕の中では生まれて初めての挫折の一部分にしか過ぎない。 この「走り」と、もう一つ「水泳」での挫折は僕にとっては大きかった。 もしかしたら未だにこの挫折のショックから立ち直れていないのかもしれない。 あの頃は足が速かった・・・なんて話は親がよく持ち出す。 水泳に関してもそうだ。 正直、ウザイ。 が、僕の中で当時この2つで他より抜きに出た存在だったことは、 その他の劣った部分を十二分に補ってくれていたことは間違いないだろう。 つまり、それで「アイデンティティー」を保っていたわけである。 僕は、これからこの二つを超えるモノを見つけることができるのだろうか。 ここまで書いて分かったことがある。 明日の題名は「自分の過去・3」だ。 そしておそらく「水泳」のことについて書くだろう。 また違う発作が起こらない限り・・・。 ...
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