風の行方...深真珠

 

 

自分の過去・3 - 2001年11月13日(火)

やっぱりこのタイトル・・・。

超大作の3部作、ここに完結!!
な〜んちゃって。

いや、まだまだ続くかも・・・??
やっぱりこうやって文字にすると、見えてくるものがあるわけですよ。
そして僕は前を向くのです(多分)
ここに書いてることって友達だれも知らない。
小学校のときのいじめなんかは人づてに聞いてるかも知れないけれど。
それでも、盆、正月はかならず連絡を入れてくれる友に感謝。
どうせファミレス行って話して終わりだけどね。

というわけで、3歳から始めた「水泳」の話なんですけど・・・。

小学校に入る頃には、200mをメドレー(バタフライ・背泳ぎ・平泳ぎ・クロール)で泳げるほど上達していた。
そのスイミングスクールで設定されている「級」がなくなりかけていたのだった。

「上のコースにいってみる?」

僕は「競う」ということを知らずに、「競泳」の世界に飛び込んだのだ。
そこでは0.1秒を縮める練習が待っていた。
合宿に参加すれば、朝からどんぶりに2杯食べさせられ、即練習。
手の掻き方がどうだ、キックの仕方がどうだ、肩の使い方がどうだ・・・。

僕は大会(全国とかじゃない)で金メダルをとることになる。(背泳ぎが専門)

小学1年のときに、「競泳」のコースに入ることは異例だった。(最近は知らない)
そりゃ〜、最初はタイムは伸びる。
徐々に伸び悩み。小3の時、僕は泳ぐことを辞めた。

が、

「戻ってこい」という話と、「泳ぐことは好きだ」とうことで、
しばらくして、「競泳」のコースに復帰する。

競争の世界は厳しい。
速いものだけが日の光を浴びて、遅いものは当て馬にしかならない。
ただ、僕を待っていたのはそれだけではなかった。

「バイ菌」

僕はそう呼ばれることになる。
同じレーンで泳ぐと気持ち悪がられ、合宿の時も椅子で僕だけ隔離させられた。

合宿の時、近所の神社にみんなで行くことになった。
道の途中、僕に当たった女子選手が

「あっ、ごめん!」

と言った後振り向き、その相手が僕だと分かった瞬間

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ」

と叫びながら走り去ったのだ。
かなりショックだった。

「お前の背泳ぎはダメだ。平泳ぎにしろ。」
コーチは、僕にそうアドバイスしてくれた。

親にこのことを話すことができず、僕は「行きたくない」と思い詰めるようになった。

練習の開始時間に間に合うように家を出て近所の川へ行き、水着とタオルと頭を濡らし、終わった頃に帰る。
それすら困難な時には、時間を見計らって気分が悪いといいトイレに行き、口にとをつっこんで吐き、休む。
ある時には、時には行く途中でわざと電柱にぶつかり、チャリを壊し「車がこっちに寄ってきて電柱にぶつかった」と嘘泣きして帰ったこともあった。

ありとあらゆる手を尽くして僕は行くことを拒んだ。
そして、「競泳」の世界には一切触れることはなくなった。


未だに「バイ菌」と呼ばれていた時のことを思い出すと、何も手につかなくなる。
僕は「バイ菌」です。
未だに密かにそう思ってたりする。

きっと僕になにか落ち度があったんだ。
なにかは分からないのだけど・・・。


ちなみに泳ぐことは今でも好きだ。
泳ぎたいと思ったときには市民センターに行く。
おじちゃん、おばちゃんに交じって軽く運動する。
ただ、「競う」ことは嫌い。

シドニーオリンピックで「金がよかった〜」で有名になった彼女の言ったことは実によくわかる。
「好き」であることと、「金をとる」こととは微妙に違うのである。


そして、僕は今夜も眠れそうにない。



...




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