仕事からの帰り道、道端でぼろぼろになった仔猫・ラウを拾ったムウさんは、家に帰って早速ラウを綺麗にしてやることにしました。 お風呂場まで行って洗うほどラウは大きくなかったので、ミルクを温めている間にここでざっと洗ってしまおうと思い、ムウさんは台所に立ちました。 流石に頭からお湯をかぶせるのは可哀想だと思ったので、深いお皿にお湯を張り、顔にお湯がかからないよう支えながらラウの身体をお皿に横たえました。 身体の半分ほどしかひたりませんが、それまでぐったりとしていたラウが、お湯に触れた途端にぴくりと動きました。
「大丈夫だぞ、ちょーっと洗うだけだからな」
猫は水を嫌がるといいますが、ラウはほとんど嫌がるそぶりをみせません。 身体を石鹸の泡で洗い、顔の部分は濡らしたタオルで拭いてやりながら、ムウさんは少し驚いていました。 ラウは、実は真っ白な毛色だったのです。 どうやら、ホコリや泥にまみれたせいで汚れた灰色になっていただけだったようです。 軽く洗っただけなのでまだ少し汚れは残っていますが、それでもこれほど白かったのかとムウさんは感心するばかりです。
「お前、実はどっかの血統書付きとかじゃないよな?」
そんなことをいいながら、ムウさんはきちんと水分が取れるまで拭いてやりました。 綺麗になったラウをテーブルまで運んでやったら、次はご飯の準備です。 いったん温めてからぬるくなるまで冷ましたミルクを浅いお皿に注ぎ、細かくちぎったパンも用意してやります。 ラウと同じようにテーブルの上に置くと、ラウはミルクの匂いにつられてかゆっくりと目を開けました。
「ほら、お腹空いてんだろ? ちゃんと食べろよ?」
けれど、ラウはじっとしたまま動きません。 真っ白な顔と、まあるい青い瞳は目の前のミルクのお皿を見つめているだけでした。 ムウさんが見つけたときのラウの様子だと、かなりの日数を屋外で暮らしていたように思えたのですが、勘違いだったろうかとムウさんは首を傾げます。 あれほどまでにぼろぼろで衰弱しきっていたのですから、きっとまともなご飯は食べていないはずだろうと思ったのに。 けれど、とムウさんは思いなおしました。
「もしかしてお前、マジで今まで何にも食ってなかったのか?」
人間でも、何日も食事をとらないでいたり食事の量が少なかったりすると胃が小さくなって、食べようと思っても食べられないということがあります。 もしかしたら今のラウも同じ状況なのかもしれない、とフラガさんは小さく溜息をつきました。
「だったらパンは無理か……。なぁラウ、せめてミルクくらいは飲めよ。別に毒なんか入っちゃいないからさ」
けれど、ラウはやはり動かないまま、ミルクのお皿を見つめているだけでした。 こうなってしまっては、ムウさんにはどうすることもできません。 哺乳瓶でミルクを与えるほど小さい猫ではありませんし(そもそもここに哺乳瓶なんてものはないですし)、無理矢理飲ませてもきっと効果はありません。 ラウが自分から飲んでくれなければ、意味がないのです。
「……お前のために云ってるのにな……?」
ふと、ムウさんは思いました。 もしラウが、何も食べられないほどに衰弱しきっていたらどうしよう。 ラウは目に見えて弱っていますから、これ以上何も食べないでいては死んでしまうのは当然です。 こんな小さな身体ですから、少しのことでもすぐに死んでしまうことは容易に想像できて。 急に不安になったムウさんは、ラウの頭をゆっくりと撫でてやりながら云いました。
「なぁ、頼むよ。一口だけでもいいからさ……」
ムウさんが撫でるのをやめたとき、ラウはちょっとだけ視線を上げてムウさんをじっと見つめました。 その目を、ムウさんも思わず見返して、1人と1匹は自然と見つめ合ってしまいました。 どうしてそうなったのか、ムウさんにはわかりません。 撫でられるのが嫌だったのか、それとも撫でられて気持ちが良かったのか。 もしかしたら気持ちが通じたのかもと淡い期待を持ちながら、けれど想いをもっと伝えるように、ムウさんはラウの瞳を覗きみむように見つめていました。 海のようにまっさらな青が、ただムウさんだけを見上げていました。 ――それが何秒か何分後だったかはわかりません。 ふいにラウは視線をムウさんからミルクのお皿の方に戻し、少しだけ首を伸ばすとちろちろとミルクを舐め始めました。
「――やっ…た」
ゆっくりとではありますが、確かにラウはミルクを舐めています。 ムウさんの手のひらほどの大きさのお皿に、小さな波紋が広がるのを認めたムウさんは、嬉しくなって思わずラウの頭をまた撫でてしまいました。
みゃっ
折角の食事を邪魔されたラウが迷うことなくムウさんへ反撃をし、ムウさんのわずかな叫びが台所に響くのは、この直後の話――。
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