| days |
| 2006年04月06日(木) 三月の初めの出来事 |
| あの本、読んでる? と聞かれたけど、私はその人に借りた本にはまだ手をつけていなかった。別の本を読んでいる最中だったからだ。 私と、業種は違えど同じ営業という仕事をしている彼と仕事の話をしていると、うんうんと共感して頷きたくなることがたくさんある。たとえばお客さんと向かい合って対応しているときのシーンや、社内の人間関係や組織の中でのシーン、いろんなところで営業として共感したくなることがたくさんあった。 私の会社の先輩でとても苦手な人がいる。 その人は、男の人で年齢も私より7つくらい上だと思う。その分、キャリアも長いわけだ。 その人は、私だけでなくきっと他の営業マンに対してもだろうけど、仕事に対していつも否定的な考えをする人のように思える。その否定的な思いを誰かに押し付けたがり共感してもらいたがっている。 お客に手間のかかる要望をされたとする。お客さんの前ではもちろん愛想よくしているけれど、そのビルを出た途端、そのお客への文句や不満や愚痴が始まる。そして一緒に同行していた私に「ね? あいさんもそう思うでしょ?」と聞く。私は、それほど文句があるなら愛想よく受けず、要望値の緩和をする交渉をすればよかったのにと思う。 明らかに無理難題であると決め付けるのは良くないかもしれないけど、はじめから応えらそうにないものにまで「YES」と答え、最終的に顧客の不満足を引き起こさせるのは、結果的に良くないのではないだろうか。 要望に応えたい。だけれど、営業マンが丸呑みして「YES」としか応えないのであれば、その人間は営業担当である必要性はなく、誰か暇な人間が御用聞きで顧客のもとへ向かえばいいのだ。だけど、そんなことであれば誰だって出来ることではないだろうか。 自分の持つサービスの能力と、相手の要望がどれだけ共通項を持てるかではないだろうか。 「ね? あいさんもそう思うでしょう?」と、そういうやり取りがその先輩と続き、私は黙って聞き流していたけれど、何も答えずただ微笑んでいるだけというのも苦痛になってきたので、「そうでもないと、私は思いますけど」と答えたら、その先輩は、「君、最近僕に冷たいよね」と醒めた顔をして言う。 自分の意見が相手に受け入れられなかった場合、その相手を異質な人間と判断し、協調性がないと言う。仲間でないと言う。 互いを舐め合って、馴れ合っていさえすれば、彼らのような人間はそれで安心する。優しくしてもらい、共感して同調してくれることが、たとえそれが口先だけであっても彼らのような人間は安心するのだろう。 「自分は、そうは思いません」と言った人間に、「なぜ?」と問わない。なぜと問う代わりに「マイノリティな人間」とレッテルを貼り、気がすむまで嫌味をちくりちくりと繰り返す。 「ね? そう思うでしょ?」そうやって、仲間であることを認識したがり、仲間を増やしていこうとする。私は、そういう馴れ合いが嫌いだ。仕事に否定的で無気力なのは、その人の勝手であり自由だ。ただ、それを前提として他人にもあるものだと思い込むのだけはやめて欲しい。 私は、そういう共感の求め方は大嫌いだ。 私の隣に座る彼は、会社の中で仕事の中で、どんな存在なのだろう。 業種は違っても、やっていることは似ている。同じことを私もしたことがある。 彼の話の中に、自分のなぞったものを見つけると、それだけで心が軽くなる。 これも共感のひとつだ。 人は、相手に共通項を見つけるとそれだけで親密さを増すことが出来る。 同じ県の出身だから。同じ大学の出身だから。そんな些細なことでもだ。 その共通項が、自分が大事にしているものであればあるほど、親密さは増すだろう。 それは、人間の基本的な感情のひとつだ。 人には、プライベートな部分とパブリックな部分の二面があって、私のプライベートはほぼ恋人で占められている。一緒に過ごさない時間も含めて、恋人によって占められている。そして、パブリックな部分はすべて、仕事仕事仕事。私は、けれどそういう自分に、不満を持っていない。 仕事はとても私の大切なものだからだ。 その中の共通項を持っているであろう隣に座る彼を、私の中の高い位置に占められる存在であることを否定できない。 そして、今の私の周りの人間の中で、パブリックの面での共有を出来る人間はあまりにも少ない。会社の人間は、同じ営業の仕事をしていても、立場が違い役割が違うからだ。学ぶことや教えられることはもちろんたくさんある。だけれど、底の底まで共感できる人は少ない。 それはひとつに、たとえ別の価値観をもって仕事をする人が現れようとも、容認することが出来るからだ。そういう考え方もあるね、と言って終わらせることが出来るし、そういう考え方もあったのか、と言って感心することもある。だけど、感心は共有とは少し違う。 同じ会社の中だからこそ、共感しづらいのかもしれない。 相手の立場がよくわかるからこそ、相手の仕事がよく見えるからこそ。 裏を返せば、その彼の社内での存在が見えないからこそ、会社が違うからこそ、共感を呼んでいるのかもしれない。 その人と仕事の話をするのは楽しい。聞かせて欲しいと思える。聞いて欲しいと思える。仕事の話ばかりで、なんだか悪いなとは思う。 そして、ふと頭の隅で、これも互いを舐め合って馴れ合っていることだろうかと思う。 馴れ合ってもいいじゃないか。別に馴れ合うことがカッコ悪いことではないと思う。 そんなふうに自分を追い込んだら、疲れるよ。 と、彼は言った。 私はこの人に共感しているんだなと思う。 もしかしたら、頷きあうことは、いずれ満たされることをおぼえ相手への依存度が高くなるのではないだろうか。私にとって彼のような人が貴重だからこそ、いつの日かの枯渇感は目を背けられないものになってしまったらどうしよう、とも思う。 |
| Will / Menu / Past |