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2006年03月31日(金)  末
年度末。

3月31日という日が、金曜日でよかったと思う。
31日に仕事をやりきって、翌日は好きなだけ寝られるじゃないか。これが木曜や水曜や火曜や、ましてや月曜だったらと考えると、気持ちをどこで区切ればいいのかわからなくなるもの。
それに、翌日が休みなのだから、何時までだって飲めるじゃないか。打ち上げと称して何時までだって飲んでもいいのだ。


仕事をチャカチャカとやって、他のメンバーの仕事を見てやって、書類にサインをして、目標売上げの数字がぐいぐいと上がるのを横目で確認しながら、パソコンの画面を何度も見直す。
やがて、夜になって全員で簡単なミーティングをして居酒屋に繰り出す。
会社を出てお店を目指して夜道を歩くとき、後輩の女の子が「なんだか今日はあっという間に終わりましたね」と溜息をついた。
それは虚しさのような溜息でもあり、疲れから出た溜息のようでもあり、ほっとしたような溜息でもあるように聞こえた。

とにかく、空腹の腹を満たしてお酒を飲み、また食べた。
隣に座っていた後輩はあっという間に酔っ払ってしまい、なぜだか涙目になりながら「何のために仕事をするんでしょうか」と、私と私の前に座っていた部長に言った。
周りの人間を巻き込んで、「何のために」と話した。
何のために。
その疑問は命題だよね。
社会のためと答える者もいて、顧客のためと答える者もいて、自分のためと答える者もいて、そんなメンバーの上に立つ部長はただそれを微笑みながら聞いていた。
そんな疑問は、一度は誰でも考える。まだ若いうちは何度だって考えることだろう。そして時がたつにつれ自分の中の疑問そのものが風化されて、いつかは「何のため」という感覚も風化されていってしまうのだろうか。

「何のために仕事をするのか」と考えるには何らかのきっかけがあるのだと思う。
人は、せこいことに、上手くいくことには疑問を持たない。上手くいかないことに、またふと立ち止まったときに根本を見つめ直してみたいと思うものではないだろうか。
私も、「何のために仕事をするのか」と考える。それはきっと私の答えは自分に帰って来る。「私のため」だ。誰のためでもない。だって、私は私でしかないのだもの。

その仕事を選んだのも、その仕事に取り組んでいる者も、私だからだ。全部、自分の意志で選んだことだからだ。

3時間近く、その店でメンバー達と飲み、部長と終電をつかまえて他のセクションの打ち上げに合流する。電車の中、その上司は何のために仕事をするか、どう思うんだと私に聞いた。
私は、結局のところは自分のためだと思う、と言ったら、上司は、そうかとただひとつ頷いた。


寒い明け方、私たちは飲み明かして始発の電車で帰路に着く。
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