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2006年01月04日(水)  会えないという淋しさ
人は、自分の生まれたときのことを覚えてはいない。
だけど、何かのきっかけで誰かの口から聞く事は出来る、知ることは出来る。
そうしたら、人の死ぬときっていうのはどうだろう。
自分の死ぬ瞬間を人は意識できるものなのだろうか。もし記憶できるものだとしても、その記憶は何の役にも立たない。死ぬ瞬間の記憶をあとからしみじみ思い出すことができないからだ。
死ぬということは考えることが出来なくなるということ、思うことが出来なくなるということ、感じることが出来なくなるということ。

幼い頃、大阪に住む親戚のお兄さんが、友だちを連れて私たちの住む田舎に遊びに来た。
二人はとても仲良しで、うちの祖母は彼らを家に泊めて甲斐甲斐しく世話をしてやっていた。私たち子供は、彼らに毎日のように遊んでもらっていた。
その友だちはとてもハンサムでとても優しかった。親戚じゅうの人間が、彼を見て「いい子だね」と口をそろえていた。私はその人に淡い恋心を抱いていたので、いつも親戚のお兄さんの後ろに隠れては彼の顔すらまともに見られなかった。

ある日、もういつだったかは思い出せない。
私の家に親戚のおばさんから電話がかかってきた。
その友人がバイク事故で亡くなったそうだ。
おばさんの話だと、真夜中の道でトラックとぶつかり亡くなったそうだ。
友人を亡くしたお兄さんは、とても塞ぎこんでいると言った。

人が死ぬということは、もう会えなくなるということなのだなと思った。
もう田舎に遊びに来てくれることもない。もう遊んでくれることもない。もう会うこともない。
とても淋しいことだと思った。

昨日の朝、恋人に悲しい知らせが届いた。
ずっと歳の離れた友人が亡くなったそうだ。病気にかかって長く、近頃は病状も良くなかったそうだ。恋人は亡くなった友人に会いに行き、夜になって少し酔っ払って帰ってきた。
「こんなに賑やかなお正月にひっそり亡くなるなんてね」と恋人は言った。
その亡くなった人がどんな人だったかを聞いた。
うんうん、と聞いていると、恋人はいつまでも話し続けてくれるような気がした。

人が亡くなると残された人は悲しいし、淋しいのだ。
亡くなった人は、残された人がこんなにも淋しがっていることをわかっているだろうか。亡くなった後のことが、彼らの意識や記憶に残らないとしても、どこか空の上で淋しがっている人たちを慰めてくれたらいいのに、と思う。
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