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2005年03月11日(金)  神様の匙加減
たとえば、恋人と一緒に居て、「ああ、この人は本当に私の恋人なんだなぁ」と当たり前のことを、あらためて新鮮に感じる瞬間がある。

それは彼が何をしたとか、何を言ったとか、そういう具体的なことではなく、私がふと彼の体や仕草を見たときに感じるのだ。歩くときにゆらゆら揺れる肩を見て、ああ、この人はここにしっかりと実在しているのだなぁと思う。ここに居て、私と一緒に歩いてる、とあらためて思うのだ。タバコを吸うときのその指の傾け方の加減とか、コーヒーカップをソーサに戻す仕草とか、そういうのをいちいち見ていると、あらためて「この人が私の恋人なんだなぁ」と思うのだ。

なぜ、その瞬間にあらためて恋人の存在を感じたり、彼が恋人であるということを再認識するのか。自分でもわからない。

ただ、この人は30年生きてる。
長いのか短いのか、私が彼を知っている時間と比べれば、それはとても長いと思えるし、人の一生の寿命と言われる時間からすると、まだまだ短いのかもしれない。
ただ、この人は私の知らない人間たちと一緒に過ごした時間があって、私の知らない場所で勉強して恋愛をして友達と遊んだ記憶があって、それを全部ひっくるめて彼なのだ。
そんな人が、今まさに私の恋人であるということが、私にはとても不思議に思えるのだ。今まで知らなかった人とふと出会って、今は一緒に過ごすということに、あらためて何かを再認識したりするし、驚きもする。
それから、なんかちょっと感動したりする。

なんともないきっかけで人と人は出会うわけだし、それと同様に人と人は会うべくして会うものなのかもしれない。どちらにせよ、人が出会うきっかけなど、ちっちゃなちっちゃなきっかけにしか過ぎず、何か大きな力の気まぐれな匙加減によっては、私たちなど会えなかったような気がするのだ。
なにかの本で読んだ、「神様のレシピ」の神様の匙加減次第によっては、私たちは会わなかったかもしれないと思うと、いまちゃんと会えている現実に、ああ良かったと胸を撫で下ろしたくなる。会えてよかった、ちゃんと会えてよかったねと思う。

飾らずにそう思う。素直にそう思える。
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