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2005年02月23日(水)  自分の世界を持つ人
駅のホームにぼんやり立っていると、向こうの線路に青い電車が入ってくるのが見えた。

その電車をぼんやり見ていると、若い頃の父に思いが馳せる。
高校を卒業してまもなく上京した父は、板橋に住み、高田馬場の学校に行き、会社勤めをしていた。あの頃の父もだからきっとあの電車に乗ったことだろう。朝のラッシュにもまれ、また帰宅ラッシュにもまれ、夕方のあの商店街を歩いて古いアパートに帰る。そんな若い頃の父の姿は、一体どんなものだったのだろう。

父は、独特の世界観を持った人のように私は思える。
私がまだ子供の頃は、話をしても面白くない、話題が続かない、会話もない、今時どこにでも溢れる父と娘だったけれど、今になって思うのは、父は、父だけにしかわからない世界を持っている人なんだろうと思える。

誰もが言う父の印象は、寡黙という言葉で統一される。
私がもっともっと幼かった頃、まだ自分のコミュニティも認識できていなかった頃、父とよく小さな動物園に出かけた。主にそれの記憶は冬の季節が多く、葉を落としつくした寒々しい木々と落ち葉で埋め尽くされた大きな広場が、私の中に強く残っている。
動物の声がどこからから聞こえるけれど、見られる動物の種類はそれほど多くなく、またそれを楽しむ人の姿もあまり見られない。寂びた鉄格子の中で無気力そうなサルや、滅多に羽を広げないクジャクを、私はずっと見つめていた気がする。敷地の中には小さな公園もあり、遊歩道では時々、近所の老人や犬を散歩させている高校生の姿を見かけた。その公園のブランコに乗り、満面の笑みを浮かべた私の写真が、我が家のアルバムの中にはおさめられている。
父が撮ったものだ。

父と動物園に出かけるとき、父が私に「遊びに行くか?」と聞き、私は喜んで「行く」と答えた。ふたりで急いで出かける準備をして車に乗り、坂を上って動物園に到着して、そしてただ黙って愛想のない動物達を眺めてブランコをこいで帰った。ただ黙って、私たちはそんな遊びを毎週のように行っていたのだ。
普通の親子がどんなものかは知らないけれど、キャッキャとはしゃぐ子供とそれを目を細めて見つめる親というものが、普通の親子だとしたら、私と父はそんな形からはかなりかけ離れた姿だったかもしれない。
父とふたりで動物園に行く。
けれど、父は父の世界で休日の時間を楽しみ、だからこそ私は私で自分だけの世界をつくることを当然として知ったのかもしれない。会話もない。言葉もない。だけれども、私たちは決して離れて歩いたり、お互いの存在を忘れるわけではない。

子供はみんな、自分の世界をたぶんきっと持っていると思う。大人になりいろんなことを知り、他者を知り、外側を知り、社会を知って、その世界は誰かと共有するものになったり、誰かの影響を受けたり、誰かに壊されたりしてどんどん形を変えていくことだろう。子供のころ築いた世界をそのまま大人になるまで持ち続ける人は少ないだろう。
けれど、私は自分のことをこう思う。私が持つ私の世界は、あのころ父と一緒に歩いていた頃のものとそう変わることはなかったと。誰をも受け入れない、強固なものになっていたのだ。あの頃、父を見て自分の世界の必要性を自分に許してから、私はそれを今まで大事に作り守ってきたのかもしれない。そしてその世界の作り方は、父から引き継いだものではなかっただろうかと。


父の友人という人を私は見たことがない。
父にはきっと友人と呼べる人は近くにいないのかもしれない。
父は他者を受け入れることをせず、今の今まで自分の世界だけで生きてきたのだろうか。

不器用な人なのだ。無意識に非社交的で、他者の必要性がない人なのだ。
とてもとても不器用な男の人なのだ。
不器用だからこそ、母は父の世界を今の今まで理解することが出来ないまま、夫婦をやることになり、私でさえ、あの頃は父の世界を見ることは出来なくとも身近には感じていたはずなのに、今はもう遠くの世界のように感じる。
けれど、父は世界でたったひとりだとしても、それに危機感を感じない人なのだ。
周りから見れば孤独な人のように映るだろう。
けれど本人にはたいした語弊のある言葉なのだ。

私はそんな父に同情もしなければもちろん否定もしない。
父には、それがいいのだと思う。
父がそれでよければ、私はそれでいいと思っている。
だからこそ、今の私から見る父は、独特な世界で生きる人なのだ。
ひとりで生きる世界にいながら、こんなにたくさんの人間の居る東京に住んでいた父は、一体あの頃何を見て、何を感じて、どんなふうに生きていたのだろう。

そして、そんな父への思いにふけりながら、その思いの向こう側に見える人物は紛れもなく、異母兄の姿で、父の姿を透かして見れば兄の姿が見え、兄の姿は父の姿に重なる。
あのふたりはやはり親子なのだと、そんな思いに至ったとき、私は少し胸がどきっとした。
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