| days |
| 2005年01月26日(水) ママン、上京 |
| うちのママンが東京にやってきた。 襲来と言ってもよい。 正月に帰省したとき、母から「1月には東京に遊びに行くから、よろしくねぇ〜」と言われていたのだけどすっかり忘れていた。前日に電話がかかってきて、「明日、銀座でご飯食べるわよ」と一方的に言われ、さらに「○クンもつれてらっしゃい。アノ子も一人暮らしなんでしょう?あんた、料理しないんだから栄養のついたもの食べさせてあげなくっちゃ。6時に銀座でねぇ〜」という。 まず、突っ込むところは、『勝手に明日の予定をたててくれたこと』こちとら、平日の夜は遅いのです。早々に仕事を切り上げられたとしても8時に行けるかどうか。しかも『私の恋人も一緒に連れて来い』と、恋人の予定も顧みず勝手に言う始末。しかも『アノ子』呼ばわりですっかり息子?身内?扱い。で、極め付けに『あんたの料理は食えんから、アノ子も可哀想だ。旨いもの食わしてやる』と、散々です。 親子みず入らずの食事でいいじゃないの。それにもう少し遅い時間にしてよ、そんな急に言われてもこっちだって行けるかどうかわからないよと諭したのですが、「年に一回あるかないかの東京見物だもの。少しは孝行しなさい」と、親孝行という言葉を盾にされてはどうにもこうにも。 恋人に急いで連絡をして翌日、隠れるようにして5時半に退社する予定が、こういうときはいつも抜けられない仕事ばかりに追いまわされて、会社を出たのが6時。 きゃあー、早く行かないと、恋人と母をふたりっきりにさせてしまう。そんでもって、母の毒牙がアレやコレやと恋人に吹きかかって、襲われちゃうー!たぶんきっと「結婚するの?どうなの?うちの子と結婚してやってくんない?」とか言ってそう。いや言ってる。ぜったい言ってる。あの母のことだもの。 超がつくほど過保護な家庭だと思う。過保護に育てられた本人が言うのもなんだけど、客観的に考えて過保護だと思う。母は教育ママではあったけれど、その教育ママぶりの反面、ものすごく甘々なところも母にはあると思う。 中学生まで実家で暮らしていたけれど、食事のときはいつも、私の分から(父からではなく)小皿に料理を取り分けては配ったし、私は熱い湯に浸かれないタチなので私が風呂に入る寸前に母が水を出して湯加減を確認して、そして私が風呂から上がると追い炊きして湯加減を調整したり、究極は、反抗期以前までは“バナナの皮をむいて私に手渡ししてくれた”ということである。 たぶん、私の無自覚なところで他人から見ればもっと過保護なところはあるかもしれない。今は、ひとり暮らしをするようになって私に手をかけられなくなったり、私が嫌がったりした分、母にもそれほどの過保護な態度はなくなったけれど、そんな母が、年頃のしかもひとり娘の結婚を、どれほど気にかけているかは計り知れない。 自分で言うけど、母は私に構い過ぎる傾向がある。 自由でいたいと思う私の欲は、たぶんその反動から来ている部分も多い。 して、30分の遅刻後。 和やかな恋人と母のムードになんだか嫌な予感。 ああ、嫌だ。ああ、紹介しなければ良かった恋人を。これほどまでに恋人に対しての母の干渉をうけるとは想像しなかったなぁ。失敗したなぁと思っても、時既に遅く、私が到着したときにはいなかったけれど、母と一緒に上京した母の友人達に、恋人はばっちりイジラレたらしい。オバサン連中に突付かれる恋人の姿。その光景が目に浮かぶようである。 ああ、かわいそうだなぁ、私の恋人。こんな母のいる娘と付き合ったばっかりに……。 ごめんなさい、ごめんなさいと心で唱えてみる。南無阿弥陀仏。 明日は歌舞伎に行くのよぉーとか、今日は舞台を見てお買い物までしたのよぉーとか、それでね、ヴィトンのバッグを買っちゃった。あんたも早く来てれば買ってあげたのにぃー、と言う母に、恋人も気を使って頂いて東京の名所をいろいろと教えてあげたり、買い物するならあのお店に行ったらいいとか、あのお店の○○は美味しいから一度食べたらいいとか、お話してくれる。 私はそれを聞きながら、懐石料理を箸でつつき、いつ恋人が「そしたら、僕がお連れしましょうか」と言わないかヒヤヒヤしていた。あまりにも気がイイヒトなので、言い兼ねない。そして母も「じゃあお言葉に甘えて」とか言って、恋人を独占してまた毒牙で犯すに違いない。 『引っ越ししたという娘の部屋を、どうして親が見に行ってはならないのか』という母の意見に負け、もう夜も10時だというのに、池袋に行こうという母をふたりで連れて行く。 長い長い地下街を丸の内線を目指して歩く。 酔っ払いや疲れたサラリーマンで改札は大きな人並みのうねりが出来ている。 「東京は、知らない間にたくさん歩かされる街だね」と母が言う。 私も上京したての頃、そう思った。電車が網の目のように走っているから移動は楽なように思えても、網の目のような地下鉄の中では知らない間に歩かされ、大きな繁華街は切れることなくどこまでも続き、駅の近くで部屋を見つようとするほど家賃は高くなる。 母はずっと田舎暮らしの人だ。電車の揺れになれず恐々ドアにもたれている。止まった駅で人の波に押され、恋人が母の荷物を持ってくれて母は座席の前のつり革につかまった。田舎に住む母のパーソナルスペースは都会で暮らす人のそれよりも大きいはずだ。私と恋人に挟まれた母は、前に座る人の足に腰を引きながらつり革に精一杯手を伸ばしてつかまっている。 電車が混み始め、車内の空気が生暖かくなる。 私はやはり、親不孝なのかもしれない。 干渉しすぎる母であっても、慣れないこんな土地に来させたり、こんな混み合った電車に乗らせたりする私は、やはり親不孝なのかもしれない。他人の肩と母の肩がぶつかり、それを母が気にする仕草をすればするほど、無意識のうちに早足になる恋人に、遅れまいと地下街を急ぐ母を見れば見るほど、人に酔いそうになってため息をつけばつくほど、私は母に申し訳ない気持ちになって仕方がなかった。親のそんな姿を少なくとも私は直視出来ない。 私の部屋について、母はひととおり部屋を見渡すと、「それじゃ、帰るわ。遅くなったし友だちも心配してるだろうから」と言った。母の上京の動機はきっと、東京で買い物をして歌舞伎をみることではなく、私の引っ越しした部屋を見に来るためだったのではないかと思った。部屋を見て安心したようなその顔を見たとき、そう思った。私が気になってしかたがない母だから、たぶんそうなのだろうと思った。 恋人と私で、送るからと言ったけれど、母はひとりで帰れると言った。 けれど私はもう、夜の地下鉄や夜の繁華街で、ひとり迷う母の姿を想像するのは耐えられなかったし、なにより夜も遅かったのだ。恋人を残し、母とふたりでタクシーを拾って銀座に戻ってきた。車の中ではそれほど会話もなかったけれど、最後に2万円をもらって「仕事が遅くなったときは、夜道に気をつけて帰らなきゃね」と母は言った。大人になってもらうお小遣いはすごく複雑な気分にさせるし、私はたとえ異母兄がいようとも、母にとってはたったひとりの娘なのだとあらためて思った。 帰りの混んだ電車で少し憂鬱な、複雑な、淋しいような悲しいような、泣きたくなるような、親不孝だと自分を責めるような気分になった。混んだ電車の中で萎縮する、母の背中が見えるような気がした。 |
| Will / Menu / Past |