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2005年01月19日(水)  帰宅困難者
阪神大震災から10年を迎えた近頃、テレビではよく震災を特集にした番組を放送している。それでもたぶんきっと、17日を過ぎたらそんな番組はぴたりと止んでしまうだろうけれど。

テレビで神戸の街を見たとき、知らない間に戦争が起こったのかと思った。
先日の新潟の地震のとき、余震で揺れる体育館で、老夫婦が懸命にお互いを抱留めあう姿をテレビで見かけたとき、すぐに消した。
なんの震災対策も行っていなかった自治体の責任者が、「まさか私たちの街が地震にあうなんて思っていなかったから」と言った。
大阪に住んでいる親戚の人たちと何日も連絡が取れなかった。
先日帰省したとき、「四国も南海大地震が起こって津波が来るらしいから、そのときはあんたも家の裏山に逃げるのよ」と母が言った。
最近、帰宅困難者という言葉を知った。
自分の会社から自宅までの距離を調べてみた。
昨年、震災の2年後に神戸の大学に進み、今もそこで暮らしている友人のところに遊びに行った。地震が起こり復興した街とは思えなかった。
「いま、地震じゃない?」と急に同僚が言ったとき、体がすくんでしまいそうになる。
地震が起きたときの自分を想像してみる。

地域ごとの地震発生率のパーセンテージが問題なのではなく、「自分が地震にあうとは思わない」と考えることが浅はかであり、ナンセンスであり、惨めである。

いつかきっとやってくる。
私はそのときどこにいて、何をするのだろうと思う。
昼間や夕方の地震なら東京は帰宅困難者で溢れるという。
道路に車がはみ出したり、ビルからこぼれるガラスの破片が落ちてきたり、電柱や信号機が倒れていたり、繁華街でも灯りの消えた真っ暗な道をどれだけの人が歩いて帰れるだろうか。そんな道路状況と帰宅困難者の数とで、1平方メートルの面積にたいして20数人の人たちが押し合いながら歩かなければならない状況になってしまうそうだ。

私は一日のうち、ひとりで行動する時間が多い。
営業で外回りをしているので、ひとりになることが多ければ、どこか特定の場所にずっといるというわけでもない。あちらこちらに移動しながら仕事をしているので、そんなとき地震にあえば咄嗟に何をすればいいのか、私には思いつくことが出来るのだろうか。
電車に乗っているとき、私はどうなってしまうのだろうか。
タクシーに乗っているとき、ひとりで道路を歩いているとき、エレベーターに乗っているとき、眠っているとき、料理をしているとき、デスクに座っているとき。
それは運なのだろうか。
幸運か不運か、ただそれだけなのだろうか。

震災の番組を見ながら、恋人と、もし僕らが一緒にいないときに地震にあったらいけないから、ちゃんと落ち合う場所を決めておこうと話した。でも、彼は東京に家族がいて、仕事でも責任者であって友達もいて、その上恋人の心配までしなければいけないのは、困難ではないかと思った。私は、恋人と異母兄と友人達の安否だけ心配すればいい。こんなとき、家族が別々の地域に住んでいてよかったと少し思った。
けれど私は、ちゃんとその落ち合う場所まで歩いていけるのだろうか。
知らない人ばかりが周りにいる中、私は怪我もしないでちゃんと歩けるだろうか。


アメリカでテロが起こった日、祖母が私に電話をしてきた。
NHKでテロのニュースを見たとき、東京にいるお前がふと心配になったと言った。

地震が起こったとき、ちゃんと大切な人と連絡が取れるのかどうかとても心配になる。
その人とちゃんと連絡が取れてみんなが無事であればいいと思う。
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