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2004年11月28日(日)  ニーズとサービス
私が、“営業”という仕事をやっている時間をのぞけば、私は一般的に“消費者”になる。

私は、ニーズにピントがあっていないサービスや商品は必要ないと思う。
需要に適していない供給は、必要ないと思う。

帰宅してポストを開けたら、DM・通販のカタログ冬号・裏ビデオのちらし・宅配ピザのメニュー、それら様々なものが入っていた。私のニーズには必要ないもの。すべて読まずに開かずに捨てる。
ファーストフードに言って、ウーロン茶を頼んだら、「ご一緒にポテトはいかがですか」と笑顔を添えて店員が言った。私はポテトは食べない、不要なサービス。

これとこれとこれが欲しい。
それに合うものを下さい。
それ以外の商品の案内やサービスはいりません。

私は、自分の欲しいものをただシンプルに欲しがる消費者だ。
様々なものを提示され、その中から選択して購入する消費者ではない。
ニーズ+αな情報を欲しがる消費者でもない。
欲しいものだけを下さい。私が消費者である場合、私はそんなタイプの人間だ。

けれど、きっと私が“営業側”である場合、私はきっとニーズ+αの話しをするだろう。「ご一緒にポテトはいかがですか」と露骨な笑顔さえ浮かべ、言い添えるだろう。だって、営業だから。でも、それはまた別の話しで。


私が恋人に抱きしめて欲しいと思うとき、私の恋人はとても従順に、とても純粋に、それに応える。そんなことをたとえば冷徹に「需要と供給のバランス」と言い換えるなら、私のニーズに彼は適切に応えてくれる。
私がもうおなか一杯で、抱きしめてもらわなくても大丈夫だと思っていても、彼が私を抱きしめたい場合、私はそれをきっと否定しない。これも「需要と供給」の話しに言い換えるなら、彼の抱きしめたいというニーズに私は適切な供給量をもって体を委ねる。自分のニーズに応えて欲しいからこそ、相手のニーズに体を預ける。そのバランスはとても適切であるように、私は彼に応えたいと思う。

私の恋人は、私の知る限り、恋人関係についてはとても純粋な人だ。

だからこそ、私はなんとなく感じている。
私は、恋人関係を、社会の需要と供給の話しに言い換えている限り、私という人間はただの理詰めでしかモノを考えられないつまらない人間である。そして、私の恋人がニーズや期待や供給などと、意識しないでいればいるほど、私は圧倒的にこの恋人に敵うはずはないのだ。

私がちまちまと考えている間、恋人はずっと先のことを眺めている。
彼に挑みたいわけではない。
圧倒的な感情の差を感じるのだ。
私の欲しがるだけ愛してくれればそれでいいと思えば思うほど、私の彼に対する愛情はとてもちっぽけでチープなものに成り下がってしまうように思う。
きみはきみを卑下すべきではないと、恋人は言う。
きみを否定しないでくれと言った。


なんて自分はつまらない人間だろう。
そういうことを、たまに思い知ったりする。
私は一体なにになりたいのだろう。
そういうことを、たまに思ったりする。
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