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2004年11月21日(日)  I can't
私は、なんだかここ最近、とても淋しいです。
なんだか知らないけれど、とても淋しいのです。
寒くなって、日が沈むのが早くなったからなのか、それとも、現実として淋しくなる出来事があったからなのか、その理由はまったくわかりません。
淋しくて心細いのです。
その感情は、「ひとりで気楽に過ごす心地よさ」の対極にある感情ではなく、「ひとりで過ごすことの淋しさ」という意味でもありません。だから、誰かと一緒に居る時間を多いからといって、それが解消されるわけでもない。もっと別の、まったく別世界の、全然違う次元の感情なのです。

足元の土がぽろぽろとこぼれていくような、ぐらぐらと世界が揺れるような、危うい心細さを感じるのです。紙一枚隔てた向こう側に、びくびくと怯えているような気がするのです。

どんな理由があって淋しいのか自分でさえわからず、どうにかしようともがきます。そしてその対象は、結局のところ、恋人に向って求めていくのです。
これまでいろんな男の人が私の恋人であったけれど、私がそれを求めたことで、その仲が裂けてしまったこともあった。私がそれを求めたことで、どこかに行ってしまった人もいて、泣かしてしまった人もいた、一生懸命応えようとして疲れてしまった人もいて、誰も彼もそれを解決してくれる人はいなかった。

それじゃない、そうじゃない、それも違うし、そういうことじゃない、こういうことでもない。

もし、淋しいという感情が、甘えられる場所があるからという理由で淋しくなるのだとしたら、私は実際に、そうやって恋人たちを困らせてきて振り回してきて疲れさせてきて、結局のところ別れてしまったら、きっと楽になるのです。淋しかったことなど微塵も忘れられる。そして実際、私はこれまでずっと、そうやって恋人と別れてしまって数日もたてば、淋しさなど消してしまえるのです。

不思議なことに、淋しさを埋めてくれそうな対象が消えてしまった途端、淋しくなくなるのです。
誰も甘えられる人がいなくなったから、淋しいという感情も私には要らなくなったのです。
そうしていつの間にかまた新しい恋人が出来て、一時は楽しく過ごすけれど、また得体の知れない感情が現れて、それを恋人に求め、恋人がいなくなると得体の知れないものは、ふっと消えていくのです。


羊水の中にいた頃を覚えているわけでもないのに、私はそこに返りたいと思うことに、似ているのかもしれない。ただじっと、そこで温かく守られたいという気持ちが、おかしな淋しさに繋がっているのだとしたら、私はこれまで、恋人に親への愛情を求めていることになる。

私は無償のものが欲しい。もらって後ろめたくなるものも、与えて疲れてしまうものも必要ではなく、私は無償のものが欲しい。けれど、結局、恋人は私の父親ではなくもちろん母親でもない。そして、“無償”というものは、たぶん、与える側が“無償”と決めることではなく、受け取る側が感じる形なのだと思う。恋人が懸命に応えようとする姿が、無償なのかどうかわからない。それをどう見てよいのか、どんな風に思えばいいのか、よくわからない。自分はものすごく馬鹿なのではないかと思う。だから私は、私がひどく嫌いだ。


淋しくて、恋人にそれを求めても、ただ別れを早めてしまうだけなのなら、ひとりでじっと耐えるしかない。私はまだ私の恋人を失えないのです。簡単に失ってしまっていいものではないのです。
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