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2004年10月22日(金)  笑顔にさせる力
病院から家に帰ってきた。一週間の検査入院が終わったからだ。

入院した日、異母兄と恋人と私とで、私の検査結果で賭けをしていた。予想を一番大きく外した者は、他のふたりにラーメンを驕る、という屈辱を賭けて。
私と兄は、入院とか検査とか病気とか病院とか、そういうことをあまりにも真剣に考えすぎて疲れ果ててしまったので、最近は、その疲れの反動で楽観的になるという術を学んだ。ふざけてお茶を濁すとか、茶化して笑い飛ばすとか、そういうことで疲れを忘れたいと思い始めている。
けれど恋人は、恋人こそ医療従事者なので、たとえば検査結果など体の機微からすぐに感じ取ることが出来る。だから、楽観視して茶化すなどということからは程遠い、結果と言う事実にとても近い部分に居る。
だからこそ、彼には私たちのようにふざけることなど出来ない。
最近、恋人はあまり笑わなくなったと思う。

私と異母兄の予想は、相当悪い結果が出ると予想した。もちろん、それは冗談で悪い予想をたてただけで、実際に予想したとおり私の体が悪ければ、これほど馬鹿げた賭けなど出来るはずもない。恋人は、検査結果は良好だという予想をたてた。けれど私は、その恋人の予想が彼の「希望的観測」そのものにしか思えなかった。誰だって、結果が良好であればいいと思っている。けれど、良好であるとすんなり結果が出るほど、状況は良いものではないと感じる。

恋人が、最近笑わなくなってきたのは、あまり良い状況でないということを表している気がする。恋人は、私や兄よりも検査の結果を的確に察する知識を持っているから。

すべての結果が出たわけではないけれど、今の時点でわかっていることを説明する主治医は、「良くないよ」とはっきり短く言った。

ふざけ過ぎた私と異母兄は、結局ふたりで恋人にラーメンを驕ることになったのだけれど、お店に入って3人で横一列に並んで座ったら、恋人が「今日は僕が出すよ」と言った。

私はメガネをかけたままラーメンをすすっていて、美味しいものを食べると無口になると言うけれど、誰もなにも話す気力がないように、ずっと無言で麺をすすっていた。メガネが曇って私の視界は見えにくくなったけれど、レンズを擦ることもしないで、ふたりに顔を見られないで丁度良かったと思った。


どうしていいのか、結局わからなくて、恋人とふたりで私の部屋に戻って、ありきたりな恋人の会話をしてテレビを観て笑って、シャワーを浴びて歯を磨いてベッドに横になった。

恋人がかたくかたく抱きしめたので、
私は自分がとても無力だということを痛切に思い知った。
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