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| 2004年09月01日(水) 満々と沁みこむ |
| 明日が土曜日だからということで夜更かしをした。 会社帰りに恋人と待ち合わせをして居酒屋に行き、今度の連休で出かける場所のガイドブックを買って旅行の計画を立てる。あれこれと予定は立てるが、きっと実際には予定通りにはいかないだろう。その場その場の思いつきであちこち歩き回るので、きっと「予定をたてる楽しさ」と「実際に旅行に出かけて見つける楽しさ」は別物になってしまうんだと思う。別物になってしまったって、その瞬間瞬間はとても楽しい。 飲みすぎてしまってベッドに伸びる。熱いシャワーを浴びると少し眠気が遠のいた。電気を消して眠ろうとするけれど少しも寝れなくて、だから私たちはいろんな話しを始める。ベッドの端に腰掛けて座る彼と、ベッドにもたれて床に座る私。 静かな時間の中では、お互いに穏やかな話しをする。 でもたまに、私はヒステリックになることもある。 好きな人の前でなにも我慢したくないということは、それは相手を信頼していることでもあると私は思っているのだけれど、たとえばそれは時として相手への思いやりも忘れてしまうことにもなる。ただの浅はかな甘えになってしまうときもある。ぶつけてしまった後でやり過ぎたと後悔しても、過ぎてしまった言動は取り戻せない。我慢するのとは少し違うのだけれど、言葉を堪えたり最後まで追及しないことも、ひとつ大切なことだと最近になってようやく思い至る。 それでも、この恋人は、すべてを受け止めようとしている。ヒステリックな私でさえ私の感情のすべてを受け止めようと思っていることがこちらにも伝わる。それが彼が私に伝えたい何かのメッセージなのだろうと思う。 そんな彼の姿が、私のグラスにとくとくと何かを注いでいるのだ。 真夜中の暗い部屋でふたりの会話が続く。 彼は、溢れんばかりの何かを私に注ぐ。 私のグラスはすぐに乾くし、すぐに欲しがる。そして彼に注いでもらうことを至福としている。彼は毎日少しも変わらない態度で、私にとくとくと注ぐ。私は、私が欲しがらなくともいつだって彼は私に注いでくれることを知っているし、私のグラスに毎日何かを注ぐことじたいが彼自身の喜びであることを知っている。 私はたまに彼に意地悪をする。子供みたいに、好きだからこそ意地悪をする。 わざとグラスに穴を開けたり、そっぽを向いてグラスを差し出さないときもある。それでも彼は穏やかな顔で、私に溢れんばかりの何かをとくとくと注ぐ。 彼のグラスはどうだろうか。 たまに、彼のグラスは干からびているかもしれない。私は、気をつけて注ぐことを忘れないようにしようとしているけれど、それでも時々注ぐことを怠りがちになる。忙しくて忘れてしまったとか、ぼんやりしていて忘れしまうことが多い。彼に注ぐことがいやなのではない。忘れたいわけでもない。 どうして私は注いでもらってばかりで注ぐことを忘れてしまうのだろう。 暗い部屋で電気もつけず、私は彼のグラスを指で突付いてみる。 私が注いだものがちゃんと入っているかどうか確かめてみる。 ちゃんと間違えずに彼のグラスに入っているかどうか覗き込んでみる。 ちゃんと彼のグラスは私の注いだもので満たされている。 私はほっとして、そして彼の注いだもので溢れかえっている私のグラスを見る。 いつもありがとうと思う。 満々と私は彼に注がれて溢れていく。 疲れたとき、こうやって彼に注がれている自分を感じるたび、私は全身が満ちていく感覚をおぼえる。彼が私に浸透していき、彼が私を満たしていくのです。 |
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