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2004年08月16日(月)  言葉は繋げていくもの
たまに自分でも感じるのだけれど、私は「言葉が足りない」。

こんなに毎日、言いたいことを書いているのにも関わらず、実際の私は相手に対する「言葉」が足らなくて、たまに誤解されたままになってしまうことがある。

自己弁護、言い訳、取り繕い。
説明しようと、誤解を解こうとすると、私はそれが自分自身の自己弁護や言い訳のように聞こえてならない。その理由はわからない。プライドが高いのかもしれないし、諦めが早いのかもしれない。

私の仕事に、同僚が指摘をする。
でも、その指摘は誤解だ。
本当はこうなんだと、主張すればいい。
けれど、私はしない。
面倒だし、その相手に対する誤解を解いたとしてもそれは無意味とさえ思う。
これは私の仕事であって、同僚の仕事ではない。
誤解されたままだとしても、私に罰が下るわけでもなく失敗するわけでもない。
だから、私は曖昧な返事をするだけで放っておく。

けれど、社会ではそういう誤解がもとでいろんな風当たりが強くなることもある。
噂は噂を呼んで、無関係だった人にまでそれは派生していき、私は誤解されたまま周りの人間に認識されていく。
罰はなかったけど、こうやって私は損をしていく。


誰かとじっくりと話していくと、相手に驚かれることが多いのも、私の言葉が足らない証拠だろうか。
面白いことに、私がこのサイトで書くことを、ウェブの外側にいた人間が読んだとき、皆がみな口を揃えて「別人のようだ」と言う。異口同音とはこういうことを言うのかと笑えてくるほどだ。
私の恋人は、私が彼をどれだけ大切に思っているか、そしてどんな風に冷ややかになっていくか、知らないはずだ。もちろんそれは本音や真実はすべて残らず伝えればいいというわけではない。けれど、私の伝えたい気持ちはきっと10分の1も伝わっていないかもしれない。
私は彼といろんな話しをしているにも関わらず、私は本当の気持ちや本当の言葉をまだこの彼には発していないような気がする。怖いから? なにが怖いのか自分でもわからない。


まだ、私は固まりたくない。まだ自分の世界を確固としたものにはしたくない。まだ柔軟でいたいし、まだ融通が利く人間でありたい。
言葉が足らない自分に歯痒い思いをしているのなら、明日から少しずつ言葉を足していけばいいじゃないか。ただそれだけのこと、とても簡単なこと。難しいと思っているうちは、きっとまだ足らないままだろう。自己弁護でも、言い訳じみていても、怖くても、嫌な思いをしても、格好悪くても、歯痒さに耐えられないのであれば、やるべきだと思う。
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