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2004年06月16日(水)  仙台プロポーズ
上野から仙台までは、約1時間半。片道およそ1万円ほどで行ける。
近いといえば近いのかもしれない。仙台には友人が住んでいる。男の友人と女の友人。ずっと以前に付き合っていた私の恋人の友人でもある。結婚しそうで結婚もせず、けれどふたりはとても仲が良い。とても好きな友人だ。


いい本を読むと、その作家を知りたくなる。いい本を書く作家をとても素晴らしい人間だと思ってしまう。こんな人と結婚できればいいのに、とさえ思う。たぶん、私が人を褒めるときに使う最高の言葉は、「この人と結婚したい」ということなのかもしれない。結婚がどういうことさえもわからないのに。この作家はとても魅力があって、とても素敵な物語を書く。そんな人と毎日を過ごせたら、私はどれだけ幸せになるのだろうか。しかしもちろん、素敵な作家が、毎日私の耳元で最高の文学を聞かせてくれるわけでもなく、良い作家と良い夫がイコールになるなんて、ナンセンスではある。ただ、毎日毎日、胸が躍るような本を作って聞かせてくれる人がいれば、私はきっと幸せになれるような気がする。どこにも根拠はないんだけれど。
だから、「この人と結婚してみたい」という言葉は、私にとって最大で最高の賞賛の言葉になる。

私の恋人は、毎日毎晩「愛しているよ」と言う。それはたぶんきっと、彼の最大で最高の賞賛の言葉なのだと、私は思う。そして、私たちがこれからも一緒にいられるためのまじないの言葉なのだと、彼は信じているのだと思う。彼はきっとこうも思っているのだろう。「この子には、きっと言葉が必要なんだ。この子に訴えるには、毎日囁く言葉が必要で、目を見つめて耳を澄ませて聞く、言葉が大切なんだ。この子の信じるものは、言葉なんだ」と彼は私をそう信じているのではないだろうか。だから、毎日毎晩、彼は懸命に私に囁く。「愛しているよ」と賞賛の言葉を私に伝える。
自分の恋人への礼儀として、今日も一緒に過ごしてくれた感謝の印として、賞賛する。私は、「愛」について、まだ形も匂いも色も手触りもわかってはいないけれど、とにかく褒められて悪い気がする人はいない。私は、手いっぱいの賞賛を受け満足してその日を終える。

そういえば、私はまだ彼を褒めたことはないかもしれない。「この人と結婚してみたい」と思えたことはない。私にとっては最高の褒めの言葉を、まだ彼に言ったことはない。たぶん、それは男性より女性のほうが、褒めるに値するかどうかを決定する基準がとても厳しいものだからなのかもしれない。でもきっと、彼が素敵な本を書く作家になれば、私は早速彼にプロポーズをするだろう。やはり、私の基準は、「言葉」を操る人が賞賛に値する人になるようだ。彼の推測はあながち外れていないのかもしれない。


私が賞賛する作家の本を、この数日間で3冊読んだ。仙台が舞台になっていたので、私は今すぐにでも仙台へ遊びに行きたくなる。仙台には、今日の東京のように涼しい風が時折り吹くような初夏の陽気がとても似合う。清々しい陽の光が似合う仙台へ遊びに行きたい。あの友だちに久しぶりに会いに行こうか、そして私の恋人も一緒に連れて行ってみようか。
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