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2004年05月03日(月)  別世界に住む親友
いろいろとそれについて詳しくここに書き並べることは出来る。
でも、それをしたら私は本当に自己嫌悪で一杯になるし、それをしたら認めたくない事実を認めてしまうような気がする。

簡潔に言うと、「彼女は、私が最もそうありたくない女性になってしまっていた」ということだ。

彼女との付き合いは、彼是13年にも及ぶ。こうして13年と書いてみるとその長さに驚く。もう13年経ったのかという気持ちと、まだ13年かという思い。最初の3年間はまったく同じ環境で生きた。机を並べて勉強をして、同じ音楽で心を通わせた。次の3年間は学校は別でも、ここでもまた同じ音楽で心を通わせた。次の2年間、私たちは一緒に上京をしたが、環境を別にして暮らした。たまに居酒屋で会いお互いの近況を報告しあった。その後の数年間は、私は東京で大学を卒業し、そのまま東京で就職をした。彼女は東京の専門学校を卒業して地元に戻りそこで就職をした。
別々の土地で別々の生活をすることになったが、私たちは「親友」と呼んでも間違いのない間柄だった。中学生の頃からの親友である。
ちなみに言うと、彼女が私に「ビートルズ」を聞かせてくれた人でもある。私は、それをきっかけに音楽の世界のドアをノックしたと言っても過言ではない。あれがなければ、私の人生は音楽大学に通うことを選んではいなかっただろう。

彼女とは、旅先の松山市内で合流した。
私と一緒にいた彼は、車を数時間走らせその晩に松山に着いた。彼女は前日から別の友人と松山を訪れていた。せっかくだからと、夕食を一緒にとることにした。彼女の友人は、別の用事があるからと来なかった。私たちは3人で2件の店に行き、5時間も一緒に過ごした。


私は喋り続ける彼女の話に上の空になりかけながら、いろいろと考えた。
私と彼女が同じ環境で過ごした時間と、別の環境で過ごした時間。どちらが長いだろうかと。
そして、その環境の違いが、「私が彼女に抱く違和感を感じさせるのだろうか」と。
環境と言ってもいろいろあるだろう。仕事、恋人、近しい友人、暮らし、お金、見るもの、聞くもの、そして考えることと感じること。

私がずっと彼女に抱いていた印象は、いつも冷静で頼りがいのあるお姉さんタイプの人間だった。友達同士のグループのいさかいには常に真ん中でバランスをとったし、興奮せず周囲の空気を感じ取れた。正義感が強くどんなときでもリーダー的な存在になってくれた。もちろん、嫌だなと感じるところもあるかもしれないが、そんなことはいくつも思い浮かばない。
けれど、その日の彼女は、仕事と恋人の愚痴と、携帯電話との格闘で手がいっぱいだという感じだった。私たちが口を挟む暇もなく、彼女は仕事の同僚の不満を吐き続け、不倫でもある恋人への不平を並べ立てた。その間には30分おきに携帯電話へメールが届き、その返信をしながら喋り続けた。
私と一緒にいた彼には、一切興味を抱かずといった感じで、自分の話を聞いてもらいたがった。初対面の彼がいるにも関わらず彼女は私にばかりその話しを聞いてもらいたがっていた。たまに携帯電話が鳴り、話の途中で断りもなく通話ボタンを押し、15分近くも話して電話を切ると、「で、どこまで話したっけ?」とにべもなく言った。

私はうんざりしていたが、一緒にいた彼はとうの以前にうんざりしていた。私たちは席を立つタイミングを失っていた。彼は長い時間の運転で疲れていただろうに、申し訳なく思った。

愚痴を聞くのが嫌だと思っているつもりはない。
派遣会社で営業をしていて、いろんな派遣スタッフの人と関わると、彼女達からいろんな仕事の愚痴を聞くことが多い。それは単なる愚痴に始まりやがては仕事を辞めたいと思うほどの大きな不満にもなる。営業としてその不満を聞いてあげながら、如何にその人に長く勤務してもらうかを考える。それが仕事だから。女性特有の愚痴や文句を聞くのには慣れていたつもりだった。ただ、愚痴を言う人の中で、自分が愚痴を言っているとわかっている人は、とても救いがあると思える。愚痴を言ってすっきりと仕事に戻るのもよし。不満の要素を自分なりに試行錯誤して解消しようとした結果、だめなら契約をやめて次の仕事を探すのもよし。それは彼女たち自身の決断だ。けれど、自分の言っていることがすべて正義ですべて正しいと思い、周りに責任ばかり押し付けて現実が見えなくなったただの我侭な人は、救いがないと思われる。私はそう感じている。

私の親友である彼女は、後者だった。口ではただの愚痴だと言っていたにも関わらず、私がわざと彼女の言葉を突付いてみようとすると、彼女はとても興奮して声を荒げた。声を荒げて私の言葉を跳ね除けた。ムキになって否定すると言うことは、自分の主張が正義だと思っている証だと私は思う。自分の主張を攻撃してくるものには声を荒げて抵抗するのだ。
周りにいた客が驚いて私たちを見ていた。
彼女はそれすら気づかないようだ。酔っているのだろうか。

いろいろと疲れることがあって、神経が過敏になっているのかもしれない。ストレスが溜まっているのかもしれない。それを聞くのはとても容易いけれど、彼女がその不満だらけの日常に、なんの突破口を見出そうとしているのか、私にはまったくわからなかった。
「〜してみたら?」と私が言っても、彼女は「ぜったいに〜なるもの」と決めてかかっていた。「ぜったいに〜なるもの」というのは、彼女が試してみて「〜なった」わけではない。ただの彼女の想像だ。「じゃあ、〜してみたら?」と言うと、彼女はまた「それもきっと〜なるもの」と言って否定した。これもただの彼女の思い込みにしか過ぎない。彼女の行く方向を塞いでいるのは彼女自身であり、そうやって自分のテリトリーから外に出ず、そして誰も受け入れず、ただ執拗に周りを攻撃していることを彼女は気づいているのだろうか。
たぶん、気づいてはいないだろう。
そのあいだにも、恋人からのメールや電話の対応に忙しそうだ。
彼女は、いま言う不平や不満をシリアスには考えていないのだろうか。もしそうなら、心配する私の気持ちは空回りで終わる。心配してあげているというわけではないが、どんな風に彼女の話を聞けばいいのか、よくわからなくなる。


私たちは、同じ言葉で通じ合える親友だと思っていた。
もちろん、「彼女は、私が最もそうありたくない女性になってしまっていた」という、「そうありたくない女性」というのは、ただの私の主観でしかなく、もしかしたら、私が思う「そうありたくない女性」に彼女がなってしまっても気にならないのかもしれない。それはよくわからない。もしかしたら、私だって自分の気づかないうちに彼女のように我侭にも似た愚痴を言ったり不満を吐いて居酒屋でとぐろを巻くことだってあるかもしれないし、人は誰だって悩んだり壁にぶつかったりしたら自棄になることだってあるのだし。

私は考えた。
彼女は、ただいろいろな事情で参っているだけなのだろうと。つぎに会えるのはたぶん来年の正月になるだろうけれど、そのときまでにはこれまでの彼女に戻っているだろうと。
けれど、もしかしたら彼女はこのままかもしれない。同じ言葉で通じ合えると思っていた親友は、もう私には理解できない考え方をして意味のわからない言葉を操るのかもしれない。
彼女は変わってしまったのだろうか。
それとも、私がただ老いてしまっただけなのだろか。自分以外の人を理解できなくなるほど、つまらない大人になってしまったのだろうか。

私たちは確かに、同じ歩調で一緒に歩いていた時期があった。その後、道を別にした。別れてから、私たちの成長の度合いは異なってきたのかもしれない。どちらが大人や子供という意味ではなく、私たちはもう別世界の人間になってしまったのかもしれなかった。
それを打ち消したい気持ちと、認めてしまいそうな気持ち。私は複雑な心境になった。

ホテルに戻って彼は言った。
女性同士の付き合いっていろいろ大変だね、と。
本当に彼には申し訳ないことをしてしまったね。
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