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2004年04月04日(日)  家出ノススメ
みんなは家出をしたことがある?

私は両親と同居していた小中学生のころ、数回家出をしようと試みたことがある。
もちろん、すべてが未遂に終わってしまったけれど、一体何がきっかけで家出をしようとしたのかはもうすっかり忘れてしまった。最初は確か小学生の頃だったと思う。真っ暗な道を突っ掛けを鳴らして歩いていた。母が、後ろからスピードを同じくしてついて来ている事は知っていた。その突っ掛けの音がふたつ聞こえていたから。からんころんって。10歳になるかならないかの頃、あれがきっと初めて家出をしようと思ったときだった。

中学生の頃のいつかの日、きっと高校入試の頃だったから3年生だったと思う。毎晩、塾に通って勉強をした。家に戻ってきてからも勉強をしていた。勉強は苦にならずどちらかというと誰にも話しかけられたくないために勉強をしていたようなものだ。私の母は決してどんなことでも私を褒めなかった。だから、母とは幾度となく衝突を繰り返した。それは思春期独特の反抗だったと思う。もうこの家にいることが嫌だと思った。

塾の時間は午後6時から午後10時で、学校が終わると母に塾まで連れてきてもらい帰りの時間には迎えに来てもらっていた。同じ歳の従姉妹と一緒に塾の前で車を下り階段を上って教室に入る、はずだったけれど、私は母の車が見えなくなると階段を上らずに街のネオンが光る方向へ歩いた。従姉妹が私の背中に「どこへ行ってるの?」と聞いたけれど「誰にも何も言わないで」と私は返した。塾の授業には出ないつもりでこのままどこに行くわけでもなく街をぶらぶらするつもりだった。気が向けば塾の終わる時間にここに戻ってくるし、気が向かなければこのままどこかで眠るつもりだった。
いつも家出というものは思いつきで始まり気の向くままに終わる。

街と言っても田舎の街はそんなに大きくもなく明るい場所も少なく賑わう場所も多くはない。どの店も早く閉まるし今の時間で開いている場所などお酒を出す店がほとんどだ。街で唯一のコンビニを目指し私は暗い道を歩いた。時々車が通り過ぎバイクが走り去って猫が横切っていった。
勉強に疲れていたのもあるし、家族にむしゃくしゃしていただろう。学校の教師は誰も話がわからない者ばかりだし塾の教師はマニュアルのように授業を進める。そんな環境の中でクラスメートは勉強に没頭するものとそうでないものに真っ二つに分かれていた。進学とか社会とか将来とか、大人たちは色々と私の希望を聞きたがるけれど、そのときの私はこうなりたい、こうしたいというはっきりとした意志が見えずにゆらゆら揺れていたのかもしれない。

街灯の間隔は広かったと思う。向こうの街灯まではまだ幾分距離があったと思う。道端のゴミ捨て場から異様なにおいがして私は足早に歩いていた。2階建ての何の飾りもない建物が電車の高架下に建っていた。


私は今でも覚えている。私は今でもその気持ちを覚えている。
その建物の窓は真っ暗で、人のいる気配などなかったのに、建物を見上げると二人の女の悲鳴と怒声が聞こえてきた。
あんたなんか最低よ、死んでしまえ。なによあんたこそ死んじまえ。やめてよ、なにすんのよ、うるせぇ、死んでしまえ、殺してやる、黙れ、馬鹿ヤロウ。
その声は金切り声で始終鳴り響いていた。電車が通るときはかき消されたが何かが倒れる音と何かがぶつかる音と言葉にならない怒鳴り声がずっと聞こえていた。真っ暗な部屋で女ふたりの声が聞こえていた。あれは確かに成人した大人の声だった。

汚いものを見てしまったと、私は走ってその場を去った。
大人が醜い欲求をむき出しにして叫んでいる姿を聞いた。あれだけの声であんな言葉を吐き出すなんて、そのときの私の周りにいた大人からは想像も出来ないことだった。大人でもあんな言葉を吐き出すこともあって形振り構わず叫ぶなんて、信じられなかった。私が思う社会では、大人はいつも仮面をかぶって社交辞令だらけの言葉を操ったり、体裁ばかりを気にして意地汚くいやらしい部分をうまく隠した人間だと思っていたから。今まで大人のそんな姿を目にしたことがないために、とてもショッキングだった。私がいる場所はぬくぬくとした守られた場所だったんだとも思った。外に一歩出ればあんなに怖い出来事が多く待ち受けているのかもしれない。いつかは私もあんな言葉や怒声を浴びせかけられることがあるのだろうか。社会では誰も味方になってくれず誰も助けてくれず、たったひとりであんな言葉や声を浴びせかけられるのだとしたら、私はそれに耐えられるだろうか。それに耐えられる気持ちがあるなら私は未来に飛び込もうと思った。自分がいま立たされている分岐点の大切な意味を知った瞬間なのかもしれない。
その場に立ち尽くしてそんなことを考えていた。目の前にはミニスカートをはいた風俗の呼び込みの女性に酔っ払いのサラリーマンが鼻の下を伸ばしながらしなだれかかっている。店のネオンがチカチカと光っていた。

うん、私は耐えられる。きっと耐えられるしきっと屈しない、きっとやっていける。誰にも負けない。


もう0時をまわろうとしている。
母や父は今ごろ私を探しているだろうか。ベッドが恋しくなり私は歩いて家に帰った。
外を探し回っていた父と母は不意に帰ってきた私に何も言わず、私はその日夜遅くに眠った。
外が明るくなっているのに気づき目を覚ますと昼近くになっている。電話が鳴っている。すっかり寝過ごしてしまい誰も起こしてはくれず母はきっと呆れているのか、もしかしたら腫れ物に触るように避けているのか、食卓には朝ごはんが用意されていた。もう一度電話が鳴り、通話ボタンを押すと担任教師からの電話だった。30分後に迎えにいくと言っている。30分後に迎えに来た彼の車の助手席にはチャイルドシートが置かれていた。それを見たとき胸が少し痛んだ。職員室に連れて行かれても、周りの誰も私に昨晩の理由など聞かない。誰も私を責めないし誰も私を問い詰めない。5時間目の授業は美術の時間で、私が美術室に入るとクラスメートの目が一斉に私に注がれすぐ外された。あと、数分もない授業に私は隅のテーブルに座り寝て過ごした。チャイムが鳴り頭をあげると、美術の教師が「大丈夫か?」と私に聞いた。


あの晩の出来事は私に少しの免疫をつけたように思う。
これまで誰にも話したことがなかった出来事。何か特別な意味があり私に与えた気がして、誰にも言わないできた。けれど、ふとしたきっかけであの夜のことを思い返すと、あの出来事があってから私の思春期の焦りや苛立ちは消え、自分が大人たちに主張していたことは守られて育ったリアリティのない言葉だと知ったような気がする。それからは大人をひとりの人間として冷静な目で見るようになり自分を強くした。それが良いことなのか悪いことなのかはわからないけれど、同級生よりも早くに大人になり、どっしりと構えることが出来るようになったのはあのことがあってからだと思う。


私に子供が出来たら一度は家出をしてもいいんじゃないかと思う。守られない社会がどれだけ怖くて厳しいものか何かのきっかけで解ってもらえたらと思う。
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