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2004年03月23日(火)  病室カテキョ
入院一日目から「退院したい病」が蔓延しています。勢いは増すばかり。
もうすぐ廃人になると思うし、歩行動作を忘れてしまいそうです。筋肉は衰えてきています。
けれど、一抹の希望の光はずっとずっと向こうに、点のように見えています。

家庭教師をすることになりました。この病室で。よくも主治医がOKを出したものだと思います。家庭教師をしてもいいくらいなら、さっさと退院させて欲しいものです。たいてい、彼の許可は私の入院と矛盾していることが多いです。
実は、昨年の今ごろも同じように家庭教師をしました。ちょうど、転職活動をしていた時期なのでバイトとしてですけど、もうすぐ高校3年生の受験生になろうとする男の子を教えていたのです。内容は、数学でも英語でもなければ、「音楽理論」。音大を受験するために必要な筆記受験科目です。難しいといえば難しいですけど、基本を覚えればあとは応用するのみです。どんな教科でも同じだとは思うけれど。ちなみに、昨年教えた男の子は今年受験でしたが、無事合格したとのこと。当たり前です。私が教えたんだから。音大なんだから実技以外はそんなに勉強しなくても大丈夫だろうと甘く考える人も多いらしいですが、舐めてたら泣かされます。ちゃんと勉強しとかないと大学で単位落とすことは愚か、桜散る春になってしまいます。なので、彼が合格したのはひとえに私のお陰なのですという私の自信がまたもうひとりの迷える生徒を呼ぶきっかけになったのです。しまった。

異母兄の知り合いの知り合いのお兄さんの娘。という初対面な女の子です。男の子がよかったなあ、だって素直そうだもの、男の子のほうが。女の子なんて怖そうだなあ、意味もなくナイフで刺されそうだなあと、意味もない偏見。この娘のお父さんは、とても社交的で丁寧な人。それに比べるとこの娘はどうしてこんなにも無口で無愛想なのか。でも、この年頃の娘はたいてい初対面の人にはこういう態度なのかしらねぇ。たぶんここの家はお金持ちだね、それできっとこの娘はハコイリムスメなんだよ、だから少々の礼儀しらずは大目に見ようじゃないか。と、意味もなく偉そうに言ってはみたものの、兄が「いまいくつだっけ?」という質問を彼女に投げてもむっつりしたままプイと顔を背ける始末。お父さんは恐縮しきってはいるものの、なんだこの子は子供じゃあるまいし。
本物のハコイリムスメ。なかなか、手ごわい相手になりそうです。

よし、じゃあはじめましょう。早くお父さんは帰ってください。心配げな顔してついていなくても大丈夫ですよ。それじゃ、持ってきたテキストを見せてくれますか。と、じつは今日彼女が来ることもすっかり忘れていた私は、復習・予習をするための、自分が大学のとき使っていたテキストを持ってくるのをすっかり忘れていたし、眠くてやる気も出ないし、若い男子看護士が興味本位で病室をのぞきに来るし、主治医が来ては「こうやって、勉強を人に教えるということは自分のための勉強にもなるんだぞ。ハハハ」と邪魔をするしでなかなかはかどりません。
彼女に、どの項目まで自主学習で覚えてきたかを聞いたり、これまでやってきた中で何かわからなかったところはなかったか、などとヒアリングしている最中にテキストを見る振りをして、記憶の糸をたぐりよせています。音楽理論ってどんなんだったっけ?

この彼女は、落ち着き払って私が聞くことに答えてくれます。それではこの問題を解いてみてというと、さらさらとノートに書き始めます。その隙にどんどんテキストを読み進めていこうと私は彼女とは逆に焦っています。なんて、無様な光景。
出来た答えを見てみると、驚いたことにほとんどが間違っています。なぜ?
全ての答えが間違っているなら、まだいいです。全て間違えているならたぶん掛け違えたボタンみたくなっているだろうからです。すぐ軌道修正できる気がするんです。ただ、正解している問題と間違っている問題、かなり似たり寄ったりの問題があるので似ている問題はそれぞれ正解しているか、両方とも間違っていなければいけないのに、その傾向がない。彼女の思考は一体音楽理論をどのように理解しているのでしょう。

困った。間違っているその理由が見当たらない。困った。困った。

ここ間違ってるよ、と指摘すれば、「ああ」と答えてすらすら書き直します。はい、正解。すぐ解けるならどうしてさっきは間違えたのかしら? 不思議。はい、じゃこっちの問題を解いてみて。というと、また繰り返し。意味もなく正解と不正解が入り混じっています。意味がわからない。なぜ間違うのでしょう。また指摘すればちゃんと訂正してくれます。ただの単純なミスなのか、注意不足なのでしょうか。なんかこういう間違いをされることは、教える身としてとても不気味に思えてしまうのはいけないことでしょうか。さらに、もうひとつ似たような問題集を解かせてみるけど、まったく同じことをやってのけてくれます。「どうして、ここを間違えたの?」と問うてみたら「さあ」と言ってくれました。なかなか手ごわい相手です。


やっぱり女の子って怖いなぁ。男の子のほうがまだ可愛げがある気がするのは偏見ですか。家庭教師ですから、別にどんな態度をとられても腹も立たないし教える気が失せるわけではありません。淡々と勉強を続けていくのみです。彼女の気持ちをほぐしてやろうとか、勉強以外のコミュニケーションをとって信頼関係を結ぶ必要もないので別に相手がどんな人であろうと構わないですが。
この彼女は、高校生だからとかまだ子供だからとかまだ世間知らずだから、という言葉では片付けられないバリアがあって、なかなか怖ろしい存在ではあります。

黒くて長い髪の毛で爪もちゃんとカットされているしメイクをしている風でもなければピアスの穴だって見つからない彼女。イマドキって言う高校生がどんなものかは知りませんが、よくテレビで見る高校生像とはかなりかけ離れている容姿。
それが余計に不気味さを増幅させています。


ああ、お断りすればよかった。やめてしまおうか。
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