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2004年03月24日(水)  ヒロキ
ヒロキ。
その言葉をどこかで耳にしたり目にしたりすると、私の心はとくんと波を打つ。時がたつにつれ思い出す回数は減っても、どんなに長く生きたってその思い出は色褪せない気がする。


その写真を見つけたとき、それは奇跡的な偶然だと思った。
その写真自体がここにあること、それが偶然であり、奇跡であるということ。
保存されることのない数々の恋人との写真は、今ここに、しかもたった一枚だけあった。
ここに仕舞ったときの私には、きっと奇跡が起こっていたんだろうし、複雑な偶然の産物なのかもしれない。

どちらが馬鹿だったかいうと、私は間違いなくヒロキだと思うけれど、きっとヒロキは私だというだろう。どちらも馬鹿だったしどちらも真剣だったのかもしれないけど。そんなことを言うと、明日あたりヒロキから電話がかかってきそうな気がする。「僕のこと、馬鹿って言ったんだって?」って。ヒロキはいつも私を見ていたし、私を知っていた。けれど、私を知っているなんて言っても、それは、足首程度の浅さしかないってことはヒロキ自身がよくわかっていると思う。皮肉ではなく。だって私もヒロキのことを知っていると言ったって、かかと程度の浅さかもしれないし。


ヒロキは本当に見ていて飽きなかった。とても興味深い人だった。
くるくる変わるその表情や気持ちはムラだらけで、つかみ所のないその性質がいつもみんなを惹きつけた。けれどその反面、ヒロキの味方は少なかったね。端正な顔立ちをしたヒロキに好意を持つ女性はたくさんいたとしても、その多くが泣きながら腹を立たせながら離れていっていた。ヒロキの友だちだって薄情なものだったと思うよ。ヒロキのことを話す友だちは誰一人としてヒロキを良くは言わなかった。味方が多すぎるのも考え物だけどこれほど敵が多い人もはじめてみた。どうしてこんな風になっちゃうんだろうって、ヒロキの悪口ばかり聞いては、よくそう思った。

それにしても、ヒロキと会ったのはもう3年も前になるんだね。あっという間だった気がするしもっと昔だったような気もする。ヒロキはそろそろ仕事が面白くなってきた頃だったし、私は仕事を始めたばかりだった。互いに寝る時間を削ってでも懸命に仕事をしたし、寝る時間を惜しんで真夜中のデートを楽しんでいた。眠ることが馬鹿らしくなってきて、1日24時間をどうして好きなことだけして過ごしちゃいけないんだろうってよく話していたね。そのときの私にとっては、仕事をする時間とヒロキと過ごす時間が24時間だった。そのとき聞いた音楽や、食事をしたレストランや、走る高速道路や、プレゼントしあった物や、話した言葉、そのときのヒロキでさえ、何気ないすべてが大人の世界の大人の恋愛のように見えて、私は一歩大人の階段をのぼった気がしていたのに、いま思い返してみれば、今の私はあの頃のヒロキと同じ歳になってしまい、いま振り返ってみれば、とてもとても子供らしく愛らしい恋愛だったような気がするよ。

ある夜、ヒロキは泣いてた。
僕には、父親がいない。だから早く子供が欲しいって。早く家族を作って早く母親の面倒を見られる男になりたいって。ソファーに座ってまばたきさえせず、ずっとヒロキは泣いた。私はヒロキの膝に座ってずっとヒロキの肩をさすっていた気がする。ヒロキは、家族を作るなんて程遠い場所に立っている人間だったのに、人一倍、その思いは強かったんじゃないのかな。違うかな。


私たちは、もう二度と会うこともないけど、ヒロキがどこかに存在しているのかと思うと、急に胸が苦しくなったり、痛くなったりする。切なさがこみ上げてきて、急にどこかに走り出してしまいたくなる。衝動を抑えられなくなる。
泣いたのはあの晩だけじゃなかったって本当は知ってた。
お互いが背を向けてベッドに横たわっているとき、ヒロキは声を震わせるわけでもなく、ただ静かに涙を流していた。けれど、私は部屋の暗さにまかせて気づかない振りをしていた。だって、ヒロキの味方になる自信があのときの私には持てなかったし、これ以上もう泣かないで欲しくて、ヒロキが私にどうして欲しいのかわからなかった。私が気づかない振りをしながらおやすみを言って眠った後、ふと目が覚めたらヒロキの暖かい手が私の背中をとても優しい手つきで触れて、そして愛していると言ったけど、私はそんなヒロキの姿にどうしようもないほど胸が痛くなった。何も言えずに、何も出来ずに、ただ私はそれが悔しくて悲しかった。

ヒロキに惑わされて振り回されて惹きつけられて傷つけられたのに、ヒロキの愛してるという言葉なんか信じちゃいけないと思っていたのに、ヒロキが涙を流しながら私に何かを求めているような気がして、私はどうしたらいいか、何を言えばいいのかわからなかった。私とヒロキという存在がとても心細く思えて、このまま闇に溶けて消えていってしまうんじゃないかって、いつもいつも心配だったし何もかもわからなかった。

その頃の不安や心配は、今になっても、たまに私の心のひだを揺らしています。


ふと思いついたように空を見上げて、ずっとずっと遠くにいるだろうヒロキのことを思い出す。春になりかけのこの季節は、特別にね。ヒロキ、ヒロキって心の中で何度か呟いたりもする。私が空を見上げて思い出すのは、かつてとても好きだった男の人たちのこと。その中にヒロキが含まれるなんて、なんだかとても不思議な気がする。恋人でもあり、親友でもあり、同志のようでもあったヒロキは、とてもありきたりな言葉だけれど、とても大切な人だった。
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