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2004年02月22日(日)  家族
異母兄は、私が入院した夜からずっと、私の母と父にこのことを伝えたほうがいいと言っていた。
けれど、私はぜったいに、そうしたくはなかった。
私の母が知ったら、どれだけ騒ぎ立てるか、どれだけ金切り声をあげるか、どんな罵倒の言葉を吐いて、どれだけ絶望の表情を浮かべるのか、兄は知らないのだから。
たったひとりっきりの娘が、自分とは血の繋がらない異母兄を頼って入院したかと知ったら、母はどれだけの絶望感を味わうだろう。

しかし、私の体も自由に動かすことは出来ず、兄がしてくれることも限界があり、やはり兄は私の実家に連絡をした。

父と母が、予定の飛行機よりもひとつ早い時刻の飛行機に乗ったと聞いた兄は、まだ面会時間にもならない午前中に、私の病室に駆け込んできた。主治医と兄を含めて、三人で病室で話し合う。

母をなるだけ興奮させないこと。事態が治まりそうになければ早めに母を私から離すこと。主治医は父と母に包み隠さず私の状況を伝えること。兄は、母と父が病室に居るときは部屋から出ていること。父と母の面会時間は15分で終わらせるようにと看護士に伝えておくこと。

主治医は、ずっとずっと以前、私が初めて主治医のもとを訪ねたとき、こう言った。
「君は、お母さんから遠く離れた場所にいたほうが、いい。近くにいればいるほど、君の状況はよい方向には向かわないんじゃないかな」と。


母は、異母兄が空港まで出迎えるというのを、制止して父と一緒にタクシーに乗り込んだ。
主治医は、落ち着いた様子で私のベッドのそばに椅子を持ってきて腰掛けていた。
兄は、忙しなく腕時計を気にし、窓の外を苛立つようにのぞいていた。
私は、点滴の針が気になり腕を爪で掻き毟っていた。
この部屋の空気は二酸化炭素が多すぎるのではないかと、一瞬不安になった。


病室の外から、何人もの走る靴音が小刻みに聞こえてきた。誰かの吐く荒い呼吸音と、緊迫した声音が響いてきた。医師がゆっくりと腰を上げ自ら病室のドアを開いた。兄は体を強張らせ、私は息を止めた。母の顔が見え父の顔が見え、兄が手を握り主治医が母の動揺を見て取り、父が顔を強張らせた。私は天井を仰ぎ見て、看護士が手で口を覆い目を見開いた。汚い言葉が部屋に散乱して、兄はそこから一歩も動けなくなった。父が母を制止し、主治医は母の体を部屋から出そうとした。看護士がそれを手伝ったが、兄はまだ動けずにそこにいた。私は耳を塞いで何も聞きたくないと思ったし、この部屋の空気はやはり二酸化炭素で溢れかえっているのではないかと思った。


母と父は主治医の部屋に通され、症状の説明を受けているという。
私と兄は、急に空っぽになった病室に取り残され、口も聞けず何を考えるでもなく、怒りを覚えるわけでもなく、安堵するわけでもなく、そして兄は一粒涙を流した。
兄の涙は、私が唯一この世で見たくないものだった。


家族は、どれだけの絆で結ばれるというのだろう。家族は、分かち合えるものなのだろうか。家族にとって幸せとはどんなことを言うのだろう。家族とは、どれだけ大切なものなのだろう。
私の家族は一度だって本当の笑顔を見せたことはなかった。これまでずっと。これからもずっと。
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