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2004年01月03日(土)  行方
年が明けて3日目。
私は、朝早い時間に羽田空港へ戻ってきた。コーヒーを飲み、迎えのバスが来るのをじっと待っている。

祖父がそれを言い出したのは昨年の12月になってからだと、母に聞かされた。その頃の母は毎晩のように、私に電話をしてねっとりとした声で不満を漏らし続けていた。母も精神的にまいっていたのだろう。不満を言える相手が私しかいなかったことは、充分承知していたが、私も私で、毎晩泣き続けていられるほどの出来事を受け止められずに戸惑ってばかりだった。
祖父が異母兄を実家に連れて来いと、私に言った。最初は兄も遠慮がちに断っていたが、そのうちだんだんとその話題を避けるようにしていった。兄が祖父を好きではないことを私はよく知っている。祖父が兄に来て欲しいと言った理由は、家族を大きく揺るがすような内容で、そのために私の母は半狂乱になったし、私の父ははじめこそ唖然として祖父に抗議をしたが、そのうち貝のように口を閉じていった。そして、兄の母親は(これは兄から聞いたのだけれど)複雑な顔をして、そして泣いたという。そして私は、誰に対して思いを馳せたらよいのかもわからず、一体どう思えば良いかもわからず、ただただいろんな方向に考えを巡らせては、それを打ち消しまた考えるといった作業を繰り返していった。誰の気持ちもわからなかったし、自分の気持ちさえわからなかった。兄は、何も言わず、だから私には兄がどう感じているのかなどわかるわけがなかった。

12月29日の朝、私と兄は飛行機に乗り羽田を出発した。飛行機が到着するとバスに乗り、駅まで向かう。駅で少し休むと、電車に1時間ほど揺られ、片田舎の閑散としたホームに降り立った。時刻は21時になろうとしている。兄と私は移動の間、ずっと他愛のない話を(例えば仕事の話や、共通の知り合いの話なんかを)したり、眠ったり、本を読んだりして過ごしていたけれど、そろそろ電車が目的の駅に着き、母と父が駅まで迎えに来ているだろうという頃、兄は今回の出来事について、こう口を開いた。「僕がこの街に来たのは、もう20年も前だった。その頃の記憶は途切れ途切れで、あまり覚えていなかったので、こうしてもう一度ここを訪れるということは、不思議な感覚がする」と。私は、兄がうちを訪れたことをよく覚えている。カーテンの隙間から見えた、女性と男性、そして小さな男の子。私は、カーテンが揺れないように、気づかれないように、じっと身を潜めて彼らが何者かを想像していた。兄は、私に何も心配しなくていいと言う。お前が心配しているようなことにはぜったいにならないからと、確信をもってそう言った。私はその兄の言葉に、静かに傷ついていった。私が今回のことでどれほど心を揺らしたかを兄は知っているはずなのに、私は知らぬまに、蚊帳の外に追いやられたような気分もした。

何度も頭に思い描いていた緊張の瞬間は、とうとう訪れ、異母兄はわたしの母と対面することになる。父が車から出てきて、母が運転席のドアを開けた。私は兄の後ろからその光景を目にした。時がスローに動いているようで、気分が悪くなり、心をぎゅっと硬くした。
父が兄のバッグを手に取り、私のバッグも手に取り、「よく来たな」と兄に向かっていった。母は、車の側から離れなかった。怖い、と思った。何もかもが怖い。この瞬間も、この場所も、この目の前に立っている人たちでさえ、怖いと思った。どこかに消えてしまいたいと思った。兄は母に向かって会釈をしたような気もしたし、何か言葉をかけたような気もするけれど、私の記憶は少しその部分では途切れがちになっている。怖くて怖くて、手を使わなくても、私の耳や目は閉じられていたのだと思う。
母が食卓に、私と兄の分の食事を並べ、私はいつも座る椅子に腰掛けた。うちの食卓は3つの椅子しかない。兄は母に勧められ父がいつも座る席についた。母は、取り乱しもせず異常もなく、私に対する態度と変わらず兄にも話しかけている。全ての食事を並べ終わると母は居間に向かい、テレビを見始めた。父は、そわそわと冷蔵庫をのぞいたり、私たちに話しかけたりしていたが、やがてグラスを3つ取り出そうとして、私にたずね、やはりグラスを2つにして、ビールを注ぎ始めた。二つ目のグラスに注ごうとした父の手を、兄が制して自分で注ぎ始めた。そうして、二人は酌をしながらビールを飲んだ。
きっと、父は兄とこうしたかったのだ。

二世帯住宅といっても、玄関も台所も、そして食卓も別々にしてある我が家は、祖父の家は玄関を降りて別の玄関から入らなければならなかった。兄はお土産を手にしてひとりで祖父の部屋へ行き、すぐに戻ってきた。父が心配げな顔をし、母はテレビを見続けていた。

兄は、私の部屋に布団をしき、そこで眠ることになった。兄は、中学生の頃のままの私の部屋を興味深く隅々まで眺め、そしてやっと安心したような溜息をついた。部屋には本棚がふたつあり、ひとつはとても洋式の立派な、天井まで届く高さのものでガラスの扉がマグネットでとめられている。扉や引き出しの取っ手は、何かの草のつるをデザインした形で、2段目の棚には私が幼い頃の写真が飾られている。そしてその本棚には、きっしりと本が並べられている。誰の趣味でこの本が選ばれたかは知らない。歴史上の人物の解説本、田辺聖子や向田邦子の本、シドニィシェルダンの本や、子育ての本。そして勉強机は、中学生の頃の私の背丈に合わせられて、高さを調節してある。参考書や練習問題が科目順に並べられていて、その背表紙は陽の光で少し褪せている。私は、中学生までをここで過ごし、そして家を出た。この机であのころ一体何を思い、何を考えていたのか、あのときは兄の存在さえ知らず、けれど悩みは日々多く、そして友達も多くいて打ち込むものもあった。母や父に反抗したこともあれば、黙々と勉強をしたこともあった。あのころの私は、この机に座って一体何に悩んでいたというのだろう。今の私からはとてもちっぽけなことでも、あのころの私は、それなりに真剣に物事を見つめようとしていたと思う。兄が椅子に座って机を撫でる姿を見ながら、そう思った。兄は、何を一体思っているだろう。私は少し泣き、弱った顔をした兄にどうしていいかわからないと答えた。どう思えばいいかわからないとも言った。それはみんなも同じだよと兄は言った。

明日の夜、私たち家族は皆がひとつの部屋に集まり、何らかの結論を出すためのはなしをすることになっている。席は祖父が設けた。私がそこにいる必要があるのかないのかはわからないが、祖父が決めたことを破る者は誰もいない。

冷たいベッドにもぐり体を丸めて眠ろうとするけれど、冴えてしまった脳が眠ってくれようとはしない。ベッドの脇の布団の中にいる兄も、何度か寝返りをうっていた。向かいの部屋に布団をしいた父と母は眠れるのだろうか。

私たちは、明日、一体何を迎えて、どんな現実を見つめるのか。私がいまいるこの場所は、保証されたものではなくなってくるのかもしれない。私は私でなくなるかもしれないし、私は私のままかもしれない。なんらかの結論が導き出されたとしても、私にそれを覆す力はひとつもない。身を任せるしかないのだろうけれど、私はなにもかもが怖くて淋しくて、その気持ちを何を以って解決できるのかまったくわからなかった。逃げ出したくてたまらなかった。不安で仕方なかった。淋しくて死んでしまいそうだった。そんな自分を捨てたかった。兄はもう眠ってしまったのだろうか。自分のベッドから布団を引きずって、兄の布団に黙って潜り込んだ。

翌日の昼前に、私は目が覚めた。誰も起こしてくれないといつまでも眠ってしまう。一瞬、ここはどこだろうかと思ったけれど、すぐに思いは蘇った。今日が来たと思った。それがその日に最初に思ったことだろう。兄は既に起きて階下の居間にいるようで、ドアを開けると誰かの話し声が聞こえた。

兄に誘われ出かけると、歩いて20分ほどの場所に海が見える。
冬の海は、寒々とした波を泡立たせているだけだった。黒いウェットスーツを首までひっぱりあげて、サーフィンをする男がいた。今日の波は彼にとっていい波なのだろうか。兄はこの風景にくつろいでいるようだった。砂浜に腰をおろして風に吹かれる髪を押さえながら、私はそのサーフィンをする男を眺めていた。
「小さい頃に、一度おまえのうちに行ったことをはっきりとは覚えていないけれど、帰り際にこの海に来たことがある」 そう彼は言った。兄の叔父にあたる男性と兄の母にここに連れられてきた兄は、この海で砂だらけになりながら遊んだと言った。雨も少し降っていたかもしれないな、と言う。そうだったかな、と私は思った。兄の叔父は数年前に癌で亡くなったという。兄の祖父も癌で亡くなった。自分の家系には癌で死ぬものが多いから、きっと将来は自分も癌に侵されるだろうといった。あいの家は癌で死んだものはいないし、祖父も元気そうだったから、おまえは癌で死ぬことはないよ、と兄は笑った。私は兄の笑みにまた少し静かに傷ついた。兄には兄の家系があり、私には私の家系があり、それが違うからこそ、ふたりがいつか死ぬときの原因は、別のものになるんだと言う。兄は私の兄であるのに、私は癌にならず兄は癌になるのかもしれない。当たり前のことで、非現実的な話でもあるけれど、それが少し、しかしやはり、兄は自分自身を蚊帳の外に立たせようとしている気持ちを見た気がして、私は息を止めて耐えた。

砂浜はどこまでも白くてどこまでも続いているように見える。二人連れが散歩をしている。子供が声をあげて喜んでいる。サーファーが飛沫をあげて板から投げ出される。いつもの年末の慌しさのあとには、一瞬の静寂が訪れ、まもなく新年を迎える。今年のたった最後の数日間をこうして穏やかに過ごせることは、幸せなことだと兄は言った。

私たちは、祖父が指定した場所に向かうため、砂浜からゆっくりと腰を上げた。私はひどく眩暈がしそうだった。一秒たりとて時が過ぎることが怖いと思った。
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