僕らは きっと待ってる 君とまた会える日々を さくら並木の道の上で 手を振り 叫ぶよ どんなに苦しいときも 君は笑っているから 挫けそうになりかけても 頑張れる気がしたよ 〜 さくら さくら 今、咲き誇る 刹那に散りゆく運命と知って さらば友よ 旅立ちの刻 変わらない その想いを 今 〜 さくら さくら ただ舞い落ちる いつか生まれ変わる瞬間を信じ 泣くな友よ 今惜別のとき 飾らないあの笑顔で さあ
さらば友よ またこの場所で会おう さくら舞い散る道の上で
森山直太郎の『さくら』の一節である。 じつは、若くして息子さんを亡くされた方からきたはがきに、この一節が添えられていた。 突然の死に、気持ちの整理などつくはずもないが、安らかに眠り、そしてまた再び帰ってきてほしいとの想いが伝わってくる。
『さくら』はメロディーもいいし、またそれ以上に詩がすばらしい。あらためてこうして詩を読むと、表面的な内容だけでなく、情景が異なるその人にとって、心の中にまでうまく溶け込んでいくようでもある。 名曲といわれるものはそうして、落ち込んだ人、悩んでいる人、道に迷った人に希望を与えてきた。この『さくら』は名曲に値するだろう。
作られた背景は、おそらく「卒業」ではないかと思う。しかし、こうした「永遠の別れ」の情景を映し出しても、その人の想い入れをすんなりと受け入れてくれる。
さくらの美しさと裏腹に、散っていく寂しさをこうしてすばらしい詩にまとめ上げた作者に敬意を表したい気持ちだ。詩というものは、その人の人格を映し出す鏡だという気がする。年には関係ないだろう。色恋がすべてという歌の中にあって、こんなにも人々を勇気づける歌が生まれることはほんとうにうれしいと思う。
直太郎の母親である森山良子は『この広い野原いっぱい』で大ヒットを飛ばしている。『さとうきび畑』、そしてさらに最近では『涙そうそう』もヒットした。メロディーもいいが、やはり詩がすばらしい。 この親ありてこの子かな、と。
いっしょにこのはがきを読んだ妻が私に言った。 「さくらのメロディー、どんなのだったかしら。まきちゃん、ちょっと弾いてみて。」 無反応な娘に代わって、私はおもむろにピアノに向かってメロディーだけを弾き始めた。残念なことに和音までを弾く技術に至っていないのだ。
じつは娘がピアノ・コンクールのテープ審査曲に選んだのはこの『さくら』である。子供たちの間でも人気があるようだ。しかし、いつも手厳しく間違いを指摘していたが、弾いてみるとけっこうむずかしい曲だ。シンコペーション、リズム、それに高度な和音が多用されていて、かなり練習が必要だ。
「まきちゃん、お父さんがかわいそうよ。弾いてあげて・・・。」 うまく乗せて練習させようと、いつもの手段を使っているが、いっこうに乗ってこないのである。
ついに最後までよたよたとメロディーだけを弾き終わった。 いや、ほんとにいい歌だ。
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