先日テレビで「フジ子・ヘミング」のインタビュー番組が放映されていた。
フジ子・ヘミングは晩年になって開花したピアニストであるが、早くから才能を認められながら不運が続き、ようやく日本でも有名になってきた。
いつもなら本を片手にうとうとしている妻だが、テレビを食い入るように見ているではないか。そういえばずっと前のテレビドラマ化された「フジ子・ヘミング」の番組も真剣に見ていたようだ。
フジ子・ヘミングは小さいときから数々の賞を獲得し、海外に留学。そこで勉強を重ねてバーンスタインに認められ、世界デビューを果たす直前に耳が聞こえなくなるという悲劇に見舞われる。困窮した生活の中でピアノ教師をしながら、ピアノの夢だけは捨てずここまで上り詰めてきた。あきらめなかったのだ。 きびしい生活の中で、「猫」との出会いで心を癒されるようになるのである。「癒し」の世界では猫がよく登場する。人がこういう動物に救われるということはよく耳にすることでもある。
今や世界的アーティストになった「ヒロ・ヤマガタ」のエピソードにも猫が登場する。 フランスで修行中に絵が全然売れなかった。もうやめて明日は日本に帰ろうと思っていた時、一匹の猫が橋のたもとを通り過ぎた。「がんばれ」と言っているように感じて留まるわけである。この一瞬の出会いがなければ今の「ヒロ・ヤマガタ」はなかったかもしれない。その時の情景を思い描いた彼の作品を我が家にも掲げている。
この写真は、めずらしく日本物を描いた作品である。有名な兼六園の池を鮮やかな色彩で彩っている。

「ヒロ・ヤマガタ」の絵には、小人とともに猫が走りまわっているのが特徴的だ。この猫、小さくて気付きにくいのだが、こうして作者の生き方というものを二重写しにして作品を見れば、猫が作品にどう影響を与えているかわかるような気がする。
じつは、妻が「ヒロ・ヤマガタ」の絵に惚れ込んでいるのは、どうも全体の中に溶け込んだ小人と猫にあるようだ。
先入観をもって物事をみるのはよくないと言われるが、私の場合はできるだけ、作品であればその作者の人となりというものを知りたいと思う。
「フジ子・ヘミング」の番組を見ながら、そう感じた。
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