マイナスの発想というのがある。技術関係でいわれる言葉だが、芸術の分野でも同じだろう。
不要なものをとっていけば美しくなる。茶の世界でも、「千利休」が極限までいらないものを取り除いて質素な茶道を築き上げた。 何も削るものがないところまで無駄を省き、緊張感を作り出している。ある意味では贅沢の極みかもしれない。
「千利休」といえば逸話がある。 咲き誇る「朝顔」を見たいがためにやってくる豊臣秀吉を迎えるにあたり、その「朝顔」を一輪だけ残して、あとはすべて切り取ってしまった。そしてその一輪だけを飾ったのである。 豊臣秀吉はその美しさに感動したという。 美しいものを並べ立てるということもあるが、際立たせるということでは、考えさせられる逸話である。
音楽の世界でも同じかもしれない。 究極は一つの音が美しいかどうかだろう。心に響くかどうか、単に物理的な音質だけではないと思う。それを求めて世の音楽人は切磋琢磨している。 相手を感動させる音を持っているかどうか。声を持っているかどうか。これだけはお金に替えられない財産である。
ジャズを聴くとよくわかるが、いい演奏は間がうまく入っている。あふれるがごとく湧き出るフレーズを得意とするミュージシャンもいるが、それでも巧に間がとられていいる。1小節くらい音がなくても流れが作られている。
けっきょく何の世界でも同じで、シンプルでなければいけないのだ。
人間も同じ・・・。あー、朝の「にがり納豆」の効き目はいまいちだ。 どうも不要なものが付き過ぎてきたのであ〜る。
妻の「にがり水」はいかに・・・。
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