管理人トシの日記

2003年12月11日(木) レシピがない

フルーツ・ケーキのレシピが見当たらない。いろいろ探したのだが、ひょっとして処分したのかもしれない。
yakoのリクエストに応えられなくなりそうだ。普通のフルーツ・ケーキなら別にあわてることもないのだが、今回のものはちょっと内容が違って、かなり重たい。重厚な味なのである。
レシピといっても、これは『サライ』という雑誌に掲載されているもので、単にこれにしたがって作るだけなのだが。もう何年も前なのでよく覚えていないが、この『サライ』を処分するかどうか迷った記憶がある。定期的に、たまった雑誌類を新聞などといっしょにまとめて処分しているが、いつも捨てるかどうかで迷うのが常である。そしていつしか山のような不要品に取り囲まれる。

立花隆著の本の中の<『「捨てる!」技術』を一刀両断する>にはこうある。この本の著者は、ひと仕事終わるたびにどさっと資料を捨てなさいと言うのだが、これは継続性がない知的レベルの低い仕事にしか適用できないとバッサリ切っている。ほとんどカスみたいな本で、捨てる技術を使うなら真っ先に捨ててしかるべき本だと言い切っている。それにしてもこれがベストセラー本とはどういうことか。まあ、立花氏とは知的レベルがかなり違うのはたしかだろう。蔵書を保管するためにあの有名なネコビルまで建てている。

今までに得た知識などは、そんなに頭脳にためておくことはできない。記憶能力がオーバーフローすると、どんどん忘れ去っていくのである。だから、知識として得た内容の資料はとっておいて、必要な時引っ張り出して確認する必要があるのだ。レシピを頭に叩き込んでいる人は、職人と呼ばれる人達だろうが、菓子職人に限っては、きっちり計量するという作業があるのであてはまらないかもしれない。

知識の蓄積とは違うかもしれないが、楽器の練習も同じようなことがあるかもしれない。毎日少しずつ練習することで、技術が蓄積されていく。何年もやっていなくても、少し復習すると勘が戻るというか、おー、できるできると感じることがある。おそらく脳が覚えているのだろう。よくわからないが体が覚えるというけど、これも脳の働きではないだろうか。

こんなことはどうでもいいのだが、問題はレシピである。息子の部屋に料理関係の本は移動しているので、ちょっと探してみなければいけない。
記憶をたどると、カラメルを入れて大人の味を演出したような気がする。カラメルとは、砂糖を焦がして苦味を出したものだが、これを入れると全体がこげ茶色になって、見た目も普通のフルーツ・ケーキとは違い、重厚そのものになる。くるみも大量に入れたような・・・。
どうしていつもこうなのか。気になって捨てたものは、たいてい後になって悔やむものだ。

手がないわけでもない。『サライ』のバックナンバーを調査してみる手がある。表紙は覚えている。野沢菜がお皿にのっている写真だった。ということは、冬の号だろう。しかし、年代はまったくわからない。

インターネットの威力をためす時でもある。
こうして、無駄な時間を浪費してしまうのか・・・。


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管理人トシ