小澤征爾の弟で音楽ジャーナリスト小澤幹雄氏が、プラハでのコンサートについて記述していた。
あれっと思ったのが、チェコのハヴェル大統領が小澤征爾、ヨーヨー・マらと共にチェロを持って並んでいる。きちっと蝶ネクタイをして、なかなか決まっているではないか。弾くのだろうか?おそらく芸術家であるハヴェル大統領、そうに違いない。 そういえば、アメリカのクリントン前大統領もジャズをテナー・サックスでやっていた。なかなかの腕前のようだ。
ドヴォルザークの曲をやったようだが、『新世界』の中にある『家路』について興味深い話しがされている。小澤征爾と弟の小澤幹雄氏が中学の頃の話である。 小沢征爾のクラスで、音楽の時間、『家路』の合唱をしていた時のことだ。ひとりだけ親元を離れて通っていた子がいたが、合唱の途中で急に教室を出ていった。そのまま、親元に帰っていったというのである。 『家路』にはそういう郷愁を漂わせていると思う。
じつは、私にとっての『家路』はどうかというと、これも中学の頃に遡る。 音楽の先生は池上先生という。声に張りがあり、とてもエネルギッシュな先生で、授業ではよくレコードをかけてくれた。歌曲がお好きなようで、いつもレコードに合わせてドイツ語で歌っていた。 ある夏、蒜山に学校からキャンプに行ったが、池上先生も同行された。夜のキャンプ・ファイヤーで、先生がこの『家路』を歌ってくれたのだ。 「遠き山に 日は落ちて・・・」このメロディーと詩、そして池上先生の歌声が私の心に焼き付いている。 哀愁を帯びたメロディーは、その時のなにかしら、さみしさがこみ上げる心に染み入ったのであろう。
『家路』は『新世界』の中の一曲だということは、後年になって知った。しかし、この曲は私にとって、あくまで『家路』なのである。聴くたびに、その時の情景が思い起こされる。
それにしても、日本の政治家に芸術家はおらんのかねえ。物質社会はもう終わりだというのに。
文化・芸術の少しばかりのお役に立てればと、地域祭りに精出す毎日である。
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