管理人トシの日記

2003年10月09日(木) 食文化

『柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺』
明治の詩人、正岡子規の俳句である。この句がぴったりの季節になってきた。抜けるような青天と、透きとおった空気は、自然がくれた最高の贈り物だと思う。

きのう、会社の人が柿をひとつくれた。「太秋」という品種で、あっさりとした、いい味をしている。しゃきしゃきとした食感は、りんごにも似ている。けさ、母がさっそく裏の畑に出て行った。すぐに戻ってくると、「これ、太秋と思うけどなあ・・・。」といいながら、まだ青い柿をむいだ。ほのかな渋みはあるが、太秋かもしれない。じつは、ここ数年で柿を何種類も植えてしまったので、何の品種かわけがわからなくなってしまったのだ。
一句。『あたふたと 我の柿取る 母うれし』うーん、どうかな。思いが出ているかな。師匠K・恵さんに講評をいただくことにしよう。

柿は、日本が原産と聞く。くだものといえば、なんらかの酸味があるのがふつうだが、柿に関していえば、この酸味というものが全くない特別のもののようである。田舎といわず、日本の家々では、たいてい柿の一本や二本はあるというのが、昔からの風景であったように思う。これも文化であろう。

会社までの数分間の通勤では、田んぼが主な風景となっている。今は、ちょうど黄金色に色づいた稲穂がたわわに実っている。東北では、不作ということで米泥棒まで出没しているようだが、瀬戸内の温暖な気候に恵まれて、この異常気象にもめげず、平年並みの作柄となったようだ。ほんとうに岡山はいいところだ。

食は文化である。こと、日本の食文化を支えてきたのは、まぎれもなく米である。しかし近年、この米の消費量が大幅に減ってきている。どうしてだろう。日本人の命の支えなのに。

我が家でも、一応、米は作っている。昔は、一ヶ月もかけて、毎日、釜で刈っていたものだ。わら束を積み重ねた「わらぐろ」と呼ばれる、家に似た砦で遊んだのが懐かしく思い起こされる。ゆったりとした、のどかな田園風景の一ページだ。

健康ということからみると、和食が見直されてきている。人間、食べているものから作られているのだから、ファースト・フードを食べれば、当然の理で、ファースト・フード的な体になってしまうだろう。我が家は、昔から芋と菜っ葉の食文化である。子供にもそうさせている。今になって、感謝している。

『柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺』
しみじみと、秋の名句にひたりたい。


 < 過去  INDEX  未来 >


管理人トシ