生音には説得力がある。そしてパワーがある。
五郎部俊朗のコンサートで、思わず購入したCDであったが、家に帰って聴いたときの落差はなんであろうか。それは、かなりくたびれたステレオ装置のせいもあるだろう。 しかし、なんといっても生音の迫力にはかなわないということを実感したできごとだった。
ピアノの前奏がはじまって、歌い出しのブレスをする。この息づかいが聴衆に伝わり、最初の音が声となって発声されると、みなが、その歌の 世界にはまっていく。歌い手と聴衆が一体になるのだ。おそらく歌手も聴き手の反応がわかるはずだ。 こうして本来の音楽がつくられていくのだと思う。
カラオケ講座が盛んだが、プロ並みの技術をもった人も多い。はっきりいって、へたなプロよりうまい。しかし、そこまでだろう。 何が違うのかな?ふーむ、やはり、聞く側は、技術的なものだけでなく、その人そのものを感じ取っているのだろうか。そんな気がする。
中林淳眞先生に聞いたことがある。村治香織はうまいですねえ、と。しかし、こう言われた。「テクニックはすごいよ。でも、音はまだまだだ。若いもんは、あんなもんだ。」
そうか、年齢も必要なんだ。しかし、歳相応の技術を持ち合わせていない・・・。悲しいかぎりだ。 まあ、CD録音するわけでもないし、生音で勝負するか。
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