2012年06月12日(火)
ななどあメモその3


 続いています。だいぶだらだらしているのは、日数経過しているのもあるんですが、そもそも物語が迷走していたからかなぁと。

 というわけで、続きです。





[ななどあメモ:七つの扉、じゃない話]

 七つの扉を越えて、「厳かな婚礼の儀」を行う「時の間」案内されるユディット
 従者たちが現れて最初着替えさせられた服をまた脱がされる。白い一重のドレスだけになるユディット。

 そうして公爵が現れる

「羊の話を聞こう」と。

 ユディットは従者達に囲まれて、代わる代わる詰問されて「羊をほふる」様を淡々と語らされる…
 そうして、何故こんな話を聞くのかと問い返すユディットに公爵は語る。
 
 公爵は自分がかつて罪を犯して、神に罰せられて時を止められたという。
 公爵の罪は昔ある国の王だったころ、戦争でたくさんの人を殺した。けれども殺すことは神と神官に与えられた特権、それを侵したとして、公爵は時の流れを止められた。 そうしてもう長いことこの城にいる。
 しかしその止められた時の中とどまる事を憂いた公爵。その公爵に神の啓示が
「羊飼いの娘を探せ。その羊をほふる行為で君を楽にしてくれるよ」と(大意)。


 そのためだけに私を?では私が公爵をほふれなければ?と聞くユディットに
「これまでと同じ事をするまでだ」と。前の三人の妻の遺体が天井から降ってくる。
ほふれなければ殺されるまで。
 そうして従者達が去り、公爵と対峙するユディット。今度はユディットターンでこれまでの生い立ちを語ります。



 以下、突然ですがユディットの話を箇条書きします。

1)父は下級士官で、酒場での諍いを止めに入った時に殺されてしまった。しかし裁判では弁護士の巧みな弁舌に翻弄されて、父を殺した男は無罪にならなかった。


2)そこから家は没落して、母親が昼も夜も働きにでたが、暮らしはちっともよくならず
「一番下の妹はいつもおなかをすかせていた」

3)弟達は貧しさとひもじさに争ってばかりで、いつもよその子供を羨んでいた。

4)十二の時に口減らしの為、今の家に引き取られた。けれども家族ではなくて、体のいいメイドだった。父も兄も正直だけれど勤勉ではなかった。

5)そして私が女であることが別の苦しみを(原文ママ)


 そうして、生きている事がつらかったというユディット。だから公爵の七つの扉に夢中になった。扉の向こうには天国への道があるのだと思っていた。

 けれども、扉をあける度によみがえるのは苦い思いでばかりで。


 訴えるように公爵に語るユディット。
 時に涙を流しながら。


 で、あえて番号をふったのは、ユディットが「苦い思い出をばかりよみがえらせた」七つ扉とのリンクを検証したかったのです。

1)は「強欲」
 「強欲」という七つの大罪そのままではないものの、、「強欲」という罪人がまるで父を殺した弁護士であるかのように

2)は「暴食」
 罪人「暴食」の罪は幼い子供から食べ物を奪った罪。
 そこからくる飢餓。暴食を諫めるユディットは神の教えからと、飢えていた幼い弟妹達が脳裏に浮かんでいたはず。

3)は「嫉妬」
 ほかの家庭の子供をいつもうらやんでいた弟たち。
 に、かけている……の?

4)は「怠惰」
 父と兄を正直だけれども勤勉ではなかったというところから?

5)「肉欲」
 私は肉欲はやってないと思っていたし、あんまりそこに性的なものを感じなかったけれど、ユディットからすれば「女であることがまた別の苦しみを」思い出させたのか
 
 ……っていうことだよね?

 で、上であがっていない「傲慢」は、ユディットはここにいるほうが幸せだという兄の傲慢なのか、はたまた「傲慢」に指摘された通り、ユディット自身なのか?
「憤怒」は3)で喧嘩している弟たちを指すのかなぁ。


 もっとちゃんと解釈すればつながるのかもしれませんが、それまでめぐってきた七つの扉とのつながりが弱くて。
 またそれをユディットが延々と語るだけで、言葉だけの解説にすぎなくなってしまって。

 なにより、七つの大罪がユディット自身ではなくそれをとりまく事象であった事もどこか遠くて。


 ここまでやってきた七つの扉の話ってなんだったんですかねーーーーー?

 という気持ちになってしまった。なんか論点ずれてね?(笑)



 更にそれに続けてユディットは言う
「私は必要とされているのでしょうか?」
 そんな風に生きていることがつらかったユディットにとって、公爵は救い主であった。その公爵に求められた事にユディットが
「どれほど喜んだかおわかりになりますか?」
とそれに対して公爵は

「神がおまえを選んだ、それでは不服か?」

 つうか公爵、おめえ今ユディットの話聞いていなかっただろ?(真顔)

 羊をほふる娘だから求められた(ユディット自身を求めたわけではない)、ということはユディットにとってはショックだったはず。だってユディットは間違いなく公爵に恋いこがれていたんだもの。

 そこから「なんとなく運命論(爆)」に持っていく公爵。
「どうすればいいかわかっているはずだ」
 と、ナイフ投げて、自分をほふる事を示唆する公爵。

「私はおまえの羊だ」

 そうしてためらいながらも覚悟を決めたように、公爵をほふるユディット。泣きながらユディットは神への祈りのような歌を歌う。そうして公爵を胸にいだいて、暗転。




 えーーーーーーーーーーーーー(半笑)




 スズカツさんは、簡易な物語などおもしろくないと豪語するけど、それ以前に破綻しちゃってる気がするんだけどなぁ。
 それまで紡いできた七つの扉とか七つの大罪とかいう論点は思いっきりずれて、
 何のひねりもないストレートな説明せりふで論点がずれて、
 でもなんとなく雰囲気のいい、かっこよさげな台詞をはかせて終幕。
 舞台セットも照明も音楽も演出も役者もすばらしかったから、なんとなくよさげに見えるけれど……な、なにが言いたかったの?

 答えを出すことが正解ではないとスズカツさんは言うけれど、じゃあ、あなた何を伝えたかったの?それ伝わってないよ?いいの?と思ったなぁ。別に正解を求めているんじゃないの。ただ、何を伝えたかったのかが私にはわからなかったんだよね……。


 公爵を胸に抱くユディットで終わっていればまだよかったものの(「なんとなくよさげ」、な雰囲気にのっかったのに)、最後にまた暗い青ひげ城のセットの中、プロローグと同じようにうごめく従者たち、そして階段上から出てくるのは、公爵と色違いの衣装をまとったユディット。そうして冒頭の公爵の台詞を言って、終幕。



 厨二だ、実に厨二だと思いました、はい(笑)

 あともったいぶった割には公爵の罪がちゃっちくて(笑)、それもまた厨二感を助長しているような。




 ところでこのラストシーンは毎回印象が違いました。
 初見の時は、公爵の代わりにユディットがこの城の主になったように思ったし(初日のユディットちょう強かったもんね)(笑)。
 ある時は公爵よりももっと強大な力で君臨するもの、聖書を片手に断罪したように、罪を許した公爵に対して罪を裁くユディット。この後、すべての扉を回って、罪人を「屠殺」していくのではないかと思うほどに。
 ある時は公爵とユディット融合体みたいな(ふーじょんと言ったら六実さんそれ古いです、と某嬢に笑われた)(笑)
 ある時は、公爵の代わりに罪を受けるものとしてこの城に置かれたという風にも見えて。何故ならユディットは公爵を殺すことで罪を犯したのだから。


 毎回見る度に違って、それ自体はおもしろかったんですが、物語を補填するどころか混乱させるものに見えたなぁ(笑)。

 そしてそうこうしているうちに、ななどあサウンドトラックが発売になりまして、その解説にはこのラストシーンが「新たな宿命のはじまり」「永遠に続く贖罪」とありました。


 ……あ、そうですかー(棒読)








 で、最終的に全11回(!)観た私なりの解釈は、これはやっぱり、ユディットと公爵の婚礼の物語なんだろうなぁと。
 七つの扉の話はとりあえず置いておいて(7doorsなのに!)(笑)。


 というわけで、その視点でもう一度振り返ってみます。


 冒頭で公爵の使いの執事がユディットを迎えに来た時、ユディットの声に出さない喜びがあふれていて。七つの扉の向こうの世界と公爵へのあこがれ。
 それは神へのあこがれにも似て。
 城にあがって執事に公爵のひととなりを聞くユディット。そして七つの扉を開ける前に、突然現れた公爵、その表情には歓喜があって。

 公爵に私を愛することができるか、でできます、と即答するユディット。
 「どんな事があっても」「必ず」と。

 そうして七つの扉をめぐるうちに、違和感を覚えていくユディット。
 何故このようなものを見せられるのだろうか
「私はためされているのでしょうか」
 それでも公爵の意に沿おうとうするユディット
「公爵もどこかでごらんになっているかもしれないですし」
 と肉欲を受け入れるユディット

 けれども、ユディットの違和感は増していく。
「なぜ、私は選ばれたのだろうか」と。

 家を出るとき、兄の前では「私は選ばれたのよ」と選ばれた事に対しての歓喜ばかりで「なぜ?」とは思わなかった。
 それが扉をめぐるうちに……


(まあ平たく言うと「え?なに、この仕打ちひどくね?つうか歓迎されてなくね?」って事だよなぁ)(笑)


「公爵はわたしをお試しになっているのでしょうか」

 七つの扉、七つの罪人、数え切れないユディットの「なぜ?」、は最終的に「なぜ私は選ばれたのだろう」という疑問にぶちあたっていく。


 そうして時の間での「婚儀」。
 何故選ばれたのかと問いかけるユディットに「神がおまえを選んだ」と。

(ここで公爵がひとこと、ユディットへの愛を語ってやれば、物語はもう少しカタルシスを感じられたのになぁ)(つうかユディちゃんかわいそう><)




 そう思うとユディット救われないなぁと思うのですが、この公爵とユディットの婚儀を縦糸するならば、そこに横糸として絡む、あるいは平行して、「ふたりの同一性」と言うの垣間見えていたちと思います。


 執事は「公爵とユディット様は兄弟とみまごうほどに」と言う。その後に「それぐらいお若いと言うことです」と補足するが、この兄弟っていうのはあながち間違いではないと思っていて。

 最初の邂逅で公爵の言う「おまえと私は瞼の表と裏だ」その時点ではまだ理解はしていないユディット。
 けれども最初に公爵のバイオリンを聞いたときのユディットの「美しい音色…そして悲しい」。そしてはっとしたように「公爵は、今」と何かを言おうとするユディット

 この後「七つの扉みせてあげるよ」に喜んでしまってその言いかけた台詞は飛んでしまうのですが(ちょっとユディット単純でかわいい)(笑)、私はここに続く台詞はこう考えていました。

「公爵は、今、孤独なのでは?」

 その罪により堕とされた時の狭間の中で。
 その孤独を、ユディットは知っている。

 そうして扉をめぐりながら、城全体にしみわたる公爵の孤独を思うユディット。そして七つの扉に思い出されるつらい過去が、ユディットの孤独を浮かび上がらせていく。

 そうして公爵は言う

「わたしはおまえで、おまえはわたしだ」

 七つの扉をめぐりながら、公爵を感じてたユディットはその中で公爵との同一観というか、運命を感じたんじゃないのかなあと。

 途中からこれはあこがれでも恋でもなんでもなく、ただ運命なのだと。



 舞台上には、上から落ちる雫を受ける小さな池があって、いろんな場面で効果的に使われています。白い衣装に着替えたユディットがその身をうつしたり、おさえきれない憤怒がそこに顔をうずめて自殺しようとしたり。
 この池は「鏡」をあらわしているんじゃないかと思いました。結局、公爵とユディットは鏡合わせの二人だったんじゃないのかな、と。

 ユディットが公爵を刺した時、池は真っ赤に染まり、上から落ちていた滴が速度をまして、激しく水面をうちます。水滴が跳ね上がるほどに。これを私は「あ、鏡が割れたんだな」と思ったんですね。似ているふたりをうつす、その象徴の鏡が。

 ただ鏡が壊れた事が、同一のふたりが一緒になったということなのか、あるいはふたりとろとも崩壊したのか、それはこのあとの場面が、いろいろな意味にとれたのと相まって、やっぱり結論はでないですが。

 が、私はやっぱりここは「婚礼」なのだと思っていました。
 公爵を胸に抱くユディット、そうして聞こえる鐘の音、祝福なのか、葬送なのか、それはわからない。けれどもここは「おごそかな婚礼の儀」を行う「時の間」。
 「羊」をほふる、ということが婚礼の儀式。


 実際ユディットが救われたのか、これもやっぱり疑問ではあります。
 生きていることが苦しいと訴えたユディットに、公爵が課したものはさらに酷なことのように思うし、ユディットの解決にはなっていない。ただ、そうやって七つの扉の向こうがわへいきたかったユディット、救われたかったユディットは扉をあけるにつれて、己の運命を自覚していくように思えます。そうじゃないと、最後にユディットが公爵を刺す、といいうところまでいけないような。

「神がおまえを選んだ、それでは不服か?」

 公爵に選ばれたことを歓喜としたユディットにとって、神に選ばれた事は何を意味したんだろう。
 泣きながら、けれどもどこかで覚悟を決めて公爵をほふったユディット

「わかっているはずだ」

 わかっているから、泣いていた。運命にあらがおうとした。けれども公爵の

「私はおまえの羊だ」

 で、すべてを受け入れるんじゃないかなぁと。

 公爵を胸に抱いて光に包まれるユディットはとても神々しくて、綺麗で。
 本当に聖母マリアのようでした。







 と、未だにこういて書いていても、新たなエクスキューズが見つかるというなー。
 いろんな暗喩、比較、あれ、もしかしてあれはここにつながるのかな?と今回書きはじめて、追加したこともたくさんある。うっかり長文(笑)。
 まったく浮かびあがっていませんが、一応文章の構成は
「七つの扉を中心にいろいろ考えてみた」
 ↓
「あれ?ラストで論点ずれてね?」
 ↓
「じゃあもう公爵とユディットのハッピーウェディングでいいじゃない!」

 です(わからんよ)。



 いいの、私はそう読み取ったの、無理矢理(笑)



 まあ散々言っていますが、そうやって考えている間も楽しかったのですよ。ちょうど仕事が端境期だったので、無駄に通った新大久保が楽しかったのですよ。ええもうななどあ楽しかったのですよ。

 でも、混乱したのも確かなので(笑)これが私なりのアンサーです。正解がないなら照らし合わせる気もありません。私にとってはこれで正解で!(笑)









[ななどあメモ:女優の話]


 舞台そのものの可否とは別に(え?)、女優・水夏希にいい舞台があたったなと思っています。今回とにかく競演者がすばらしくて、それに夏希さんがいい影響を受けたんだろうなぁ、と。

 初日に観たときにはユディットがまだ強くて、なんかよけいに意味がわかんなくなったんですが(え?これってユディットの青ひげ城攻略RPG?)(笑)ってぐらい強そうだった。ところが最初の休演日をすぎたあたりから、どんどんたおやかになっていって。競演者がパワーアップしっていったというのもあるんですが、翻弄されるユディット、ひいては夏希さんが舞台の上でどんどんユディットとして生きてきているなぁと。
 ほんとそれが素敵だったのです。

 で、今回もまたスミレに続いて、元宝塚としてのある種の違和感を今回も生かしてもらえたな、と。
 やっぱり宝塚のひとってむちゃくちゃ清潔感あるし、姿勢はいいわで、どこか品の良さが消えないんですよね。たとえば今やってるとにゃみのセクシーセレクタリーにしても、セクシーよりもお色気キャラクター、アイコン性が勝ってエロくない(笑)。
 前回のスミレの時は「伊原すみれ」自体が世田谷南署への異分子という設定だったから、そのある種の違和感が生かされたなぁとは前にも言った通りで。

 今回は周りを男子で固めたのもあって、とにかく夏希さんの白さが際だった。紅一点が際だつのは当たり前かもしれないけれど、それ以上に夏希さんが持っている「ある種の違和感」としてぬぐいきれない清らかさとか、そういうのがすごく生かされてた。
 ユディットの設定年齢はあかされていないのですが、私、17歳ぐらいでいいと思っていて(笑)
 その違和感は「外部」の舞台で足かせになることもある思うんだけれど、今回はその違和感が舞台ならではの虚構の上にのっかったなぁと。

 とにかく、むちゃくちゃきれいだった。とにかくきれいだった。


 そういうにょたいかをまのあたりにして、ますます好きになったし、そういう過程をみられるのは今しかないんだな、と。
 いつか夏希さんがにょたいか、なんて言葉を忘れるほどに夏希さんらしく女優になったとき、そういう過程を見た日々を懐かしく思うのかな?さびしくなるのかな、なんて思ったりもしました。




 そんなこんなで2012年6月時点で、今年度内のお仕事が出ております。
 7月にBGBB、8月に淡路、11月に客家、来年3月にバイオリン弾き
 どれもこれも楽しみです。



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