2012年06月10日(日) | ||
ななどあメモその1 | ||
おひさしぶりです、ご無沙汰です、こんばんは六実です、マシンガンリークです(久しぶりなので自己紹介から)。 すっかりほこりをかぶっておりますマシンガンリークですが……以下言い訳同文です(こら)。 さて、今更ですが、ななどあ感想文をしたために参りました。 すげえ、今更(笑) 感想文というより、当時感じたこと、そして今改めて思ったことの散文にすぎません。「※個人の感想です」し、残念ながらレポートにもなってないので、観ていない人には全く伝わらないなぁと思います。 が、はげるほどいろいろ考えたので、そしてついった140ではやっぱり書ききれなかったところもあるので、自分なりにまとめておきたいと思います。 [ななどあメモ:七つの扉の物語その1] 前段を省きまして。 まず、最初に七つの扉の話を。タイトルロール(違)ですから。 ユディットがひとつひとつあけていく「青ひげ公の城の七つの扉」。その扉ひとつひとつにいろんなものがちりばめられていた(むしろちりばめすぎていた)(笑)と思うので。 [暴食] 最初の扉は拷問部屋。 そしてそこにいるのは食べ続ける事を罰として課せられた『暴食』と呼ばれる男。 罪として課せられながら、食への執着を正当化し、苦しみながら食べ続ける『暴食』。 そんな『暴食』をいさめようとするユディット。それに、食とはなんらかの殺戮である、と主張する『暴食』。それは屠殺者であるユディットをやんわりと匂わせているような気もします。 ユディットは終始、そんな『暴食』を理解しがたいという顔で見ているなぁと。 「それとも、食べることが快楽であるから」 そう問いただすユディットが、すこし姿勢を正して、敢えて視線を『暴食』から外してまっすぐと彼方を見て構えるのが、まるで「快楽」という言葉を口にすることを厭わしいと思っているような感じだったのがすごく印象的でした。 幼い飢えた子供から食べ物を奪ったという『暴食』に与えられた「食べ続けるという罰」 けれども食べ続けている間は生きている、生きながらえているわけですよね?多くの食という名の死に囲まれて、ただ、『暴食』だけが生きているという構図。 逆にこの罰を与えるということは、生かすということではいのかなと。食べ続けないと殺されるから、食べ続ける。 ユディットが「神に背いてまでも食べ続けたいのですか!?」と示唆したとき、『暴食』が動揺する。そしてユディットにすがるように、「本当は……」と。 本当はこんな事はしたくない、けれども死にたくない、と訴えるかのようで。 それとも『暴食』は、やっぱり罪を正当化するために食べ続けているのだろうか。あの大演説もすべて、今受けている罰を罰ではないとしているような。それがユディットの「神にそむいてまで食べ続けたいのでるか?」という問いかけに対して「本当は…」 最後、力づくで連れ去られる『暴食』。「まだごちそうさまって言ってないでしょう!」と叫ぶのは、食べきらなければ殺されるからか。 けれどもあの後、『暴食』には(食べ続けなかった事への)罰としての死が与えられた訳ではなく、執事曰く「また何か食わせろと言い出すのですから」という。 結局、死を与えることを許さないことが罰なのかなぁ。 目には目を、歯には歯を、けれども死には生という苦行を与える。 もしかしたら死なない苦しさを知っている公爵故の罰なのかも、と。 (というのを、これを書いている三ヵ月後に思い至ったという……え?)(笑) [肉欲] 二つ目の扉。宝物庫。 そしてそこにいるのは「女とみればそうしないではいられない罪人」。『肉欲』 多くの女性が『肉欲』に捨てられて命を絶った、間接的な殺人罪、と執事は説明する。 婚礼の後に公爵と踊るかもしれないから、とユディットとかなりきわどい(けれども美しい)ダンスをする『肉欲』。 このダンスを「ヤったかヤらないか」でずいぶん物議を醸したのですが、わたしは「ヤってない派」です(そんな派閥あるの?)(笑) ユディットは官能的な表情を浮かべるものの、なんだかよくわかっていないような顔をしているように見えたんですよね。 何よりも前段で「(食べることが)快楽」を罪としていたユディットが、ここで流されているのは「快楽」なんだろうか。それをわからないで流されているような。 そもそも「快楽」がなんたるかを経験していない(処女)なんじゃないかなぁ。 『肉欲』とのダンスを受けるユディットは、快楽を求めたというより、『肉欲』と執事が言い争っているのを止める為、と某嬢が言っていて、ああなるほどな、と思った次第。それもユディット自身の欲ではなくて。 もう一つはこの場面が終わった後のユディットが落ち着いていたこと。そこもあって、わたしは「ヤってない派」だなぁと。 で、私は「肉欲不能説」が一番しっくりきました。もっと言うとその罪故に「ちょんぎられていた」と(こら!) 『肉欲』のソレが、当初はエロスよりバイオレンスと感じたし、後半はなぜか「やさしくなった」と思ったんですね。やさしくなったというか、なんか勢いがなくなったというか。ユディットをリフトする直前に(リフトの都合上)そのドレスの裾をばさっと足蹴にするところがあったのですが、後半はそこがふつうに「避ける」だけになっていて。そんなところも含めて全体的に。それがかえってフェティシズムっぽくて。 それで最終的に『肉欲』にとってユディットは「宝」だったんじゃないかな、と思った次第です。 だって、ここは宝物庫。からっぽの宝物庫にきた「パーフェクトバランス」な宝。宝を愛でる、手入れする。『肉欲』の愛撫がそんな風にだんだん見えてきたんですよね。性の対象ではないけれど、執着はしている。そんな感じかなぁ。 それはそれで、ちょっと気持ち悪くて、ちょっといい(え?)。 [強欲] 三つ目の扉は金庫。 そこにいるのは、金に目がくらんで冤罪を起こして無罪を有罪とした弁護士。罰として死ぬまで札束を数えさせられる。 初見の時には正直「ずいぶんいい加減な場面だなぁ」と思ったんですよね(笑)。役者の技量に頼りっぱなしのような、放り投げた場面のような(スズカツめ!)(笑) でも演者の陰山さんの熱演がすごくて、ほんとあのほったらかし(と私は思った)脚本でここまでやるというのに、最後まで引き込まれてました。 そうして場面の最後にかぶる公爵の、 「愚者こそ人間らしく、いとおしさを感じる」 というモノローグに、日に日にテンションアップしていく『強欲』の愚者っぷりが重なって、なんだかおかしくて、そして哀れに感じて、うっかり涙ぐんでしまった日も。 この場面を下手から初めて見たときに驚いたのが、ユディットが明らかに『強欲』に嫌悪を表していたことなんですよね。 優秀な弁護士が金の為に冤罪を起こす、というのはユディットの実父を死刑にした事件(後述)を彷彿とさせているのは明らかな訳ではありますが。 命が終わるまで札束を数えさせられるという罰に「さもありなん」という顔をしていたユディット。いっそ冷酷と言ってもいいような表情を浮かべて。 最後、部屋を去るときに『強欲』を何か汚れたものでも見るような目で、近づくものいやといように、スカートを翻していたユディット。 そこまでは翻弄される哀れな羊飼いの娘だと思っていたのに、そこで「あれ」と思ったわけです。 聖書の教えに照らし合わせて断罪をしていく、そんな激しさが垣間見えたような気がして。 ところで実父の冤罪事件を彷彿とさせる『強欲』と、義理の父のキャストが同じ陰山さん、ていうのは、ひとつのメタファだと思うのですが、「ユディットを強姦未遂しようとした父」が『肉欲』ではなく『強欲』っていうのも深いなと思いました。まるでユディットを所有物と思っているように、そうされて当然とでも言うように、押し倒したんじゃないかと思っています。所有欲というか、支配欲というか。 おそらく父は何か衝動的に、ユディットを押し倒したんだろうなぁと。最初からそのつもりではなかったと思います。それこそ神の教えに反する訳ですし。 そんな事をしながらも兄に「ユディットを妹以上に思っているのか」としれっと言い放つ。自分のそれは肉欲ではないから、肉欲を責められる。そして強欲とも思っていないから、所有権の主張と思っていれば、その罪の意識はない。 もし父が12歳の少女がきたときにそういう肉欲視点で見ていれば、きっと「思ったより乳が育たなかったな」って思うんだろうなぁ、父だけに! と公演中は割とふざけたネタも考えていました仕様です(笑) [怠惰] 四つ目の扉は武器庫。 そこには武器庫の管理をしている男がひとり。しかしここも空っぽで武器はない。 この男の罪はあきらかにされていません。他の罪人は何故ここにいるのか(何の罪で捕らわれたのか)が出ているのに、『怠惰』だけは武器庫の管理をいう仕事を任ぜられている。 暴食、肉欲、強欲ときて、ここで初めて歓迎されることにちょっとほっとするユディットがちょっとかわいかったです(笑)。 そうして武器庫の説明をする『怠惰』。からっぽの武器庫。公爵の方針である非武装に「暴力に暴力で立ち向かってはいけないことはすでに教えられているんです」と賛同するユディット。 この「教えられている」という言葉もまた、ユディットの価値基準が聖書・教えにある事の象徴な気がしています。 そんなユディットに「(城が丸腰な事に)心配ですか?」とからかうように言う執事。「少しは・・・」と答えて戸惑うユディット。また次第に翻弄されていくようで。 話を転じて、『怠惰』の普段のここでのすごし方を問うユディットに、「ゴロ寝しています」と答える『怠惰』。自分が番をしている事で武器があると見せかけているのだから「誇りをもってゴロ寝している」と。その怠惰を罪だと諭すユディット。どうにかして相手にわからせようとして、最終的にはやはり聖書の教えを持ち出すユディット。 聖書を正として断罪してゆく。それが暴食の時よりも強いと感じたのは、相手が手強いせいもあるけれど、場面を追えば追うほど、ユディットの感情の吐露は激しくなっている気がしてました。 しかし『怠惰』にその理論は通じず、『怠惰』は退出し、それをさらに問いただそうときびすを返した(ドレスを翻しちょう男前)ユディットを制する執事。 「あの男、もう長くはないんですよ」と。 これ、実際何を表したかったんだろうなぁ(首かしげ)。ユディットに良心の呵責を味あわせたかったのか。 確かにそれまで自身を正論としてきたユディット、聖書を片手に断罪するユディットが初めて揺れた場面でもある、のかもしれないです。 [憤怒] 五つ目の扉は特になんの説明もなかったような?あれ? 罪人は、元は正義漢が転じて、正義のために人を殺してきたという『憤怒』。 ユディット達が部屋にはいるなり「出ていけ」と罵倒する『憤怒』。ユディットに向かって「汚れたメス豚」と言い「なんですって!」とくってかかるユディット。それを諫める執事「怒ったらあいつと同レベルになりますよ」と。 『憤怒』の場面だから怒らせただけなのかもしれないけれど(安直な)、やっぱりユディットの感情は扉を追うごとにどんどん激しくなっている、いやならざるをえないような。 (でもちょっとここ反論が激しすぎて「汚れたメス豚」が図星にも見えちゃうんだよなぁ)(笑) そうして正義の為に人を殺してきた『憤怒』が、どうして死刑にならなかったのかと執事に問いただすユディットが、「死刑で当然でしょう」という顔をしていたのに、やっぱり「聖書をかざして断罪する」ユディットの激しさが見えたように思いました。 このままいると危険だから、と部屋を後にしようとする執事。 「襲いかかるのです?」「いえ自殺をはかります」 溢れた怒りを自分にぶつけてしまう。その度に死に損なって、迷惑をかけている。だから刺激しないうちに去りましょう、と。 ここも『暴食』と一緒で結局「生かす」ということが罰のようにも思えてくるな……。死なせてしまえば楽な筈なのに。七つの扉に七人の罪人が「生きて」いる、というところもなんとなくもやっとひっかかります。 ところで『憤怒』が兄と同キャストっていうのは何のメタファなんだろうなぁ、と。 父が再三兄に、ユディットに対しての恋情(あるいは劣情?)を問いただすのに、ありえないという顔で答える兄。これは言葉通りだな、と思っていて、ユディットに対してそういう感情ではない。むしろ大事なものとして扱っている。 でも「ユディットが公爵の元に行っても幸せになれるはずがない」という断定はどこからくるんだろうと。自分たちの元にいることがユディットの幸せだという自信、けれどもユディットはちっとも幸せではなかった。だから七つの扉の向こうを何度も何度も夢をみたわけで。 兄はこうも言う「神がユディットをおつかわしになった」そして「神に試されている」と。 ぼんやりと、『憤怒』がユディットに「でていけ」と言うのに兄が重なるのかなと思った次第。兄は最初、食いぶちを減らす為にやってきた少女を受け入れていなかった。けれども神の教えを前にそれを受け入れざるをえなかった。だからことさらにユディットを神格化するいうか。 あるいは兄がユディットを神格化するのは、己の「恋情」もしくは「劣情」をおさえるため……とはこれは完全に私の妄想だな(笑)。 でもそういう相反する感情を抱えていたんじゃないかな。 だから「私の首はあちらに」「体はこちらに」がそういう比喩にも思えてきた、 (というのを、これを書いている三)(略) (恐ろしいことに続きますよ) |
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