| 2010年09月07日(火) | ||
| 「会えて嬉しかったと、それだけ」 | ||
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9月に入ってからおろおろするだろうなぁと思っていたらまんまとそれでした(笑)。 平日チケを追加して、まんまと行けなくなったりとか、朝からうっとおしいツイートを披露したりとか……まあ、風物詩とか歳時記みたいなものと思っていただければ(えー?) 人間、成功体験には頼りたいもので(笑)、大真くんの退団の時の事ばかりを思い出します。あの時、六実史上最大のしごとまつりだったのですが、退団前一週間がぽかりと仕事が空いて、それで一週間かけて大真くんへのうっとおしいテキストを書いたのですが、あれが後々すごく自分を慰めたというか、指標になったというか(ちょっとした自慰行為だな)。 だから今回もあの調子で、何かテキストを残せたらいいなぁと、思っていたのですが、意外に仕事がそこそこ忙しくて、かつ自分の中の文章もまとまらず。……焦っているつもりはないんですが、残りの時間、どうすごせばいいのかなぁと日々考える今日このごろ。 その反面、好きになった経緯も過程も違うのだから、別に過去の成功体験にたよることはないよな、と。これはこれで私なりのお見送りだよな、とも思ったり。 で、そうやって悶々と考えている中に、「全力で公演を観にいく」っていうのがないのと(まあこれは物理的立場的に無理ってのもあるんですが)、「全力で本人に想いをぶつける」っていうのがないところが、また自分らしいなぁと思っています(私がガチでもマジになれない所以でもあり)。 最後にもう一回、ちゃんと手紙を書きたいと思っているんですが。言葉に出さないと伝わらないもんね。 そんな感じの日々です。 やっぱり、やるか(笑)。ナツキノート(※)。 ※ナツキノートはナツキさんにハマった当初の、マシンガン内での独自タグ(違)です。 ※ゆるゆるだらだらむせきにんにそうまとめてきなことをします。 [ナツキノート深夜便:三人の賢者のお言葉] 昔からナパームスクエアをご存知の方には伝わると思うのですが、私がミズナツキさんにハマったという事は空前絶後びっくりドンキー(北関東ローカル?)ってなもんで、昔からのロムっ娘ちゃんやリアル友人知人を驚かせたわけです。 ましてやちょうどその頃麻尋ご贔屓宣言したばかりだったしね……うん、まあオンでもオフでもちょっとちくりと言われましてね……自分が好きなものを否定されてしまう寂しさとか、自分が好きな事を認めてもらえない(ナツキさんに対しても麻尋に対しても)寂しさとか、なかなかそれが拭えませんでした(当時の文章にもよく表れている)(笑)。 「でもそれでも好きなんだもん><」 っていう自分のパワーもまたすごかった、いやキモかった。改めて当時の皆様にお詫びしておこうと思います。 そんなこんなで両極端な感情(きゃっきゃしつつ煩悶しつつ)を持て余していたナツキ担前期、妙に心に残った三人の賢者(違)のお言葉がありました。いや賢者っていうかリアル友人達だったのですが。その言葉で気づくことがあったり、慰められたりもしたという。 きっと言った本人は覚えてないと思うのですが、私は結構それが嬉しかったので、それをちょっと書いておこうと思います。 ★賢者1のお言葉 「好きだ好きだって言っているうちに、好きになっちゃってんじゃないの?」 ……た、確かに(笑)。言霊ってやつですかね? ハマった当時の私はほんと惜しげもなくスキスキゆってましたね!いやもうほんと改めて(略)。 でも実は私はあまり贔屓に対して「好き」って素直にいえなかった人間でして。実は未だにタカラヅカの生徒さんにハマってきゃっきゃすることにどこか「意味のない罪悪感」を感じてしまっているんですよね……この辺は私のジェンダー的なトラウマ的なものがあるので詳細はすこんと省きまして、で、そんな私が贔屓に対してまっすぐに「好き」って言えたのが大真くんの退団期だったんです。 (いやむっさんユメキさんの時もさんざんスキスキゆってたよ、と思われるかもしれませんが、あの時は「好き」という言葉で退団を相殺しようと必死だったのです、よ……) 担デレ(べっ、別にあんたに会いに大劇場来たんじゃないんだからね!たこやき食べにきただけなんだからねっ!)という言葉を生み出すほどに(笑)、素直になれなかったわたくし六実。茶会で当人に告るなんて死んでもできないと思っていた私が、ようやく素直に「好き」と言わせてくれた退団期の大真くんはほんといいスケコマシでした!(誉め言葉)。 だからナツキさんをスキスキ言っていた頃の私は、そうやって大真くんをスキスキ言って見送って浄化された気持ちがそのまま繋がっていたのだと思っています。言ってみれば成仏したあとの心境が繋がっていったわけです、そんなん、最強じゃないですか(笑)。あの大真くんのお見送りで感じたふわんとした暖かい気持ちが、そのまま繋がっていったのです。 そうやってスキスキいえるスキル(……)を大真くんは残していってくれたんだと思っています。大真→水、と全く繋がっていないのですが(たまにダンサー繋がりと言われますが、それはまったくないのです)、私の内面世界(…………)では繋がっていたのです、よ。 ナツキノートなのに大真くんの話か!(笑) そんな事に気付かせてくれた賢者1のお言葉でした。 ★賢者2のお言葉 「人間、その人の素に近いところが一番その人の魅力なんだからさ、だからむっさんはナツキさんの一番の魅力に惹かれたんだよ」 まあ、本当に、周囲のリアル友人達には正直ドン引きされていたのですが、その中でちょっと嬉しかった言葉。 で、この一番素に近い、ってのは当時の我々の間の共通認識「ミズナツキさんトップになってからカミングアウトしたよね!」って所に起因します。「まんまオネエじゃないですか!」と(笑)。確かに前からその兆候はあったものの、トップになってからのミズナツキさんは、明らかにそんな風に「変わった」と(我々の間では)言われてたんですね(笑)そして皆一様に「昔の方がよかったのにね…」とも言う……(笑)、でも私にとってはその時の「今」のナツキさんが全てで、そして文字通りかわいくてオネエなミズナツキさんにハマったという自覚もあったので、またしても煩悶を……(笑) でもこの「変わった」って言うのは、やっぱり外野からの意見だったのかな。 ありがたいことに、ここにきてついったー等で縁あって昔からナツキさんを好きだった人をお話する機会があって、その度に「中の人は同じ」という思いを強くしています。私が惹かれたその魅力は、ちゃんと昔からあったものなんだなぁと。 (それがトップで増えた露出に合せて、表に一般的に見えるようになってきた、と) それに気づかなかった事を別に後悔はしないのですが(タカラヅカを観ていながらミズナツキさんを観ていなかった時期を悔いていないのと同じように)、もし「中の人」をもっと早くに知ったら、ちょっとまた違った好きになり方をしていたのかな、とも。 でも逆に「中の人」が昔も私の好きな魅力を持っていたのだと思うと、それがまた嬉しかったりします。そして「今」それに出会えて好きになれたことが、やっぱり意味があって意義があることだなぁと思うのです。 要約すると「キモいナツキ担な私を肯定してもらえて嬉しかった!」です(うわあ)。 そんな風に嬉しかった賢者2のお言葉でした。 ☆小休止 (なんかネガな話ばかりしていますが、多分私も過剰に自虐だったのですよ……)(笑) (だって自分でもありえないと思っていたもん、あんなに好きになったことが説明つかなかったもん)(もん、言うな) ★賢者3のお言葉 「むっさんはナツキさんに働く女子としてのシンパシーを感じているんじゃないの?」 ちなみに賢者は「なんでむっさんがナツキさんにハマったかさっぱりわかんなかったからこの結論になった」と言っておりました(笑)。ほんとそんな風に考えさせるほど文脈違うハマリかたしてすまん…(笑) 当時私はこれに「ノン!」と答えています(笑)。 それに異論反論はあるでしょうが、私は余り生徒さんを「はたらくじょし」とは見てなかったんですよね。あの世界は自分の世界とは違うと思っていたし。 あと「同世代の女子が頑張って働いている」って言う気持ちも余りなくて。だって、あれは彼女らの仕事なんだから、がんばるのは当たり前でしょ?仕事だったら私だってがんばってるよ!いや君そこ張り合うところじゃないから(笑) 逆にそこを重ねちゃうと、しんどいじゃないですか。そういう仕事とか頑張るとかリアル感を抜いた上で、あの世界を楽しみに行っている訳だし。もっとやらしく言うと、私はタカラヅカ歌劇団に対する一消費者である、という思いがあったわけです。 すごく誤解をされそうですが、頑張っている人を否定するとか応援しないとかそういう意味じゃないですから! 少なくとも私はそこを混同させたくないなぁと思っていたのです。線を引きたいなぁと思っていたのです。 ただ、ちょうどこの頃(2008年夏頃)に出だAERAで、正にトップスターを「はたらくじょし」として特集した号が出たんですね(で、このあたりからジェンヌの「はたらくじょし」売り込みが盛んになったような……と、これはいずれまた)。そんな風に斜に構えていた私ですが、この特集はほんと骨身に染みたというか(外部の媒体ってのも大きかったのかも)、今でもすごく印象に残っています。今思えば当時の私はランクアップした自分の立場に必死になっていた頃でした。だから結局、賢者のお言葉は当たっていたという訳です。 ただ、これは何度も言っていることなんですが、私はずっと「ナツキさんも頑張っているから私もがんばる」とは言わない(思わないように)してきたんですね。私が頑張るのは自分の為。これもどこかで言ったかな?マリポーサの時ナツキさんが言っていた「ネロががんばるから私もがんばる」、それに「ネロががんばるからナツキさんもがんばるから私もがんばる」て続けてみて、なんか違うなぁと思ったのです。 そんな風に「はたらくじょし」として、混同も同調も依存もしたくないと思っていたのです。けれどもどこかで「対比」はしていたのかもしれません、つか、「ナツキさんはナツキさんでがんばる」「わたしはわたしでがんばる」ってそういう「対比」以外のなにものでもないか(笑)。それは私の二本柱「しごととヅカ」(ほんと二本しかない)の象徴だったのかな、とも思いました。 しかし、こういう私の「しごと」への入れ込みかたってほんと妄執……。 けれどもそこから私に力が生まれた事も確かなのです。 そんな事を考えさせてくれた賢者3のお言葉でした。 う、うざい。 な、長い。 次回はそんな風に「はたらくじょし」として見ていなかった私が、「はたらくじょし以上だ」と思うようになったきっかけの話をします(続くの?)(さあ?) |
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