| 2009年07月04日(土) | ||
| 君ゆえに今日も | ||
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かなしいときー、出先でさあ書くぞとポメラを開いたら電池が切れていたときー (何よりもまずツッコむべきところはネタが古すぎることです)(笑)。 宙組さん、行ってきました。 すごく間違った見方というか、読みが浅いかもしれませんが、思った事を。 [宙組メモ:ほぼ芝居の話] ショーがたるいと聞いていたのですが、いや芝居もけっこう……いや、たるいというか、やっぱり大劇場のあの空間で二人だけの会話で埋めるのは無理があるよ正塚っあん!(誰だよ)。この感覚、マリポーサんときみたいだなぁと思ったらイヴェットさんが「今いる環境で出来る限りのことはする出来ることをする」とまるでネロ先輩のような事を言っていてびっくりしました(でも実は似ている気がする、よ?) そこから転じて、この物語、イヴェットが主人公なんだろうなぁと思った次第。前にもどこかで言ったのですが、判断とか選択をしない主人公はそれだけでドラマ要素が減るから、主人公足りえなくなっちゃうんですよね。いや、ジャスティンもイヴェットも「過去を割り切って」生きてきたわけだから、選択をしているのですが、イヴェットの「選択」(およびそれに伴う経過、結果)が物語の中心になっているじゃないですか。ジャスティンさんの選択は言葉で語られちゃったり、あるいは向こうから最後通牒をつきつけられたりと、やっぱり選択をしてない、ように見えちゃうんですよね。 あと正塚先生の話ってやっぱり「起承承結」だよなぁと(ロマンス〜の時からずっと思っています)。転の部分の書き込みが弱いというか、時としてあえてそれを無視しているような。今回もいつのまにか負債の問題が解決していたというか、むしろその後の「めでたいのみたい」ばかり記憶に残るというか(笑)。転の部分が弱いことで、主人公(っていうかタカラヅカの主演男役)の見せ場がそれだけ減っちゃうような……。そんなこんなでやっぱり正塚芝居は大劇場サイズじゃないなぁと思った次第。最近の作品だと「愛短」ぐらいかな、大劇場サイズだと思ったのは。 話が飛んでいますが、要するに「ジャスティンが車を捨てるくだり」とか「ヘレンに振られてひどくよっぱらったくだり」とかを描かないとジャスティンのドラマが盛り上がらないのよぉ!て事です。けれどもその辺(言い換えればカッコ悪いジャスティン)をちゃんと描かないのは、正塚先生の男の美学(not男役の美学)なのか、タカラヅカの主演にカッコ悪い事はさせられないという不文律なのか……多分、前者なんじゃないかと思います。 しかしジャスティンさんがヘレンにプロポーズした意味がわからない。なんか、プロポーズするほど執着してないような。結局、ジャスティンにとってはヘレンとは「結婚してもいい、結婚しなくてもいい」だったんじゃないかなぁ。どっちでも二人の関係は変わらないと思っていて、それはそれでジャスティンなりの誠意というか、しなくても変わらない「絆」とすら思っていて。ある意味それだけ自然な存在ってすごいことなんだけど、でもそれって本当に「空気みたい」だよな、と。……きっついわー。 それでショーの話なんですが……どうしよう、中詰めの銀橋でヅキさんのグラインドが素晴らしかった事しか思い出せない……っ!(ええー?) そんなわたくしではありますが、不覚にも涙腺が決壊したのは、芝居の7年前のダンスパーティ、イヴェットさんがジャスティンさんに「一緒に行こう!」と手をひかれてばーっと上手奥にはけていったところです……いや、ファンタジスタのコレを思い出してしまって。 私の立ち位置として、宝塚の初見の作品として観るべきなのか、谷梅お見送りとして観るべきなのか割と観ながらも迷っていたのですが、でもそのどっちもあるから「タカラヅカ」なんだろうなぁと思いました。 まちゃみがエトワールで歌う「Amour それは・・・」の歌詞がいやに響いてしまいました。すごくなんてことない歌詞なんですけれどね。 「君ゆえに今日も楽しく しあわせがいっぱい」 しあわせが、……いっぱい。 これで辞めるまちゃみが(歌詞とはいえ)そう言っているのにすごくしんみりしたし、その言葉はタカラヅカそのものみたいだなぁを思ったし(はいはい管轄外でポエムしない)。 明日、あの空間に集う全てのひとが「しあわせがいっぱい」となりますように。 |
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