| 2006年11月13日(月) | ||
| あの人、シューティングスター、そして一番星 | ||
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朝起きたら泣きはらした目で、わたくしの奥二重がぱっきり現れて二重になってました。そのまま!そのままで(笑) 大真みらんさんを見送ってきました。 たくさん泣いてたくさん笑ってたくさん萌えて(そこも大事なのぉ!)(笑)、たくさんの幸せをもらってきました。 [大真当番日誌] とはいえ、千秋楽報告ではなくて、まるきりある大真当番の千秋楽ドキュメンタリーです。 退団公演の千秋楽って、劇場中が一種独特の雰囲気になりますよね。 あれに私は完全にのまれてしまって、正直、おかしくなってしまいました。すごく変な気分。 舞台が始まってもそれが消えなくて、なんだかすごい混乱してました。 あれ?私大丈夫だと思っていたのに。昨日の前楽で思いがけずに小学三年生に笑わされて、この調子で千秋楽を迎えられると思ったのに、なんだかおかしい。もしかしてまた大丈夫じゃないんだろうか?ずっとここでマシンガっていたことも、実は本当は違うんじゃないだろうか?全然整理できてないんじゃないか私? それなのに、芝居はどんどん進んでいく。集中しなくちゃ、と思うのに、全然集中できなくて、だんだん気持ちも悪くなってきて、劇場を飛び出したい気分になった。自分が今まで言ってきた言葉を反芻しながら、お願いだれか私に大丈夫だと言って!と。 そんな調子で芝居がおわってしまって、ああ私なにやっていたんだろうか?最後なのにこれで最後なのにと更に凹んで。 幕間にちゃらさんに会った時に、聞いてみたんです。「私、大丈夫かな?」と。大丈夫と言ってほしくて。ところが彼女の口からでた言葉は「大丈夫じゃないよ」と。でもその後に言ってくれた言葉が「大丈夫な訳がない、大好きなものがいなくなるんだから」みたいな事で。それを聞いて目からウロコがおちた。ああ、そうか、大丈夫じゃなくていいんだ。大丈夫じゃない自分を責めていたけれど、それは決して負の感情ではないんだよ、とも言ってもらった。それに随分救われました。 その時にもうひとつ、思い出したこと。ゆなひこ君が「別れは悲しいことじゃないって言うけれど、そんまきれいごとじゃなくて、やっぱりいなくなるのは寂しい」という事を言っていて。それに私は「いいんだよ、寂しくて当然なんだから、当たり前なんだから泣いていいんだよ」という事を言ったんです。……彼女のその時の状態が、まるきり今の私の状態なんだと気付いて、そしてその時自分が言った言葉が帰ってきた。……やだな、私、本当は自分で言ったこと、自分でわかってないんじゃないかと苦笑。でもその時はそう思ったし、やっぱりこうやって帰ってきたんだから、嘘ではないんだと。 (名前だしてごめんなさい) 言葉って怖いと思いました。 でも言葉のちからってやっぱりすごいなぁと。 結局、一言で言えば、5日の時にきたものと同じものが第二波となってやってきただけなんですが(笑)。それに対して出てきた結論も一緒。でもどう考えても楽しかったし、幸せだったし、幸せだよな、と。最後の最後でそんな厄介なことを抱えた自分ですが、でもそんな風になるぐらい、好きだったんだよ。そんな風になっちゃうぐらい、大好きだったんだよ。だからそれもらしかったかな、と思っています。 ショー以降は落ち着いて観ていられました。号泣しながら、笑いながら、けれどもそれをちゃんと自分で受け止めながら。 千秋楽の大真みらんさんは本当に「大真みらん」で。本当に言葉にならないぐらい素敵でした。 サヨナラショーのソロに込められた思いが伝わってきて。楽はてっぺんの方から観ていたので、ホリゾントの星空はそんなに見えなかったんですが、舞台上に落ちたフィルター越しの光の破片が綺麗で、舞台の全てのものが大真くんに注がれて、大真くんから劇場を埋める何かが生まれていて ボレロの黒燕尾にはただ美しいとしか言えなくて、見納めるように、指先からつま先までじっと見つめていました 組長さんが読み上げる退団者挨拶で「Acrossで「大真みらんここにあり」と思えるほどの場を与えてもらえて退団を決めた」と言っていたのに本当に「大真みらんここにあり」だったねと、思ったり 名前を呼ばれて「はーい」とももちゃんで返事をして、でも挨拶をするときはしっかりと「大真みらん」で 組からのお花と同期からのお花、で美城君とますみさん、どっちから先にもらわなくちゃいけないかなー?どっちか先に近づいてくるかなー?ときょろきょろして、あ、ますみさんが先だと、気付いた瞬間、ますみさんの方に向かってぴょん、と跳ねて身体の向き変えて。それが余りにも鳥みたいで笑っちゃって 退団挨拶で、別れることが辛くて辛くて身を引き裂かれるようと言っていた。そんな風に今思っていることをありのままに伝えて、でも「幸せでした」とありのままに伝えてくれて 驚いたのは、大真くん、挨拶が終わって他の退団者挨拶を聞いているときに泣き出したんですよ。涙ぐむ、程度じゃなくて、手をつかって何度も何度も涙をぬぐう位に泣いていた。あの場所であんな風に泣く人あまりいないよ、でもそれがすごくらしかった 泣いたまま、最後の「フォーエバータカラヅカ」が歌えなかった大真くん。でも歌えなくても一生懸命何かを伝えようと、劇場中を見渡して、泣きながらも思いを込めて客席を見渡していた 何度目かのカーテンコールで、退団者がひとりひとり一言言ったとき「星組最高です!」と男らしく、手にしていた花束を前方に掲げて叫んだ大真くん。それがすごくらしくて、思わず喝采。何気に大真くんにはこういう茶目っ気というか、場をぐわっと盛り上げようとするよなえらいな、と(Acrossの千秋楽挨拶を思い出した)今更ながら惚れ惚れしてみたり 退団パレードも見ました。交差点のところで最後に振り返って、手を振りながらぴょんぴょん飛びはね、投げキッスを食らわせて、そして喝采をあびるように両手を広げてた。ああ、もう最後まで小学三年生、袴で跳ねるな!と思いつつ、その姿に「あ、飛んでいった」と思ったり 最後まで「大真みらん」を見届けられたことが、嬉しかったです。大真みらんという人に惹かれたことは間違っていなかった。間違っていたとか間違っていなかったとか、そうい問題じゃないんだけれど、あるべくしてそうなったというか。400人いるタカラジェンヌの中で、あの人がやっぱり私にとっては一番星でした。一番星流れ星、流れ星はいってしまったけれど、けれどもそれは決して消えないものだから。 寂しい気持ちもたくさんあります。だっていなくなっちゃったんだもの。 けれども寂しい気持ちをごまかすことも隠すこともネタにすることもしなくていいんだと思いました。「でも楽しかったんだから」という形で相殺することも、目を背けることもしなくていい。寂しい気持ちはは寂しいままで、楽しかった気持ちは楽しかったままで、幸せだった気持ちは幸せだったままで、ずっと大事にしていきたいなぁと。 なんというか、「よかった」という気持ちでいっぱいです。 大真みらんというタカラジェンヌがよかった、無事に見送れてよかった、幸せでよかった、大真くん好きになってよかった。こんな私を支えてくれる人がいてよかった、一緒に萌えてくれる人がいてよかった、最後の大真みらんさんを「光ってやがる、輝いてやがる」と言ってくれる人がたくさんいてよかった。 たくさんの「よかった」にひとつひとつ「ありがとう」を伝えたいです。 まとまらないまま、とりあえず今思うことを書かせてもらいました。 つうかそろそろボケない状態が辛くなってきたかと思います(お客さんが)。何より私が辛い(笑)。 とりあえず、この週末に生まれた新語として「デカカワイイ」「うすカワイイ」「ウザカワイイ」に続けて、大真くんは「とりカワイイ」としておきたいと思います(意味がわからない)。あと「シルハラ」とか「しぃハラ」とか新語が生まれているんですが、この話は後でな!ネタも萌えもちゃんと拾っております。そういうところははずせません。 あ、今回は贔屓が辞めたからといって改名しないのでご安心を(笑)。 引き続き「かけざん大好きサイトナパームスクエア」と「金平糖職人六実」構ってもらえると嬉しいです。 これからも、よろしくお願い致します。 |
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